第十一話 同志
また新しい朝日が昇り、一日が始まった。
松本奎堂が塾を構える名古屋人形町も、人の騒めきや店の前を掃き掃除する箒の音が響き始める。
岡鹿門の不気味なほど献身的な看病により、用心棒の少女・雁音はすっかり傷の痛みが薄れ、動けるようになっていた。
外の騒めきを聞きながら、縁側に出て寝巻姿で伸びをする。
「またしても不覚だったな」
一度ならず二度までも、刈谷藩の御典医である忠順の世話になってしまった。
いつでも傷を縫ってくれるとは言ったものの、あっというまに傷口を開けてしまった雁音に忠順は渋い顔をした。
当の雁音も軽はずみな行動であったとは十分反省していた。
「雁音殿、身体に障ります」
「弥四郎」
廊下の曲がり角から聞こえてきた声の主はやはり弥四郎だ。
いつも見張られているのかと思うほど、弥四郎は目ざとく布団を抜け出している怪我人に声をかける。
「心配をかけてばかりだな。すまない」
「拙者だけじゃありませんよ」
困ったような笑顔を作ると、弥四郎は一歩引いて後ろにいる人物に道を譲る。
そっぽを向きながら居心地悪そうに奎堂が立っていた。
「松本?」
「傷はもういいのか?」
「ああ、もうあまり痛くない」
「ほっか、ほじゃ来い」
雁音はその松本の態度に首を傾げた。
弥四郎は「こちらへ」と小さく促してくれる。
角を曲がった先の奎堂の書斎へ向かう。
廊下には万吉と三弥、村雨が控えており、中には岡がお茶を啜りながら鎮座していた。
弥四郎は万吉たちの隣に座し、奎堂は上座に座ると、雁音に前に座るよう顎で促した。
雁音が素直に正座すると、奎堂は雁音があの日ノ影の腕を切落とした短刀を持ち出した。
「これは俺が十津川のガキにやった刀だ。どうしてお前が持ってんのか説明しろ」
その言葉に雁音は背筋を伸ばした。いつかは話さなければならない事だ。
「雁音というのは利善さまに頂いた名前。本名は一華という。十津川で確かにお前からその刀を受け取った者だ」
「俺は主計んとこにいた郷伍というガキに渡したはずだ」
「それは一つ上の兄だ。だが刀を受け取ったのは私だ。お前が私を兄と間違えて渡したんだ」
「まったく紛らわしい・・・」
つい苛立ちを見せる奎堂だが、竹馬の友である弥四郎が咳払いをすると、急いで本題に戻った。
「勘違いしていたとはいえ、俺が、お前に刃を握らせた・・・悪い事をした」
「だが、それを振るうと決めたのは私の意思だ。お前に謝られる筋合いはない」
奎堂が頑張って振り絞った言葉に、雁音はそっけなく返した。
それが気に入らなかったのか、思わず奎堂は片膝を立てて前傾姿勢になり、用心棒に指先を勢いよく向けた。
「はぁ?!あのなぁ!お前は無鉄砲すぎんだよ!斬ったはったが危ないってのがわからんのか!」
「何だ急に大声を出すな!子どもじゃないんだから危ない事くらいわかっている!」
「いいやわかっちゃいない!だからそんないとも簡単に怪我をして忠順の世話になりまくってんだろうが!いつか死ぬだろバカタレが!」
「死なないように善処しているが、死ぬときは死ぬんだ!私のやりたいようにやって死ぬんだお前には関係ないだろう!怒鳴るな私は怪我人だぞ!」
「関係あるわ!お前は俺の用心棒だろ!勝手に死ぬな!!!!!」
「は・・・」
次の暴言を用意していた雁音だが、思わず奎堂らしからぬ言葉に言葉が引っ込んでしまった。
「私が死ぬ心配をしていたのか?」
「ばっ・・・・、かじゃねえの、ったく、ああそうだよ、確かにお前が死んでしまうと思ったら怖かった!」
奎堂はそっぽを向きながら座りなおし、隣の岡が飲んでいた湯呑を取り上げて勢いよく飲み干した。
「っははは!」
「てめぇ、何がおかしいんだよ?!」
「だって・・・おま、お前そんな弱気な言葉、似合わなさすぎて・・・くっ、あはははっ!」
「笑うな!」
「わかったわかった、お前のかつての同志のように、死んでほしくないんだろ?」
「!」
雁音は奎堂と出会って以来見たことのない無邪気な笑い声を上げた。
奎堂はその子どもらしい彼女の一面に目を瞬き、しばらくじっと見ていたが、深呼吸をして言葉を紡ぐ。
「お前も知ってるだろ?俺が一緒に大義を成そうとした桜任蔵のおっさんは病で簡単に志半ばで死にやがった・・・」
「まぁ、人の命には限りがある。ずっと生きてお前の傍にいれるなんて、誰も約束できるわけがない」
「そんな事わかってら・・・でも、嫌なんだ。もう誰もいなくなってほしくねぇんだ。それだけお前たちが大切なものになっちまった」
まっすぐな瞳で雁音は奎堂を見た。
言い訳をする子どものように、彼は視線をそっぽに向けたままだが、雁音は構わず力強く言う。
「ふん!なら、晴れて私たちはお前の同志と認めてもらえたわけか!なら、私が任蔵とやらの志を継ぐ。お前と一緒に、その志、果たしてやろう!」
「桜のおっさんの、志・・・」
奎堂もまっすぐ雁音の目を見た。
「大獄は、辛いものだったな。でも大丈夫だ、お前には私たちがついているぞ!」
「・・・」
奎堂の頬に一筋涙が流れた。
「あれ・・・くそっ、目の調子が悪い!」
袖でそれを乱暴に拭うが、とめどなく流れ続ける。
それを大人しく見守っていた万吉が思わず奎堂の前に転がり込んでくる。
「兄貴ぃ!おれもついてるだよ!泣かんでくれよぉ・・・」
「馬鹿、泣いてねぇ、泣いてんのはお前じゃんかよ・・・」
「うぇええええ~ん!」
「うわ馬鹿ー!きたねぇえええ」
ついに万吉が涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のまま、奎堂に抱き着き、奎堂は悲鳴を上げながら全力で嫌がった。
雁音はまたそんな奎堂の姿を見て笑いがこみ上げてきて腹を抱えた。
「奎堂どのは、本来優しくて、責任感の強い人ですからねぇ。ちゃんと、桜任蔵さんや仲間たちに泣いてあげたりしてなかったんじゃないですかねぇ」
岡はいつの間にか弥四郎の隣に移動してきていた。
奎堂に飲み干されてしまった湯呑を大切に持ちながら、弥四郎を見る事なくそう呟く。
弥四郎も「そうでござるな」と優しい笑顔をつくった。そして、いつの間にか静かに涙を流していた隣の三弥の背中を撫でてやるのであった。




