第三話 狐の四天王
兄からの手紙を読んだ翌日、奎堂は兄の呼び出した通り刈谷に行くことを三弥に伝えた。
「約束は明後日となってるが、昼間堂々と刈谷に入るわけにはいかんからな。今日の夜刈谷に入ろうと思うんだが」
「奎堂さんは御命を狙われているんですよ?そこを何故あえて敵陣に切り込むような真似を!」
「刈谷は俺やお前の故郷だ。故郷にくらい帰らせろ。刈谷までは半日もかからんし、護衛を連れてくからいいだろ?」
「ならば私も行きますよ・・・奎堂さんが死にに行くのであれば私も死にます!」
「死なねぇよ、勝手に殺すな」
やはり今日も三弥は病んでいた。
戊午の大獄の折、奎堂はもちろん三弥も多くの同志を失い、そこには彼に尊王攘夷を説いた恩師も含まれていた。
それ以来生き残った数少ない同志である奎堂の側を離れず、彼に少しでも危険が及ぶ事には敏感になっているのだった。
「じゃあ僕も一緒に♪」
「岡、てめぇはここで大人しくしてろ。俺の代わりに塾生に教授してもらう」
「えぇ~片時も奎堂どののお側を離れたくありません~」
「だが岡、お前は松本と塾を出すのが夢なのであろう?これはその練習だと思ったらどうだ?」
「奎堂どのと僕の塾!でゅふっ、よろこんでお引き受けいたしましょう!!!!!!!」
やはり奎堂の側を離れたくない仙台からやってきた岡も同行を望んだが、雁音の提案によって居残りがすんなり決まった。
彼も性格に難あれど、昌平坂学問所に通った秀才なのだ。塾を任せても問題はない。
これにより、刈谷へ赴くのは奎堂、三弥、雁音、万吉、村雨という布陣になった。
雁音たちが来た頃よりはずいぶんましになった昼食を終えた後、奎堂たちは塾を出発した。
途中までは賑やかな東海道を通り、道端の団子屋に誘惑される万吉を引きずりながらの小旅行だった。
日が地平線に近づいた頃、一番背の大きな村雨は見慣れた川が遠くに目に入った。
「見ろ、境川だ」
「おお、やっとここまで来たか」
雁音はその村雨の言葉を聞くと、うーんと背伸びをした。
籠や馬を使えば早いが、この人数ではまとまって歩く他ない。
ドスだけを持つ身軽な万吉はともかくとして、武士として大小を腰に差した奎堂や三弥、村雨や雁音は重量がある分少し疲労の色が見える。
しかし境川まで来たら、もうこの先は三河の刈谷藩領なのだ。
「しばらく名古屋に出てて見てなかったが・・・相変わらず豊かな土地だな」
「なぁ雁音、この川は有名なのか?」
「ああ、この川は尾張と三河の境を流れる、その名の通り境川。刈谷にはこの境川、逢妻川、猿渡川という三つの川があってな。この川があってこそ、刈谷の大地は潤い、土壌も肥沃になるのだ」
「へぇ!よく刈谷で作物が育つのはこの川のお陰なんだな!」
道中団子が食べれず少し不貞腐れ気味だった万吉だったが、雁音の説明に目を輝かせた。
更に川に近づいて刈谷藩領を見渡すと、遠くに城郭が見えた。
奎堂や三弥がかつて通い、藩主・利善の居城でもある刈谷城だ。
「刈谷城ですか。私たちの故郷、ちょっと懐かしいですね・・・」
「ほだな」
「では奎堂さん、私はこの周辺で宿を探してきますね。念のため村雨さんをお借りしますよ」
「おお。任せた」
ぽつりと三弥は望郷の念を口にすると、村雨を伴って宿探しに出かけた。
その背中を奎堂は見送ると、川を見てはしゃぐ小さい者たちに声をかける。
「少し休憩だ。三弥たちが宿を探してくるまでここで待つ」
「わかった」
「なーなー兄貴、ちょっと川に降りて遊んで来ていいかや?」
「川で遊ぶとかガキかよ。わかったわかった、行ってこい」
奎堂はひらひらと手を振って万吉に許可を出した。
万吉は駆け出していったが、雁音は涼しそうな木陰を見つけてそこに本を手にしながら腰を下ろした。
