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十八話 帰還

 

 右眼に意識を集中させながら周辺を隅々まで見回し、人の劫波がないことを確認すると、乾いた瞳を休ませるように強く目を瞑る。

 深く息を吐き、擦り傷に塗れた手の甲で額の汗を拭いながら腕時計を見る。時刻は午前六時四十七分――捜索開始からおよそ二時間が経過しようとしていた。

 少し離れた場所ではアートと戍孝が周囲を捜索している。三人の間では談笑が交わされるはずもなく、最低限の報告のみで黙々と作業が続けられていた。二人の動きは今朝と比べて明らかに精彩を欠いており、その表情には疲労の色が窺える。

 この二時間における顕霊との交戦回数は四回。交戦すること自体は覚悟していたが、それにしてもこのペースは想定外だ。右眼を使って敵に察知されるよりも早く移動しているにも拘わらず、顕霊はその都度こちらの移動先へ回り込んでくるのだ――まるで何かに引き寄せられるように。

 いつ顕霊に襲撃されるか分からない緊張感と迫る刻限の緊迫感、そして何より成果が上がらないことによる焦燥感が三人の肉体を蝕んでいたが、戍孝のそれは特に深刻なように見えた。

 それもそのはずだ。何せ戍孝はこれと同じことをたった一人で二日近く続けていたのだ。その疲労が簡単に取れるはずもなく、気力や体力の限界もそう遠くないように見受けられる。

 通信機に指を添えてシオンへ報告する。

「D4地点、捜索完了。生存者は……ゼロだ」

「……了解した。タイムリミットまであと十三分だが……続行するかい?」

 これで目ぼしい場所は粗方捜索したことになる。帰りの体力を考慮しても、この辺りが引き時だろう。

「……引き上げよう。帰還ルートを割り出してくれ」

 こうなることは覚悟していたが、それでもあまりの口惜しさに鳩尾が捻じれるように痛む。

「……了解。無事に帰ってきてくれ」

 通信機から指を離すと、小さく俯いた戍孝に声をかける。

「戍孝……時間切れだ」

 振り返った戍孝の表情に思わず息を飲む。怒っているような、泣いているような、諦めているような、落胆しているような、苦しんでいるような――ありったけの負の感情を煮詰めたような戍孝の表情に、心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚える。

 戍孝は僅かに口を動かすが、そこから言葉が生まれることはなかった。思わず言葉が口をつきかけたが、それをぐっとこらえて踵を返す。

「話は帰ってからだ。俺が先導するから、アートはしんがりを頼む」

 頷いたアートを確認し、シオンの指示に従って移動を開始する。戍孝は俯いて口を閉ざしたままだが、意外にも素直に付いてきている。

 悲痛な面持ちに心が痛くなるが、同情はしても譲歩は許されない。最優先は戍孝の安全なのだ。これだけはどんなことがあっても決して違えてはいけない。

 雑念を振り払うように首を振り、索敵に集中しつつ小走りで森の中を走り抜けていく。程なくして微かな劫波を感知したため、後方の二人へ停止の合図を送りつつ通信機へ指を添える。

「シオン、前方に劫波を感知した。東にルートを修正してくれ」

 これまでもこのようにして交戦を避けてきた。しかし――シオンの指示に従って迂回した先に新たな劫波を感知する。怪訝に思いながらも立ち止まり、再度ルートの修正を申告しようとした矢先、また新たな劫波を感知する。

「なッ――」

 息を呑んで周囲を見回すと、左右や背後にもこちらへ接近する劫波があった。

「囲まれてる!? こいつら――右眼の感知範囲外から包囲網を作ってやがったのか!!」

 しかし、そんな芸当はこちらの位置や感知範囲を正確に理解していなければ不可能だ。相手の力量を見誤った――いや、今はそんなことを考えている暇はない。

 通信機へ指を添えると、ホルスターから銃を抜きながら声を作る。

「シオン、囲まれた! 出口までの最短経路を割り出してくれ!」

 ――これ以上網を狭められるのはマズい。このままでは完全に逃げ道を塞がれる。

 脳みそをフル稼働させていくつもの選択肢から最善策を模索する。

「アート、前に出てくれ! 一点突破だ! 走り抜けるぞ!」

 頷いたアートが隣へ並び立つと同時に、三体の顕霊が正面から飛び掛ってきた。

「譚器開放――」

 その声に顕現した黒鳥の弾丸が風のように宙を舞い、顕霊を蹴散らしていく。左右から現れた顕霊に対して戍孝も刀を抜いて応戦しているが、体力の限界か失意によるものか――一瞬の隙が生まれた。

「戍孝!!」

 咄嗟に腕を強く引いて位置を入れ替えると、顕霊の爪が胸元を掠めてシャツを引き裂いた。引き金を引いて顕霊の眉間を打ち抜くと、二人を振り返りながら叫ぶ。

「走れ!!」

 顕霊の包囲網を突破して走り続けていると、やがて見覚えのある宿屋が見えてきた。ひとまずは安全圏内だろうと思い足を止めると、呼吸を整えながら銃のスライドをリリースする。まさかここまで激戦になるとは思っていなかった。予備の弾倉もひとつしか残されていない。

