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短編集『S』

I could be the one

作者: 13kid

 星が白く輝く夜、すっかり誰もが寝静まった時間、僕はまるで眠れないことを理由に空になった寝酒のビールをあおる。指をくわえ爪を噛みながらひとりでいるうちに東内美樹(とうないみき)のことを考えてみる。


 美樹とこの僕でどこか冒険に出てみようと思う。誰もが寝静まるこのうちに。自由な時間、まさにこのひとときのうちに。


 恋を満喫するのもいい。

 スペクタクルに明け暮れるのもいい。

 恋敵に追われるのも良いよ。

 でも最後にはふたりで落ち合うんだ。


 そして君に思いを打ち明け、結ばれる、なんて。

 

 君を自由に出来るのは、僕だけだから。

 夜中の2時頃すっぽりと布団に潜り、美樹といつか行くだろうプライマルナイトイベントパーティを思い浮かべる。チルアウトまで踊り明かすんだ。そのパーティーはEDMエレクトロダンスミュージック主体のイベントで、片言の日本語しか喋らないDJはAVICCIアヴィーチーを好んでかけるんだ。


 君は似合わない、と思うんだろう? 意外だろう? 僕がEDMを聴くなんて。特にAVICCIアヴィーチーを好んで聴くなんて。現実じゃステップひとつ踏めやしないけれど、夢の中じゃたくさん踊れる。君とオールナイトで踊り明かすんだ。僕らは無間地獄には落ちないよ。大丈夫、とめどない幸せの局地に舞い上がるんだ。



 みんなが夜寝静まっているうちに。

 この夜のうちに。

 君に夢中になれ。



 君に気に入られるために、いつもいつもとてもとてもプレッシャーがかかるよ。

 どうかな? 今夜こそ夢の中で気持ちよく寝静まりたくて脳裏に囁くんだ。


 ――僕じゃダメかな?


 僕は心地よい夢を見たくて何度も何度も枕に顔を覆う。なのに、今日もうまく寝付けなかった。


 1年間、ずっとこれの繰り返しだ。


 いいだけあおったビール缶はいつの間にかテーブルからなくなっている。

 片付ける人なんて、誰もいないのに。


***


 朝5時、目が覚めて僕はじっと鏡で自分の姿を見つめていた。


 1年程前から僕は、小さな頃より慣れ親しんだ人よりぼさっとした自分の顔を、人よりぽっちゃりとした自分の体型をことさら嫌うようになった。それまでだってコンプレックスを感じることはあったけれど、これほど意識することはなかった。


 この間、バイト先の同僚からはいつも「よお、ピザ食ってるか?」と馬鹿にされることしきり。立ち仕事で膝がガクガクになりまだ若いと思いたいのに、すっかり辛く痛くなったことは確かだ。


 若い、若いなんて言って、美樹を含め10代の連中からしたら30代なんて、おっさんだよな。歳を取ったんだよな。朝な夕なコンドロイチン、なんて考えないといけないのかな? いやなもんだ。


 バイト先のガソリンスタンドじゃいつも「微笑みデブ」と陰口叩かれているのを僕は知っている。あの『フルメタルジャケット』のワンシーンみたいに段々と笑みがこわばり、徐々に性格が変わり果てるだろう、やがて自分を見失うんだ。


 爪を噛めば寂しさを紛らわせるけれど、毎晩毎晩悪い夢にうなされるのを恐れまた眠りが遠くなる。眠ってるうちに淀んだ心を洗い流せば良い、と願うけれどこんなどす黒さ、ケミカルウォッシュでも落とせやしないだろう。


 洗車担当の僕は勤務態度がお世辞抜きに最悪で、大体怒られてばかりいて。僕が洗うといくら洗ってもボディに水垢が残るし、窓には拭き残こしがあるからお客様に嫌みたらしくダスターで洗車残しの水滴をゴシゴシと拭かれていき、終わればそれを無言でポイ、と手渡され、互いに「どうもありがとう」も言えぬ間に見送るしかない。


 こんな調子だから陰口よりも表だって怒鳴られることの方がことさら多い。


 日曜日だというのに、気立て良くストレスでたまった灰皿の吸い殻を奇麗にしようというささやかな気付きもないし、「ちりひとつない車内にしよう」という殊勝な心がけもない。


