1(キヨコさん家の本屋)
「暇ですね」
と、高村康平はイスに座ったまま、ぽつりとつぶやいた。
本屋の中に人影はなくて、確認するまでもなく客はいない。正確には、康平自身は客の範疇に属するが、より正確には、客とはいえない。ほかには店長が一人。それが、店内にいる人間のすべてだった。
こういうのを俗に、「閑古鳥が鳴いている」という。
閑古鳥とは、かっこうのことだ。
「そういえば、鳴き声が聞こえてきそうな――」
と康平はつぶやいてみる。
「何、ぶつぶつ言ってるの?」
店長であるキヨコさんこと、禾原熹世子が怪訝そうな顔をした。
キヨコさんはまだ若い。歳は二十四。少々野暮ったい感じの眼鏡をかけている。ふわりとした髪をボブカットにまとめ、小柄な体つきをしていた。髪はライトブラウン。そのせいか、どことなく柴犬を連想させる。人懐っこく舌を出しているような。
ただし愛嬌に満ちたそんな連想にもかかわらず、彼女の口元は鍛えられた黒鉄のような気配を感じさせた。研磨された漆のようなその瞳は、いつも変わらずに同じものを映しているように見える。それは、自分の世界を何より優先させる人間の顔だった。
彼女は、この月釦書肆の経営責任者でもある。
「……静かな湖畔の話です」
康平は肩をすくめて、そう言ってみた。
「シュトルムの『みずうみ』なら、その棚にあるよ」
とキヨコさんはカウンターの向こうから、書店にある棚の一つを指さした。もちろん、彼女に閑古鳥の鳴き声なんて聞こえるはずはない。
「相応に古くはあるけど、なかなかいいよね。古雅というか、まあ作者の都合を感じられないこともないけど、でもなかなかだよ」
「いや、そうじゃなくて」
康平にはどうすることもできない。結局、キヨコさんはいつだってキヨコさんなのだ。それでも、一応は言ってみた。
「ここのところ、全然お客さんが来てないじゃないですか」
「うん、そうだね」
こともなげな口調だった。
「いいんですか? たかが大学一年の俺が言うのもなんですけど」
キヨコさんは柴犬的愛らしさで小首を傾げてみせる。
「いいんじゃないかな?」
いや、まともな経営者なら頑丈なロープの購入を考えるところですよ、と思って康平はため息をついた。
もちろん、キヨコさんがまともでないことはとっくの昔にわかっていることだった。何しろ彼女は、何の意味もなく角材に大量の釘を打ちつけたり、新聞紙をただひたすら破ってみたり、時計の針を延々と回し続けたりするような人なのだ。
――そもそもの話、高村康平と禾原熹世子が知りあうことになったのは、三ヶ月ほど前に時間を遡る。