波乱万丈の始まり
北海道、オホーツク沿岸の小さな港町「興部町」(おこっぺちょう)に、私は生まれました。
これからの事を暗示するかのように、昭和31年2月28日は、海からの暴風に雪が乗り、夕方からは町全体が吹雪の中に入り込んでしまい、全く一寸先も見えないような猛吹雪となりました。
町に一軒ある小さな産婦人科の玄関先も、暴風雪に煽られガタガタと鳴っていたのが、みるみるうちに雪に埋まって動かなくなっていきました。
母はそんな中を、小学校の教師をやっている父に付き添われ、大きなお腹を大事そうに両手で覆いながら、夜の7時頃病院に入りました。やがて陣痛が始まり、その直後から出血も始まり、夜中になり更に出血は酷くなり輸血をするも、次第に母の体力は奪われていきました。
そして夜の11時を少しだけ過ぎた頃、先生が父に
「このままでは、母体が持ちません。とても危険な状態です。母体を取るか、生まれて来る子供を取るか、二つに一つです」と告げました。
後に父が言っておりました。
「我が子が生まれる喜びが、まさかこんな事になるとは夢にも思わなかった」と。
そんな時、母は「天の声」を聞いたと真顔で教えてくれました。
「あなた頑張りなさい!生まれて来るのは男の子ですよ。大丈夫だから。もう少しだから。頑張りなさい!」と、耳元で誰かが囁いたと・・・・・」
父は先生の言葉に、気を動転させたのか上半身裸になり、猛吹雪の中に飛び出しました。
「どうか助けて下さい。妻も子供も助けてもらえるなら、俺の命を持って行って下さい。だから、どうか助けて下さい」
そして日にちが変わり、2月29日(この年は閏年)の深夜3時頃、元気な男の子の産声が、病院中に響き渡りました。
先生も
「お父さん!母体も子供さんも無事です!元気な男の子ですよ」
「先生、ありがとうございました!」
と言って、泣き崩れました。
父は2月29日だと、色々都合が悪かろうと、3月1日で出生届を出しました。ただ母はこれが元になり、それ以後寝たり起きたりを繰り返す生活になってしまいました。
私はと言うと、親戚や近所の人達から
「これこそ本当に神様から授かった男の子」と言われたそうです。
その言葉と裏腹に、これから波乱万丈の人生を歩むこと等、その時は知る由もありませんでした。
昭和31年3月1日の出来事でした。