第八話 今留の森に棲む鴉
翌日、早々に名古屋から刈谷の今留の森へやってきた雁音。
弥四郎が奎堂の護衛を引き受けてくれた事で、万吉と共に紹介状を携えて三河へ来ることが叶った。
「うわぁ・・・昼なお暗い今留の森、かぁ」
万吉が不安そうにつぶやく。
昼でも暗い今留の森は広大な野田神社の神域である。
ここは刈谷藩の中の福島領・板倉氏が治める場所であり、刈谷藩の者である雁音たちは滅多に足を踏み入れない場所だった。
鳥居をくぐり、大きく立派な社殿の前に進み出る。
すると、社殿の階段を青い袴を纏った男が箒で掃除をしていた。
彼は雁音と万吉の気配に気づくと、はたとその動きを止め、二人を凝視する。
「すみません、村上忠順殿の紹介を以って参りました。私は雁音と申す者。榊原宜安殿はおられますか?」
「・・・・・・・」
男は何も答えず、なおもじっと凝視してくる。
雁音と万吉は顔を見合わせ、もしかして聞こえなかったのか?と思いもう一度声をかけようと試みる。
「あ、あの」
「きつね・・・・」
「??」
「もふもふ・・・」
「?!」
男から紡がれる断片的で妙な言葉に、雁音と万吉の小さな二人は言いようのない複雑な気分になった。
ところかわって奎堂の塾。
奎堂の自室の角で弥四郎が静かに正座している。
気晴らしに本を読んでいた奎堂は、彼が気になりちらちらと何度か見て、しばらくして読んでいた本を閉じた。
「おい弥四郎、俺の部屋で何をしてる?」
「護衛にござる」
「いや冗談だろ。用心棒はどうした」
「雁音殿は万吉殿とおでかけになりました」
「用心棒のくせに俺を置いて出ていくたぁ、よっぽど大事な用なんだろうな?」
「そのようで」
「お前、何か隠してるな?」
奎堂の言う通り、雁音は奎堂を置いてでも来たかったのが野田八幡宮の榊原という男の元だった。
刈谷藩の御典医・村上忠順が言うには、奎堂が多くの仲間を失った安政の大獄の折の事を知っているというのだ。
これはどうしてでも話を聞きたい。
しかし、雁音と万吉は、凝視してきた上に質問にも答えない禰宜風の男に、神社へ到着早々心が折れかかっていた。
仕方なく雁音は懐から忠順が書いたの紹介状を開いて見せた。
すると、これは自分の事だと禰宜風の男は言い始めた。
「はい確かに・・・私が榊原宜安です」
「よかった!貴殿は松本奎堂を大獄の折に匿ったと聞いています。当時の松本の話を聞きたいのです」
「なるほど、ではこちらへ」
榊原は二人を社殿横の屋敷へ案内した。
流石聖域がもてあます程広い八幡宮である。それを守る宮司の屋敷も広大なものだった。
奎堂のような志士の一人や二人、簡単に屋敷内に隠せそうである。
広い客間に通され、二人は少し待っているように告げられる。
「なぁ雁音、大丈夫かや・・・」
「何が大丈夫なのだ?万吉」
「いや・・・なんか俺、あの人苦手だ・・・」
「確かに少し変わった間を持つお人だが、私は特に苦手ではないな」
そこへ、お茶と、何故かいなり寿司をもってやってくる件の榊原宜安。
その手元の黄金に輝く物に雁音はもちろん、榊原を警戒していた万吉までも目が輝く。
「これは秀逸ないなり寿司・・・」
「う、うまそう・・・」
「どうぞ、遠慮なくお召し上がりください」
「これは、かたじけない」
雁音の前にお茶と稲荷という順番に置くと、異常に深々と頭をさげる榊原。思わず雁音も頭を下げた。
榊原は次に万吉の前にも置く。また深々と頭をさげる彼は、まるで儀式をしているような厳かな雰囲気を纏いながら配膳を行う。
万吉に礼を終えると、榊原はじっと彼を見つめた。
「なっ・・・んですか?」
いつもの三河弁までも消え失せ、一気に妙な汗を噴き出す万吉。
榊原は表情一つ変えず、万吉の後ろに腰を低くしたまま回り、彼のふさふさした後ろ髪を両手で鷲掴みにした。
「びゃっ?!」
「?!」
突然の行動に奇声を上げる万吉。
