六話 怜悧と静謐
六花連盟における事実上の最高意思決定機関「円卓議会」から理事会を経て多種多様かつ膨大な任を受ける支部には、業務を分掌する分室の他にも複数の外局が存在している。
外局とは参謀本部と同程度の業務を受け持ちながら、その内容が専門性を帯びているため、ある程度独立した機関として設置されているものだ。
そのひとつ――上総に本部を持つ「聖霊研究計画局」に設置されたプログラムオフィス「技術開発室」の一室に、軽快なタイピング音が響いていた。
遮光カーテンが閉められた薄暗い部屋の中には、眼鏡のレンズにモニターのブルーライトを反射させながらキーを打つ女性の姿がある。モニターを睨んでいた女性が半ば無意識にティーカップを傾けると、冷め切った紅茶が唇を濡らした。
冷たい感触に眉をひそめながらキーを打つ手を止めると、女性はモニターから視線を外して壁に掛けられた時計を見た。随分長いこと作業を続けていたらしく、女性の眼は微かに充血しており、椅子を引いて伸びをすると間接が湿った音を立てた。
女性が深く息を吐きながら紅茶のおかわりを入れようか思案していると、入り口の扉が控えめにノックされた。返事をすると程なくして扉が開かれ、給仕服に身を包んだ女性がしずしずと部屋へ這入ってきた。
「シオン様――」
給仕服の女性は眼鏡の女性の名を呼びながら、ふと薄暗い部屋を見回すと、
「――また眼を悪くしますよ」
そう言って部屋の明かりをつけた。
「薄暗いほうが落ち着くんだ」
シオンと呼ばれた女性が蛍光灯の光に目を細めていると、給仕服の女性は機械のように折り目正しい歩調で窓際へ近づき、閉ざされたカーテンを開けながら言葉を返す。
「せめて来客日くらいは身支度を整えておいて下さい」
「……今日は何かあったかな?」
「譚器の委譲です。一昨日にお伝えした筈ですが、お忘れですか?」
「……しまった、徹夜のせいで日付感覚が狂っているようだ。眠気覚ましにシャワーを浴びておいて正解だったね」
シオンはそう言って苦笑いを浮かべると、襟足に手櫛を通していく。それを見た給仕服の女性が音もなくシオンの背後へ立ち、手櫛を優しく止めると、
「手櫛は髪を傷めます」
そう言って懐から取り出したヘアブラシでシオンの髪を梳かし始める。
「もう子供ではないのですから、どうぞご自愛下さい」
「好きなことに熱中するというのも、ある種の自愛だと思わないかい?」
「屁理屈を仰らないで下さい」
「屁理屈ではなく冗談だよ」
「私が冗談に疎いのはご存知でしょう?」
くつくつと喉を鳴らして笑うシオンに対して、給仕服の女性は眉ひとつ動かさずに淡々と言葉を返していく。
「そんなことはないさ、ドロシー。君はユーモアに溢れた人間だよ」
「それもご冗談ですか?」
「……やれやれ」
シオンは大袈裟に肩をすくめてみせると、改めてドロシーへ言葉を投げかける。
「それで、機材の準備は?」
「万事、滞りなく」
「ありがとう。それじゃあ、あとは客人を待つだけだね」
そう答えた直後、ドロシーの懐から着信音が響いた。ドロシーが手を止めて着信を取り、短い会話の後に通信を切ると、平坦な口調で業務連絡を行う。
「アート・ヴィリヤカイネン様がお見えになりました」
「ああ、早かったね。それじゃあ、客人を検査室へお通ししてくれ」
「かしこまりました」
ドロシーは一礼すると、入室時と同じように音もなく部屋を後にした。シオンは紅茶のおかわりを諦めて立ち上がり、部屋の中央に置かれていた重厚な装置へ近づくと、
「やあ、君のご主人様が到着したぞ」
そう呟いて、装置の中央に嵌め込まれた強化ガラス製の小窓にそっと触れる。
「それじゃあ、お披露目といこうか」