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第九話 昔語り

生徒が帰り、静まり返った奎堂の私塾。

普段生徒たちが勉学をする部屋で、弥四郎、万吉、三弥という塾の面々が覇気のない奎堂の顔を覗き込んでいる。

奎堂は先程から深いため息ばかりをついて、一言も言葉を発しない。



「雁音殿は今、村上先生に診ていただいていますから」

「お医者様がまだいてくれて助かったな。兄貴、安心してくれよ」

「・・・」



弥四郎と万吉の励ましの言葉にも奎堂は無言だったが、おもむろに雁音が持っていた短刀を出して机に置いた。

それを引きぬいて刀身を見せる。

まだこびりついていた日ノ影の血を拭うと、そこには「五星聚干奎」と刻まれている文字が見えた。



「奎堂さん、この文字は・・・?」

「俺の奎堂という号の由来になった漢詩だ」

「え、でもこれって雁音が持ってた刀だら?」

「俺は大獄の前、三弥と一緒に十津川へ行った事がある。その時、妙に連れてけとせがむ子どもがいて、お前は弱いから連れていけない。連れて行ってほしくば強くなれ、と・・・この刀をくれてやった」

「え!じゃあ、その子どもが、まさか雁音?!」

「女だなんて思っとらんかった」



深くため息をつく奎堂。

その話を聞いた弥四郎は険しい顔になった。そしてゆっくり話し始める。



「拙者が雁音殿に出会ったのは雁音殿がまだ14の時でした。ですが、その時には既に凄まじいまでの剣術を身につけられていました。刈谷の殿の元で働き始めてすぐ、殿が城下を見回っている折、追剥ぎに遭遇した事があって・・・・その時、雁音殿は大の男を一人、一太刀で斬り殺してしまったのです」

「殺して・・・」

「雁音殿には加減がわからぬのです。あれが純粋に強さだけを追い求めた結果です。その為、雁音殿は殿よって、元々刀を扱っていた左手で刀を扱う事を禁じられたのです。もうこれ以上、無駄に人を殺させぬように」

「・・・」

「ようやく理解しました。彼女の強く成りたいという強い意志は・・・・奎堂殿が常に目標にいたから」

「俺が」

「貴方が雁音殿に殺させたも同然ですよね」

「弥四郎待てよっ、兄貴は女だって気付かず雁音に刀を!」



淡々と奎堂を責め始めた弥四郎を、万吉は止めに入った。

しかし、弥四郎はいつもの温和な表情とは一変して怒りを露わにした。



「そもそも!子どもに刀など!!あなたは、どうしてそんなにも物騒な事がお好きなのですか!!」

「弥四郎さん・・・」



弥四郎の大声に奎堂は身を縮めた。

三弥も彼の肩に手を置き、落ち着かせようと試みた。



「彼女は純粋で無垢で、芯の強い女性だ!故に、貴方の為に命をかけたり、人を殺める事には盲目で・・・俺は見ていられない。わかりますか?貴方は一人の女子の運命を変えてしまったんですよ?!」

