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最強の番犬と黒き魔女  作者: しう
『嗤うもの』
138/160

5章 13 ニーナ・クリストファー

よく晴れた日の朝、ニーナは別荘のテラスで淹れたての紅茶が入ったカップを傾けながら今か今かと待ちわびていた


服装はいつもの赤いドレス・・・しかし、見た目ではあまり変わらないがニーナにとってはここぞという時にしか着ない勝負服を選んでいた


高鳴る鼓動がカップを傾ける速度を上げさせる。もう何杯目だろうかと考えた時に少し離れた場所に待ち人が突然姿を現した


「!!」


思わずテーブルに手をついて勢い良く立ち上がり、現れた者の姿を凝視する。普段とは違うスーツ姿に髪をかっちりと決め、照れくさそうにする姿に鼻から脳髄が出るかと思わず鼻を押さえた


「そんなにジロジロと見るなよ・・・さすがに普段着じゃと思い家に帰ったらメイド長と新人メイドに捕まってな・・・ニーナに会いに行くと言ったらこのザマだ・・・」


普段の服とはあまりにもかけ離れた動きにくい服装に困惑する男、クオンが自分の服装を改めて見てため息をつく。カダトースでの一件で約束した事を守る為とバースヘイムで起こった事を伝える為に、クオンは一度シントにあるケルベロス家の屋敷に戻った。その時に着替えているとケルベロス家メイド長イミナ・スパーナとメーナ・アビリットに捕まり、あれよあれよという間にこの姿に・・・イミナ曰く『他国の侯爵様に会うのにこの格好でも足りないくらいです』と



ニーナ・クリストファーはクオン・ケルベロスに惚れている


周知の事実であり、本人は既に隠す気は無い


きっかけは屋敷で魔族に襲われている時に助けてくれた事。しかし、それだけで惚れるほどニーナは恋に憧れてはいなかった。助けてくれた気になる異性・・・それくらいの気持ちだったのが、会話をする度に変わっていった


ニーナと会話をする者は皆一様に心に壁を作る


ニーナの能力である『審判』は決して心を覗き見るものでは無い。しかし、それが分かっていても、心が覗かれるのを拒否するかのように閉ざし壁を作る


故にニーナは上辺だけの会話をし、上辺だけの関係に慣れていった


そのニーナに臆することなく話しかけてくるクオン。もちろん『審判』の能力が分かった上でだ


初めての体験にニーナはクオンの事が気になり始め、ディートグリス国国王ゼーネストの後押しもあって自分の気持ちに素直になる


ニーナ・クリストファーはクオン・ケルベロスに惚れている、と



「ニーナ?」


「あ、ああ、すまんな。と、とりあえず、か、かけたらどうだ?」


ニーナが取り繕いながら慌てて前の席を進めると、クオンは空いている席に着いた。クオンの見た目で惚れたのではない。対等に扱われる事にときめいていたはず。それがクオンの見た目が変わっただけで心臓が口から飛び出しそうなくらい跳ねているのが分かる


「静かだな・・・今はゴタゴタしているせいか余計にこの静けさが心地良い・・・」


座ってすぐに首元のボタンを二つほど外すクオン。椅子にもたれ掛かる姿は侯爵の前でするにはあまりにも失礼な振る舞いだが、ニーナにはご褒美となる。クオンに心臓の高鳴りが聞こえていないか心配だったが、今の言葉から聞こえていない事が確認出来ると少し安心し深呼吸してから冷静を装う


