第十二話 本丸の化け狐
奎堂が雁音たちを仲間だと気づき、塾に集まる面々の団結が深まったその日の夕方の事だった。
品の良い装飾が施された籠が塾の前に止まり、刈谷藩の御典医である村上忠順が降り立った。。
いつものように丁寧に籠かきに労いの言葉をかけると、足早に塾の門をくぐる。
「村上先生・・・?」
慌ただしく夕食の支度をしていた割烹着姿の三弥は訪ねてきた人物に目を丸くした。
いつも冷静な忠順が少しばかり急いでいる。
これはただ事ではないと思い、すぐさま奎堂の書斎へ通して人を集めた。
三弥が急いで煎れたぬるめのお茶を一口飲むと、忠順は息を整えて静かに奎堂たちに報告を始める。
「利善様の容体が急変した」
「利善様が?!」
「今度は何の病気なんだ?」
思わず身を乗り出した用心棒の雁音を制し、奎堂は冷静に問いかける。
刈谷藩主土井利善は、ひょろりとして顔色が悪く、誰がどう見ても身体が弱い人間だ。
奎堂たちが仕えている時からあまり身体が思わしくなく、何度か政務を休んでいた事がある。
「それが、今回は医者である私にもわからないのだ」
「医者にわからねぇ病気だと?」
「ああ、ずっと目が覚めないのだよ。深い眠りについたまま、何をどうしてもお目覚めにならない。特にその直前は悪いところは見当たらなかったのだが」
「なんだそれ変わった病気だな?」
「とにかくこれから一旦家に戻り、泊まり込みの準備をしてから刈谷城へ再び向かう。だがその途中でどうしても君に伝えておきたい事があってね」
「そりゃそんな大変な時にご苦労だな。何だ?」
「松本奎堂の命を狙おうと意気込んでいる者など、刈谷の城には誰一人としていなかったよ」
「はぁ?」
その場にいた塾の面々はそれぞれ顔を見合わせた。
万吉にせよ村雨にせよ、刈谷で奎堂の悪い噂を聞いて、それならば自分もと奎堂の命を狙いにきていた。
利善も藩主の身でありながら、奎堂の不穏な噂と、命を狙われている事を警告をしに来た程だ。
今まで自分たちに降りかかってきた事はなんだったのだろうか?
「そんな馬鹿な話があるか。刈谷には俺の敵ばかりしかいないんじゃ」
「むしろ、お前を失って皆惜しがっていた。今はこうして塾を開く身であるから、そっとしておこうと思っている者ばかりだったよ」
「じゃあなんだって利善はあんな血相変えて俺んとこにきたんだ?」
「きっと、侍女に吹き込まれた事ではないかと私は思うのだよ」
「侍女?」
「待ってください忠順先生、それは初蓮のことですか?」
奎堂が突拍子のない人物の名前に首を傾げると、雁音がもう一度身を乗り出した。
初連とは利善の身の回りの世話をする侍女だ、と雁音は説明を加えた。雁音が刈谷の城に来た時は既に、利善の身の回りの事は彼女が全てやっていた。
「その初蓮の姿が見当たらないのだよ。これは何かしら関わりがあると思ってね」
「まさか・・・」
「おい、初蓮って・・・そりゃ刈谷の化け狐の名前じゃねぇか。妙な名前を持つ侍女もいたもんだな」
「それが、ひょっとしたら本物かもしれないと私は思ってね」
忠順はまたお茶を一口啜った。
「いや忠順、冗談だら?」
奎堂はおどけてみたが、忠順はそもそもそういった冗談をいう人間ではない。
思ってみれば、そこに控える村雨だって伝承上の人物だ。
更に今まで何度もちょっかいを出された狐の仲良し三人組だって知っている。
そこまで伝承の生き物が揃っておいて、狐の四天王の最後の一匹・初蓮がいないと断言することはできない。
「狐の四天王の中でも特に妖力が強い銀狐・・・か」
雁音が奎堂にもらった刈谷の伝承の本を広げて読み上げる。
その本を覗き見ながら、普段無口な村雨が珍しく会話に参加した。
「俺は初蓮に刈谷の城の近くで会ったことがあるぞ。あいつは確かに存在する」
「じゃあ利善様、狐に憑かれちゃったってことか?!」
大げさに声を上げる万吉に忠順は律義に頷き、その隣の雁音に言った。
「そうなれば・・・悪いが雁音、妖怪退治をしてほしいんだ」
「私が初蓮を退治をするのですか?」
「君はこの前日ノ影という妖を負かしているからね、君にならできるはずだ。彼女をお借りできないかね松本君」
「え・・・何で俺に聞くんだよ・・・」
「彼女は君の大切な同志だ。違うかね?」
「そりゃあ・・・」
「ふふっ、心配なら皆して来てくれたらいい」
そう言って忠順は立ち上がった。
「もう行くのかよ?」
「ええ、殿の容体も心配ですし。あとは野田八幡宮の榊原君にも協力を飛脚で頼んだから、彼も刈谷城を目指すはずだ。私も急がなければ」
「わかった、俺たちもすぐ行くわ」
「心強いね」
「忠順の頼みなら聞くしかないだろ」
「いやいや、君のお仲間のことさ」
奎堂はきょとんとすると、周りを見渡した。
「いい同志ができたね」
忠順が優しく言えば、「よせや」と奎堂はぷいと横を向いてしまった。
その様子を微笑ましく思いながら、忠順は塾を後にした。
それを見送ると、奎堂たちは慌ただしく刈谷へ向かう準備を始めた。
「お、おれ、また狐に幻を見せられたりしたらどうしよう・・・」
「安心してください。僕が引っ叩いて夢から醒ましてあげますよぅ」
「えぇ・・・」
「岡、てめぇは居残りだ」
「えー?!」
万吉にちょっかいを出していた岡は、親愛なる奎堂に留守を言いつけられて口を尖らせた。
「三弥も残して行くが、お前もいてくれると安心して塾を任せられる」
「えっ、えへっ?そうですかぁ?仕方ないですねぇ、奎堂どのの塾は僕がしっかり守っておきますよ!」
「ありがとな」
「え!えへへへへ!そんな、ありがとうだなんて!」
奎堂はそう告げると急いで部屋の外へ出て行ってしまった。
岡は珍しいものを見たような顔でその背中を見送った。
「奎堂どのがお礼を言うなんて・・・」
「改めて岡さんの大切さに気付いたのでしょう。変われば変わるものですね」
「ええ。そのようで」
三弥は相変わらず覇気のない顔をしていたが、薄っすらと微笑む。
岡もつられて頬を緩める。
そして、留守番の二人は結束の強くなった主従たちを玄関から見送ったのだった。