「そうだな、その通りだ」

「ですから、貴方が責任を持って、彼女を誠の道に戻してあげるべきです!!悔しいですが、俺にはどうしてやる事もできませんから」

「弥四郎お前・・・用心棒のこと」



悔しそうにそう声を絞り出す弥四郎に、奎堂は彼の中にある感情に気づいた。

重苦しい空気の中、ふと万吉は嫌な予感を察知する。

障子が開かれ、その先に広がる庭に目をやると、あの野田八幡宮で出会った榊原と酒井の姿を見つけた。



「ふぁ!!!!?」



万吉の妙な叫び声と共に、庭から石の塊のようなものが目にもとまらぬ速さで飛んでくる。

それは見事に奎堂の頭に直撃し、音を立てて瓶は割れ、部屋中に酒の匂いが漂う。それは酒瓶のようだった。



「ぎゃあああ!兄貴ぃー!!!!!!」

「奎堂殿!!!!!」



どかどかと庭からあがりこんでくる酒井と榊原。

酒が滴る奎堂の胸ぐらに酒井は掴みかかった。



「清めの酒だよ松本ちゃん!」

「松本殿、死相が・・・・みえます」

「死にそうなのは酒井のおっちゃんが酒瓶当てたせいだって!!!!兄貴になにしやがるー!」



万吉は涙目で奎堂と酒井の間に割って入り、どうも掴みきれていない自由奔放な二人を牽制した。

すると、酒井は「だって見てらんないよ松本ちゃん!!目の治療だって泣かなかった君なのに!」と泣き出す。

隣の榊原は懐から包みを取り出し「万吉くん気を落とさないで、ほら、御供のいなり、今日もあるよ」と万吉に差し出した。

万吉は相変わらずの二人の自由っぷりに白目を剥いた。



「酒井のおっさんなにしに来たよ・・・」

「あぁ、宜安がどーしても狐ちゃんのお見舞いに行くって言ってきかないのよ。俺はただの同行者」

「はい、御供いっぱいもってきました」

「うちの小さいの二人は確かに狐のようですが、稲荷明神じゃありません、勘弁してくださいよ変な人たちですね」



三弥が奎堂の酒を拭き取りながら苦言を呈す。

するとそこへ怪訝な顔で忠順がやってきた。



「まったく、何を騒いでるんだね?怪我人がいるんだよ」

「どいつもこいつも雁首揃えて・・・放って置いてくれよ。俺は最低な人間だ、俺なんか」

「おいおい、松本ちゃん何言い出すのよ・・・」

「こんだけ皆心配してくれてんだよ、兄貴」

「松本殿も、いなり食べますか?」



一同、奎堂の顔を心配そうに覗き込んだ。

その光景にため息をつく忠順。



「はぁ、困ったものだね。謙三郎がこの有様では・・・雁音は助からない」

「助から・・・ない?」

「彼女は死ぬ。・・・いずれ確実にね」

「ち、ちょっと、村上さんまで」



酒井までもが困ってしまう。

なおも忠順は奎堂に釘を刺す。



「君の采配次第で、彼女は生きもし、死にもする。今の君では話にならない。彼女は命がいくつあっても足りないね」

「俺の事なんか・・・ほっときゃいいのに」

「彼女は、君と大義を成す事こそを幸せとする」

「大儀?・・・はんっ、俺はもう大義を成そうなどとは思わん」

「そうだね、君一人では無理だ。たが、彼女や君を思う仲間は、それを可能にする、心強い同志となるだろう」

「・・・・・・・・」

「君にはまた、同志が必要だと思うがね・・・」

「俺にはもう、同志などいない!!!!とうに死んだ!!」



奎堂のその叫びに、誰もが息をのみ、部屋は静まりかえった。

奎堂もまた、三弥と同じ、大獄で大切な同志を失った受難者だった。



「そ、そのかつての同志が・・・桜任蔵」



万吉がつぶやくと、奎堂はその名前にはっと顔を上げ、次いで万吉を睨んだ。

その視線に負けじと万吉は奎堂の目の前に寄って続ける。



「兄貴はもう桜任蔵みたいに死んでく同志を見たくないだ?ほだから、こんな場所で燻ってんだ?」

「・・・黙れ」

「俺たちに深入りするのが恐がいだ?死んだら悲しいで・・・」

「・・・・・」

「兄貴はよくさ、三弥が大獄の悲しみを引きずってるって言うけどさ、兄貴だって、引きずってんじゃんかさ!ずっと、桜任蔵を」



奎堂は帯に差していた扇子を引き抜き、万吉を思いっきり引っぱたいた。



「奎堂殿!なんて事を!」

「お前に俺の何がわかんだよ!!」

「わかんねーから、聞いてるんじゃんかよ!!兄貴が元気になる方法が知りたくて、皆模索してんだっ!兄貴に、再起してほしいから・・・!俺は、この世を正そうとする、カッコいい兄貴についていきてえんだよっ!雁音だって、そうだ」

