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第六話 黒い刺客

「刈谷にいらしていたのですか?丁度その頃拙者も刈谷にいたでござる」



久々に名古屋の松本奎堂の塾を訪れた弥四郎は目を丸くした。

奎堂の竹馬の友・宍戸弥四郎。彼は刈谷藩を脱藩してから各地をその健脚で巡り、様々な人と交流をもっていた。

その為常にどこにいるかはわからず、利善や雁音と共に奎堂に急を告げに来た日以来の再会だった。



「ほぉ、何でまた刈谷に?利善にまた呼び出されたか?」

「いえ、正確に言えば野田八幡宮(のだはちまんぐう)に行ってきたんです」

「野田の八幡宮に?」



夕暮れの客間。夏の盛りも過ぎ、少し涼しい風が部屋を吹き抜ける。

弥四郎と向き合う形でちびちびと口にお茶を運んでいた奎堂は、一旦畳の上に湯呑を置いた。



「たまたま近くに寄ったので榊原宮司にご挨拶をしに」

「たまたまねぇ・・・。じゃあその前にはどこ寄ってきたんだよ?」


「なぁ雁音、野田八幡宮って、あの板倉様の所領の・・・薄暗い森の中の神社のことか?」

「あぁ、野田八幡宮の一帯は、一昔前の一揆の罰として、刈谷藩と福島藩が領地替えになった所だったな。確か、今留いまるの森という森の中にある立派な神社だ」



奎堂たちから少し距離をとって、従者である雁音と万吉は部屋の端の方に控えていた。

万吉がうろ覚えなその神社について雁音は補足し、更に懐から本を取り出して中を開いて見せる。

奎堂からもらった刈谷の伝承が記されたその本には、もちろん歴史深い野田八幡宮のことも記されていた。

森の中にひときわ大きな杉の木があり、その横に社殿がある立派な挿絵が載っている。



「ふーん、立派だな」

「ただ、この神社の大杉の木に住んでいる鴉は人の死を予期できるのだと言われているのだ。人が死ぬ前に大騒ぎするのだとか」

「え~もう怖い話はこないだで懲りただよ・・・」



つい一月も経たない前に、奎堂一行はその兄に呼び出され、真夏の定番である肝試しを刈谷で行ったばかりである。

万吉はもう懲り懲りだと身を縮ませた。



「雁音殿、よく刈谷の伝承を学ばれていますね。そろそろ刈谷が恋しくなってきたのではないですか?」

「そうだな弥四郎、利善さまのお顔をそろそろ見たくなってきたところだ」

「おい弥四郎、俺が聞いてるんだろうが答えろ!」



雁音と万吉の方へ弥四郎は首を突っ込んできたが、その後ろから奎堂が吼えた。

すっかり自分たちの会話に夢中になっていたが、弥四郎は奎堂との話合いから逃げてきたようだ。



「いや、特にお答えすることもないものですから・・・」

「嘘こけ!野田八幡宮の前に忠順ちゅうじゅんのところに寄っただぁ?そいで野田八幡宮なんて流れ、どう考えても何かの連絡役でお前は動いてんだろ?」

「それは・・・」

「何企んでやがる?」

「やめんか松本、弥四郎が困っているではないか。弥四郎がどこに出向こうと、お前には関わりないだろ?」



弥四郎をかばうように雁音は奎堂の前に進み出た。



「関わりあるわ!」

「どう関わりがあるというのだ?」

「忠順や榊原は俺と同じ・・・・っ!」

「俺と同じ?・・・なんだ?」

「なっ、何でもないわ!」



奎堂は思わず言葉をひっこめた。雁音がその先聞いても答えようとせず、また湯呑を手に取って何事もなかったかのように茶をすすり始めた。

雁音と万吉は顔を見合わせ首を傾げ、弥四郎は苦笑した。



「ではそろそろ、拙者は今日は岡崎で宿をとる予定でして」

「岡崎?折角尾張名古屋まで出てきて、また三河へ戻るのか?ご苦労だな?」

「たまたま時間がありましたから、今日は名古屋まで足を延ばしただけの事。本来は三河に用がありましたので」

「そうか、ありがとうな弥四郎。奎堂も竹馬の友の顔が拝めて楽しかっただろう。大通りまで送ろう」

「かたじけない」



そっぽをずっと向いている主の代わりに、雁音は話をまとめ弥四郎を送り出すことに決めた。

「ほじゃ、おれも送る!」と元気よく万吉は立ち上がった。



「おい松本、お前も見送るのだ。行くぞ」

「はぁ。・・・・へいへい」



乱雑に湯呑を置いて、奎堂も言われるがまま重い腰を上げた。