 二人を振り返ると、同じように肩で息をする里身へ近づいて声をかける。

「……大丈夫か?」

 戍孝はこちらを振り返ると、ひとつ頷いて口を開こうとしたその瞬間――その双眸がたちまち見開かれていく。

「何故……お前がそれを持っている……?」

「……え?」

 呟かれたその言葉に疑問符を浮かべていると、

「……返せ! それは父上のものだ!」

 戍孝が唐突にこちらの胸倉へ手を伸ばすと、首から下げられた鎖を掴んで強く引いた。

「お、おい!」

 咄嗟に戍孝の手首を掴み返すと、戍孝の膝がガクリと折れた。そのまま勢いあまって後ろへ倒れ込むと、馬乗りの体勢になった戍孝は尚も鎖を握り締めたまま口を開いた。

「勿忘草にA.E.W.の刻印……見紛う筈がない!」

 必死の形相でそう叫ぶ戍孝の肩を、横から伸びてきたアートの手が掴んだ。

「落ち着け、里身防衛官」

 戍孝はそれを睨み返すが、アートはその視線に怯むことなく言葉を続ける。

「それは私たちが義父から受け継いだものだ。私も保証する」

「何を――」

 振り返り、指輪へ視線を落とした戍孝の言葉がそこで途切れる。その双眸が再び見開かれると、その口から言葉が零れ落ちる。

「傷が……無い……」

 戍孝が唇を震わせながらそう呟くと、鎖を掴む手から徐々に力が抜けていく。

「本当に……別物なのか……?」

 訳が分からずに狼狽していると、戍孝がよろめきながら立ち上がった。視線を上げると、力なく開かれたその指先が赤く染まっていることに気付く。

「戍孝――お前、血が……」

「あっ……」

 戍孝が僅かに視線を落としながらそう声を漏らした。その視線を追うと、自分の腕から血が滴っていることに気付いた。戍孝の爪に付着していた血はどうやら自分のものだったらしい。取っ組み合った際に引っ掛けたのだろう。

「済まない……私は…………なんて……ことを……」

 戍孝が顔を青ざめさせながら一歩二歩と後ずさると、素早く踵を返して逃げるように宿屋の方へ走り去っていった。

「おい!」

 追いかけようと足を踏み出すと、アートがこちらの肩を掴んでそれを止めた。

「私が追おう」

 事態を飲み込めぬままアートの背中を見送ると、呆けた顔を浮かべながら独り言ちる。

「……何だったんだ?」


 シオンと先生への報告を終えて宿屋へ戻ると、女将さんから医療箱を借りて食堂の椅子に腰掛けながら傷の手当てをしていく。しかしどうにも身が入らない――気がかりの種は無論、里身のことだ。アートによれば、戍孝はあのまま部屋へ閉じこもってしまったらしい。

 首から鎖を外すと、指輪を掌に乗せて矯めつ眇めつして眺める。

 戍孝はこの指輪を父親のものだと勘違いしていた。あの動揺から察するに、戍孝は不特定の生存者ではなく父親を探していた――そして恐らく父親はこの指輪と似たものを所持していたのだろう。

「……父親……か……」

 指輪を転がしながらそう呟くと、

「――どうした?」

 入り口の扉越しにアートの声が聞こえてきた。続けて小さな物音と、離れていく足音が聞こえた。程なくして扉が開かれると、アートが顔を覗かせた。

「何かあったのか?」

 対面の席に着いたアートへそう声をかけると、

「里身防衛官が扉の前に立っていたのでな。声をかけたのだが、逃げられてしまった」

「そう……か……」

 やはり自分は戍孝に避けられているらしい。しかしそれも当然だ。自分がやったことと言えば、いたずらに希望をちらつかせてそれを打ち砕いただけだ。

「恨まれてる……よな」

 昨夜自分は、戍孝に手を貸すか止めるかの二択を迫られた。そして悩みに悩んだ末に、手を貸すことに決めたのだ。一度決めた以上、自己嫌悪に陥るなんて無責任すぎる。落ち込むのではなく、反省して次に繋げることが自分の責任だ。そう頭で理解していても、簡単に割り切れるものではなかった。

「……揃いも揃って、不器用だな」

 アートはそう呟くと、手に持っていた小包をこちらへ差し出しながら言葉を続けた。

「本当に恨まれているなら、こんなことはしないだろう」

「これは……医療キットか?」

 携帯用の医療キットは防衛官のような前線へ赴く士官へ支給される物資であり、この中には応急処置に特化した小型の治療器具が詰め込まれている。

「里身防衛官の落し物だ。恐らくはお前に渡すつもりだったのだろう」

「これを……戍孝が……」

「今はまだ心の整理が必要だ。そっとしておいてやれ」

 医療キットを手に取り、戍孝の顔を思い浮かべる。

「……アート。俺は……また間違えたのか?」

 アートは小さく息を吐いて目を伏せながら口を開いた。

「お前の選択が正解かどうかなんて誰にも分からないし、いくら悔やんだところでやり直すこともできない。それでも……私は決めた。最後までお前たちを見届けると」

 そう言って瞼を持ち上げると、こちらを真っ直ぐに見据えながら言葉を続ける。

「立ち止まるな、アタミ。答えを追い求め続けろ。それが、お前の戦いだ」

 ――俺の……戦い。

 アートの言葉を心の中で反芻しながら、拳を強く握り締める。それを見たアートは静かに席を立つと、こちらを振り返りながら言葉を続ける。

「そろそろ作戦の開始時間だ。一度分室へ戻って皆と合流するぞ」

「……ああ」

 そう言葉を返しながら席を立った直後、入り口の扉が勢いよく開かれると、女将さんが食堂へ転がり込んできた。

「し、士官さん……!」

 ドアノブに手をかけたままへたり込んでしまった女将さんへ慌てて駆け寄る。

「どうされたんですか!?」

 女将さんは打ち上げられた魚のように口を開閉させると、やっとのことで言葉を作った。

「ほ……骨が……」


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