「俺はもう・・・同志なんていらん!」

「嫌だ!兄貴の仲間にしてくれよ―――――!!!!」



切実な万吉の叫びに、奎堂は再び上げていた扇子を下した。


丁度、夕刻を近くの寺の鐘が知らせていた。

雁音はその鐘の音を奥の客間で聞いていた。

再び布団へ入れられ、忠順の処置を受けた。日ノ影との戦いは、見事に彼女の縫合された傷口をぱっくりと開かせていたのだ。

忠順は道具を片付けに部屋を出たが、部屋にはもう一人、岡鹿門が残っていた。



「はーい、雁音どの~、口を開けてくださいっ」

「え、毒とか・・・」

「入っていませんよ!失礼ですねー、食べないんですか?」

「いや・・・」



そこには異様な光景が広がっていた。

布団から半身を起こす雁音に、岡が甲斐甲斐しく食事を与えていたのだ。



「次はお味噌汁です。あなたは上方の出身と聞いたので、白みそを使ってみましたよ」

「・・・・・」

「はい、あーん」

「あ・・・あーん・・・」

「おいしいですか?」

「・・ど・・・どうして・・・」



雁音が不気味がってつい本音を口にする。



「どうして?どうしてって!!僕もどうして?!ですよ!!!僕だって奎堂殿を慰めに行きたいですぅ~!!!!!」



ところが岡は逆に怒り出し、雁音は益々謎を深めるばかりだった。

とりあえず看病をしてくれていることはわかるのだが。



「す、すまん」



思わず謝ってしまう雁音。

はぁ、とため息を一つつき、岡は白味噌の味噌汁の椀を枕元の盆に置いた。



「まぁいいですけど。雁音殿は僕に何か、聞きたいことでもあるんじゃないかなぁ~と思いまして」

「え?」

「江戸での事ですか」

「そうだ、なんでわかった?」

「奎堂殿の昔の事を嗅ぎまわっていたのは察知していましたのでね。いつかは僕に何か聞いてくると思ったもので。野田八幡宮へもその為に行ったのでしょう?」

「ああ、野田八幡宮で江戸でのことはわからんと言われてな。岡なら松本が江戸にいた頃の事を知っているだろ?」

「それはもちろん!一つ屋根の下で過ごしましたからっ!でも残念ですが、僕も深くは知りませんよ?―――桜任蔵の事はねぇ」



岡の口から桜任蔵の名前が出たことに雁音は驚いた。

奎堂の激しく燃えるような志は、その桜という男の死により、見事に掻き消されてしまったのだ。

どうして桜を詮索していた事が岡にわかったのか疑問に思う雁音だが、今は省く事にした。



「桜任蔵について、何か知っている事はないか?」

「まぁ彼が水戸の人で、文才があって、行動力もあって・・・奎堂どのと深く契った方、という事くらいですかねぇ」

「水戸・・・。あいつの激しい思想はもしかしたら水戸からも影響を受けたのかもしれんな」

「情勢をよくご存じで。江戸は様々な思想の渦巻く場所です。それまでの奎堂殿は三河の民らしく、神君を慕っていましたから」

「そんな奎堂を江戸や桜が変えた・・・」

「おそらく。奎堂どのはその秀才さ故に、二度学問所に入学しています。一度目は人に火鉢を投げつけて退学になりましたが、二度目は自分の意志で退学をされました。その理由が桜任蔵と深く契った事があるから・・・と」

「深く契った事?」

「ちなみに、退学される奎堂殿を僕は見送りに伊豆まで同行しましたが」



江戸から伊豆までは距離があるのに、それに別れを惜しんで付いてくるところが岡らしい。

雁音は一旦それは心に留めて置き、岡の言葉の続きを待った。



「その時、もし自分が死んだら、碑文を書いてほしいと頼まれました」

「自分が、死んだら・・・?」

「ええ、死ぬ覚悟で何かを成そうとされていたのですよ、あの方は」



岡にしては珍しく、奎堂のこの行動に関しては解せぬようで、眉を顰める。



「奎堂殿は二度目の入学で学問所の生徒を束ねる舎長にまで上り詰めたのですよ。舎長は普通の書生とは違いますから、お給金も出ます。その地位や名誉を捨ててでも、命を捨ててでも、成すべき事が奎堂殿にはあったのですよ・・・その桜任蔵という人と」

