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第十三話 暗闇の道標

刈谷藩主である土井利善の急を、御典医の村上忠順が名古屋の塾へもたらしたのは夕刻の事。

急いで刈谷へ駆けてきた奎堂たちだが、すっかり夜も更けてしまっていた。

かつて奎堂や弥四郎たちが通っていた刈谷の城は闇に包まれ、異様な雰囲気を醸していた。



「新月か。夜に動くのはあまりよろしくねぇな」

「兄貴、じゃあ明日の朝にでも乗り込むか?」

「そうも言っていられないでしょう。利善様が人質にとられているようなものです。狐たちがいつ動き出すかわかりませんし」



片目な上にあまり暗闇が得意でない奎堂の言葉に皆それぞれ頭を捻る。

奎堂、雁音、弥四郎、万吉、村雨という布陣で、刈谷の城門を陰から伺い見る。

不思議な事に門番がいない。その普段考えられない光景に、どう動いたら良いか決めかねていた。



「雁音殿?どうかされましたか?」

「ん?」



あーでもないこーでもない話す万吉と奎堂たちを他所に、雁音はじっと城門を見つめていた。

弥四郎は思わず声をかけた。



「あいつがいる。城のどこかに」

「あいつ?でござるか?」

「日ノ影だ。上手く説明できないが、あいつがいるって胸騒ぎがするんだ」

「それはまた厄介な相手が増えましたね」

「?!」



雁音は突然隣の万吉との間に現れた男に驚いたが、何とか声を我慢した。

色白で、暗闇でもはっきりとわかる禰宜姿をしている。



「榊原・・・さん?」

「はい、榊原宜安です。遅れ馳せながら」



雁音が名前を紡ぐと、恭しく一礼し、榊原は改めて名乗った。

隣の万吉の束ねられた狐色の髪を優しく撫でながら。



「うわあああああああーーーー!!!!」

「万吉?!」



不意に天敵に髪を撫でられ、万吉は弾き出されるように城門の前へ飛び出て行ってしまった。



「ふざけんなー!おれは狐やら狸やらじゃねぇーーーー!」

「ばかたれ!騒ぐな!目立つな!」



物陰からもう無駄とはわかりながらも、奎堂は万吉を叱りつけた。

完全にあの大声は城内にまで届いている。外の人間の存在に気付いてしまうだろう。

早急に行動をとらねばならなくなり、奎堂は頭を抱えた。



「やぁ~万吉っちゃーん!俺もいるよ~」

「うぁああああああ酒くせぇええええええ」

「おい何で酒井のおっさんまでいるんだ・・・って、だから目立つ場所に立つんじゃねぇ!」



発狂する万吉の背後に、更に酒瓶を抱えて既に出来上がっている酒井が現れた。

酒臭さを振りまき、万吉に絡みつく。

ついに奎堂は我慢しきれずに物陰から物凄い速さで走り出て、目を治療してもらった恩人の酒井の頭を扇子で引っ叩いた。

その様子に万事休すと弥四郎と雁音と村雨が目を覆いたくなったその時、ぎりぎりと音をたてながら城門が開いた。

人影は見えず、ひとりでに開いたように見えた。



「え・・・」



奎堂は顔をひくつかせる。

万吉に至っては白目を剥いていた。



「我々を誘っているのでしょうか、雁音殿」

「そうであろうな。これで妖たちの仕業だとよくわかった」

「罠だとは思うが、乗り込むほかあるまい」



冷静に話し合い、物陰に隠れていた三人が城門の前に歩み出た。

「仕方ねぇ」とため息をつき、奎堂は白目を剥いた万吉と酔っぱらいの酒井を引きずり城門を潜る。

最後に、のんびりと榊原がついて歩いた。



「ふん、気付かれるのが早いね。まさか松本奎堂が直々に乗り込んでくるなんてさ」

「どうしよう姐さん、まだ妖力が練り固まってねぇけど・・・」

「やるしかないさ。まぁこっちには初蓮もついてる。簡単に始末できるさ」



奎堂たち一行が城内へ入った事を松の木の上から仲良し三匹の狐たちは確認した。