 とりあえず、言われた事だけを時間内にこなせばいい。それだけ。クレームにならないだけ良いけれど、リピーターなんてないし、栄誉も発展もない。バイト先にリピーターが来てサービスを利用したためしなんかないし。


 豚はいいかげんそんな自分に嫌気が差し、炭水化物抜きダイエットをしたり、カロリー計算をしてみたり、鶏のささみばかり食べてみたりしたが、かえってそれがストレスになりますます眠れない日々が続いてしまい、昂ぶる美樹への思いが懇々と募り爪を噛むばかりだった。


 痩せるためだけに繰り返し願掛けや「あら不思議!? 魔法のように効果が現れる」サプリメントをひっきりなしに摂ることだけは止そうと決めていたのに。なのに……。


 それをしてしまうと、いよいよ人間じゃないよな、何オシャレぶってやろうとしてんだかって気分に際悩まされてしまう。だけど、手にしてしまうと、早いよ、サイクルが、何もかも。


 朝早く店に来てテレビで占いばかり毎日見るけれど、『今日の獅子座は……』なんて全国に獅子座が何百万人いると思ってんだ? 


 それは決して自分だけに宛てられたわけじゃないのに「あなたは……」なんて言われて何が嬉しいものか。そう気付いて『今やるべきこと』を書き並べ落ち着いたところで爪を噛む。


 そうやっていくつもの願いや理屈なき想いを重ね重ね爪と共にすり減っていくこの現実を受け入れていく。

 現実の美樹はいつも辛辣で、僕を罵ってばかりいた。


 まさにここは阿鼻旨あびし、無間地獄だった。


「このデブ」

「汗かいてんじゃねえよ。体温でムワムワ蒸れるんだよ」

「この人間サウナ」

「蒸気でメガネ曇らせてんじゃねえよ! 年中梅雨時の車内か!」

「お前ひとりで3人分PM2.5垂れ流してんだよクソが」

「爪噛むなよ。気持ち悪い。自分の指まで食って卑しいんだよ」


 普通ならこんなこと言われ、怒るだろうね。すごく傷つくだろうね。

 僕はこんな愛のない言葉を掃き散らす彼女を救ってやりたかった。

 そりゃ僕だって性格は褒められたものじゃない。


 だけど好きになった人は、見た目も中身も美しい人でいて欲しい。誰よりも、誰よりも。


 だから仕草だったり、趣味だったり、会話の相づちだったりひとつひとつやり遂げてみたりして、僕はほんの少しだけでも美樹に振り向いてもらおうとして。それで彼女か笑顔になるなら、と毎日考えて過ごした。


 だけど彼女の前で爪を噛むのは何度やめようとしてもとめられなかった。言われることひとつひとつを噛みしめるためにもこの癖はやめられなかった。


 美樹と過ごすためだけに明るく振る舞ったり、とにかく話題を取り入れようとするのだけど、なかなかうまくいかなくて。


 ほんの少しの言葉の掛け違いで彼女の不興を買うたびにイライラが募り眠れない日々が続いた。噛む爪がなければ、指をくわえ気持ちが落ち着くことを待った。


「もう彼女に関わらない方がいいんだ」


 そう思うことだって何度もあった。だけど、彼女から声を掛けてきて、「頑張ってね」なんて笑顔を向けてくれる。それをされたら僕はもう少しだけ頑張りたい、と思うんだ。


「君が好きなんだ、と気が付いたんだ。そんなこと言ったら笑うかな?」なんて言い出したら、僕は、その時思い切り泣いてやろうと思うんだ。


 毎日毎日家に帰るたび、冷凍ピザとチョコとアイスとコーラがたっぷり詰まっていたかつて憩いの丘と呼ぶべき場所だった、今や水と納豆、鶏のささみに干し椎茸と高野豆腐しか入ってない、断罪の丘と呼ぶべき冷蔵庫。そこに貼り付けた『いつか理想へとたどり着くためにやる事リスト』にレ点を付けていく。


