三日目〔喪失〕後編
おそらく、もう午後五時ほどだろう。
椅子に座り、本を読んでいた結さんは、おはようと優しく声をかけてくれた。
「少し。少しですが、落ち着けたみたいです。」
僕はそう言うと、体を起こした。
「遥さんは、戻ってきてないみたいですね。」
僕の言葉に本を閉じて机に置き、結さんは目を閉じた。
「ええ。遥はいつもそう。自らを絶対に認めず、軽視して動くのよ。まるで、罪を贖っているように・・・。」
軽く開いた目でこちらを見た結さんは、僕を指さした。
「あなたも自らを卑下するのはやめなさい。今回の事件も、あなたのせいで起きたわけではないわ。今、あなたがするべき最善を選びなさい。」
凛とした姿勢を結さんは崩さなかった。そんな姿に僕は少し項垂れるだけだった。
月島遥は、食堂を歩いていた。これから起きる殺人を防ぐためではない。これからの事件で犯人に迫れるようにするためである。箭内健に言われたように、はなから生き残ることなど望んではいなかった。おそらく、怯えたふりでもしていれば良かったのだろう。彼の中の一つの確信がその考えを彼にさせた。
“この犯人は、酷く優れた考えで動いている。厄介な人間を早めに始末している。”
それは彼女、鈴波蘭の死も裏付けている。
「俺は、探偵でも、聖人でも・・・。ましてや、人ですらない。」
自嘲気味に笑うのだった。
事件には諦めのない彼でも、自分には幼少の頃から諦めがあった。それは、絶対的な個人の聖域とも言える心理においてである。
「なんで自分は・・・。なんて、ガキみたいなことで今更悩む気はない。それでも、まともであったらなぁとは思う。お前はそんなこと思わないんだろうけどな。」
彼の後ろには一人。
この事件の首謀者が、扉越しにいた。
月島遥に犯人が分かっているわけではない。しかし今、背後に忍び寄る人間など犯人以外ではいないのだ。
「俺はそう簡単には殺せないよ。それは君だってわかっているんじゃないだろうかなぁ。」
遥さんは扉越しに言葉を連ねた。
そんな彼に犯人は何も言わないどころか、立ち去った。
その行動には月島遥とは言え、驚きを隠せなかった。どれほどの凶器を持っていたかはわからないが、それでも彼を殺す程度造作もなかったはずだ。
人のいなくなった扉を開け、あたりを見回す。人のいた気配はない。ただそこには、一つのメモ書きがあった。
{裁かれる時を待て}
たった一語だった。
「いつでも殺せる、か。・・・フフフ。」
笑みが溢れた。純粋無垢たるそれは禍々しさがある。
「どうやら犯人は勘違いしてくれてるなぁ。死は俺にとって現象でしかない。」
起こらないなら、所詮それだけだ。