音もなく姿を消すと、そのまま初蓮の元へ報告に現れた。

寝所で寝かされ、目を覚まさない刈谷藩主・土井利善の枕元に座り、初蓮はじっと寝顔を見つめていた。

物を言わない主人を目の前にして、初蓮は嬉しそうに口を釣り上げる。その背後には白くて長い尻尾が小気味よく左右に振られていた。



「やだね初連、尻尾が出ちまってるじゃないか」

「何?見張りをしてなさいって言ったでしょ?」



その様子に吹き出しながらお梅が指摘すると、初蓮は不機嫌そうに利善から視線を移した。

その顔に肩を竦めながら、尾切れと耳切れは事の次第を報告する。



「そう、松本がもう来たの。想定外だけれど、相手は人間。容易くひねりつぶしてあげるわ。日ノ影を向かわせて。あんたたちはその援護よ」

「はいはい。お殿様との時間を邪魔しないように私たちで片付けてきちゃうわよ」



三匹はまた闇に溶けた。

一方、塾の面々は人の気配のしない城内に警戒しながら本丸へと足を進めていた。



「人がいねぇな。また幻術にでも嵌ってんのか・・・」

「その可能性がある。私たちにまとめて幻影を見せるなんて、狐たちも本気なのだな」

「ほだな。おい、雁音」



奎堂はそう言って雁音の目の前に刀を差し出した。

首を傾げる雁音に構わず奎堂はそれを彼女の手に押し付けた。



「お前にやった短刀の対になる刀だ。右に差せるように仕立て直してもらった。やる」

「えっ、どうしてそんなこと」

「お前は本来左利きだ。左手で抜いて本気で戦え」

「でも」

「迷うな。俺が左で戦えって言ってんだ」

「そうそう、本気で今度は戦おうよ、狐ちゃん」



戸惑う雁音の耳に、おどけた声が届く。

一同は動きを止め、暗闇の向こうに目を凝らした。



「日ノ影・・・」



暗闇に溶ける着物を纏った死を告げる鴉・日ノ影がそこに立っていた。

雁音がそう名前を呟いた瞬間、日ノ影は片方しかない手で抜刀して、雁音だけに向かって斬りかかった。

思わず雁音は奎堂から押し付けられた刀の鞘で白刃を受け止めた。



「良かったね、大好きな松本奎堂に刀貰えて」

「左手を切落とされてもまだ戦うのか!」

「本気の君と戦うまで死ねないよ。さぁ、抜刀しなよ」

「後悔するなよ!」



雁音は日ノ影を振り払うと、左手を柄に添えた。

それを見た日ノ影は満足そうに笑う。



「雁音殿!加勢します!」



刀を振り抜き、弥四郎が雁音の隣に立とうとしたが、その前に三つの影が降り立つ。



「あんたたちの相手は私たちだよ!」

「狐ってのは数が数えられないのか?俺たちとお前たちじゃ数で勝ち負けが最初っから決まってんだよ」



奎堂と村雨も抜刀するが、お梅はそれを鼻で笑う。

三匹の背後から影が立ち上がり、それはだんだんたくさんの人の形を成していく。



「兄貴!これ、肝試しの寺に出てきた影と同じ臭いがする!」

「チッ、じゃあ斬っても斬ってもキリがない奴らかよ・・・」



奎堂は舌打ちをしたが、その肩に榊原は手を置いた。



「大丈夫です。その為に忠順さんは私をお呼びになったのですから」

「そうそう。それに、あの狐たちを斬ってしまば問題ないよ松本ちゃん」



加勢に来た榊原は神官だ。酒井は何の役に立つかは不明だが、奎堂は心強く思ってその言葉に頷いた。



「ほだったな、お前、一応神社の人間だったな」

「一応ではありません。ちゃんとした神官ですので」

「俺もお神酒飲んでるから実質神聖なる力があるはず」

「おっさんは怪我しないように引っ込んでろよ」



奎堂たちは一斉に駆け出した。

影を断ち切りながら、奎堂はちらと雁音を見た。

渡した刀を抜いてはいるものの、日ノ影に押されているようだ。



「どうしたの狐ちゃん、全然重みがないよその刀・・・!」

「うるさい!すぐに馴染めるものじゃないんだっ!」