その光景を見ていなりをくわえたまま凍る雁音。
一瞬何が起こったのか頭が追い付かない。時が止まった。
「なるほど・・・・・・・見事な毛並みです」
無表情ながら満足そうに榊原はつぶやいた。
何度か完全に硬直する万吉の髪を撫でた後、また中腰で雁音たちの前に戻り、榊原は正座した。
「ならば、立派な毛並みの対価に話しましょう・・・」
「俺の毛並み次第だったのか?!ってか毛並みじゃねえし!!!」
「あの大獄の頃の松本殿の当時の様子ですが・・・」
「聞いてねえし・・・!」
頭を抱える万吉を放置し、突然語りだした榊原に雁音は続きを乞うた。
「・・・・忠順さまのお話では、京より戻った松本はここであなたに匿われたと聞いています」
「はい、確かにこちらでお世話させていただきました。あの時は・・・」
「おい宜安ー!!!!!!おさがりはねえかー?!」
静寂に包まれていた屋敷に、突然響いた声に雁音と万吉は度肝を抜かれる。
特に榊原が許可したわけでもないのに、酒瓶をぶらさげた男がどかどかと部屋に踏み入り、榊原の隣に腰を下ろした。
「酒井殿、丁度よいところに」
「ん?このちびっこいのはお前の客か」
「上等なお客様です。失礼のないように、御供えをさせていただいています」
「確かに、毛並みは良さそうだなぁ、上等上等!あっはは!!!」
酒井と呼ばれた男にも毛並み扱いされ、万吉は思わず立ち上がって抗議した。
「おいお前らぁ!俺らは狐やら狸やらじゃないぞっ!!」
「違うのですか?」
「はぁ?どういう意味だよぉ!それ!」
「あっははは!宜安はもっふもふの小動物に目がないんだ、許してやれ!」
非礼な二人に絶叫する万吉を、雁音は片手で制する。
「そちらの方も松本とは縁のある方ですか?」
「はい、こちらは馬嶋明眼院の酒井殿です」
「名医で名高い、あの馬嶋の眼医者?!こいつが?!」
万吉でもその名は聞いた事がある。
馬嶋明眼院は馬嶋村にある寺院だ。
僧侶たちによって処方される点眼薬もよく効くと好評で、遠くからわざわざ訪ねてくる人もいるほど。
だが、目の前の酒井という男は、少し皺の寄った作務衣を着て、無精髭を生やし、風貌は完全にただの小汚いおっさんである。
「松本ちゃん、あいつ目が片方見えてないだろ?あいつが怪我した時眼を診てやったのは、この俺よ」
「ならば、幼い頃の松本も知っている方ですか!すごい!」
「その後も頻繁に文を交してな。まぁ俺らは塾での先輩でもあるから、松本ちゃんとは親交深いわけよ」
「それは・・・思ってもみない巡りあわせ、光栄です」
雁音は軽く頭を下げる。
その様子を見ていた榊原が一つ咳払いをして、酒井を紹介する。
「酒井先生はたまにこうしてお神社に御神酒を強奪しにいらっしゃいます」
「あれれ?人聞きの悪いこと言わないでよ、ありがたーいおさがりいただきにきてるのよ、俺は」
「飲みすぎです」
「酒は薬だ、大いに飲まねばだっ」
「過ぎれば毒です」
すっかり慣れたようなやり取りに、雁音と万吉は圧倒される。
しばらく言い合いが続いたが、やがて二人とも雁音と万吉に向って居直る。
「兎に角、私と酒井殿はかつて松本殿と同じ師を仰ぎ、志を共にする者です。さぁ、なんなりとお聞きください」
「かたじけない。・・・・実は、ここ最近松本の様子がどうも晴れぬのです・・・」
日ノ影を始め、刈谷から来る数々の刺客に奎堂が狙われている話を伝える雁音。
榊原と酒井は少し驚いたような顔をし、その視線を合わせ首を傾げた。
「松本殿の命が狙われているとは、物騒な」
「松本ちゃん、別にここらじゃ危険人物だなんて噂聞いた事ないぜ?」
「酒井殿の言う通り、それを排除までしてしまおうだなんて動き、私たちの耳に届かないわけありません。不思議です」
現状を把握してくれたらしい二人は、刈谷では奎堂は命を狙われる程危険人物とされていない旨を語った。
