Ⅴ
19
「みんな無事か?」
ハンドルを握ったイオタが後部のラムダたちに呼びかけた。
「ああ大丈夫、皆無事だ。危ないところだったが助かった」
「怪我は?」
「かすり傷だ」
ラムダはそう言いながらもファイの吹き付ける消毒液に顔をしかめた。幸い深い傷はほとんどなく、毒による症状も見られなかった。
イプシロンが通信機を握って言う。
「連絡を入れてたんだけど応答がないから心配してたんだ。あれからなにがあったの?」
そう聞かれてシグマたちは顔を見合わせて少し逡巡した。
「シャトルで来たってことはベータたちを見つけて燃料を手に入れたってことだよね?」
シグマが答える。
「ああ、シータも無事保護した。食料もな」
「あいつらは?よく大人しく返してくれたな」
デルタの言葉にシグマはやや間をおいて言った。
「ベータとカッパは死んだよ」
それからあの後なにがあったのかを話してくれた。
シグマたちが信号が発せられている場所へシャトルを走らせると古い都市の跡地らしき廃墟が見えてきた。多くの建物はかろうじて形を留めてはいたものの人影はなく、死の町と化していた。
シグナルはそこからそう遠くない地点を示していたが、燃料が底をついたためシャトルから降りて徒歩で向うことになった。シャトルに荷物を残し、用心にそれぞれ武器を携行して急ぎ向かった。オメガとパイには残るよう勧めたが、パイのたっての願いで同行することになった。
シャトルを降りしばらく進むと物陰からカサコソという音が聞こえてくることに気づいた。シグマたちは足を止め息を潜めた。イオタが近づいて暗がりを覗きこむとなにかが羽根を広げて飛び出した。
「うわっ!」
イオタは思わず腰をぬかすほど驚き尻餅をついて倒れこんだ。するとその大型の『虫』はそのまま飛んでいってしまった。
生物が生存していたという事実は勇気をあたえると同時に不安もかきたてた。もしあれが攻撃的な種であったなら?
だがシグマは先へ進むことを選択した。
「急ごう、あいつらが心配だ」
「ほらしっかり」
イオタはオメガに助け起こされるとようやく我に返った様子だった。
「あ、ああ」
イオタは少しばつが悪そうにしたが、パルスライフルを握りしめると後に続いた。
一行が進むに連れ先ほどの『虫』の数が増えてきていた。彼らは大昔に存在した三葉虫のようでもあり、アブラムシのようでもあった。体長は10センチ程度のものから数十センチに及ぶものまで様々であった。いずれにせよ、生理的に気色の悪い生き物である。それがあちこちでかさこそと這いずりまわっていた。
建物の角を曲がるとなにやら巨大なうねりのようなものが地面に広がっていた。それがあの三葉虫もどきの群れであることに気づいて愕然とする。そしてあろうことか、シグナルはその先から発せられていたのであった。
イオタは息苦しさに絞りだすような声でタウに訊いた。
「あそこから・・・あそこにいるのか?」
タウは発信機を見ながら答えた。
「ああ、あの中心だと思う」
さすがのシグマもどうするべきかためらった。あの数はいったいなんだ、あいつらなにをしてるんだ・・・。それを想像するのが怖かった。
最初に飛び出したのは以外にもパイだった。
「ま、待て、まずは様子を見て――」
イオタがひき止めようとするがパイは恐れを知らぬかのように群れの中へと飛び込んでいった。
「早くしないとみんな死んじゃうよ!」
それに釣られるようにシグマたちも飛び出していく。イオタは少し遅れてその後を追いかけた。
後方ではまばらだった虫の群れはだんだんとうず高く積み上がり行く手を塞いだ。パイはなれない手つきで銃を撃った。それを合図に他のものもパルスライフルを乱射して活路をこじ開けていった。
虫達は突然の闖入者にあわてふためいて散り散りにバラける。するとその中心部が見え隠れする。そこにはなにかどす黒い物体があることがわかる。
そして彼らは見てしまった。その物体が変わり果てた二つの人体の名残であることを。背格好からおそらくベータとカッパと思われた。一同はそれに気づくと直視できず顔を背け、イオタはこらえきれず嘔吐した。
ただ残るシータの姿が見当たらない。パイが危険を顧みず声を限りに叫んだ。
「シータ!どこなの?助けに来たわ!シータ!」
あたりを見回すと二人の遺体から少し離れて向こう側にシャトルが止まっているのが見えた。急ぎ向かおうとする彼らの前に食事を邪魔されて怒りに我を忘れた虫たちが立ちふさがった。そしてパルスライフルの乱射をものともせず羽根を広げて彼らに襲いかかってきた。シグマたちは恐怖し、後ずさるを得なかった。
「シータ!そこにいるの?返事して、シータ!」
なおも叫び続けるパイをオメガが腕を掴んで後方へと避難させる。
ガンマが飛んでくる虫を撃ち落しながら言う。
「このままじゃ僕たちも持たないよ、いったん引くしか無いよ」
ローが叫ぶ。
「パルスライフルのエネルギーがキレそうだ!」