「そ、そうだな・・・うん、静かだ・・・って、またゴタゴタに巻き込まれているのか?」


「ああ・・・今度のゴタゴタは・・・少しばかり厄介だ。もうこうして穏やかな時を過ごす事も・・・出来ないかもな・・・」


「そうか・・・私も手伝える事があれば・・・・・・なに!?それはどういう事だ!」


会話の途中でクオンの言葉の意味に気付き、テーブルに思い切り手を付くとクオンに迫る


「・・・なーに、ちょっとした揉め事だよ・・・」


クオンはニーナに全てを話した。バースヘイム王国の女王イミナを拘束している事、そして、バースヘイム王国に宣戦布告している事、全て


ニーナはクオン能力言葉に耳を傾け、表情を変えることなく全てを聞き終えると、クオンをじっと見つめた


「・・・フ・・・そうなるとクオンは人類の敵となったか?」


「そうなるな」


「・・・そうか・・・」


「案外驚かないんだな?てっきり詰られると思ったんだが・・・」


「驚いているよ・・・驚かない自身にな・・・いや、あの魔物の巣を前にした時から既に分かっていた・・・」


「ん?魔物の巣って、魔の世の時の?」


クオンはマルネスから聞いていたゴブリンの巣の時の事を思い出す。マルネスからは何度も純潔は守ったと念を押され、ついでにニーナも無事だったと聞いてはいた


「そうだ・・・あの時、私は陵辱されそうになった時、何も考えれなかった・・・ただただ恐ろしくて・・・。その私をマルネスは庇い、自ら魔物の巣に飛び込んだ・・・完敗だった・・・マルネスは汚されることを知りつつ私を庇い自ら身を落とそうと・・・」


結果だけを聞いていたクオンは少し驚くと同時に嬉しくなった。人なんてクオン以外は何とも思っていない節があったマルネスがニーナの為に自らを犠牲にしようとしていた事に


「その時は自身に幻滅し、自ら身を投げ出した・・・結局は助けられ・・・汚されずに済んだが・・・何故あの時、竦む足を前に出せたか後から考えた・・・そして、分かったのだ・・・私は自らが汚される事より・・・クオンに顔向けが出来なくなる事が・・・何より嫌だったのだ」


「・・・ニーナ・・・」


「お主とマルネスの絆の深さは分かっている・・・マルネスに恩義も感じている・・・だが・・・それでも・・・」


「・・・すまないな・・・」


クオンの返答にニーナはギュッと目を閉じ唇を噛み締める。分かっていた返答・・・クオンとマルネスの間には入る事は出来ない・・・絆を断ち切る事など出来ない事など百も承知だった


「あ、いや、気にするな・・・ただの戯言と聞き流して・・・あれ?」


目を開け口を開くととめどなく涙が溢れ出る。 手の甲でいくら拭おうが止まらぬ涙。高鳴っていた心臓は鳴り止み、今度は縮みあがり締め付ける


──────終わった


ニーナの初恋は終わりを告げる。そして、悟った。これが最後の恋であったと


涙で視界が掠れる中、クオンが立ち上がったのが分かった。視界から外れた瞬間に、クオンは呆れて帰ってしまったのだと思った・・・が


「ひゃう!?」


いきなり身体が宙に浮く。気付くと初めて会った時と同じようなお姫様抱っこの状態にニーナが目を白黒させているとクオンが呟く


「・・・やれやれ、マルネスに怒られるな・・・」


「え?・・・ちょっと!・・・ええ!?」


クオンはニーナを抱っこしながら()()()


突然の事で恐怖からクオンの首に手を回し目を閉じていると上昇が止まった


恐る恐る目を開けるとそこは地上より遥か上空・・・見た事もない景色が広がっていた


「なっ・・・」


「見ろよ・・・あそこはダムアイトの城で、こっちが・・・バースヘイムにあるリメガンタルの城・・・さすがにサドニアとシントまでは見えないな」


ダムアイトにある城ははっきりと見えるがリメガンタルにあるバースヘイムの城は微かに、サドニアとシントに至ってはまったく見えなかった。それでもこれ程の景色を人が見る機会などないに等しいだろう


「・・・綺麗・・・」


緑があり、川が流れ、建物がポツリポツリと並んでいる。そこには動物が住み、見知らぬ誰かが生活を営み、笑っている姿を想像すると愛おしさすら感じられた


「・・・俺はこの大陸に喧嘩を売った。バースヘイム王国の女王様の為じゃない・・・俺の目標を達成する為だ」


「目標?」


「ああ・・・人と魔と天が共に住む世界・・・そんな世界が俺の目標だ」


「それはまた壮大な・・・して、何故喧嘩を売る事が目標に繋がる?」


「500年前・・・天使が現れ魔族は魔の世に戻って行った。俺は何故天使が現れ、魔族を追いやり、今この時まで人の世に居続けるのか理由が知りたい。天族が良くて魔族が駄目な理由・・・それが人を傷付けるからなのか何なのか・・・表向きな理由じゃなくて本音が聞きたい。本音を語るには喧嘩が一番だ・・・腹に溜まったもん全てさらけ出してする喧嘩が。・・・そして、それは俺の力だけでは到底敵わない」


