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十九話 異変

 

 渓谷の薄闇を銀閃が走り、四体の骸が星幽光となって霧散する。顕霊を一瞬にして屠ったブィリーナの部下たちが浅く一礼すると、左右に分かれて道を開ける。

 眼前に現れたのは巨大な漆黒の結晶――霊災の核だ。

 今は外殻を結晶化させてに休眠しているため生物には見えないが、内側から響いてくる波濤のような劫波は生命の胎動そのものだ。

 かつてひとつの時代に終止符を打ったこの異形に畏敬の念を抱く者も少なくない。

 しかしこうして相対したところで、己の感情が波打つことはない。

 所詮は徒花――矮小な存在だ。

 路傍の石が如く、無意味に、無慈悲に、無感動に――蹴散らしてくれよう。

 静かに右腕を正面へ掲げると、言葉を紡ぐ。

「――連理開放」


 女将さんから話を聞いて向かった先、宿屋から数百メートル離れた草原にそれはあった。まるで出来の悪いお化け屋敷のように無造作に転がされていたそれは――顕霊だった。

 野晒しは草花に抱かれたまま、ピクリともしない。その体から発せられる劫波は目視できる距離まで近づいてようやく感知できるほど弱々しいものだった。

 しかしそんな瀕死の顕霊に、今までとは違った畏怖の念を抱く。

「こいつ……ここまで追ってきたのか?」

 いくら群体種とはいえ、個々の判断能力があるとはいえ――本体からこれほど離れてまで獲物を追いかけるなど普通は有り得ない。その執念すら覚えさせる行動に背筋が凍る。今まで遭遇してきた顕霊とは明らかに異質な存在だ。

 しかしいくら執念があったところで自然の摂理に抗うことはできない。見れば顕霊の体は末端部分が霧散しかけていた。

 本体から離れすぎたことで霊脈を維持できずに存在が回帰しようしているのだ。このままいけば数分と経たずに回帰し切るだろう――とは言え放っておく訳にはいかない。

「……アート」

 隣へ視線を向けながらそう言うと、アートは小さく頷いてネヴァーモアを構える。

 アートが唇を動かしたその刹那、言葉を掻き消すように暴風のような劫波が全身を打った。

 咄嗟に視線を上げる。劫波の発生源は北西――渓谷の方角だ。

「始まったようだな」

 アートがそう呟いた直後、視界の端で何かが動いた。咄嗟に視線を戻すと、先程まで瀕死だった顕霊が大きく口を開けた。

「オオオオォォォォオオオオォォォォ」

 顕霊は断末魔のような咆哮を響かせると、そのまま力尽きたように霧散した。後には呆然と立ち尽くす二人と、得も言われぬ胸騒ぎだけが残されていた。


 安房と上総の境界に聳え立つ関所。普段は厳かな静寂に包まれているこの場所は、今や無数の機械音と人の声が飛び交う音の戦場と化している。

 関所に設置された作戦本部は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれていた。

 事態の発端は数分前に遡る。

 当初の予定通りグロズヌイ卿によって霊災の核が叩かれ、その影響で顕現した顕霊を防衛部隊が迎え撃とうとした。しかし部隊はそこで異常事態に直面した。本部へ通信を入れた者は皆一様に「顕霊がどこかへ去っていく」と混乱した様子で告げていた。

