抜刀術論
抜刀術論
フィクションにおいての抜刀術といえば、ある種必殺技のような位置付けにあるようです。
目にも止まらぬ速度で相手を攻撃する、強力無比な一撃――と云うのが大凡のイメージでしょうか。
話によっては、戦闘中にわざわざ納刀してまで抜刀術を行うものもあります。
以下に書くのは私の経験と私の流派の抜刀術の先達に聞いた事が主になりますので、論としては当流における抜刀術論と言う事になってしまいますが、他流派と乖離が激しいとも思われないので、一般化して文章化する旨をどうかご了承ください。
まず初めに、フィクションと現実との比較から入りたいと思います。
①目にも止まらぬ速度での攻撃という点について
これは一面では真実であると言えるでしょう。
抜刀術に限らず、古流の武術は起こりが露見することを酷く嫌います。
起こりとはすなわち、動作に移る前の準備段階です。跳躍の前の足の溜め等がその例になるでしょう。
武術においてはこの起こりを消し、或いは隠し、相手に悟られないように動くことが求められます。
従って、構えの状態から(或いは無構えの状態からでも)徐々に加速していく動きは拙く、最初からトップスピードで動く事が良しとされます。
言ってしまえば、動きに0か100しかない状態が理想なわけです。
これを抜刀術に当てはめるとどうでしょうか。
納刀の状態から、次の瞬間には抜刀状態にある。起こりがなければ相手からはそう見えます。"実際の速度が思いっ切り振った際のトップスピードに及ばなくとも"。
この速さはどこから生まれるか。それは抜刀の際は刀を抜いているのではなく、鞘を払っているという点が大きく関わっています。
左腰に差した刀を抜いて切りつけようという時に全て右腕で行っていたのでは、どうしても「抜いて」「切る」という二挙動になってしまいます。
左手で鞘を払い腰を切る事で抜刀を行い、同時に右腕で切りつける事で動作は一挙動で完結するのです。
この一挙動での動作が抜刀術のはやさの最大の要因と言えるでしょう。
②強力無比な攻撃である
これについては疑問を呈せざるを得ません。
そもそも抜刀の際は片手で抜き付けている訳ですから、どう考えても刀に加えられる力は大きく減ります。
剣自体がはやくとも、重さがあまり乗っていないのです。
無論少しでも重さを乗せるための工夫はしていますが、それにしても相手が上段から思いっ切り振り下ろしてきた場合、真っ向からぶつかれば文字通り太刀打ちできないでしょう。
創作の世界では「デコピンの要領で、鞘から離れる瞬間に溜めを作って威力を増している」とする記述があったりしますが、これについて私は懐疑的です。
一つには前述の通り、武術のはやさは溜めのなさに由来するものですから、ここで溜めを作ってしまっては鞘から抜く前に相手の攻撃が届いてしまうでしょう。
そしてもう一つ、刀の(と言うより鞘の)構造上無理があるように思います。
一般的に日本刀の鞘は刀身に合わせて削り出された二枚の朴の木を続飯で貼り合わせ、その上から漆を塗ることで作られています。
従って鞘の内側に刃を過度に当ててしまえば鞘は割れてしまい、自身の手を切ることになりかねません。
鯉口を金属にしてあるみたいな作りの鞘でない限り、「デコピンの要領」での抜刀はそもそも不可能かと思われます。
抜刀術とは、奇襲を受けた際に即応し攻撃(或いは防御)を行う……或いは、非戦闘体勢から即座に攻撃を行う奇襲に使われる技術です。
抜いて斬りつければそこで終わってしまう技術ではなく、そこから剣術につなげる技術であると言えるのではないでしょうか。
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