雁音と万吉は自分たちの置かれている状況があまりにも奇妙に思えてきた。
では、奎堂の元を訪ねてくる刺客たちはどこから奎堂の悪い噂を耳にしたのか。
「とりあえず、まずは松本殿を匿った頃のお話しですね。ここに来られた時には既に・・・松本殿に覇気はありませんでした。あまりの静かさに、周りの者は心配しましたよ」
「おう、そうだな。あの時は心配して俺ぁ聞いてやったのよ、上方で何があったのかってさ!そしたら・・・」
「そしたら?」
雁音が前のめりになって促すと、ぽつりと酒井が言う。
「桜任蔵が死んだ・・・って」
「桜・・・任蔵?」
「よほど、大事な仲間だったんだろうよ」
「桜任蔵とはどんな人物だったのですか?」
榊原は酒井と目を合わせて無言で確認した後、首を横に振った。
「残念ながら私たちは把握しておりません。ですが、彼らは江戸で出会ったそうですよ」
「誰か、江戸での松本を知っている奴がいればな・・・」
「あ、それって雁音!」
「岡鹿門だ!!」
雁音と万吉の顔が輝いた。
奎堂の旧友・岡鹿門は幸いまだ奎堂の塾に滞在している。
「おや、道は開かれましたか?」
「はい!」
榊原はそれまで無表情を貫いていたが、その雁音の強い目の輝きを見て初めて微笑んだ。
それを見た酒井も渋い表情を崩した。
和やかな空気に包まれた客間だったが、ふいに外で鳥の羽音が騒がしく響いた。
「?!」
「これは、大杉の鴉達・・・・不吉な」
「あれ、それって人の死を予期するっていう!」
「ええ、何か不穏な事があればここの鴉たちが騒ぐのです」
「ひぃえええ」
いつか雁音が話した鴉の伝承を思い出し、万吉は青ざめた。
雁音も警戒して傍らに置いていた刀に手を伸ばす。
酒井が外を見渡せる障子を乱雑に開けると、そこに、参道を歩く人影がみえた。
真っ黒な衣に、老人のような薄い色の髪。
「あれは、日ノ影!」
雁音と万吉は息をのんだ。
そして、雁音は深く息を吸って吐くと、刀を差し、障子の先の欄干を越えて参道に飛び降りた。
日ノ影は雁音たちの存在を知っていたのか、特段驚く事もなく、笑顔で声をかけてきた。
「やぁ雁音。傷はどう?この前深く刺しすぎちゃったから」
「この程度で私に傷をつけたと言ってもらっては困る」
「そう?じゃあ今日はしっかりと、僕の傷を刻みつけてあげないと・・・」
日ノ影はゆっくりと刀を抜く。
それは森の木漏れ日を受けて、冷たく美しく輝いた。
雁音との間合いの手前でゆっくりと構え静止した。
「はぁ?!わけわかんねーし!!!お前、奎堂の兄貴を狙ってんじゃなかったのかよ?!」
「いやだな、これはたまたまだよ?ここは僕のねぐら・・・君たちが勝手に足を踏み入れたんだ」
「ねぐら?!」
「ようこそ、昼なお暗い今留の森へ、歓迎するよ」
日ノ影がそう言うと、森は騒めき、更に大杉の鴉の羽音が大きくなる。
「なるほど、お前が死を呼ぶ大杉の鴉というわけか!・・・よし!あの時の決着をつけてやる」
「あっ、雁音!」
やはり刈谷の伝承の物の怪だったと雁音は納得した。そして、刀に手をかけつつ、日ノ影へ向かい走り出す。
ゆっくりと迎えの体制をとる日ノ影は、勢いよく抜かれた雁音の刃を、鍔で真向から受け止めた。
「いいねぇ、その勢い。僕を楽しませてよ」
「ぬかせ!」
激しい刀のぶつかり合いが続く。
部屋から急いで参道に飛び出た万吉や榊原たちだが、あまりにも激しい立ち合いの為、近づくことすらできなかった。
「あ、あかんよ雁音!肩の傷、縫ってもらったばっかじゃんか!!!!」
「雁音殿は怪我をしているのですか?」
「ああもう、こっ、こうなったら俺がっ」
震える手で万吉は自分のドスに手を伸ばす。
しかしそれを隣の酒井が止めた。
「待て、あれに入っていくのは危ない。だがいいよあのお嬢ちゃん、男と互角に戦っているよ」
「ええ、あの軽さとしなやかな動きは男の私たちでは真似はできませんね」
