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十三話 譚器

 

 情報部を後にしたその足で向かった先は教導部が管理する訓練所だ。二階にある第三検査室の扉をノックすると、扉が内側から開かれる。

「やあ、よく来てくれたね」

 出迎えてくれたのは一人の女性だった。

「君がアタミ君だね? 話はアートから聞いているよ」

 会釈をしながら自己紹介をすると、彼女はこちらへ手を差し出しながら言葉を続ける。

「聖霊研究計画局技術開発室所属のシオン・アステルだ」

 握手を交わすと、彼女は猫のような切れ長の目を細めながら微笑んだ。眼鏡の奥には怜悧な輝きを湛えており、スラリとしたプロポーションや艶やかな菫色の髪も相まって、同い年とは思えない大人びた印象を受ける。

「アートも、久しぶりだね」

「ああ、あの時は迷惑をかけた」

「構わないさ、なにせ事態が事態だ。……大変だったね、二人とも」

「……お気遣い痛み入ります」

 そう言って小さく頭を下げると、アートも静かに首を横へ振る。アステル開発官は寂しそうに眉尻を下げると、彼我の間に僅かな沈黙が流れる。デリケートな問題だからこそ、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。

 有難く思うと同時に申し訳なくなり、せめて重苦しい空気だけでも変えようと、やや強引に話を進める。

「それより、隊長から話は伺いました。なんでも任務に協力して頂けるとか――ウチの隊長が無茶を言って申し訳ありません」

「いや、現場の声を聞けるいい機会だから、こちらとしても願ったり叶ったりだ。短い間だがよろしく頼むよ、ヴィリヤカイネン情報官」

「アタミで差し支えありませんよ。ほら、ヴィリヤカイネンって長くて言い難いですし、二人もいるから煩わしいでしょう? 期間限定とは言え同じ部隊で働く訳ですから、どうぞ呼びやすい方で呼んで下さい」

「それではお言葉に甘えるついでに、もうひとつ頼まれてくれないかい?」

「頼み――ですか?」

 アステル情報官はひとつ頷くと、

「私に対しても敬語はナシでお願いしたいんだ」

 そう言って胸元に手を当てながら言葉を続ける。

「職業柄、人より無機物と向き合う機会の方が多いせいか、恥ずかしながら人との距離感を掴むのがあまり得意ではなくてね。だからこそ、畏まらないでくれたほうがこちらとしても気が楽なんだ。もちろん、無理にとは言わないが」

 アステル開発官はそう言って小さくはにかむが、これまでの会話を聞く限り人付き合いが苦手なようには思えない。むしろコミュニケーションが円滑に取れるように計らってくれているようにすら思える。気が回らないのは、むしろこちらのほうだ。

「そういうことなら大歓迎で――だ。それじゃあ改めてよろしくな、シオン」

「ありがとう。こちらこそよろしく頼むよ、アタミ」

 彼女は満足げに微笑むと、

「……それじゃあ次は彼女の番だね」

 そう言って視線をこちらの背後へ動かした。それを追って振り返ると、そこにはいつの間にか背の高い給仕服の女性が佇んでいた。

「うぉっ!?」

 素っ頓狂な声を上げて一ミリほど飛び上がる。背後に立たれただけで大げさに見えるかもしれないが、これには理由がある。

 自分の右眼は人が常に発している微弱な劫波をも無意識に感知するため、日常生活の中で不意を衝かれるということが殆どない。しかしこの女性が放つ劫波は非常に微弱なのだ。こうして相対してようやく認識できるレベルである。

 音どころか劫波すら感じさせることなく部屋へ這入ってきた女性はこちらの珍妙なリアションに対して眉ひとつ動かすことなく、折り目正しく手足を揃えながら小さく頭を下げた。

「申し訳ありません。会話が弾んでいたご様子でしたので、機を窺っておりました」

 謝罪という行為であるにも関わらず、その所作はまるで舞踏のように美しいため、逆にこちら恐れ多く感じてしまう。慌てて襟を正してお辞儀を返す。

「いえ、こちらこそ気付かずにすみませんでした」

「お気になさらないでください。そういう体質なのでございます」

 彼女はたおやかな所作で一礼すると、改めて言葉を続ける。

「お初にお目にかかります。私はアステルの助手を務めております、ドロシー・ステュワートと申します」

 そう言うと、ステュワート開発官は小脇に抱えていた資料の束をシオンへ渡してから傅くように半歩後ろへ下がった。

 銀色の長髪に緑青色の瞳を持つ彼女は、まるで誰かがデザインしたかのような端正な顔立ちをしている。細身の体躯を包む給仕服だと思っていたそれは、よくよく見れば連盟の制服だった。ロングスカートタイプの制服の上にエプロンドレスを身に着けている。

