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十六話 交渉

 

 間接照明に照らされた机の上で純白の紙に文字をしたためてゆく。結びの言葉を綴り、ペンを置いて窓の外へ目を向けると、夜の底が瑠璃色に染まり始めていた。

 時刻は午前四時三十分。あと半時もすれば夜が明けるだろう。小さく息を吐いて机へ向き直り、紙を丁寧に折り畳むと、表紙に「遺書」と記してから風呂敷包みの上に乗せる。

 風呂敷の薄絹を一度撫でると、名残を惜しみながら指を離す。刀を佩いて鍵をかけずに部屋を出ると、音を殺して宿屋を抜け出し、小走りで閉鎖区域へ向かう。

 林を潜り抜けて渓谷の奥へ続く吊り橋に足をかけたところで、背後から音がした。

「よう」

 虚を衝かれて肩が小さく跳ね上がる。咄嗟に振り返ると、そこには二つの人影があった。

 アタミ・ヴィリヤカイネン情報官とアート・ヴィリヤカイネン監察官だ。彼は何故かばつの悪そうな顔をしているが、それはこっちがしたい表情だ。焦燥感を悟られないように眉根を寄せて声を絞り出す。

「……気付いていたのか、私がここに来ることを」

「なんとなく……な。アンタは諦めないだろうと思っただけだよ」

 彼はそう言って小さく頭を掻いた。続く言葉を言い淀んでいるようだが、用件は分かっている。ここで腹の探り合いをしている暇はないのだ。

「言った筈だ、私のことは放っておけと」

「……最初はそうするつもりだったんだけどな。ひとつだけ大事なことを聞き忘れてた」

 その言葉に疑問符を浮かべる。

「私の意志は全て伝えたはずだ。これ以上何を問おうと言うんだ?」

「……アンタ、閉鎖区域へ何をしに行っていたんだ?」

 戍孝の肩が小さく跳ねるが、しかし尚も毅然とした態度で答える。

「……それも言った筈だ。顕霊と戦うことこそが武士の使命だとな」

 確かにそう言った。そして初対面が偶々顕霊と交戦している場面だったからこそ、その言葉をすんなりと受け入れてしまった。しかし、その言葉が本当だとすれば――

「――だったら、何故アンタは無事だったんだ?」

 戍孝は微かに瞠目すると、口を噤んだ。

「顕霊と戦うために閉鎖区域へ丸一日以上も潜っていたのなら、交戦回数も相当な筈だ。それほどの戦闘を繰り広げたのだとすれば、生きていること自体が奇跡に近い。少なくとも、半日程度で回復できる筈がないんだ」

 戍孝が気を失った原因は極度の疲労によるものだ。大きな外傷もなく、半日眠っただけで問題なく動けるまで回復した。戍孝の言葉が真実だとすれば、瀕死の重症を負っていても不思議ではないにも拘わらずだ。怪我の応急処置を施したアートはその辺りから違和感を覚えていたのかもしれない。

「だから前提を変えて考えてみたんだ。例えばアンタは何か別の目的があって渓谷へ向かっていたのだとしたら……ってな。そこでアンタとの会話を最初から思い返してみた。そしてひとつ違和感に気付いた」

 そこで短く句切ると、小さく息継ぎをする。戍孝は尚も口を閉ざしているが、どうやらこちらの話を聞く意思はあるようだ。

「宿屋で目覚めたとき、アンタは時間がないと言っていた。最初は任務までの期限かと思っていたんだが、思い返してみると、あの時アンタは任務について話す前から――目覚めた瞬間から時間を気にかけていた。そこでひとつの疑問にぶつかった。仮に任務ではないとしたら、それは何の期限だ?」

 昨晩アートと繰り広げた推論を思い出しながら慎重に言葉を選んでいく。

「いくつかの可能性を追っているうちに、その内のひとつを裏付ける根拠が見つかった。それはアンタが音信普通になった二日前――恐らく渓谷へ向かった日だ」

 今思えばこの日にこそ、戍孝が行動を起こす動機があると見るべきだったのだ。

「霊災発生から三日後に当たるその日は、閉鎖区域における生存者の捜索が打ち切られた日だった。たがら俺は仮説を立ててみた。アンタが気にしていた時間は、命の期限だったんじゃないか――ってな」

