焼き芋と土曜日
寝ぼけた目で、二本の針を眺めた。
黒くて飾りっ気のない目覚まし時計。
何度見ても、どうやら変わりはないようだ。
この時計が狂っていないとすれば、現在の時間は七時半ちょっと過ぎというところだろう。
外は・・・…暗い。
一体、わたしは何時間寝続けたのだろうか?
昨夜のことを思い出しだそうとしてみたが、酷く頭痛がする。
この一週間、あまり睡眠をとっていなかったので仕方がないのかもしれない。
今日は……土曜日。
火曜日に会社の提携している顧客のシステムが壊れ、SEとして寝る暇も惜しみパソコンに向かい続けていた。
それが昨日の深夜に終わり、家に着いて倒れるように眠った。
最後に覚えている時間は、三時頃。
ざっと見積もって、十七時間程寝続けていたはずだ。
動き続ける目覚まし時計から目をそらし、窓の外に向けた。
貴重な休みを一日無駄にしたと反省するべきか、それとも一週間分の睡眠を纏めて取れたことで良しとするべきか。
まぁ、そんなことはどっちでもいい。
過ぎたことは仕方がない。
今が、土曜日の午後七時半だということには変わりないのだから。
テレビの電源を入れた。
チャンネルを回し、適当にとめる。
その番組を、しばらくぼんやりと眺めていた。
「お腹、空いたなぁ」
自分の身体の中から、ぐぅ、という音が聞こえた。
立ち上がって冷蔵庫を開けるが、何も入っていない。
当たり前だ。
わたしが何も買っていないのだから。
コンビニにでも行こうかと考えたが、なんだか面倒になって、またベッドの上に戻った。
このまま眠ってしまおう。
怠惰な選択をしてみるも、眠りの気配は一向に訪れない。
どうやら、ベッドにまで見放されたようだ。
この一週間、わたしは何のために生きていたのだろう。
そんなことを考えれば、答えはきっと悲しみだけ。
洗面所に向かって、冷たい水で顔を洗った。
これで、ちょっとはすっきりした。
あとは、何かお腹に入れなければ。
脱ぎっぱなしになって部屋の隅で丸まっていたジーンズに足を通し、寝巻きがわりのロンTの上から辛子色のセーターをかぶった。
コンビニに行って何を買おう?
お弁当?
サンドイッチ?
スープパスタ?
どれもこれも捨てがたい。
バッグから財布を取り出し、玄関を開けると懐かしい声が聞こえた。
「いーしやーきいもー」
その瞬間、わたしはコンビニとは逆方向に歩き出す。
先程までの案件は全て却下。
新メニューに決まりました。
脳の中で、会議が終了。
自然と、早足になってくる。
角を曲がると、屋台が見えた。
ゆっくり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
あんまり若い人だと、ちょっと買いづらいな。
そんなことを思ってしまうのは、わたしもまだまだ女の子ということなのだろうか。
とにかく、焼き芋屋さんはおじさんに限る。
そのほうが、おいしそうだ。
職人ぽくって。
勝手な想像をしながらも、「すいません」と声をかけた。
「はい、いらっしゃい」
ニット帽をかぶった男の人が、笑顔で答える。
それを見て、わたしは「あっ!」と大きな声を出す。
「おう!」
男の人も、負けずに大きな声を出した。
なんと、目の前にいるのは、高校時代の同級生ではないか。
それも、片思いをしていたサッカー部の嶋尾君。
こんな格好で会いたくない人、ベスト3に入る人だったわけ。
「奈央。久しぶりじゃん」
懐かしい笑顔を浮かべ、嶋尾君が軍手をはめた手でわたしの肩を押した。
「あ、うん。久しぶり」
わたしは、なるべくすっぴんの顔を見られないように、斜め下を見て呟く。
「なになに? 家、この近くだっけ?」
「うん。すぐそこ」
「へー。そうなんだー。俺、先週からこのバイトはじめてさぁ。ここら辺が、テリトリーなんだよ」
マキを片手に、コンコンと屋台の骨組みを叩いた。
そして、
「焼き芋、買うか? おまけしてやるぞ」
営業スマイルではなく、昔のままの笑顔で芋を指差す。
「んー。じゃ、もらおうかな」
ポケットから財布を取り出し、「いくら?」と尋ねた。
