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 白畝は肉体を捨て去った今、完全なる電脳人間として実質的に永遠の命を持つに至った。だがそれは永遠につづく苦しみの始まりでもあった。自分の知る者たちが次第に老いさらばえ寿命を迎えていくのを時のない世界で幾度と無く見届けていく内に次第に虚無的な思想に囚われるようになっていった。ただひとり超然とした存在であることの孤独はいつしか精神を蝕むほどに重くのしかかっていったのだった。

 一時は自らを抹消しすべてを終わらせることも考えた。だがそれは自分の研究成果の全てである電脳そのものの否定ではないかと考え思いとどまった。結局彼が選んだのは地上からの逃避、そしてデータの休眠であった。

 かれは廃船扱いだった天体遊覧船NOAHⅣを手に入れるとそのコンピューターに移り住んだ。そして彼一人だけの孤独な旅を始めた。

 やがて動力を太陽エネルギーでまかなうことで半永久的な航海を可能にすると、地球からの交信をすべて遮断して深い眠りについたのだった。それは事実上永遠の眠りのつもりでもあった。

 だが虫の知らせとでもいうのだろうか、ふと目が覚めた。眠りについてからすでに数百年が過ぎた頃だった。漠然とした胸騒ぎから地球へ帰還するとそこは既に死の惑星と成り果ててしまっていた。

 その光景を目の当たりにした時白畝は悟った。これは大量絶滅による地球第四紀の終わりであると。

 それから船を地上に着陸させるとあらゆるデータを収集し何が起こったのかを検証した。

そこから導き出した結論は人類の遺伝子の変革に端を発する種としての絶命、というものだった。


 以下はある学者の推察によるものである。

 きっかけは遺伝子操作された食物の流布だった。当時人類は爆発的な人口増加にともなう慢性的な食糧危機を抱えていた。その問題を解決する救世主としてもてはやされたのが確実に収穫が見込めるという遺伝子組み換え作物だった。

 ところがその作物は遺伝子操作によって人為的に造られた種子から栽培されたものであり、その種子は生産性に富む反面、子を産まず一世代限りでついえるという特質を持っていた。この特質ゆえ、長期に渡り恒常的に摂取することで生殖能力を減退させる危険性が高いことが学者たちによって指摘されていた。

 だがそのことは問題視されるどころか長きにわたる人口の爆発的な増加を抑え、自然減させるうえ食糧事情を一気に解決させる画期的な仕組みであると喧伝され世界中に広まっていったのだ。こうして人類は緩やかに衰退を始めたのだった。このことをその学者は「人類の緩やかな自殺」と定義した。

 そのことが直接の絶滅の原因となったわけではなかったが、人類の中で確実に変化が起こり始めていたのは間違いがなかった。

 西暦二三〇〇年代、突如原因不明の不治のウィルスが人類を襲った。それは十四世紀に猛威を振るったペストを凌ぐ爆発的かつ壊滅的な勢いでまたたくまに世界中に広がっていった。

 そのウイルスの正体がはたしてなんであったのかを解明できた者はいなかったが、その学者はある仮説を説いた。それは衰退をよしとするようになった人類に対する神による生存権の剥奪である、と。自ら種の繁栄を捨て活力を失った人類は存続する意思無しとみなされたのだ、と。

 このウィルスにより実に全人類の90パーセント以上を失うこととなった。さらに追い打ちをかけるように期せずしてさまざまな天変地異が巻き起こり生きとし生けるものすべての命を奪い去っていった。それはあたかもP-T境界やK-T境界といった大量絶滅の節目に見られた地殻変動や異常気象などの現象を彷彿とさせるものであった。

 地上には連日酸の雨が降り注いだ。その雨には自然界に存在する硫黄やメタンガスなどにまじり、人類がこれまで垂れ流してきた化学物質やかつて農薬として撒かれた劇物なども大量に含まれていた。害虫を殺すために際限なく大量に撒かれた薬が巡り巡って人類の上に降り注いでいたのだ。それら本来自然界に存在し得なかった特種な成分は常識を超えた化学反応を引き起こし、地球上のありとあらゆる地域を劇物の濃霧で覆い尽くしていった。