少し奥まった通りにある奎堂の塾から四人連れだって大通りに向かう。通りは既に店じまいを終えていて静かになっていた。

夕暮れの果てに夜の色がのぞき始めていた。

その途中、雁音はある事に気付く。



「松本、お前刀は?」



横を歩く奎堂の腰がすっからかんであることを雁音は指摘した。

奎堂はこうみえて腕が立つ。肝試しで美しい太刀筋を披露していた記憶が新しいことから、雁音はあまりにも無防備な状態の奎堂が気になった。



「あ?ああ、忘れた」

「馬鹿もの!武士の魂を忘れてどうする!」

「うるせえな・・・大通りだろ?ちょっとそこまでじゃんかよ」

「また、万吉のような突拍子もない刺客が現れるかもしれんぞ?」

「そうそうおれみたいな!・・・ってひでーげ雁音・・・」



万吉が口をとがらせる。

弥四郎は思わず吹き出し、雁音もからかっただけなのか意地悪な表情で一笑した。


自分をだしに笑われた奎堂が少し不服そうな顔をしたその時、不意に風に乗って男の声が響く。



「そうそう、油断は一瞬。それで命を落とす事になるとは誰も思わないよね~」



雁音はその声がした方を瞬時に探し当て、薄暗い空を背景に立つ屋根の上の人影を捉えた。

すかさず腰の刀に手を添えながら、奎堂をかばうように立つ。



「何者だ?!」

「はじめまして。僕はね、日ノひのかげっていうんだ、よろしくね。仲良くしよう」

「・・・日ノ影」

「ふふ、松本奎堂、待ってたよ?」



日ノ影と名乗った男はひらりと屋根から飛び降り、音もなく着地した。

着地と共に、日ノ影の着る蒼黒の衣が揺れる。そのカラスのような着物のせいで、彼の少し薄い色の髪は不気味なほど透明度が増して見える。

奎堂の名を口走ったこの男は刺客に違いないと、雁音は更に鯉口を強く握った。


すると、その男の影から、黒い影のような男たちが十人程現れた。

手には夕日を映した、茜色に鈍く光る刀を持っている。



「また幻術の類か・・・」

「いいかお前たち、あくまでも狙いは奎堂だよ。他のちびっちゃいのは斬っちゃ駄目だからね?」

「ほぉ、見くびられたものだ。松本に触れるより先に斬り伏せる!」



雁音がいつもの自信満々な笑みを浮かべた。

万吉はいつもの刺客以上に多い数に怖くて動けないでいた。



「へぇ?・・・ちびっちゃいのに頑張るねぇ」



意外だ、という顔を日ノ影はする。

しかし、すぐにまた不敵な笑みを顔に貼りつけると、手を翳して影たちを雁音に向け放った。



「雁音殿、加勢します!」

「すまん弥四郎!第二陣を頼む」



弥四郎が雁音の隣に滑り込み抜刀をする。

雁音は有難く弥四郎の加勢を受け入れると、すぐさま駆け出し居合で抜き、その刃は先頭の影の腹を一文字に引き裂いた。


すると不思議な事に、その影の腹からは真っ赤な血が噴き出した。それを見た万吉は思わず絶叫した。

一気に広がる血の匂いに奎堂も顔を顰める。



「うああああ!!」

「・・・・うっ!」



ひるむことなく、残りの影も雁音に斬りかかってきた。

一人目を受け流し、その後ろの影を突き刺す。

更に振り向き受け流した先の影を斬り、三人目の影を正面から斬り伏せた。


流れるような剣捌きで血を流す影たちを斬り伏せ、その返り血を浴びながら、奎堂の無事を振り向き確かめる雁音。

奎堂は呆然と立ち尽くしていた。その様子に雁音は深くため息を吐く。



「まったく、だから帯刀しろと言ったんだ!」

「あ・・・ああ。・・・だが・・・」



奎堂は万吉と共になおも動けずにいた。

雁音が一喝する。



「だがなんだ?!お前っ、本当にただの学者に成り下がったのか!!お前は志士なのだろっ?!強いんだろ?!」

「・・・・!」



微かに、奎堂は何か記憶の奥に引っかかるものを感じる。

雁音はいつもよりも必死な目をしていた。斬り合いの場だからじゃない。切実で、しかし澄んだ目を奎堂に向けた。


刹那、雁音の背後に日ノ影が付く。



「感情的になっちゃって」

「しまっ・・・」



雁音はつい奎堂に意識が行っていた。突如背後に現れた殺気に刀を振るがはずれ、建物に背を向けた途端、日ノ影の刀がすっと刀を握る腕を伸ばす。

一閃にして、刃は雁音の右肩を貫き、背後の壁にめりこんだのだった。



「・・・・あ・・・っ」