 シオンの持つ魅力が蠱惑的なものだとすれば、ステュワート開発官のそれは美術品のように神秘的なものだ。並び立つ怜悧と静謐のコントラストは絵画のように映えている。

 気圧されながらも自己紹介を返すと、

「不束者ですが、主人共々よろしくお願い致します。アタミ様」

 彼女はカーテシーをしながらそう言った。様付けで呼ばれるなんて、もちろん産まれて初めての経験だ。狼狽を隠せぬまま両手を小さく振りながら言葉を続ける。

「様なんてとんでもない。気楽に呼び捨てで呼んでください」

「私の口調はこれが自然体ですので、どうかご容赦下さい。アタミ様もお気になさらず、私奴のことはどうぞドロシーとお呼び下さい」

「そ、そうでしたか。分かりました、ドロシー……さん」

 苦笑いを浮かべながら、やっとのことでそう返す。同い年のシオンはともかく、彼女からは大人の余裕が感じられて自然と敬語になってしまう。

「ドロシーは昔からこうなんだ。許してやってくれ」

 その様子を見ていたシオンが、喉を鳴らすように笑いながらそう言った。

「堅い女だとよく言われます」

 ドロシーさんは冗談のつもりで言ったのだろうが、その表情は無のまま一ミクロンたりとも変化していないため素直に笑えない。そんな自分に反して楽しげに笑っていたシオンが小さく手を打つと、

「さて、挨拶も済んだところで、早速だが最終調整に入ろうか」

 小型の鉄箱に接続された円筒形の装置に手を添えながらアートを手招きした。よく見知ったその装置の名は〝干渉型劫波検出器〟――劫波を計測するための装置だ。

 教科書の内容を思い出す。確か内部にレーザーを反射させて干渉縞を生み出す――とかだった気がする。重力波を検出するマイケルソン干渉計の技術を応用しているらしいが、詳しいことはさっぱりだ。

 しかしその用途は多岐に渡る。研究開発はもちろん、医療などの分野においても幅広く運用されており、自分も体質の関係で何度もお世話になっている。劫波の観測装置にも応用されており、これを大型にしたものが各地に設置されているのだ。

 アートは席へ着くと、制服の袖を捲り上げて露になった腕を円筒部分へ通した。シオンが装置に取り付けられた電子パネルを操作し始める。

「そう言えば、この装置も聖研局が開発したんだったっけ」

「一応そうなっているね。ただ、七十年前には既に基礎理論が確立していたらしいから一概に聖研局の成果と言い切れるかは怪しいところだけどね――っと」

 パネルの上を走っていたシオンの指が軽快に跳ねると、それを合図に検出器が僅かな機械音を響かせながら動き出した。

「これでよし。あと五分もすれば計測は終わるが、その間に聞いて欲しいことがあるんだ。これから君たちが関わっていく〝譚器〟の成り立ちについて――ね」

 シオンは別の端末を操作しながら小さく肩をすくめると、

「開発者として説明が義務付けられているんだ。退屈に感じるかもしれないが、傾聴して頂けると有難い。なに、そう難しい話じゃないさ。学生時代の復習だよ。とは言え私は手が離せないので――」

 そう言ってドロシーさんへアイコンタクトを送ると、それを受け取った彼女が小さく会釈をしながら言葉を引き継いだ。

「主人に代わりまして、僭越ながら私奴の方からお話させて頂きます」

 ドロシーさんは近くに備え付けられたホワイトボードの前に立つと、

「譚器を語る上で不可分なもの、それが後有史時代の象徴たる存在――霊災でございます」

 まるで叙事詩を歌い上げるかのように言葉を紡いでいく。

「後有史時代は即ち霊災との戦いの歴史だと言えます。霊災は聖霊の特性である〝因子発現〟を起因としておりますが、これは生物学における〝遺伝子発現〟に由来しております。ウイルスのような偏性細胞内寄生体――別の生物の細胞内でのみ増殖可能な微生物は、本来であれば宿主の遺伝子発現機構を利用して増殖しますが、聖霊はこの遺伝子発現機構を模倣し作り変えることで因子発現を手に入れたと推測されております」