「おっと!」



雁音の力任せに振り回す剣戟に、日ノ影は少し距離を取る。



「狐ちゃんらしくない。そんな迷っている刀、ぜんぜん面白くないよ」

「私は無益な殺生をしたくないだけだ!」

「何それ?・・・ははぁん、もしかして松本奎堂のため?彼、あまり人が痛めつけられるの好きじゃないよね、僕にまで情けをかけてたから」



確かにそうだ。松本は人の血が流れる事を嫌がっている。それが同志だけではなく、どんな相手にしてもそうなのだ。

雁音は心当たりがあり、思わず手を止める。



「そういうの、戦場では命取りなんだよ?太平の世しか知らない今の人間は本当に腑抜けてるよねぇ・・・!」

「あっ!」



雁音の手から刀が弾かれ、咄嗟に自分の刀を抜こうとするが、その喉元に日ノ影の刃が突き付けられた。



「まずは僕が一本~♪」

「何故止めをささない・・・」

「だから言ったでしょ?本気の狐ちゃんとしか戦いたくないの僕は」

「ふざけたまねを!」

「図星を付かれて怒るの、本当に初蓮とそっくりだねぇ」

「初蓮・・・?」

「初蓮はねぇ、大好きな利善様が悲しい思いをするのが嫌なんだって。だから必死になってその元凶である松本を始末したいんだってよ?」

「松本が悲しい思いをする元凶?」



雁音はその理由に違和感があった。

奎堂は刈谷を去り、名古屋で塾を開くただの学者だ。もう刈谷に影響を及ぼすような事はしない。

それなのに何故、関わりがなくなった奎堂を元凶と言うのか。



「そんなくだらない理由で・・・」

「くだらない?僕は初蓮の気持ち、ちょっとわかるなぁ。松本奎堂の周りには乱が集まる。そんなにおいがするんだ」



妖なりの勘なのだろうか。はっきりとしない理由に雁音は少し不安を覚えた。

しかし、今は利善の救出を急がなければならない。やるべきことを頭で唱え、右手で自分の刀を抜いた。

「また右手かぁ~」と悪態をつきながら、日ノ影は容赦なく刃を翻す。



「雁音!」

「え!馬鹿、危ないから来るな!」



雁音が日ノ影の剣戟を受けてよろめくと、それを支えたのは奎堂だった。

手には弾き飛ばされた刀が握られていた。



「だからこれを使え!左手を使え!でなきゃ負けるぞ!」

「だって、私の左手は・・・」

「俺が使えって言ってんだ!お前、俺の仲間なんじゃないのか?俺を信じろ!」



雁音はその覇気に押されて、また左手に押し付けられた刀を見た。

五星聚干奎という文字が彫られている奎堂の短刀の対となる刀。



「お前の剣は、多くの血を流すためのものじゃない。この世の闇を切り開く剣だ!」

「闇を、切り開く・・・」

「殺すばかりがお前の力じゃない。俺の為に左手を使え!」

「!」



雁音ははっとし、そのまま日ノ影の方に駆け出した。



「へぇ、やっとやる気になったかな・・・・っ?!」



雁音は迷わずその刀を突き付け、刃は日ノ影の脇腹を掠めた。

その様子を見た奎堂は胸をなでおろした。

そこへ影を斬りながら弥四郎が近づいてくる。



「奎堂殿、雁音殿は!」

「あいつなら大丈夫だ。急所を狙って相手を殺すことに卓越しているのであれば、それを逆にこなすこともできるはず・・・」

「なるほど・・・」



流れるように剣戟を繰り出す雁音を見て、弥四郎は感嘆の溜息をつく。

隣にいる奎堂は誇らしくつぶやく。



「ああいう真っ直ぐな奴は、発想の転換一つで変わる。ま、そんなもんだ」



奎堂と言葉を交わしただけで剣筋が変わった雁音に少し驚きながら、日ノ影はまだ余裕を見せていた。



「調子が良いみたいだね、狐ちゃん」

「日ノ影、そろそろ決着をつけてやる」

「ふーん?」



雁音は上段に構えると、日ノ影と間合いを詰める。

日ノ影も前に出て、風を凪ぎ振り下ろされるそれを受け止める。