「いくらって? って。何個だよ?」
逆に聞き返される。
「えーと。二個」
「おう! そんじゃ、おまけで五個あげよう」
新聞紙で作った袋に、手馴れた様子で芋を詰め込む。
「いいの? そんな勝手なことして? 怒られない?」
心配になって聞くと、
「あー。いいのいいの。だってよー」
顔を近づけて、耳元で囁かれた。
「これ、全部なくならないと帰れねーんだもん。寒いじゃん。だるいし」
「ばか?」
わたしは思わず噴出した。
「なくなったって、お金がもうからなくちゃだめじゃん。芋の売り上げ、どうすんのよ」
口元を手で押さえ、笑いながら言った。
すると彼は、
「あー。やべえな。どうしようか」
本気で悩みはじめる。
だからわたしは、「いくら?」と口にした。
「うーん。二個で600円にまけてやる」
数秒考えて、彼が答える。
けれど、わたしは「違うよ」と微笑み、
「全部。これ全部でいくらなの?」
石の上に横たわる芋たちを指差して続けた。
「は? 全部って、おまえ、そんなにどうすんだよ?」
「どうするって、食べるのよ。決まってるじゃない。いくらなの?」
「ばか、待てって」
今度は、わたしが「ばか」と言われた。
まぁ、いいけど。
「これ全部って、ものすごい量だぞ? 一人で食べきれるわけないだろ」
「いいから! いくらなの? 買ってあげるよ、全部。そしたら、帰れるでしょ?」
財布の中から、一万円札を数枚抜き出した。
昨日、上司からもらった臨時収入が入れっぱなしになっていた。
『悪いな、ずいぶんと無理させて』
そう言って、三万円、ポケットマネーから出してくれたものだ。
「これで足りる?」
「足りるけど……」
彼はなんだか釈然としない様子だ。
だけど、わたしにはこの三万円の使い道がこれで正しいような気がしたんだ。
だから少しも惜しくはない。
「はい。じゃ、お芋、全部下さい」
お使いに来た子供のようにわたしは言った。
彼もやっと決心がついたようだ。
「はいはい。まいど」
疲れたような笑顔を浮かべ、
「家、どこ? 家まで運んでやるよ」
そう言って歩き出す。
そんなわけで、わたしと彼は並んで歩く。
そして、家の前に着いた。
わたしは玄関のドアを押さえ、彼が何往復もして、屋台の中の焼き芋が全て部屋の中に納まった。
「あー、疲れた。なんか、今日一日分働いたくらいに疲れた」
首をコキコキと鳴らし、わたしがコーヒーを入れるのを待っている。
わたしは、薬缶とにらめっこをしながら、早く沸騰しないかなぁと思う。
今の状況を冷静に考えたら、恥ずかしくなってしまったのだ。
高校時代の片思いの相手が、自分の部屋にいる。
それも、大量の焼き芋を抱えて。
そこまで想像すると、おかしくて噴出した。
「なに? どした?」
彼が不思議そうに聞いてくる。
「なんでもない」
誤魔化して、「お腹空いてる? 焼き芋ならあるけど」と言った。
彼はテーブルの上に山積みになった焼き芋をじっと見つめ、
「そうだな、食わなきゃな」
おもむろに一つ掴み、大きな口でほおばった。
購買で買ったカレーパンをかじっている昔の彼と重なって、思わず胸がときめいた。
やだな。
わたし、まだ好きなのかも。
再び薬缶に向き直り、にへへ、と小さく笑った。
「なぁ」
そんなわたしの背中に、彼が言った。
「これさぁ、冷凍するなりして、ちゃんと保存しといて。なくなるまで責任持って食うの手伝うから」
「えっ?」
振り向いたわたしに、彼が食べかけの焼き芋を差し出した。
「だってさぁ。これ、こんなに美味いんだぜ。捨てるのもったいないだろ」
わたしはつられるように、山吹色の焼き芋を一口かじった。
ほんのりと甘くて、いい香りが胸の中に吸い込まれていった。
「だろ?」
微笑む彼のことを見つめ、わたしはうん、と頷いた。
そして、心の中では、こう呟いた。
『うん。悪くない土曜日だ。もしかしたら、人生で最高の土曜日かもしれない』と。
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