 そう言ってマーカーペンを手に取ると、言葉と共にホワイトボードへ走らせていく。

「遺伝子発現とは遺伝子情報が物質に変換される過程をいい、たんぱく質を例に挙げると――」

『DNA→転写因子による転写→mRNA→リボソームによる翻訳→たんぱく質』

「――このようになります」

 並べられたその文字は、まるでタイプライターで打ち込まれたように端正だった。

「つまり遺伝子発現と因子発現は次のように比較することができ――」

『秘譚子(DNA)が事象(たんぱく質)に変換される』

「――そしてこれを先程の図に準えてより詳細に分解すると――」

『秘譚子(DNA)→聖霊(転写因子)による転写→劫波(mRNA)→創因リボソームによる翻訳→事象(たんぱく質)』

「――これが霊災の大まかな原理でございます。こちらを踏まえた上で話を進めて参ります」

 その言葉に相槌を打つ。ここまでは学院の高等部で習う内容だ。

「かつて人々は霊災によって奪われた版図を取り戻そうと抗い続けてきましたが、超常的な災禍に劣勢を強いられて参りました。しかしそんな騒乱の時代に適応するかのように、異能を有する者が現れます。その異能は観想体に内包された秘譚子――〝連理因子〟の覚醒によって発現する擬似超心理技術。人の身でありながら顕象を操るその力こそ、人類が上げた反撃の狼煙――〝譚奏術(テウルギア)〟でございます」

 彼女はホワイトボードに追記しながら言葉を続ける。

『連理因子(秘譚子)→観想体(聖霊)による転写→劫波→創因による翻訳→事象』

「このように譚奏術の原理は霊災と類似しており、その違いは起動因子と転写を行う媒体、より端的に言えば人為的かそうでないかの差でしかございません」

 そこで一度句切ると、ペンを置いてこちらを振り返った。

「聖霊に対して複数の秘譚子が入力された際に発生する不活化現象を霊蝕といい、これを以って骨子となる霊脈を破壊することでしか顕霊を回帰させることはできません。これが、譚術が顕霊を討伐する唯一の術と言われる所以でございます」

 ドロシーさんは臍の辺りで軽く手を組むと、

「譚奏術は霊災に対抗し得る力を秘めておりましたが、しかし連理因子の覚醒という不確定要素を起因とするため技能化することはできませんでした。いくら強力な技術であっても相手は災害――少数の力で抗いきれるものではございません」

 そう言って一呼吸置いた。話しの内容は既知にも拘わらず、その控えめかつ絶妙な抑揚のつけ方に思わず聞き入ってしまう。歌劇でも見ているような気分だ。

「しかしおよそ七十余年前、一人の天才によって事態は転機を迎えます。秘譚子研究の第一人者であり、後に円卓騎士団の一人として数えられるその男は、名をヘルメスと言いました。始まりは結晶化した聖霊から抽出された新たな因子――〝結晶因子〟の発見でございます」

 ドロシーさんが手元の端末を操作すると、モニターに画像が映し出される。

 それは、薄く透き通った二枚の板だった。

 鉱石というよりはガラス――顕微鏡観察に用いられるスライドガラスによく似ている。

 正確にはこの中に保管された極小の構造体が本体である筈なので、そういう意味ではスライドガラスではなくプレパラートと言うべきなのだろう。

 しかしどこからどう見てもただの物質にしか見えない。

 遠い昔からウイルスが生物か物質かという議論は多く交わされてきたが、結晶化の発見はその議論に拍車をかけたらしい。何故なら生物と仮定した場合、ウイルスは結晶化できる唯一の生物となるからだ。まさに生物と物質の中間と呼ぶに相応しい存在――それがウイルスだ。

「譚奏術が技能化できない理由は連理因子の覚醒が不確定要素であったから。ならば既に覚醒している結晶因子は連理因子の代わりになるのではないか――そう考えたヘルメスの研究の結果、観想体の受容体(レセプター)が適合することで秘譚子を読み取れることが分かりました」

『結晶因子(連理因子)→観想体による転写→劫波→創因による翻訳→事象』

「こうして生み出されたもうひとつの譚術――それが〝譚装術(アトリビュート)〟でございます」

 その直後、検出器が図ったように計測の終了を告げた。

「ありがとう、ドロシー」

 シオンが席を立ちながらそう告げると、ドロシーさんが会釈しながら後方へ下がった。そしてドロシーさんの解説を引き継ぐようにシオンが言葉を続ける。

「ヘルメスによって譚装術が編み出されると、その発展と共に、結晶因子へのアクセスを安定させるための補助装置が開発されることとなる――」

 シオンが装置に埋め込まれたタッチパネルを操作すると、装置の上部が展開して内部から台座のようなものが迫り出してきた。

「――それが〝譚器〟だ」

 現れた台座の上には一対の自動拳銃が鎮座していた。

 銃は二挺拳銃を想定してか両利き仕様(アンビデクストラス)ではなく右利き仕様(ライティモデル)左利き仕様(レフティモデル)に分かれている。濡羽色の銃身は薄く細長いシルエットをしており、スライドの側面には翼のエングレーブと共に短い文字が刻まれていた。