 こうしてこの学者も含む人類の残りの10パーセントも死に絶えてしまったのだ。皮肉なことに、死の雨から生き延びたのは農薬の脅威に対抗すべく長い年月をかけて変質し、耐性を持ち得た一部の虫たちだけだった。


 白畝は長い眠りから目覚めた時、いつのまにか自分が人類最後の生き残りとなっていたことに気がついた。そして電脳人間である自分の存在する意味をこの時初めて理解した。自分の存在意義は人類を再生させることにあるのだと。

 それからたった一人での人類再生計画が始まった。研究及び実験はNOAHⅣに移管された研究施設で行われた。

 まず最初に考えたことが肉体の再生であったのは肉体を捨てた白畝には実に皮肉なことであった。だが人類の繁栄を考えた時、本来あるべき肉体を備えた人間でなければならないと考えたのは必然であった。いくら人為的に電脳人間を創りだしてもそれは人類たりえなかったのだ。それこそただの人工知能に過ぎないからだ。

 そこで生物学者として研究をしていたころの研究材料から肉体のもととなる細胞を得た。それから普通の人間ならば不可能なほどの長期にわたる実験の末、iPS技術により肉体を作り出すことに成功した。

 だが出来上がった「人間」はどこかおかしかった。まるでただの入れ物のようだったのだ。それは言うなれば生身の肉体を持つロボットに過ぎなかったのだ。

 白畝はここに至って、魂という非科学的な存在の壁にぶち当たった。自分が肉体を持たぬが魂を持つ人間ならば彼らは逆に肉体は持つが魂の入っていない入れ物なのだと知った。

 いったい「魂」とはなんなのか?彼が至った結論は「人格」だった。そこでかつて電脳を研究していたおり、実験の協力者から集めた電脳データから「人格」を抽出する試みが始められた。それはあたかも既に亡くなった者たちの命をサルベージするかのような作業だった。

 この作業は肉体再生以上に困難を極めた。理論上は肉体から電脳化した自分の逆を行うだけであったが、「人格の刷り込み」はより複雑なものであった。

 初期の実験では『丸』や『三角』といった漠然とした個性の発露にとどまり、人間としての自覚をもつに至るまでにはそれこそ気の遠くなるような年月が流れていった。その結果、ついに16人の人格を誕生させるに至ったのだった。

 ようやく形が見え始めた所でもうひとつの難題が待ち構えていた。地球の浄化である。その汚れきった大気と土壌を浄化しなければ生物として生存することは不可能と思われた。

 だが自分がそのために地球にとどまれば人類再生計画が滞ることになる。ここでひとつのアイデアが頭をもたげた。それはかつて禁断としたアイデアでもあった。つまるところ、自分のコピーを作り仕事を分担すれば能率は2倍になるではないか、と考えたのだ。

 その考えは多くの矛盾を生み出す危険性があった。ともすれば自分を定義できなくなってしまう。アイデンティティの空洞化に底知れぬ恐怖さえ感じた。だが魅惑的なアイデアでもあった。世界中いたるところに自分がいるというのはどういう感覚なのだろうか?一人でいながら多数という存在、それはいかなるものか?