 しかも一部ではない。渓谷に顕現した全ての顕霊が目前の隊員たちを無視して彼方へ走り去って行ったというのだ。

 防衛部隊から本部へ指示を仰ぐ声が止まらず、オペレーターたちは対応に追われている。

 そして私も総長からの指示で顕霊の動向を調査していた。その結果、ひとつの事実が浮かび上がった。総長が危惧していた通り、顕霊は全て同じ方角へ進行していたのだ。

「被災予測区域、出ます!」

 その声と共にモニターへ映し出された映像に思わず息を呑む。

 養老渓谷を中心とした地図にはる顕霊の進行予測範囲が赤く示されており、それは閉鎖区域を大きく超えて避難指示の出ていない市街地までもを飲み込んでいた。

 しかし声を失った私に対して総長は一切取り乱した様子を見せず、周囲へ淡々と指示を飛ばしていく。

「第六部隊から第二十部隊をK8-4c5地点へ集中させてください。残りの部隊を二つの班に分けて再展開。隊が抜けた部分の補強に当たらせます」

 そう告げると、総長はこちらを振り返りながら言葉を続ける。

「麗子さん、上総分室へ連絡を。参謀総長の権限をもって、被災予測区域へ緊急事態宣言を発令します」

 その表情は普段の様子からは想像もつかない、まるで能面のように冷徹なものだった。


 女将さんに事情を説明し、事の顛末を先生たちへ報告しながら安房分室へ戻ろうとした道半ば、二人の端末が同時にけたたましい音を立て始めた。

 咄嗟に懐から端末を取り出して通知を見る。

「――緊急避難命令!?」

 避難命令はどうやら付近の地域一帯に発令されているらしく、遠くからはサイレンの音が響いている。霊災に何か動きがあったことは間違いないだろう。咄嗟に通信機に指を添えて言葉を作る。

「先生――」

「……今、シオンに確認してもらっているわ」

 すると、程なくしてシオンの独り言ちるような声が聞こえた。

「何だ……この動きは……? どうなっている?」

「どうした?」

 その言葉にシオンは小さく息を呑むと、神妙な声色で言葉を返す。

「よく聞いてくれ、二人とも。顕霊は防衛部隊の包囲網を突破して――一直線に、君たちが居る方角へ向かっている」

「――なッ!? どういうことだ!?」

「……分からない。こんな動きは本来であれば有り得ない――行動の説明が付かないんだ。まるで何かに引き寄せられているような……」

 そこでシオンは歯噛みするように短く句切ると、

「防衛部隊が対処に当たっているが、いかんせん数が多すぎる。全てを防ぎ止めるのは恐らく不可能だろう。その場所は……一時間と待たずに災禍に飲み込まれることになる」

 あまりの事態に眼前が暗く淀み、微かな眩暈を覚える。

「だ、だったら……クソッ!! どうすりゃいいんだ!?」

「落ち着きなさい、アタミ」

 狼狽する自分に対して先生はピシャリとそう言い放つと、毅然とした口調で言葉を続ける。

「地域住民が一斉に避難を開始すれば混乱が予想されるわ。私たちが真っ先にやるべきことは避難誘導よ。里身防衛官にはこちらから協力を要請しておく。私たちもすぐにそちらへ向かうから、少しの間だけ三人で対応に当たって頂戴」

 その言葉に若干の冷静さを取り戻し、気合を入れるように強く言葉を作る。

「……ッ了解!」

 通信機から指を離してアートと頷きを交わすと、踵を返してそれぞれの方向へ走り出す。


 炭化した骸が煙を上げながら地に沈むが、それを踏み潰しながら顕霊は行進を続ける。こちらへ目もくれず歩み去っていく顕霊に眉をひそめつつ視線を上げると、少し離れた木々の合間を埋め尽くす巨大な影が見えた。

 数分前、譚奏術を受けたことで再び活性化した霊災の核は、しかし唐突に溶解して泥の塊になったかと思うと、溶岩のように周囲を飲み込みながら移動を開始した。

「隊長、この動きは……」

 半歩後ろに控えるひとりの部下がそう呟いた。この部下はブィリーナの中でも計画を知る数少ない人物だ。どうやら自分と同じ違和感に気付いたらしい。

 ――近くに居るのか……器の片割れが。

 器が死ねば今後の計画が頓挫しかねない。奴もどこかで動いているだろうが、こちらも手を打っておくに越こしたことはない。

 内心でそう独り言ちると、部下を振り返りながら言葉を作る。

「……エリシャを向かわせろ」


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