鍔迫り合いになり、日ノ影は雁音の耳元で囁く。



「ふふっ、いいの?まだ怪我はちゃんと治ってないようだけど、君が負けたら、松本奎堂、殺しちゃうよ?」

「・・・・・」

「ねぇ、怒ってよ。必死な狐ちゃんを見せて?」

「お前に松本は殺せない」

「え?」

「私たちが、ついているんだからな!」

「!」



刃を滑らせて鍔迫り合いを解く。

日ノ影は顔の近くを通る雁音の刃を寸で避け、驚きを見せる。



「気持ち悪いくらい、迷いのない・・・剣筋・・・。でも、そんな真っ直ぐな剣、すぐに剣筋がわかっちゃうよ?」



雁音が斜めに構えたのを見て、日ノ影は踏み込んでいく。

しかし、雁音はその場から動かなかった。



「え?・・・待って、これじゃ斬っちゃ・・・う!」



寸での間合いで日ノ影は大きく剣を振り上げ、悲鳴にも近い声をあげる。

今までの雁音の戦い方では想像もつかない行動に戸惑う。

刹那、雁音は右に刀を持ち替え、下から日ノ影の喉元へ刃を向け、止めた。

日ノ影は動きを封じられ、冷や汗を流した。



「っ・・・・!」

「悪いが、私の刀は無暗に人を斬るものじゃないんでな」



自由になった利き腕である左手で、腰にあった短刀の柄を思いっきり、日ノ影の鳩尾にめり込ませた。



「はぐっ・・・・!」



小さな唸り声をあげて、日ノ影はその場に倒れこんだ。

雁音は納刀すると、二つの刀を撫で、満足そうに微笑んだ。



「うむ。なかなか相性良くやっていけそうな刀だ」



「さて・・・」と雁音が視線を向けた先では、酒井と榊原が善戦していた。

酒井は徳利を振り回しており、榊原に至っては神具である剣を凶器にしていた。



「ほぉら!当たっちゃうよー!」

「祓い清め、鎮めてさしあげます」



いつも野田八幡宮へ強請る御神酒だからか、その徳利に触れた妖術の影は消えてしまう。

一応御利益があるらしい。

景気よく振り回していると、突然ごつりと鈍い音を立てて徳利が割れてしまった。



「いってぇええええええええ!」

「あれー?!万吉っちゃん、そんなところにいたの?!」

「いやふざけんなしっかり前見ろよおっさん!!!!!」

「御免~」

「このままじゃ身内に殺される!」



突然味方の凶器をくらった万吉は、とことんこの二人とは気が合わないと泣きたくなった。

そんな悲痛な万吉を他所に、榊原は穏やかに酒井に話しかける。



「徳利がなくなっては武器がありませんね・・・」

「いんや、俺にはね、あと神がかった腕があるのよ!この、たくさんの患者を救った腕が!」

「ほう、どう戦いますか?」



酒井は千鳥足で、しかし一直線に狐の一匹、耳切れの元へ駆けていく。

たらふく飲んだ御神酒のお陰か、影は酒井にぶつかれば消滅し、あっという間に耳切れの目の前まで迫る。



「え、おっさんが丸腰で・・・何?え?」

「おらぁ~くらえっ☆」



走り込んできた酔っぱらいに耳切れが戸惑っていると、勢いよく二本の指が目に突き刺さる。



「ぎゃああああああああ!」

「たくさんの患者を救った名医の腕が泣きますね」



榊原は思わず合掌して、目つぶしをくらった狐とその名医とやらの腕を憐れんだ。

酔っぱらいの善戦により、影がある程度消滅した。



「そんな!耳切れ~!」

「いてぇ!いてぇよ~!」



お梅と尾切れが思わず駆け寄る。

その二匹の集中力が途切れた事によって、残っていた影も跡形もなく消えてしまった。



「こんなの、人間の所業じゃない!鬼!鬼だわ!」

「え~、ごめんごめん。俺のところで目治そうか?俺、眼医者だから」

「お前眼医者が目つぶしとか正気の沙汰じゃないよー!近づくんじゃない!」



お梅が涙を溜めながら酒井を怒鳴りつける。

酒井はひたすら謝っていて、その状況に奎堂たちは困惑する。