「・・・その為に力を貸せ・・・と言いたいのか?」


「ああ・・・俺にはお前の力が必要だ」


必要のされ方がニーナの望んでいたものと異なるが、それでも今のニーナには充分だった。空っぽの心が少しだけ満たされた気がする


「フ・・・我儘だな・・・いいだろう・・・この『法の番人』たるニーナ・クリストファー・・・お主の力と・・・」


「違う・・・『法の番人』ではなくて、お前の・・・ニーナ・クリストファーの力が必要だ」


「?それはどういう・・・」


『法の番人』とはニーナのディートグリス国での地位を指す二つ名。ニーナの力を最大限に活用するならば『法の番人』としての地位が必要なはず・・・ニーナは意味が分からずクオンを覗き込むとクオンはその視線を受けて微笑んだ


「マルネスには事後報告になる・・・が、この際仕方ないだろう・・・黒丸は・・・怒るだろうな・・・」


「さっきから何を・・・」


マルネスと黒丸は同一人物のはず・・・そう疑問に思っているとクオンは気付きニーナにマルネスとの出会い、そして黒丸となった事を話した


「・・・つまりクオンはマルネスの器のお陰で生きながらえていて、マルネスはクオンに半分器を渡しているからあの容姿なのか・・・で、クオンはちっこいマルネスを黒丸と呼び、大人マルネスをマルネスと呼んでいると・・・それで?マルネスには事後報告で黒丸には怒られるとは?」


「ああ・・・ニーナには生涯そばに居て欲しいと思っている。つまり伴侶になってくれって事だな」


「そんな事か。お安い御用だ・・・・・・待て・・・今なんと言った?」


「おい・・・何度も言わせるなよ・・・ニーナ・クリストファーを生涯の伴侶にしたいと言ってるんだ」


「~~~!?いや、だって・・・マルネスがいるし・・・それにさっき『すまない』って・・・ええ!?」


混乱するニーナが空の上である事を忘れて足をバタバタさせながら顔を赤らめる。クオンは『浮遊』を調整しながらそれに耐えると苦笑した後に真剣な顔をしてニーナを見つめた


「俺はシントの民でも、ましてやディートグリスの民でもない。つまりどの国の法にも従う必要はない・・・俺が守れる・・・そして守りたいと思った女性と何人共に歩もうが誰も文句は言わせない」


各国で重婚は禁止されていた。もちろんそれが王族であってもだ。婚姻を結ぶ相手は一人と決められており、死別しない限りは新たな妻を招き入れることは出来ない。しかし、(めかけ)を作ることは処罰される事なく、ニーナも立場が侯爵でなければクオンの妾にと何度も思いを馳せた。しかし、今、クオンの口から出た言葉は『伴侶』である


「それはつまり・・・マルネスとも、け、結婚し、私とも・・・」


『法の番人』であるニーナに堂々と法を破れと言い放つクオン。以前までのニーナならば二つ返事で断り、蹴りでも食らわせていたはずだが、クオンが頷くと再びニーナの心臓は高鳴る。抱っこされている為に密着し、恐らくクオンにも伝わっているだろうと思うと返事はいらないのではないかと思ってしまう。改めてクオンが言った『守りたいと思った女性』に自分が含まれている事を考えると血は全力で身体を巡り、顔はマグマのように熱くなる


「ただし・・・マルネスは俺にとって特別な存在・・・決して差別するつもりはないが・・・っ!」


クオンの口をニーナの口が塞ぐ。途中なのにと思いながらもクオンは受け入れ空中の2人はしばらく唇を重ねた


「・・・そんな事は分かっている。確かにクオンを独り占め出来ないのは少々寂しいが・・・そんな事が瑣末に感じるくらい今は幸せに満ちている・・・この先何があったとしても・・・この気持ちは揺るがない」