「あのお嬢ちゃんは一体・・・」
「用心棒ー!!!!!」
酒井と榊原は冷や汗をかきながらも、輝く目で雁音の剣術に見惚れていたその時。
八幡宮横の参道から、走り込んで叫ぶ男の姿を捉えた。
「あれは・・・!」
「あれ!松本ちゃん?!」
それはつい先ほどまで皆で話題に上げていた松本奎堂本人だった。
すぐ後を追って、弥四郎までもが駆け込んでくる。
その様子はもちろん雁音にも見えていた。
「松本?!」
一瞬雁音の気が殺がれ、その瞬間、日ノ影は大きく刀を振り上げた。
力任せに振り下ろされたその刃で雁音の手の中の刀は撥ね飛ばされる。
「っ!」
「言ったよねぇ?油断はしちゃダメって」
日ノ影は少し不機嫌そうな声を発し、雁音の胸ぐらを空いていた左手で掴み上げた。
華奢な雁音の身体は軽々と持ち上げられてしまう。
「ぐっ!」
「本当に君は・・・奎堂の事になると弱いね?」
「そんなこ・・・ああああッ?!!!!」
日ノ影は、自分が刺した雁音の右肩に刀の柄をくいこませた。
縫われたばかりのその傷は雁音に激痛をもたらした。
「離れろ!!!!てめぇ、俺の首が欲しいんじゃねーのかよっ!」
奎堂が刀に手をかけた状態で日ノ影の後ろを取る。
少し顔を曇らせる日ノ影。
「はぁ・・・。それはそうだけれど、見てわからない?僕はお楽しみの最中だってこと」
「とんだ悪趣味だな!そんなことやってないで俺を早く討ち取ったらどうだ?」
「松本っ、やめろ!引けっ!」
悲鳴混じりの声で雁音は叫んだ。
奎堂と一緒に駆け込んできた弥四郎も抜刀し、奎堂をかばうように立った。
更に日ノ影は不機嫌さを増した声で告げる。
「まったく・・・そんなにお望みなら、先に始末してあげるよ・・・松本奎堂!!」
「松本――――っ!!!!」
雁音が絶叫し、日ノ影が奎堂に踏み出そうとした瞬間、血飛沫があがった。
その場にいた誰もが、時が止まったかのように目を見開き、硬直した。
ごろり、と奎堂のすぐ横に日ノ影の左手が転がった。
「うっ・・・」
奎堂の頬に血がはねる。
日ノ影は突然の衝撃に少し唸った後、視線を上げると、いつの間にか奎堂と弥四郎の前に短刀を左手に構えた雁音の姿があった。
「左手で刀を・・・?!」
欄干の上で酒井が思わず叫び、隣の榊原は息をのむ。あまりにも一瞬の出来事。
雁音が使えなくなった右手の代わりに左手で腰の短刀を抜刀し、自分を捕らえていた日ノ影の左腕の身と骨を断ったのだ。
短刀で、しかも利き手でもない手で骨身を斬るのはそう容易い事ではない。
「え…雁音、左手でも刀が扱えるの?」
「私は元々刀は左利きなんだ」
「じゃあ今までのは、お遊びだったの?・・・・ひどいよ」
「次は右腕を落とす」
「そんな怖い顔しないでよ」
さすがの日ノ影も腕を片方失い、息を荒げた。
雁音は冷たい視線を向け、再び踏み出そうとする。
「やめろ!!!!」
それを止めたのは奎堂だった。
「松本?!何を言っている?こいつはお前を殺そうとした!」
「いいんだ、こいつはもう戦えない。これ以上は死んじまう!」
「死ねば良いのだ!お前を危険にさらす奴らは全員私が斬り殺す!」
日ノ影がよろよろと闇に溶けようとする。
それを追おうとする雁音を奎堂は後ろからきつく抱きとめた。
雁音は何とか日ノ影を討ち取ろうと必死にもがいた。
「雁音!やめろ!お願いだやめてくれ!」
「離せ!あいつを倒す!もう不覚はとらない!」
「いいんだ雁音、もういいんだ!」
「どうして!?あいつを倒して、強いって、お前を守れるって証明しなきゃ!」
「そんな証明いらん!これ以上は傷が悪化するからやめろ!」
「だって、お前は!私に、強くなれと言ったではないかー!!!」
「!!?」
雁音はそう叫ぶと、奎堂の腕の中に崩れるように倒れた。
雁音の手から「五星聚干奎」と文字が刻まれた短刀が地面に零れ落ちた。