「妖怪に鬼呼ばわりされてもな・・・」

「日ノ影は別として、あの狐共、本当にやる気あるのか・・・?」

「はぁ?!」



奎堂と雁音がぽつりと言った言葉にお梅は勢いよく反応した。



「やる気はあるわよ!これでも全力でやってんの!そりゃさ、こんなやり方にちょっと疑問は感じるけどさ!」

「僕たちはただ、この刈谷を悪いことから守りたかったんだ、だから初蓮の言う通りにしたんだ・・・」

「初蓮が今回のことは全部仕組んだってのは間違ってなさそうだな」



涙目のお梅と頭から布を被った尾切れはそう訴えた。

その言葉から、初蓮が刈谷の妖を扇動して奎堂を襲おうとしていた事が確実になった。



「この者たちは刈谷の為を思って初蓮の言葉に乗ってしまったのですから、見逃してあげましょう」

「俺も誤解が解けて、こうして松本と一緒に行動させてもらっている。お前たちもやり直すことができるはずだ」



榊原は穏やかな声色でそう提案し、それに村雨は大きく頷いて賛同した。

三匹の狐たちは身を寄せ合って一同を見上げる。



「まぁいいんじゃないか?ほだら弥四郎」

「ええ、拙者も誤解が解ければそれで構いません」

「もうあんたを殺そうだなんて思わないけれど、これだけは言わせて」



助命された狐たちはその場に正座をして、それでも強く、どこか懇願する視線を奎堂に向けた。



「あんた危なっかしいのよ。あんたの周りには乱が集まる。これは忠告よ」

「俺の周りに乱が集まる?」

「な、なんか不吉な言葉・・・」



万吉は奎堂の陰に隠れてそう身体を震わせた。

雁音は膝をついて狐たちに問いかける。



「さっき日ノ影も言っていた。何なんだ、その、奎堂の周りに乱が集まるって」

「その言葉のままよ、雁音」



鈴の音のような声が闇から聞こえた。

その声の方を皆で振り向くと、闇にも溶けない、白く美しい髪をした少女が立っていた。



「初蓮!」

「狐の仲間として情けないわお梅。どうして松本たちを始末できないの?」

「初蓮、聞いて、殺すばっかがこの刈谷を救うわけじゃないと思うんだよ。こいつなら話せばきっとわかる」

「生ぬるいのよ!」



初蓮がそう叫ぶと、突然城内に風が吹き荒れる。

それに三匹の狐は吹き飛ばされ、地面に伏してしまう。



「お梅!耳切れ!尾切れ!」



雁音は思わず三匹に駆け寄る。

弥四郎もそれに続き、三匹を支えた。



「殺さなきゃいずれ悲しむのは利善様よ!あの方の苦しみはいずれ刈谷の民にも伝播する。この刈谷を潰したいの?!」

「ふざけんな!俺は名古屋で静かに塾やってんだよ!もう刈谷には何も関わりがない、利善に迷惑かけてんのはお前の方だろ初蓮!」

「な、何で私が迷惑かけてるっていうの?!私は、利善さまの事を一番に考えて・・・」

「それが逆に利善を苦しめてるんだよ!俺を殺して刈谷を救ってくれって、利善はいつお前に頼んだ?!」

「それは・・・」



唸っていた風が止んだ。

すると、その穏やかになった闇の向こうから、聞きなれた声がした。



「いやすまない、遅くなった!これで殿は助かるよ!」

「忠順!」



奎堂たちに助けを求め、一度自宅へ帰っていた御典医・忠順が現れた。

手には一枚の札を掲げている。

それを見た初蓮は目を見開く。



「そ、それって松雲院しょううんいんの・・・」

「松雲院の和尚に書いてもらうのに手間取ったよ。君を刈谷から追い払うお札だよ」

「ひっ・・・!近づくな!」

「松雲院のお札?」



奎堂は忠順が手にしたお札を不思議そうに見た。

忠順はそのお札を持って微笑むばかりだ。



「初蓮というのは刈谷の領内にある松雲院に昔から住み着いていて祀られている妖狐だ。一度いたずらが過ぎて、松雲院の和尚は初蓮を追い払った事があった。その時に使われた札だ」