糸を引かせながら口を離し、恍惚の表情でクオンを見つめるニーナ。その表情を見てクオンは安堵し微笑んだ


「あら?もしかして・・・安心した?」


「当たり前だ。『冗談じゃないわ!貴方とは絶交よ!』なんて言われたらどうしようかとヒヤヒヤものだ・・・安心するに決まってるだろ?」


「フフ・・・クオン以外の誰かに言われたらそうなるでしょうね。そして、私以外の誰かが言われたとしても、そんな事信じられないと言うでしょうね。でも、私は違う・・・私の『審判』は真実を見抜き嘘を見破る・・・貴方は優しい嘘はつくけど・・・傷付ける嘘は決してつかない・・・だから私を連れて行って・・・貴方の目指す優しい世界に」


「優しい世界かどうか分からないぞ?」


「そうね・・・でも貴方は信じてる・・・その世界が優しい世界であると。私も信じる。・・・だって貴方といるだけで・・・こんなに優しい気持ちになれるのですもの・・・貴方の目指す世界は優しいに決まってる」


「ったく・・・魔力不足で『審判』が機能してないんじゃないか?どれ・・・」


今度はクオンから唇を重ねるとニーナは首に巻き付けた腕に力を込めた。せめてこの時間だけは自分だけのものと主張するように・・・



しばらく空中浮遊を楽しんだ後、屋敷に降り立ち元の席に座った。突然居なくなった主人を心配していた執事達が慌てて駆け寄って来るが、ニーナが何事も無かったようにクオンに飲み物を出すように言い付けると執事達は首を傾げながら飲み物の準備をする為に屋敷の中へと入って行った


「して、クオン・・・そなたは私に何を求める?」


「急にどうした?・・・まあ、いい。とりあえずコレを」


さっきまでのデレデレな状態とは打って変わって姿勢を正して凛とした声で尋ねる。クオンは少々面食らいながらテーブルの上に一個の腕輪を出した


「・・・コレは?」


「通信用の腕輪だ。対になっていて、魔力を流すともう一方の腕輪に声が届くようになっている」


クオンが腕をまくると、同じ形をした腕輪が装着されていた。それを見たニーナは目にも止まらぬ速さでテーブルの上に置いてある腕輪を取ると自らの腕に装着した


「こ、これで何かの情報を流せと?」


「アホか。いらん事するなよ・・・腕輪はあくまでも緊急用だ。何かあった時に報せて欲しい・・・ニーナ自身の身に、な」


「そ、そうか・・・だが、あれだな・・・本当に使えるかどうか確かめねばならないな・・・それと壊れてないか確かめねば・・・毎晩少しなら構わないか?」


「・・・返せ」


「わ、分かった!二日・・・いや、三日に一度くらい・・・ダメだろうか?」


「・・・演技するなら通してやれよ・・・勝手にしろ。ただし返事が出来るかどうか分からないぞ?」


地上に降りた途端に『法の番人』ニーナ・クリストファーを演じるニーナ。クオンとニーナの関係はディートグリス王国にはとりあえず伏せとく事にしている。なので今からでも演技する事に慣れておこうとニーナは演技を開始するがどうしてもデレてしまう。上目遣いでお願いされてため息をつきながらクオンが了承するとニーナは子供のように喜んだ


「うむうむ・・・ところで子供の事なのだが・・・」


その時、タイミング良く淹れたての紅茶を運んで来た執事が信じられない言葉を耳にしてお盆ごと地面に落としてしまった


「・・・爺・・・」


「た、大変申し訳ございません!ただいま代わりをお持ち致します!」


ニーナがやらかした執事にジト目を向けると、慌てて一礼し再び屋敷の中へと戻って行った。クオンは2人のやり取りを見て苦笑しながらも、ニーナの質問の意図が分からずに聞き返す


「子供の事って・・・」


「決まっているだろう?まあ、百歩譲ってマルネスが第一夫人だとしよう。となると、私は第二夫人・・・子供の順番などを決めておかないと後で不平不満も出よう・・・クオンはどう考えているのだ?」