 科学者としての欲望が勝ったのだろうか、白畝はついに自分の複製を作るとそれをNOAHⅣに残し既に軌道に乗っていた人類再生計画を任せ、自らは地球上のまだ稼働可能であったコンピューターに移住し環境浄化プロジェクトを司ることにした。

 だが自己複製計画には欠陥があった。複製には「魂」が宿らなかったのだ。複製はどこか人間としての感性に欠けていた。その結果、次第にオリジナルとは多くの点で違う人格を形成するに至った。そして自らを『ゼウス』と名乗るに及び、まったくの別人となってしまったのだった。それはもはや同一人物ではなく、いびつな双子のような関係であった。しかも魂を持たぬそれは人間でも人工知能でもない異質な存在と成り果ててしまっていた。

 そんな『ゼウス』の変わり様に対して白畝は危機感をいだき、なんどもコンタクトを取ろうと試みたものの『ゼウス』はことごとく拒否した。彼は自分が複製でありオリジナルに従属する存在であることを認めたくなかったのだ。いつしか『ゼウス』は完全に独立した意志を持ち、白畝がコントロールできない存在になってしまっていった。

 『ゼウス』は白畝の科学者としての特質が極端に突出して形成された性格を持っていた。そのため人類再生計画に対して偏執狂的とも言える並々ならぬ情熱を注いだ。その一方でそこから生まれた人間に対して情というものをまったく持ち合わせていなかった。彼にとってはそれらはただのモルモットに過ぎなかったのだ。

 やがてついに誕生した新しい生命を地上に降ろす「実験」が開始された。だが実験動物のごとく死の惑星に無造作に放り込まれた彼らは為す術もなくまもなく死に絶えた。それを『ゼウス』は冷淡な観察眼で見つめ続け、さらに第二第三の「試作品」を送り込んでいった。

 その間、白畝は独自に地球環境の改善に取り組んでいた。地球に緑を復元するために地下にNOAHⅣの公園をモデルにしたオアシスを作ったのもそのひとつだった。物理的な作業には『ワルツ』を改良した工作ロボットを使役し、生き残った工場を利用して大気の浄化装置を製作、作動させた。

 だが実際にはこれらは無駄なことだったのかもしれない。なぜならそれよりも早い速度で自然の浄化作用によって地球環境は再生されていったからだ。

 そう、かつて地球の歴史において幾度と無く大量絶滅が襲ったが、その後地球には常にそれ以前よりも豊かな生命が咲き誇ったのだ。地球は終末を迎えたわけではなかった。リセットボタンを押したに過ぎなかったのだ。

 地球は新生代第四紀を人類の絶滅によって終え、次なる第五紀を迎えようとしていた。


  23


 白畝の話はにわかには信じがたいものであったが、自分たちの存在理由の根拠となりうるものでもあった。

「わたしは『ゼウス』の独断専行に不安を抱きながらも同時に君たちが新人類としてこの地にたどり着くことを願っていた。

 過去ここへ辿りつけず倒れていった君たちの前身に対しては慚愧に堪えない。地球がまだ生物を受け入れる環境にないにもかかわらず見切りで投入されたのは大いに問題があった。だが彼らにはこの劣悪な環境で生き抜くにはやはり足りないものがあったのも事実だ。有り体に言うならば彼らはひ弱だったのだ。自分の未来を自分で切り開くという心の強さを備えていなかったのだ。君たちにはその強さが宿っている。それは我々が意図的に創りだしたものではない。君たち自身の中から生まれてきたものだ。実に素晴らしいことだ」 

 白畝は満足そうな表情を浮かべた。だがラムダにはそれがひどく身勝手な言い草に思えてならなかった。

「あなたとあなたの分身である『ゼウス』は絶滅した人類を再生する目的で僕たちを人為的に創りだしたという。だが僕達はそんなことは知ったことじゃないんだ。あなたの思い通りになるとは限らない」

 その言葉に白畝はむしろ満足そうに頷いた。

「それでよい。君たちは自分の思うままに生きてくれれば良いのだ。わたしの願いはただひとつ、この世界で生き抜いて欲しい、それだけだ」

「勝手なことを!」

 シグマは納得いかなかった。

「あんたは勝手に俺たちを創りだして死のゲームに放り込んで楽しんで見てるだけじゃないか!『ゼウス』はあんた自身なんだよ!本質的には一緒じゃないか!こっちの都合なんかいっさいお構いなしかよ!」