 リストの最後には『あなたを自由にしてやれるのは、あなただけ』そう記している。


「イヤなことがあったって、気にするな」


 そう呟いて、伸びていない爪を噛む。これでうまくやってこれた。毎日毎日、イヤなことが良いことの10倍あろうが、医者は『気にしないで、また薬を増やしておくから』と気休めをくれる。僕の平穏は『自分のことを気にしない』事から手に入れていく。同僚のことや世間の目にいちいち感情を出していたら身が持たない。


 だから、日頃思いやりから何かをして裏切られるより何もしないことが良いと信じた。何もしなければ、何も起きないだろう、と。


 なのに、その日に限って感情を露わにし、壁に向かって一発殴りつけたくなった。

 自分自身を見失っていた、なんてその時は思いもしなかった。


 1年間だ。一生懸命やった。また春が来た。


 4月にみんなが呆れるバカを見る。分かっていても腹が立つ。

 

 美樹に「君のことが好きなんだ、と気づいたんだ、なんてそんなコト言ったら笑われるに決まってるし! 嫌いに決まっておろーが、ばーか!」なんて言われ、結局美樹からの愛の告白は4月1日の嘘なんだってことで軽くサラリと流せない、モラルも自制も効かない僕はミリオン級のバカだ。


 内心中指を立て、罵り、例えばその辺に純真無垢で朗らかな子供がいたら意味もなく「うるっせえんだよこのクソガキ!」と怒鳴り散らしげんこつ喰らわしたいような、そんな気分で。


 僕の心を洗い流せば浮き立つ錆びだらけで結局使い物にならない、と。

 みんなそれを笑ってる。笑っているんだ。


(なんで美樹のことが好きになったんだろう。いや美樹のことが好きという妄想に過ぎないのは自分でも分かってる。美樹が僕のことを毛嫌いしてるのは、火を見るより明らかなんだから。)


 ベッドに腰掛け答えを導き出すのに時間はかからなかった。そのままばたんと横たわり眠れない時間を過ごす。目を閉じて物思いにふけり、「もしも君のことを忘れることが出来たら」なんて考える。


 ――そんなこと出来やしないのに。


 お気に入りのEDMをMIXしながら、指で膝をトントントン……と叩きリズムを取る。「人生がイヤになる」なんて愚痴をこぼしたって、このリズムとメロディがあれば簡単にハッピーに身を委ねる事が出来る。僕はやっぱり人生をチルアウトできそうにない、と悟る。


***


 壁に掛けた時計は午前3時を回った。

 AVICCIアヴィーチーの『Wake Me Up』が流れる。

 僕は歌うんだ。人生語るにはまだ若すぎるって。だから全てが終わったときに起こしてくれないか、と。


 ……そうだな。


 現実に立っていると、人に口に出来るほど僕はたいした夢なんて持ち合わせていなかったし、いつも夢の中に思い浮かべる君が、一番素敵だった。現実の君なんかよりも、ずっとずっと。


 せめて夢の中だけは居心地の良いものにしたい。そう思いながら静かに息を立てるように眠りにつく。

 これからはよく眠れそうだ。


 僕は爪を噛み願いをかける。

 きっと夢の中にいるのであろう『僕の理想であろう美樹』に向けて。


 ゆっくりと眠りにつくときぐらい、どうか夢の中だけはお互い心を洗って欲しい、そう願い、ひとつひとつ素敵な事を思い浮かべていく。


 理想の世界なんて思いやりがないと、出来ない。わかってる。身勝手なうちは何も得られやしないんだ。


 ――なあ、夢の中で1年かけてピザ体型を解消してすっかり痩せようが、どのみち僕が爪を噛むことをやめられない変わり者である事は間違いないんだ。だけど眠っている間だけは君にとって『素敵ないい男』でありたいよ。君が僕にとってどうか『いい女』でありますように。そう願いながら。


 ベッドにふわりと横たわりながらそろそろ寝ようとした。明日はもう早い、なんてどころじゃない。太陽の方が先に輝いてきそうだ。僕を溶かしてしまう勢いで。


 なあ、誰も彼もどうしていつも僕を闇の彼方にポツンと置いてけぼりにしてしまうんだ? 