 ここまで来ればもう引き返すことはできない。鬼が出るか蛇が出るか――自分なりの答えを言葉に変えて戍孝へぶつける。

「……そしてそこから導き出される真の目的は――捜索を打ち切られ、閉鎖区域に取り残された生存者の捜索だ」

 戍孝は微かに目を伏せるが、すぐに毅然とした口調で言葉を返してきた。

「……捜索ならば、不活化作戦が終了して安全が確保され次第再開される筈だ。何故この最も危険なタイミングでやる必要がある?」

「いや、このタイミングだからこそ――不活化作戦が開始される直前の今だからこそ、動かざるを得なかったんじゃないか?」

「何を……」

 そう呟くと、戍孝はふっと視線を逸らした。しかし言葉を止める訳には行かない。

「何故なら生存者の命の期限は、ほぼイコールで不活化作戦の開始まででもあるからだ」

 顕霊という要因が存在する以上、閉鎖区域での捜索は非常に危険なものとなっている。そしてそれは遭難者にとっても同じことだ。それらを加味した上で連盟が捜索の期限を三日と定めているのは、それが水分補給なしで生存できる限界だからだ。

 とは言え砂漠ならともかく、雨季の渓谷であれば川や雨露から水分を確保することは不可能ではない。しかし例え水分の問題をクリアしたとしても、人体には次のタイムリミットが存在する。

 それは――食料だ。

 理論上、人は水分さえ安定して補給することができれば、二から三週間は生き延びることが可能だとされている。しかしそれはあくまで理論上の話であり、閉鎖区域という特殊な環境下でそれらをクリアするには障害が多すぎる。

 確かに閉鎖区域に数日間取り残されて奇跡的に生還した例は存在する。生存者救助の功績もそうだ。しかし前述した理論を否定するかのように、食料無しで一週間以上生き延びた前例だけは存在しないのだ。

 作戦が開始されれば養老渓谷は少なくとも二日間は完全封鎖となるため、捜索を再開できるのは早くとも二日後。霊災発生から一週間が経過することになる。そうなれば今度こそ遭難者の生存確率は絶望的だ。

 それまでは理性で堪えていたのだろう。しかし捜索中止の知らせを聞いて箍が外れてしまった。つまり無謀とも取れる戍孝の行動はデストルドーによるものではなく、生存者の命が旦夕に迫るからこそのものだった。それが、自分なりに導き出した答えだ。

「そもそもの話、私にそんな嘘を吐く理由があるか?」

 戍孝は視線をこちらへ向けると、尚も気丈に言葉を作る。

「……そうなんだよな。そこがずっと分からなかったんだ」

 それこそが嘘という可能性に思い至れなかった最大の原因だ。そんな嘘を吐けばこちらの心象を悪くするだけなのだから。

「いくら考えてもメリットが思い浮かばなかった。だからこそ俺はこう考えた。アンタの嘘には最初からメリットなんてなかったんじゃないか――ってな」

「……それこそ矛盾しているだろう。メリットのない嘘を吐く意味なんて――」

「――あるさ。人は利己的なだけではなく、利他的な行動を取ることができる生き物だ」

 歯切れの悪い戍孝の言葉を引き継ぐように、そう言葉を重ねる。

「昨日、アンタは狼狽した女将さんを見て冷静さを取り戻し、自分の行動が俺たちを巻き込みかねないことに気付いた。しかしアンタは止まるわけにはいかなかった――だから咄嗟に嘘を吐き、こちら心象を悪くすることで自分から遠ざけようとした。全ては俺たちを巻き込まないため――嘘を吐いたことによる恩恵はアンタにはなくとも、俺たちにはあったんだ」

 一息にそう言い切ると、戍孝は視線を小さく逸らした。

「……君は私のことを買いかぶりすぎているようだな。よくそんな理想論を恥ずかしげもなく言えたものだ」

 確かに理想論だ。並べ立てた根拠も、正直なところ論理的帰結ではなく後付によるところが大きい。だが口にしていない根拠がもうひとつあった。

 渓谷で戍孝と初めて出合ったときのことを思い出す。

『ここは……危険だ……すぐ…………離……れ…………』

 自らの死もあり得るあの場面で、戍孝は自分たちを真っ先に逃がそうとした。

 極限状態でこそ人の本性は露となる。だからこそ、あのときの言葉だけは本心だったと思いたかった――利他的行動を取ることができる人間だと信じたかったのだ。

「……だが君の言うとおり、別の目的があったことも確かだ。嘘を吐いたのは、ただ付き纏われるのが面倒だったからに過ぎない。それでどうする? もう一度説得してみるか?」

 戍孝の言葉に、再び己の内へ問う――己の覚悟を確かめるように問いかける。

 ――自身の答えを貫き通す覚悟があるか?