手にしているのは奎堂にもらった本だ。
「まだそんなボロ読んでんのかよ?」
「知ってる刈谷の村が出てきた楽しいんだ。しばらく放っておいてくれ」
「へぃへぃ、そうかよ」
本に視線を落としたままの雁音に適当にあしらわれたため、奎堂は暇を持て余した。
熱心に読み進める雁音をとりあえず川の景色の一部として眺めていたが、ふと疑問が頭をよぎる。
「お前、そういや字が読めるんだな。いいところの生まれか?」
「え?」
雁音はまた読書を妨げられ、少しだけ眉間に皺を寄せた顔を上げた。
「ああ・・・。別に、私はいいところの生まれではないが、読み書きを教えてくれる者が近くにいたのでこうして本が読めているんだ」
「ほぉ、教養がある奴が近くにいることはいいことだ。刈谷の奴か?」
「いや、幼い頃は大和にいたのでな。その土地の者に教わった。あとは浜松で弥四郎に軍学を教わったくらいか」
「何だ、弥四郎とは浜松のあいつの塾で出会ったわけか?」
奎堂の竹馬の友であり、利善の傍についてきた宍戸弥四郎。
彼は刈谷の足軽の家に生まれながらも、武芸と学問に励み藩主である利善の馬回役にまで上り詰めた秀才だ。
奎堂のように神童とまでは言われなかったが、軍学には特に優れ、突然刈谷藩を脱藩した後、浜松で塾を開いていた。
だから奎堂は、脱藩したはずの利善と弥四郎が一緒になって現れたことにとても驚いたのだった。
自分の元を去ったとしても、弥四郎は利善にとってとても頼れる存在だったのだろう。
「それにしても、お前の出身は大和なのか。俺も何度か行ったことがある。どこの村だ?」
「それは・・・その」
「うわっ?!」
雁音は奎堂のその問いに一瞬戸惑いながらも答えようとしたが、突然万吉の悲鳴が聞こえ、その言葉は瞬時に引っ込んでしまった。
立ち上がって川の原っぱを覗き込んだが、葦が生い茂って万吉の姿が確認できない。
「仕方ねぇ、俺たちも下りるぞ」
「ああ!」
土手を滑りながら、だんだん夕日が傾き暗くなり始めた河原へ下った。
雁音の背丈よりも高い葦の葉をかき分けながら万吉の名を呼ぶ。
「万吉!どこだ?!」
「まさか川に落ちたんじゃねぇだろうな?特に音はしなかったが・・・」
「まったく・・・・んっ?!」
突然二人の目の前に大きな岩が現れた。
葦の葉よりも更に高い岩。思わず雁音は上の方まで見上げる。
「こんな岩、いつの間に・・・」
「河原にこんなでけぇ石無かった気がするが・・・」
「っ!松本、岩の上に誰かいる!」
「は?岩の上って・・・うっ!?」
「松本?!」
突然奎堂は葦の中へ倒れた。
雁音は驚いて倒れた奎堂の肩を揺さぶった。
「松本?!おい松本!どうした?!」
「・・・・ふふふ、無力な人間どもめ、夢の淵で溺れ死ぬがいい」
「?!」
それは岩の上から響く艶やかな女の声だった。
雁音がまた岩の上に視線を向けると、更にくすくすと男の笑い声も混ざって聞こえた。
いつの間にか夕暮れの空には霧がかかり、ぼんやりと霞んでいるが、影が三つ見える。
「すっげぇ!結構簡単に仕留められたな!」
「この葦の河原に足を踏み入れたらもうこっちのものだもんね」
「見たかい!このお梅様の力を!おほほほほっ!」
「あれ・・・?」
ぴたりと声が止まる。雁音はその三つの影もこちらをうかがっているようだと気づく。
しばらく様子を伺っていると、影が岩の下に飛び降りてきた。
雁音の前に一人の女と男が二人現れ、彼女をじっとりと凝視した。
「え・・・この人平然としてる」
深く頭からすっぽりと布をかぶり、表情の見えない男が遠慮気味な声でそう呟いた。
「お前何で平気なんだい?!」
「妖術がきかないだぁ?!」
「妖術だと?」
布を被ったおとなしそうな男の言葉に、あとの男と女はわかりやすいくらい狼狽えた。