雁音は思わず声を失った。

刀を扱う右手を封じ、串刺しにして建物に押さえつけるようにした上で、日ノ影は彼女に顔を近づけて微笑む。



「覚えとくといい。戦場で感情的になるのは命取りだよ?ちょっと静かにしてて?奎堂を殺したら、また相手してあげる」

「させるかっ・・・!」

「へぇ?」



雁音は肩に突き刺さる刀身を血まみれの両の手のひらで挟んだ。

力の入れにくくなってしまった右手はそのままに、左手に力を加え、日ノ影の刀身を力任せにへし折った。

刀を折られた日ノ影だったが、一歩下がって満足そうに口を横に大きく裂いて微笑んだ。



「なるほど、刀の扱いを知ってる・・・・いいねぇ」



日ノ影は手折られた刀の余りを投げ捨てた。

かろうじて立つ雁音の肩には半分の刀身が残ったままだったが、それでもまた、奎堂の前に立ち塞がる。

少し離れて交戦していた弥四郎が急いで影を振り切って駆け出す。



「雁音殿!!!いけません!!!!」

「用心棒、お前・・・どうしてそこまでして・・・」

「あーあ、なんだか、奎堂殺してる気分じゃなくなったなぁ」

「・・・・・ならば去れっ!」



雁音は鋭い視線を向け吼える。

愉快なのか、日ノ影は更に口を横に裂いた。



「くくっ、松本奎堂・・・この子に免じて、まだ殺さないでいてあげるよ。またね~」



日ノ影が建物の闇に溶けて消えると、血まで噴出して倒れた影たちが砂のようになって崩れ落ちた。



「何だ・・・またあいつも刈谷の妖の類なのか・・・?」



雁音がそう疑問を口にして奎堂の方を振り返ると、奎堂は目を見開き、恐怖の表情のまま立ち尽くしていた。

彼女は右肩をかばいながら奎堂にゆっくり近づく。



「まさか、斬り合いを見るのは初めてか?」

「・・・・いや、そんなこと・・・」

「命を狙われるという事は、こういう事だ。わかったら、お前は大人しく守られていろ」

「・・・・・・」



奎堂は静かに俯く。

相変わらず腰を抜かしたままの万吉に雁音は声をかける。



「万吉、肩をかせ」

「あ・・・えっと・・・」

「ここは拙者が。雁音殿、一旦塾に戻りましょう」



血相を変えた弥四郎が、戸惑う万吉の代わりに進み出た。

雁音を軽々と抱き上げると、急ぎ足で来た道を戻る。



「えええええ!!!!!一体何が!?肩に刺さってるの、刀ですか?!え?!」

「とにかく止血を!三弥殿、お湯をつくってもらえますか?!」

「は、はい!」



ただ弥四郎を送りに行っただけだと思っていた岡と三弥は、玄関先の血まみれの雁音を見て驚いた。

必死に指示を飛ばす弥四郎に言われるがまま、ばたばたと止血の準備を始めた。

弥四郎は用意された布団に雁音を寝かせると「大丈夫ですよ、すぐに俺が止めますから」と優しく声をかけて、彼女の刺さったままの刃を引き抜く。



「っぐ・・・!・・・はぁ、良かった、弥四郎がいてくれて・・・これは、自分ではなかなか止められないから・・・」

「貴女という人は、本当に傷が絶えませんね・・・困った人です」



弥四郎は苦笑するが、すぐに真剣な顔になり止血を始める。

溢れる血を押し止めながら、後ろで呆然と立つ奎堂と万吉に目を向ける。



「万吉殿、奎堂殿と一緒に外に出ていてもらえますか?きっと役には立たないですから」



はっとした万吉はすぐさま奎堂を押しやって外に出た。

廊下の奥から、岡が塾内のありとあらゆる布をかき集めて持ってくる。



「兄貴・・・大丈夫か?」

「ああ・・・」

「・・・・・奎堂どのの好きな乱は、これよりも、いっぱい血が流れて人が死ぬのですからね?」



岡は足を止めて奎堂にそう言う。

奎堂は相変わらず言葉が出て来ずにいた。



「・・・・・」

「僕は、奎堂どのには、学者として穏やかに生きていただきたいですけどね」



そう言い残すと、部屋へと入って行く岡。

奎堂はその場に座り込む。

足元に雁音の血が点々と落ちていた。思わず視線を縁側の外に向ける。



「俺はっ・・・本当に何がしたい・・・?血を流してまでも、この世を変えるのか・・・?」



そう問いかけた空には月が昇り始めていた。




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