それを受けてタウが言う。
「闇雲に撃つな!無駄弾は控えろ!」
言うが早いかイオタの銃のエネルギーがキレた。滅多矢鱈に撃ちまくっていたツケが来たのだ。青ざめるイオタ。シグマがそれに気づきイオタの前に出て盾になった。
「下がれイオタ!俺たちのシャトルまで走って逃げろ!」
オメガが自分のライフルを差し出した。
「あたしのを使いな!」
だがイオタはそれを受け取らず、次第に呼吸を荒げていくとキッと前を睨みつけた。そして叫びながら闇雲に空になったライフルを振り回しながら虫の群れに突っ込んでいった。
シグマたちはあっけに取られたがすぐさま我に返るとイオタを援護するために全弾撃ち尽くす覚悟で一斉射撃を始めた。
イオタの無謀な賭けは果たして功を奏す。飛び交う虫たちをくぐり抜けてついにベータたちのシャトルにたどり着き、ドアをあけ中に転がり込んだ。
荒ぶる呼吸を整えてふと気づくとそこにシータがうずくまって倒れていた。シータがイオタに気づいて顔をあげた。
「シータ、助けに来たぞ!大丈夫か?」
シータはイオタに飛びつくように体を預けて泣きだした。
「ベータとカッパが・・・」
イオタはなんと言うべきか言葉を失った。それから泣きじゃくるシータをなだめると運転席に向かった。
シグマたちはイオタがシャトルに飛び込むのを確認してから自分たちのシャトルまで退避して待っていた。そして二人が無事戻ってくるとヒーローを手荒く歓迎した。イオタはひどく照れてみせた。
シグマがからかうように言う。
「オレはてっきりおかしくなったのかと心配したぜ」
「ボ、ボクだってやるときはやるさ」
「ちょっと見なおしたよ」とオメガがおだてる。
イオタは少し神妙な顔で言った。
「ボクはずっと口先ばかりでなにも役にたってなかったから・・・」
「そんなことないよ、あんたはあんたで一生懸命考えてたのはわかってたさ」
「迷惑ばっかりかけて・・・」
言葉をつまらせ涙ぐむ。
「だから少しでも――」
イオタが言いかけてやめると背中を気にしだした。
「どうした?」
「なんだかゴソゴソ・・・」
その時スーツの襟首から小型の三葉虫もどきが這い出してきた。一同は思わず声を上げて後ずさった。
「ど、どうなってる?え、なに?ちょっと背中見てくれないか?」
「く、来るな!うわ、また!」
「頼むよ、取ってくれよ!」
「脱げ!服脱げ!」
しばしのパニックに大わらわの後、タウが思い出したように言った。
「そうだ大事なことを忘れていた、さっきラムダたちから連絡が入ってたんだ」
「なんで早く言わないんだよ」
「虫どもと格闘してる最中だったんだぜ?」
「とにかく連絡してみよう」
だがタウからの通信に応答はなかった。ラムダたちも蟻たちから逃れるのに精一杯の時だったのだ。そこで異変に気づいた彼らが急ぎシャトルで駆けつけたというわけだったのだ。
20
雨はいつのまにか上がっていた。ラムダたちは廃墟に停めた燃料切れのシャトルに残って待っていたガンマたちと合流し、互いの無事を喜び合った。ファイとミューはシータの顔を見ると抱き合い、体を気遣った。
シータはパイとオメガの介抱によりいくぶん落ち着きを取り戻していた。そしてなにが起こったのかを話しだした。
それによると彼らはあの後闇雲に直進していたが、やがて廃墟と化したこの町へとたどり着いた。そこでベータとカッパはシータをシャトルに残しあたりの探索を始めた。
町はカサコソと這いずりまわる不気味な虫たちであふれていたが、それに紛れて意外なものを見かけた。それはNOAHⅣでちょこまかと走り回っていた小型雑用ロボット『ワルツ』だった。ベータとカッパはその後をつけることにした。何者かがこの町で生活しているのに違いない。
だがそんな彼らを虫たちは獲物として息を潜めて待ち伏せていたのだった。気づいた時には数えきれないほどの虫の大群に囲まれていた。ベータとカッパはパルスライフルでいなしながらシャトルへと戻ろうと試みたがやがて身動きができなくなってしまっていた。
二人の叫び声と銃声で異変に気づいたシータはシャトルを運転し彼らの救出を試みた。だがドアを開けようとしたシータにベータは来るなと言った。自分たちに構わず逃げろと。その時既にベータとカッパの体には無数の虫が隙間なくたかりどうすることもできない状態にまでなっていたのだ。シータはただ彼らが朽ち果てていくのを震えながら見守るしかできなかった。
そこまで聞いてデルタが言った。
「気にすることはないさ、因果応報ってやつだ。あいつらは自分で墓穴を掘ったのさ」
だがシータはそれを咎めた。
「そんなふうに言わないで。ベータもカッパも優しくしてくれたわ。皆と別れた後なりゆきで人質にしてしまってすまなかったって何度も言われたわ。落ち着いたらちゃんと還すからって。最後もわたしを守るために犠牲になったのよ。救援シグナルだってきっと自分たちは助からないのがわかってわたしのために・・・」