しかも妖術という現実離れした言葉をもう一人の男が発した為、雁音は更に眉間の皺を深めた。
「うろたえるなお前たち!久々に骨のある人間のようだね・・・よぉし、ちゃぁんと名乗ってあげようじゃないか!」
「おう!」
「え、いや、別に・・・」
得体の知らない者たちは、断ろうとする雁音を無視して名乗りを上げる。
「三河のここらじゃちょーっと名の知れた狐狸界の四天王!その一人、お梅!」
「同じく、耳切れ!」
「同じく尾切れ」
「あたしらが相手してあげんよ人間!光栄に思いな!」
「四天王なのに・・・三人なのか?」
淡々と疑問をぶつけながら、三人の前で雁音はあの奎堂からもらった本を開いた。
その名乗った名前に憶えがあったからだ。
「・・・ほう、依佐美ヶ原に住む化け狐か」
「ちょっとあんた!今のちゃんと聞いてたかい?!」
「もちろん。お陰で状況がよくかわかった!狐の幻覚を奎堂と万吉に見せているわけだな?」
「大当たり~」
頭から布を被った尾切れと名乗った男が、小さな声で雁音を祝った。
「いやのんきなこと言ってんじゃねぇよ!」と隣の耳切れという赤毛の男が、尾切れの頭を布ごとぐちゃぐちゃに鷲掴んでかき回した。
最初に名乗りを上げたお梅という女は、すらりとした長い指を口元にあてて不満な顔をした。
「あんた夢も見られないなんて、よほど心が汚れているんだねぇ。まだ年端もいかないのに可哀想な子だこと・・・」
「一応言っておくが、奎堂と万吉を妖術から解放しろ!」
雁音は本を懐にしまうと、右腰の刀に手をかける。
まるで太夫のような妖艶な色の紅をしたお梅は、その唇が裂けんばかりに横に吊り上げる。
「い・や・だ・ねぇ!そーんなことするわけないじゃないかい。私たち狐がはいそうですかって化かすのをやめるもんですか」
梅がすっと手を上げると、耳切れと尾切れが鋭い爪を光らせ、雁音に向かって走り出した。
ゆっくりと剣を抜く雁音。
「私に直接攻撃はもっと効かんぞ?それに、一ついいことを教えてやる・・・」
不敵な笑みを浮かべながら雁音は剣を構える。
「夢は見るものではなく・・・己が叶えるべき目標だ!!!」
迫り来る耳切れと尾切れに向かって、雁音も銀の刃を掲げて大地を蹴った。
気付くとそこは貧相な家の中庭だった。
古い茅葺の屋根は所々に綻びがあり、庭はまったく手入れをしていない酷い有様だった。
奎堂はいつの間にか荒れ果てた庭の縁側の傍に立っていた。
「ここはどこだ・・・」
怪しみながら家を伺うと、そこから声が漏れてきた。
奎堂はなるべく気配を抑えるようにゆっくりと動き、耳をその部屋に向ける。
『・・・すまんなぁ。少し白湯をもらえるか?』
『はい、すぐに。待っててくださいね』
「この声・・・」
思わず奎堂は乱雑に履物を脱いで縁側をよじ登ると、部屋のふすまをあけた。
そこにはやつれた一人の男が布団に半身を起こした状態でいた。その男は奎堂を見ると、大きく目を見開く。
『謙三郎・・・?松本謙三郎じゃないか!』
「桜のおっさん!桜のおっさんじゃねぇか・・・!無事だったんだな・・・!?」
奎堂はその人物を知っていた。
それはかつて江戸で出会った桜任蔵という男だった。
『お前は大獄を免れたか・・・よかった・・・お前が無事でよかった』
「おっさんだって無事だったじゃねぇかよ。心配させやがって!なぁ・・・また大義をなそうぜ、一緒に」
『一緒に・・・』
駆け寄ってそう笑顔を見せた奎堂に、桜は悲しい顔をする。
『俺はお前とは一緒には働けそうもない。身体もこの通りだ』
「何言ってるんだおっさん、休養すりゃいい。元気になったら一緒に・・・!」
『謙三郎』
奎堂の言葉を静かな声で桜は遮った。
そして、前のめりに畳に置かれた彼の手を握って、更に続けた。