「や、嫌っ!来るな!」

「さぁ初蓮、この刈谷から出て行ってもらおうかな?」

「嫌だ、また追い出されるのは嫌!利善さまの側にいさせて・・・!」



遂に初蓮はうわっと泣き出してしまった。

子どものように空を仰ぎ、力の限り泣きじゃくる。



「は、初蓮?」



お梅たちですら、その姿を呆然と眺めていた。



「一度初蓮は刈谷を追われている。箱根の山に住処を変えたとこの本に書いてあるぞ」

「本当だ。出戻りかよ」

「前は何をしでかしたんだ?」

「三浦のお殿様を化かしちゃったみたいだよ?」



雁音が刈谷の伝承の本を開くと、それを塾の面々は皆で覗いた。

そして、初蓮に優しい眼差しを向けた。



「な、何よ・・・慈悲深い感を醸し出してるけど、完全に私を憐れんでる目よね?!酷い!こんなに辱めを受けたのは初めてだわ!」



また涙がこみ上げる初蓮。すると、ぴよっぴよっとふたつの耳と長くて綺麗な尻尾が飛び出てきた。



「初蓮の神通力が弱まったわ・・・」

「初蓮、君は殿の事が大好きなんだね」

「うん・・・利善様は、こんないたずらばかりの私にも、お供え物をいっぱいくれたわ」

「殿の土井家は代々松雲院に篤い信仰を寄せているからね。殿もよく初蓮の伝承を語っておられたよ」

「そんな利善さまが悲しむ顔は見たくなかったの!どうしてみんな利善さまの邪魔ばかりするの!利善さまは、ただ、この世を良くしていきたい一心なのに!」

「初蓮・・・」



切々と初蓮は利善の不幸を語り始めた。



「浜松で父親が粗相したからって、利善さまは幼い頃から罵られて・・・刈谷に来ても、土井家の養子である利善さまは下らない見栄ばかり気にする家臣たちに、世継ぎができないからって、譜代の恥呼ばわりされて!」

「・・・・」

「あまりにも、利善さまが不憫よ・・・!」

「ほぉ、何百年も刈谷を見てきてるお前にとって、利善はそんなに不憫に映ったか」

「映ったかじゃない!利善様は不憫だわ。こんな、こんな優しい方に苦しい思いはしてほしくない!」



そこまで叫ぶと、初蓮はまた子どものように泣き出した。



「困った奴だ・・・」

「だから、悩みの種であるお前を消せば、ちょっとくらい利善様の心労が減ると思って!利善様の家臣ならば、お前は潔く自重するか死ねばいいのに!」

「はぁ・・・いつそれを利善が望んだ?お前が余分に利善を悩ませてどうすんだよ」

「・・・・じゃあ、どうすればよかったって言うのよ・・・」

「お前は、利善のやることについていけばよかったんだ。利善は、不幸な境遇でも、諦めた事はねえし、立派に政をする藩主だ。それをお前が信じて、支えてやらんでどうするだ!」

「利善様を信じる…」

「そいつが可哀想だ不憫だなんて、他人が決めつけれるもんじゃねぇよ。ほだら、雁音」

「ん?」

「お前も、俺についてきたきゃ来りゃいい。それがお前の納得できる道なら、俺は刀を握らせてしまったお前を可哀想な女とは思わんからな」

「松本・・・」



雁音と初蓮、二人の頭をぐしゃりと奎堂は撫でた。



「ってことだ忠順、悪いがその物騒な札は松雲院に返してきてくれ」

「初蓮をこのまま殿の元に置いておくんだね?」

「お前が見張っててくれ。御典医ならできるだろ」

「御典医の務めに狐の世話は入っていないんだがね」

「それこそ利善が寂しがるわ。おい初蓮、狐ならきれいさっぱり、後始末よろしく頼むぞ。俺は面倒が苦手なんでな。ほじゃな」



奎堂たちが歩き出した先に朝日が昇り始めた。

日に向かって歩く奎堂とそれに続く仲間たちを初蓮は眩しそうに見つめた。



「なんて狐遣いの荒い奴だ」



昼下がりの心地良い風が屋敷の中を吹き抜けていく。

はっと、利善は目を開けた。

机に書物を広げ、調べものを行っていたようだ。きょろきょろとあたりを見回す。

いつも通り、御典医である忠順が隣で控え、初蓮が「殿、お茶です。休憩いたしましょう」とお茶を差し出す。



「あれ・・・私は一体・・・」

「殿、どうされました?ご気分でも悪いので?」

「え?ああいや・・・」

「殿?」



忠順と初蓮が心配そうに利善の顔を覗き込んだ。



「ふふっ、まるで狐につままれたようなお顔ですこと」

「そうか。つままれたような顔をしていますか。そうか」



初蓮が上品に笑うと、それにつられて利善も笑顔になった。

そんな二人を見て、忠順も頬を緩ませ、懐に隠していた松雲院のお札を二つに裂いたのであった。


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