「……Nevermore?」

「ん? ああ、この銃の名前だ」

「へぇ……シオンが付けたのか?」

「いや、命名したのはアートだよ」

 視線を向けると、アートが無言で頷きを返した。

 ネヴァーモアの意味は――二度とない。どこかで聞き覚えのある言葉だが、銃の名前としては些か特殊な気がする。

 そんなことを考えていると、アートがおもむろに銃へ手を伸ばした。白魚のような指がグリップに触れると、内部から仄かな劫波が溢れ出す。内部に組み込まれた結晶因子が反応しているのだろう。

「……調子は良さそうだね。それじゃあ起動テストに移ろうか」

 そう言って踵を返したシオンの後に続いて検査室を出ると、階段を降りて長い廊下を進んだ先にある扉を開く。薄暗い部屋の中にはいくつものモニターや計器が並べられていた。

 部屋の奥には別の扉と巨大なガラス窓が嵌め込まれており、そこから見える隣室は体育館のような広々とした空間になっていた。一見シンプルで飾り気のない内装だが、しかしこの場所は分室にある他のどの施設より頑丈な作りになっている。

 アートが奥の扉を潜って隣室へ移動する。窓は強化ガラス製のマジックミラーになっているため、ここからアートの状況をモニタリングできる。シオンが慣れた手つきで装置を立ち上げると、卓上マイクのボタンを押しながら言葉を作る。

「アート、聞こえているかい?」

「……ああ」

 アートがこちらへ視線を向けると、そう返事をした。

「こちらも準備できたよ。いつでも始めてくれ」

 頷きを返したアートが緩やかな動作でネヴァーモアを構えると、

「――譚器開放」

 その言葉に呼応するように、アートの身体から劫波が溢れ出した。漆黒に色づいた劫波は次第に隻翼の鳥を形作ると、アートの周囲を旋回していく。

 あの日見たものと同じだ。間近で竜巻や落雷を見たときのような畏敬の念を覚える。

「これが……アートの譚装術か……」

 そう呟いて隣にいるシオンの様子を窺う。自分でさえこれほどの感動を覚えるのだ。開発者ならばその感慨深さは一入だろう。しかし当の本人は、何やら難しい表情を浮かべていた。疑問に思った直後、シオンの唇が小さく動いた。

「片方しか起動していない……?」

「えっ?」

 咄嗟に視線を戻し、右眼へ意識を集中させる。よくよく見ると、確かにレフティモデルは劫波を放っているが、ライティモデルからはそれが感じ取れない。

「……本当だ」

 どうやらアートもそのことに気付いているらしく、唇を引き結んだまま視線をライティモデルへ落としている。

「……なのか? ……いや……」

 シオンは思案に耽っているのか、おとがいに指を添えながらぶつぶつと独り言ちている。

「……シオン?」

「――っと失礼」

 シオンは我に返ると、マイクで状況終了を告げてアートを呼び戻した。

「その……マズい状況なのか?」

「いや、心配は要らないよ。むしろ初回で完璧に起動できるほうが珍しい。そして、それを完璧に近づけるのが私の仕事だ」

 シオンが端末に記録を打ち込みながら言葉を続ける。

「とりあえすはデータを取りつつ経過観察だね。完璧に起動できるようになるまではこちらでサポートするが、実戦ではできるだけライティモデルを起動しないように頼む」

「了解した」

 アートは頷きながらも、ネヴァーモアの感触を確かめるように矯めつ眇めつしている。

「お疲れさん。凄かったな」

「……ああ、強大な力だ。だからこそ使い方を誤らぬよう気を引き締めねば」

 神妙な面持ちのアートへ声をかけると、彼女はネヴァーモアをホルスターへ収めながらそう言った。興奮の色が微塵も窺えないあたり、彼女らしい冷静さだ。しかし彼女の言葉には一理ある。奇跡を再生する譚術の力は、確かに人の身に余り得るものだ。