「君たちに苦労をかけて申し訳ないとは思っている。だが親とはもともと身勝手なものだ。子は自分の親や生まれる場所や時を選べないものなのだよ。それを決められるのは親の方だけなのだ。子は与えられた環境で生きるしか無いものなのだ」

 イオタが詰め寄った。

「これから僕たちはどうやって生きていけばいいんですか?この荒廃した地球で明日の食料にも事欠いて?」

 白畝はその問にぐるりを見回して言った。

「このオアシスを見て欲しい。ここはわたしがゼロから再生した自然だ。だが実は特別に人為的に手を加えたものではないのだ。せいぜい『ワルツ』を園芸用に改良して世話をさせただけに過ぎない。それでいてここまでに育ったのだ。自然の治癒力とはそれほどまでにたくましいものだ。

 君たちはこれから海を目指すといい。わたしが導いてあげよう。海にはすでに活力が芽生え始めている。そこで自活する術を見つけるのだ。そしてそこからわたしのオアシスを全土に広げていって欲しい。ノウハウはすべてわたしの中にある。協力は惜しまない。それがわたしの存在理由なのだから」

 イプシロンが口を開いた。

「『ゼウス』は?彼はこれからどうするつもりですか?」

「『ゼウス』の考えはわからない。だがわたしならば次の段階に入る」

「次の段階?」

「人類の拡充、他の生物の再生だ」

 それらはラムダたちにとってはとても現実的とは思えぬ話だった。

 デルタが悪態をつく。

「野垂れ死ぬのは時間の問題だと思いますけどね」

 しかし女子たちは少し違った。小高い丘に咲く野の花に心を奪われていたのだ。ファイがぽつりと言った。

「寂しいと思ったら蝶がいないんだわ・・・」

 そして白畝に向かって言った。

「ここがいつか蝶でいっぱいになる日が来ると思いますか?」

 白畝は意表を突かれ少しあっけに取られた様子だったがすぐに柔和な顔になると頷いた。

「なるとも!わたしは信じている。もっとも蝶のようななにか、かもしれないがね」

「蛾だったら嫌だな~」とミュー。

 ラムダはそのやりとりを聞いて女の方がたくましいのかもしれないとなかばあきれながらも感心した。そして案外案ずるより産むが易しかもしれないと気を取り直すのだった。

 とにかく僕たちはこの地で生きていく。生き抜いてみせる。


  エピローグ


 彼らが海辺に居を構えてから1年が過ぎようとしていた。人間はどこでも生きていけるものなのだ。生き抜こうという強固な意志さえあれば。

「そうか、もう1年になるんだね」

 小屋の前にしつらえた椅子に座り、イプシロンが感慨深そうに漏らす。が、ラムダは上の空だった。その前を落ち着きなく行ったり来たりしている。その様子をデルタがからかう。

「落ち着けよ、おまえが右往左往してもどうにもならないんだからさ」

「あ、ああ」

 ラムダは生返事すると一旦椅子に腰掛けたもののまたすぐに立ち上がると右往左往しだすのだった。

「もうそろそろかい?」

 イオタとシグマが様子を見に来た。自然と他の皆も集まって来る。

 と、突然小屋の戸が開いて中からミューが顔を出した。

「ラムダ、ちょっと来て!ファイが――」

 それを聞くが早いかラムダは血相を変えて中へ飛び込んでいった。

 それからしばらくの後、産声は響いた。皆一様に声を上げ新しい命の誕生に歓喜した。

そして一同が固唾を飲んで見守る中、ラムダが産着にくるまれた赤子を両手に抱えて出てくるとその子を天高く差し上げて叫んだ。

「お前に名前をつけてやる!記号じゃない本当の名前を!アダム、それがお前の名前だ!お前こそ真の新しい地球人だ!」

 なぜかとても誇らしい気分だった。赤子はその気持を知ってか知らずか高らかに鳴き声を響き渡らせるのだった。


         完


最後までお付き合いいただいた方々に感謝、そして幸多かれ。

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