「命をかけて、成すべき事・・・」

「まぁ、きっと幕府の転覆ですね。これは僕の推察ですが」

「・・・・・・・・」



このご時世、大獄があった手前、幕府の転覆などという言葉は滅多に聞かない。



「貴女は久能山東照宮をご存じですか?」

「ああ、浜松にいた事があるから知っている。神君の祀られている場所だ」

「奎堂殿はね、その神君を祀る神殿を前に、志を果たした暁には、お前の墓を暴き骨に鞭打ってやる、と罵倒したそうですよ。多くの人が神君に手を合わせに来ている中でですよ。激しく、危険な、わかりやすい方です」

「その激しい気持ちも、大獄で折れたのか・・・」

「桜殿は、聞く限り奎堂殿にそっくりな激しさと頭の良さはありましたからね。彼を失うという事は半身を失うも同じようなものだったのではないですか?奎堂殿のこんな激しさを受け止める事ができる人は稀ですからねぇ」



岡はそれまで閉ざされていた部屋の障子を開けに立ち上がった。

外の空気を吸い込み、大きく深呼吸をする。夕刻の茜色が岡の横顔を照らす。



「まぁでも・・・そんな桜任蔵は、大阪であっけなく病死したんですけどね」



岡はぽつりと、桜の最期について呟いた。



「病死?」

「志半ばで、病に倒れる・・・貴女はとう思いますか?」

「それは・・・悔しい事だ。志の為に動く事もできず、病で死ぬなど・・・どれだけ悔しかったことか・・・」

「奎堂どのも貴女と同じ。志高い人ですからね、自分の半身であるような人が、大獄で処罰されるわけでもなく、ひっそりと病死をしたら・・・ねぇ・・・」

「そうだったのか」



雁音はうつむいた。

三弥のように親しい人を処刑で失ったわけではない。あの大獄の裏で、あっさりと病気で失っていたのだ。

燃えるような奎堂の志も、あっけなく行き場を失くしてしまった。再起することも、桜がいないのでは意味がない。



「さぁ、お味噌汁が冷めてしまいます。残りもどーぞ」



岡はまた雁音の枕元に帰ってきて、みそ汁を差し出した。

雁音は思わぬ話に食欲も湧かなかった。



「ちょっと、しっかり食べてくださいよ。貴女が元気が出ないとどうしようもないのですからね~」

「私は、あいつの仲間になってやると近づいて、無駄にたくさんの血を流して、あいつの古傷を抉っているだけじゃないか・・・」

「心が抉れる程、奎堂殿の中で、貴女は同志と思われているんですね。良かったじゃないですか」

「え・・・」

「その桜という人の潰えた志、代わりに貴女が奎堂殿と共に叶えようとは思いませんか?」



普段の岡とは違う、真面目な目で彼は雁音を見つめた。



「その為には栄養をつけて、二度と不覚を取らぬように剣術を磨いてください」

「岡、お前は・・・一体・・・・」

「え?僕はただの学者ですよぉ。藩から遊学を許され、世の中の情勢を探る使命を帯びた・・・ただの学者です」



雁音は少し警戒する。

岡は訪ねてきてから二月以上ここにいる。仙台藩の藩士であるにも関わらず、あまりにも自由すぎるのだ。

その疑いの目に気付いた岡はやれやれと首を振る。



「ちなみに、僕には幕府を倒すだ守るだの、何の意志もありませんので」

「ただの見物なんて、良い身分だな」

「ふふっ。どっち付かずでしょう?僕もそう思います」



自嘲気味に笑った後、またずいっと味噌汁を雁音の前に突き出す。

雁音は大人しく口を開けた。



「早く元気になってくださいね」



にっこりと、いつものように岡は笑った。


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