『すまんが俺は一緒にはいてやれねぇ。だがなぁ、俺に代わり、いろんな同志がお前を助けてくれるだろうよ』
「おっさん・・・そんな」
『入ってよろしいでしょうか?白湯をお持ちしました』
そこへ外から幼く高い声が響いた。
『お、そうだ。丁度良いからお前に紹介しとこう。きっとお前の役に立つぞ?・・・入れ』
許可をもらって襖を開けたその人物を見て、奎堂は目を見開いた。
すると、次の瞬間霧が部屋中にかかり、あっという間にその部屋も桜たちも、背の高い葦の原っぱへと景色を変えた。
「何だ?!どういうことだ?!」
奎堂が困惑しながらぐるっと辺りを見渡すと、少し離れた葦の葉ががさがさと揺れている。
そこに向かって葉をかき分けて行くと、根本で万吉が必死に手足をばたばたさせていた。
「お前なにやってんだ?万吉」
「ふぇ?!・・・あ、あれ??おれ、川で溺れて・・・」
「バカかお前、こんな水から離れた原っぱで溺れるかよ」
「えぇ?なにがなんだか・・・」
万吉の首根っこを掴んで立たせた。
奎堂はその身体に怪我などないことを目視で確認する。
特に傷などはないようで、胸を撫でおろした。
「お前は大丈夫そうだな。・・・あとは、用心棒はどこだ?」
「ここだ」
「雁音ー!」
草をかきわけて雁音が歩いて来た。
万吉は今にも泣きそうな顔をしながら雁音に駆け寄る。
「大丈夫か雁音!おれさぁ、おれさぁ!溺れかけてさぁ・・・!!」
「ほぉ、お前は溺れる夢を見させられたか。松本はどんな夢をみたのだ?」
「おい用心棒、夢ってどういうことだ?」
「お前らは狐に化かされていたんだ」
「狐?・・・チッ、成程。依佐美ヶ原の狐の四天王か」
「さすが刈谷の民だ」
雁音は奎堂と万吉に伝承の本を開いて見せた。
刈谷の端、依佐美ヶ原には狐狸界でも力を誇った狐の四天王が住んでいる。
恩田の松雲院をねぐらにする初蓮と、妖艶な女に化ける妖術が得意なお梅。
尾っぽが切れているのが特徴の尾切れに、これまた耳が片方切れている耳切れ。
四匹の狐たちは毎晩原っぱで化かし合いをして楽しみ、飽きると刈谷の民たちに妖術をかけて楽しんでいたという・・・。
雁音が読み終わると奎堂は舌打ちし、万吉は「おれ化かされてたのかぁ?!すげぇ、そんなの初めてだ!」と何故か嬉しそうに興奮していた。
「刈谷の伝承に出てくる妖どもは、こぞって俺を狙ってるわけか・・・。お前は平気か?」
「ああ。どうやら私には妖術が効かんそうだ。少し刀で脅してやったら逃げて行った。もう大丈夫だ」
「はぁ、刈谷に近づいただけでこれじゃ気が抜けんな。とにかく戻るぞ、三弥が心配する」
「腹へったー!宿でいっぱい飯くいてぇ~!」
「あまり豪勢に食べると三弥に叱られるぞ万吉」
わいわいと歩き出す万吉と雁音。
奎堂はそんな二人の後ろ姿を見つめた。
「おっさんにかわる、同志か・・・。まぁ、ただの夢の話だ。夢の・・・」
そう自分に言い聞かせるように奎堂もその後を歩き出した。
ふと、脳裏に狐たちに見せられた夢が甦る。
『きっとお前の役に立つぞ?』そう夢の中の桜が紹介してくれたのは、まだ年端もいかない、雁音に似た少女だった。
【ちょっぴりあとがき歴史紀行 その3】
奎堂の夢に登場した桜任蔵。奎堂は江戸の昌平坂学問所にいた頃に彼を知り合ったと言われています。
刈谷で純粋に立派な藩士を目指していた頃、奎堂はその残した漢詩などから幕府をつくりあげた神君家康公を尊敬していましたが、江戸から帰って来る途中、家康が最初に埋葬されたと言われている久能山に立ち寄り、彼を罵っています。
この事から、奎堂の過激な幕府への感情は江戸に行ったことによって形作られたものではないかと思われます。
都会に行ったらかわっちまったなお前・・・っていう現象は昔からあったんですねぇ(・▽・*)