「・・・前向きと言うかなんと言うか・・・正直そこまで考えてなかったが・・・」


「なに!?最も重要な事だぞ?マルネスも子の作り方は知っている。ここは早目に作り私にも早急に・・・」


まるで時を戻したようにお盆を同じ場所に落とす執事。ニーナの冷たい視線が執事の全身に突き刺さる


「・・・申し訳・・・ございません・・・」


執事はニーナの無言のプレッシャーに泣きそうになりながら頭を下げて戻って行く。その哀愁漂う背中を眺めた後にクオンはニーナに向き直る


「俺は紅茶を飲める日が来るのか?・・・それよりも知ってるって何を?」


「それは・・・もちろん・・・アレの事だ。マルネスが妊娠したと言っていたからな・・・その・・・騙されていると指摘する者がいて・・・その者からやり方を・・・」


「その者って?」


「お主のところのメイドだ。名は確か・・・メーナと申したか」


クオンはピシャッと額に手を当て、思い出していた。盗み聞きしているメイドの正体を探るべくニーナをケルベロス家の屋敷に呼んだ事を


「まさか聞いてしまったとはな・・・それをおくびにも出さないって事は・・・何か企んでるな・・・黒丸」


「?良いではないか。伴侶となったのだろ?私としてはマルネスに早目に身篭ってもらい、早く私の・・・」


クオンが手を前に突き出しニーナの言葉を遮ると、ようやく執事は紅茶を運ぶミッションを成功させた。優雅に一礼する執事とようやく紅茶にありつけたクオンはホッと胸を撫で下ろす


「まだ早いだろ?出来れば全て片付いた後で・・・」


「そんな!!こんなに疼くのにしばらく待てと!?」


ニーナの悲痛な叫びの後に屋敷のガラスが割れる音がして、メイド達が慌てふためく。どうやら戻る途中の執事が窓ガラスに突っ込んだらしい


「・・・この話はまた今度にしよう・・・このままだと死人が出そうだ」


「う、うむ・・・そうだな・・・」


「じゃあ・・・」


クオンが紅茶を飲み干し立ち上がるとニーナもそれを見て慌てて立ち上がった。まさか会話の終わりがデートの終わりとは思っておらず、駆け寄りクオンの服の裾を握り締める


「も、もう帰ってしまうのか?・・・ほらあれだ!・・・カダトースの時の話とかまだしていない話が沢山・・・」


「必要か?」


「・・・いや、必要ではない・・・な」


ドラゴンの調査の件をクオンから聞き、然るべき対応を取るつもりだったニーナだったが、今となってはどうでも良くなってしまった。職務に対していい加減になった訳では無い。あの場で話を聞いたのはあくまでニーナ・クリストファーであり、『法の番人』ニーナ・クリストファーではないと今でははっきりと区別している。なぜならニーナ・クリストファーは・・・


「ニーナ・ケルベロス・・・職務以外では私はクオンの妻だ。旦那の与太話を職場に持ち込むほど無粋ではない」


「・・・そうか。ただ逆もしっかり頼むぞ・・・職場ではニーナは『法の番人』だ。誰かに肩入れする事は法に反している・・・たとえそれが俺であっても・・・な」


クオンは決してニーナの権力を手に入れたいが為にニーナを伴侶にしたい訳では無い・・・念を押して言うと、ニーナはクスッと笑い、更にクオンに近付いた


「おい・・・たとえ自分のところの執事やメイドだからと言ってあまり大っぴらにしてると・・・」


「分かっている」


ニーナは胸元から扇子を取り出し広げると屋敷から顔が見えないように隠し背伸びをする。クオンは呆れながらもニーナの腰に手を回して口付けを交わす


「・・・あまり誘惑するな・・・こっちだって色々我慢してるんだからな」


「そうなのか?・・・嬉しいな」


「嬉しいって、お前・・・」


「だって、我慢していると言う事は・・・そういう事であろう?」


以前に部屋で2人っきりの時、あらゆる手段を用いて誘惑してもなびかなかったクオンが我慢をしていると言う言葉にニーナは喜びを感じていた。しかし、ふと思いニーナはクオンを真っ直ぐと見つめて聞いてみた


「・・・クオン・・・いつから・・・その、私を・・・」


「あー・・・いつからだろうな・・・」


ニーナが言わんとしている事が分かり記憶を辿る。正直、クオンはマルネスを守る事で手一杯であり、好意を寄せられても受ける余裕がなかった。なので好意を寄せられていると分かっても気付かないフリをしたりして誤魔化していたのだが、それは自分が好意的に感じても同じ事・・・マルネスがいるからと気持ちにフタをしていた