 ――再生……か。

「そう言えば、ネヴァーモアの原話って何なんだ?」

 ふと思い立った疑問を何と無しに口にする。模倣を司る譚術には全て元となった神話や伝承があるはずだ。

「それは言えない」

「何でだ?」

「忘れたのか? 同じ部隊ではあっても、私はお前を監視する立場にあるのだ。不用意に手の内を明かすような真似はしない」

 司法局は組織内の秩序維持を司る機関だ。つまり司法局は内部を監視するために設置されたものであり、そこに所属する監察官の主な任務は隊員の規律違反の防止である。そして自分達が規律に違反した場合、それを拘束するのも部隊担当監察官であるアートの役目なのだ。

「……そうだったな。すまん」

 アートは己の任務を全うしている。気を引き締めなければならないのは自分の方だ。

「心構えができているようで安心したよ」

 その言葉に振り返ると、シオンが手を組みながら薄く笑みを浮かべた。

「ノブレス・オブリージュ――大いなる力には大いなる責任が伴うものだ。しかし同時に、力はいとも容易く人を狂わせる。譚器は君の采配ひとつで霊薬にも劇毒にもなるだろう」

 シオンはそこで笑みを消すと、己の内へ向けるかのような遠い目をする。

「制御するには強い意志が必要だ。曲がることなき鋼の信念が――ね。だからただ闇雲に振り回すのではなく、何のために力を使うのかをよく考えてほしいんだ」

 そこで短く句切ると、シオンは浅く目を伏せる。

「しかしそれでも道を踏み外しそうになったとき、それを止めるのも私の役目だ。だから私もまた君たちのことを見守らせてもらうよ」

 そう言ってシオンは一度こちらを見回すと、再び笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「同じ部隊の仲間として――ね」

 僅かな沈黙の後にアートはぶっきらぼうに「ああ」とだけ返した。しかし彼女の口角が微かに持ち上がっているのを自分は見逃さなかった。交わされた応答は短いものだったが、その中に二人の信頼関係が垣間見えた気がした。

 その様子につられて微笑んでいると、自分の懐から着信音が聞こえた。端末を取り出して画面を見ると、先生の名が表示されていた。

「もしもし?」

「アタミ、全員近くに居る?」

「ああ」

 僅かな焦燥感を含んだ声色に頷きを返す。

「よかった。それじゃ、皆に聞こえるようにしてちょうだい」

 通話をスピーカーモードに切り替えると、端末から先生の声が響き渡る。

「皆、顔合わせて早々悪いけど、問題発生よ」

「……問題?」

「ええ。本部によれば里見戍孝と二日前から連絡が取れなくなっているらしいの。実家には帰っておらず、対象が訪れそうな場所にも一通り連絡を取ったらしいけど、それらしい情報はなかったそうよ」

「つまり……行方不明ってことか?」

「そうなるわね。そこで、急遽私たちで対象の捜索に当たることになったわ」

「捜索って……確か対象は二十歳だろ? 子供じゃあるまいし、二日くらいで大袈裟じゃないか?」

 すると、今まで事態を静観していたアートが小さく口を開いた。

「隊長……まさか……」

 意味有りげに呟かれたその言葉に対して、先生は短く「ええ」と答えると、僅かに声のトーンを落としながら言葉を続けた。

「対象は閉鎖区域――養老渓谷へ向かった可能性があるわ」

「……ハァ!? 何だってそんな危険な場所に!?」

「詳しいことは分からないわ」

「……だったら早く止めねぇと!」

 焦燥感に駆られるまま言葉を作ると、

「落ち着きなさい、アタミ。あくまで可能性よ。だからこそ、動くにしてもまずはその確証が必要なの」

 先生は冷静な声色でそう言い放つと、淡々と言葉を続ける。

「対象が最後に通信を取ったのは上総。そしてその後、関所の通行記録に対象の名前はなかった。つまりまだ上総に居ることは間違いないわ」

「……でも、だからってどうするんだ? 上総をしらみつぶしに探している暇はないだろ?」

「家を離れて日を跨いでいるならどこかに拠点がある筈――まずはそこを探すわ。運が良ければ行き先の手がかりがあるかもしれないし、そもそもそこに戻っている可能性だってある。拠点の捜索はこっち進めておくから、あなたたちは準備が整い次第、上総へ向かって頂戴」

 その言葉に端末から視線を上げて他の三人を見回すと、一様に小さく頷いた。こちらも頷きを返すと、皆を代表して先生へ言葉を返す。

「――了解」


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