 自分ひとりだったなら、こんな感情論はとりとめのないエゴとして切り捨てていただろう。いや、そうではない。間違うことが怖かったのだ。責任が自身へ降りかかることを恐れて、見て見ぬ振りをしようとしていた。

 だが、先生とアートはそんな自分の背中を押してくれた。己へのデメリットを省みず、未熟な自分の考えを受け止めて、肯定してくれたのだ。

 ――だからこそ俺は、自分にできることを全力で遣り遂げる。

「……説得というか、交渉だな」

 そう言葉を返しつつ、懐から端末を取り出す。

「今度はちゃんと端末持ってきてるか?」

 戍孝はこちらの意図を汲み取ると、無言のまま自身の端末を差し出し、赤外線通信を行う。

「これは……略式異動手続き?」

 戍孝の言うとおり、これは部隊異動と担当監察官の引継ぎを執り行うための電子文書――昨晩、先生とアートが緊急で発行してくれたものだ。

「これに同意すれば、君たちは正式に私への拘束力を持つことになる訳か」

「だがそれと同時に、アンタが行使できるようになる権限もある」

「……権限?」

「ああ。特殊災害救助法に基づいて情報部与えられる権限――〝緊急災下調査権〟だ」

 その意味を悟った戍孝が怪訝そうな眼差しをこちらへ向ける。

「……どういうつもりだ?」

「言っただろ、交渉だって。俺たちの任務はアンタを青ヶ島へ護送すること――つまり任務を滞りなく遂行するにはアンタの協力を仰ぐのが手っ取り早いってことだ。その対価として俺たちは生存者の捜索に協力する」

「……分からないな。私のやろうとしていることがどういうことか理解している筈だ。護送任務を受けた君たちがそれを容認するどころか協力を申し出るなんて、下手をすれば規律に抵触するぞ」

 確かに閉鎖区域での捜索は多くの危険を伴う。しかし、やっていることが許せない訳ではない。方法に共感できないというだけで、生存者を諦めたくない気持ちは理解できる。いや、誰だって希望を捨てたくはないだろう。

 それでも捜索が打ち切られるのは、二次災害を最小限に抑えるためだ。霊災から時間が経過する毎に生存者を発見する可能性は減少し、反対に二次災害が起きる可能性は増加する。それを理解した上で捜索を続けるというならば、後は自己責任で行うしかない。

「最終的にアンタを無事に送り届けられるなら、過程はどうでもいいはずだ」

「それを言うならば、初めから私のことなど放っておけばいいだろう。そうすれば君達が不利益を蒙ることはないはずだ」

 里身はそこまで言うと、独り言ちるように言葉を付け加える。

「……この護送任務は私がおらずとも成立するのだから」

「どういう意味だ?」

「……聞いていないのか?」

 その言葉に尚も疑問符を浮かべていると、里身は視線を逸らしながら言葉を続ける。

「……何にせよ、無茶な話であることに変わりはない」

「無論、協力するとは言え無制限という訳にはいかないさ」

 そこで句切ると、議事録に載せられていた作戦概要を思い出しながら言葉を続ける。

「今日の九時に因子の捕獲作戦が開始されるのは知っているだろう? 作戦が開始されれば因子は再び活性化し霊災の危険度は跳ね上がるため、撤退を含めた諸々を考慮して、作戦開始の二時間前――つまり七時に捜索のタイムリミットを設ける。端的に言えば、俺たちは生存者の発見よりアンタの安全を優先して行動する。それがこちらの条件だ」

「……もし断ったら?」

「この条件はアンタからすればメリットしか存在しない。それでも断ると言うなら、それこそ俺の予想が当たっていたことになる」

 そう言うと、頭を掻きながら言葉を続ける。

「……そうしてくれれば、心置きなくアンタを止められるんだけどな」

 戍孝は浅く俯いて逡巡すると、アートへ視線を移した。

「担当監察官……君は何も言わないのか?」

「多少強引ではあるが、規律には抵触していないと判断した。ならば私が口を挟む理由はない」

「まあ、そういうことだ――」

 そう呟くと、里身は再びこちらへ向き直った。

「――正直、俺は未だにアンタの考えをほとんど理解できていない……けど、それを問い質すつもりもない。言葉では言い表せないこともたくさんある――だから無理に何かを言おうとしなくていい。アンタはアンタの覚悟を貫いてくれれば、それで十分だ――」

 そこで短く句切ると、里身の視線を真正面から受け止めながら言葉を作る。

「――俺たちは決めた、次はアンタの番だ」

 戍孝は諦めたように小さく目を伏せながら手元の端末を操作すると、承諾の通知が届いた。

「交渉成立だ」

 そう呟いて端末を懐へ仕舞うと、通信機へ指を添えながら言葉を作る。

「――シオン」

「やあ、アタミ。上手くいったようだね」

「ああ。手筈通り、記録と誘導を頼む」

「任せてくれ。隊長の方にはこちらから連絡を入れておくよ」

「……悪いな、付き合わせちまって」

「構わないさ。共に行けないのは心苦しいが、せめてここから幸運を祈っているよ」

 そう言葉を残して通信が切られると、通信機から指を離して戍孝とアートへ向き直り、

「それじゃあ、行くか」

 その言葉と共に吊り橋へ足を踏み出した。


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