 呟くと夢の中の美樹に言って欲しい言葉を浮かべ、ボロボロの壁に縋る。たった一言だけでよかった。どうかその一言だけで。


 ――あなたを夢の中で自由に出来るのは、私だけって。 


 いつかふたりで良い眠りにつくことが出来るかな? ひとりぼっちで愛を叫ぶ日々を自由に出来るのは、君しかいない。僕じゃ、ダメなのかな?


 枕で顔をうっぷしながら願うよ。次の日目覚めたときに出会う現実は、きっと縛られない自由である事を。でもね。いつもそんなこと思うたび『もう遅いよ(2LATE)』と配送トラックが僕の前を通り過ぎていって、次のトラックチューンが小気味良く耳元に流れる。


 その曲じゃ決まって「誰もいなくなっても、私がいるよ」なんて繰り返し唄ってなぐさめていてさ。


 憶えている。

 

 それは4月1日の嘘、理想の美樹を探しに行こうとバイトを早退けし、ひとさし指をくわえイヤホンをしたまま大音量でEDMを聴いてたら、後ろから来た配送トラックの走る音に全然気付かないで、四つ打ちを刻むようにそれに刎ねられて、いつの間にかうまく眠れない日々が続いている。

 

 僕は、細井史彦はもう死んだんだ。分かってくれ、と何度問いかけても、君に「僕は変わったんだ」ってどうしても伝えたくて……僕はホント、ミリオン級のバカだよな。


 EDMと共に眠りにつこう。 


 あの時からAVICCIアヴィーチーの『I Could Be The One』が鳴り止まず。『I could be the one to set you free……(あなたを自由に出来たのは私だけ……)』ずっとそれがリフレインで聞こえている。


 魂をチルアウトするなんて許されないまま、淀みも、怒りも、虚しさも火照らせたまま僕は次の輝きを探しに夢路を辿る。


 誰よりも輝いていて、マッチョで、社交的で、ずっとルッキングガイで。

 目を覚まし行き着いた先が中味のない男でないことを願うよ。


***


 配送トラックが車道添いのガソリンスタンドに入ると、早朝勤務の美樹に「オーライ」と誘導されゆっくりと停車する。トラックから彼が降りると彼女は明るい笑顔で出迎えてくれて。


「おはよう」

「ああ、おはよう」

「毎朝配達が多いと大変ね」

「仕事だからね」

「……あれ? ねえあなたってメガネ……」

「ん?」

「メガネ、かけていたの?」


 美樹は彼のメガネ姿を目にして微笑む。


「ああ……やっぱり似合わないかな?」

「悪くないわよ。曇ったりしなきゃいいわね。デブでメガネ曇らしちゃうなんて見ていられないもの。あなたはそんな心配ないだろうけれど。ここにいたのよね、汗っかきでダメガネなデブが」


 君の笑顔を見て、風を浴びているうちに気持ち良く冷めていくんだ。朝焼けに吸い込まれこれからずっとずっと眠れそうだ。無意識のうちに爪を噛んでいる姿を見た美樹は怪訝な顔して、


「ねえ。爪噛む癖やめた方が良いよ」と指摘する。

「え、ああ……」


 美樹はとびきりの笑顔をこちらに向けてひとつおねだりする。


「ねえ、私ね。もうすぐ18歳の誕生日なの。よかったら、今度ご飯とか行きたいな? あなたが来てくれるだけでいいからさ」

「……」

「(顔をしかめ)ねえ、聞いてる? ねえ?」

「(トラックに乗り)ああ。悪いけど、またにして。疲れたから、今日こそは眠りたい」

「そう……」


 どれもこれも違った自分を棄てて『君が好きな人』をやろうとしたけれど、無理だね。


 なりたいようになれるか、なんて自分次第だから。日々のストレスを我慢して好きなことができない自分を棄てることは、無理だ。指をくわえたまま何も出来ずに見ているしかないこの世界から解き放たれて僕は深い眠りにつく。


『あなたをそんな風に出来たのは私だけよ。あなたを自由に出来たのは私だけ、そうでしょ?』


 まったくだ。今度こそ自由になれるかも。

 遅すぎたなんて事はない。


 ――なあ、今度起きて自由になれたら、こんな僕を好きになってくれる人がいるのかな?(了)


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