目を閉じニーナとの思い出を振り返るクオンは最初の出逢いまで遡る


そこにはアカネとラフィス、そして、上級魔族のゼネストが居た。シャンドが助けに入り、絶体絶命のピンチを切り抜けた直後、ニーナは気丈にも立ってはいたが・・・


「あのギャップに惚れたか・・・」


「いつの!なんの!どこのギャップだ!」


「さあな・・・忘れた」


クオンが茶化すように言うと、察したニーナは頬を膨らませぷいっと顔を背ける。そして、ボソッと呟いた


「・・・私より・・・先ではないか・・・」


「ん?今なんて?」


「なんでもない!それよりもさっさと終わらせて迎えに来るのだぞ!」


「へいへい・・・分かってるさ。にしてもさっきまで泣きそうな顔をしていたのに・・・今では何でもござれって感じだな」


「当たり前だ・・・人類の敵が旦那なのだぞ?少々の事でビクビクしていたら身が持たない・・・今なら出逢いのきっかけであるラフィス・トルセンにすら感謝しているよ」


「なるほどね。じゃあ、俺は行ってくる・・・くれぐれも無茶するなよ」


「・・・分かっている。私の今の目標はクオンと同じだが、私にはその先もある。クオンが目標を達成した後にクオンの子を成すと言う目標がな!」


胸を張り言い切るニーナにクオンは苦笑した。そして、じっと見つめ頬に触れると振り返り歩き出す


思わず呼び止めそうになる気持ちをぐっと抑えてニーナはクオンが立ち去るのを見つめていた


空間が歪み、クオンは歪みへと向かう間際、ニーナに振り返り微笑んだ


ニーナも同じく微笑むと、クオンは安心したのかそのまま歪みへと進み跡形もなく消え去った


ニーナはその場でクオンの残像を追うかのように佇み続けた後、ゆっくりと屋敷へと歩み出す


「おじょ・・・ご主人様・・・お客様は何処に?」


「もう帰った・・・どうした?」


執事が駆け寄りキョロキョロ時クオンの姿を探す。以前からクオンの事は知っていて、どういう立場なのかも知っている。なので幼い頃から知っているニーナがクオンとどのような関係なのかが気になって仕方なかった


「そうですか・・・失礼と存じますが・・・その・・・会話が少し耳に入りまして・・・」


「ああ・・・陛下からクオン・ケルベロスとの友好関係を築きたいからと依頼されてな・・・少し大胆に責めてみたのだが・・・」


ニーナがそこで言葉を止めると、執事は次の言葉を待ち望み喉を鳴らす。もし結婚となれば嬉しいやら寂しいやら複雑な気持ちになりそうだった


「・・・が、振られた」


「え!?」


「子供の話などして迫ったのだがな・・・どうやら意中の相手がいるらしい」


「ですが先程・・・」


「先程?・・・ああ、唇でも奪ってやろうかと思うたが避けられたよ。まったく固い奴だ」


「そ、そうだったのですか・・・私はてっきり・・・」


キスをしているのかと思ったと言う言葉を呑み込み、歩き出したニーナの後に付いて行く。ニーナが生まれる前からクリストファー家に執事として仕えている者として少し残念な気持ちとホッとした気持ちが入り交じる


そして、歩くニーナの後ろ姿を見ながら、ニーナの子供は生きている内に見れるのやらと考えてしまう爺であった──────





《こんの浮気者ー!!!》


マルネスの魔力がこもった怒声が森に響き渡る


鳥が飛び立ち、獣が逃げる中、クオンがマルネスの全力の一撃を受け止めていた


「・・・おい」


シャレにならないくらいの高火力にクオンが手の痺れを振って治していると、マルネスは全身から黒いモヤを出しながらゆっくりとクオンに近付いていた


《信じてたのに・・・ずっと信じていたのにぃ!!!》


マルネスが叫ぶと黒いモヤは更に周囲を喰らい尽くさんとばかりに猛る


魔族ですら触れただけで消滅しそうな勢いに離れて見ていたシーフが冗談めかしに言った


「あーこりゃあ・・・世界滅びるぞ──────」

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