そう言われてデルタも言葉を無くし、うつむくしか無かった。
それまで黙って聞いていたシグマが言った。
「あいつらはああ見えて根はそんなに悪い奴らじゃなかったんだ。ただ考えが足りないって言うか、単純って言うか。オレが偉そうにいうのもおかしいけど、許してやってくれ」
しばしの重苦しい沈黙の後、ラムダが毅然とした声で言った。
「これだけは忘れないで欲しい、みんな最後まで決してあきらめないでくれ。生き残るのは生きのびようとする強い意志を持った者だけだ。酷な言い方かもしれないがベータとカッパが死んだのは不注意だったからでも考えが足りなかったからでもない。ましてやなにかの報いなんかじゃない。彼らに生き残ろうとする意志、執念が足りなかったからだ。神は自ら生きようとする者にしかチャンスは与えないんだ」
それは先程の蟻との戦いのさなかに襲った死のビジョンに打ち勝ったことから確信したことだった。ラムダの声ははたして皆に届いたのだろうか。それとも無責任に響いたのだろうか。ただわかって欲しいと切に願った。
それからイプシロンが話を戻した。
「ところで、そのベータたちが見かけた『ワルツ』はそれからどうなったんだろう?探しに行くべきじゃないか?」
シグマも同意した。
「そうだ、なにかの手がかりになるに違いない。すぐにでも追うべきだ」
「またあそこに戻るのかい?もうすっかり暗くなってるのに?」
イオタが少し怖気づく。
「時間は貴重だろ。食料や燃料だって取り返したと言っても余裕があるわけじゃないんだからな」
タウがイオタに助け舟を出すかのように言う。
「あの虫はおそらく夜行性だな。夜のほうがよけいに活発になるだろう。負傷した者や精神的に参ってる者もいるようだし、ここは一晩英気を養って明け方に出直したほうがいいかもしれないな」
パイとオメガもシータを気遣ってそれに同調した。結局シグマもその考えを受け入れたのだった。
21
その晩は虫を避けてシャトルで過ごした。窮屈な姿勢は眠りを浅くした。ラムダは日が昇ると同時に体を伸ばすために外へ出た。そして思わず目を疑った。あろうことか目の前に探すべき『ワルツ』がいたのだ。まるで主人からの命令を待つかのように待機姿勢で鎮座していたのだ。
本来『ワルツ』はごく原始的な思考回路しか持ってはいない。だがその『ワルツ』はどこか手を加えられているように見えた。そこでラムダは思わず言葉を掛けてみた。
「僕たちを案内してくれるのかい?」
はたして『ワルツ』は機械的な抑揚のない声で答えた。
「ゴアンナイシマス。ツイテキテクダサイ」
ラムダは『ワルツ』に待つように命じるとあわてて皆をたたき起こした。
生徒たちは虫を避けるため二台のシャトルに分乗し『ワルツ』のあとを付けた。虫たちはタウの推察通り明るい内は影を潜めていた。
ベータとカッパの遺体があったあたりも今は閑散としていたが、二人の遺体も消えてしまっていた。ただわずかに残ったどす黒いシミだけがその惨状を物語っていた。その意味することがなにかを考えるのはとてもおぞましいことだった。皆はその側を通る時、心の中で彼らのために祈った。
やがて『ワルツ』は大きな建築物にたどり着いた。さらに建物の内部へと進む。ここからはシャトルを敷地に止めて徒歩で追うしかなさそうだ。念のためそれぞれ武器を抱えて降車した。
瓦解した入り口から中へ入る。なにかの施設だったのだろう、生活感の感じられない建物だった。
『ワルツ』は彼らが付いてきていることを知ってか知らずか階下へ続く階段へと導いた。そして脚部のキャタピラを起用に使って降りだした。
今にも崩れ落ちそうな危うい階段を下へ下へと降りていく。地下三階まで来ると『ワルツ』はドアを抜け開けたフロアに出た。
ここが目的地なのだろうか?だが『ワルツ』はかまわずフロアを横切っていく。その先を見ると前方の壁に大きな穴が開いているのに気がついた。『ワルツ』はその穴を進んでいく。
そうして数メートルの薄暗いトンネルを抜けた時、生徒たちは目の前に広がる光景に息を飲んだ。
そこはまさに砂漠に広がるオアシスだった。ただ普通と違っていたのはそこが地下数メートルにあったということだ。
もしかするとここに誰か人が住んでいるのではないか?彼らは期待と不安に緊張した。
オアシスには大きな樹木などは叶うべくもなかったが、野の花が咲き、背丈の低い草も生え茂っていた。
ラムダにはそのどこか人工的な庭園を思わせる風景に心当たりがあった。
(そうだ、ここはNOAHⅣの中央公園に似てる!)
だが宇宙船の内部よりももっと自然に近づける工夫も見られた。
「見て!水が流れてる!」
ミューが指差す方へ目を向けると小さいながら小川が流れている。皆はそこへ駆け寄ると手のひらで水を掬ってみた。ホロビジョンではないかと疑ったが本物の水だった。他の者がためらう中、ローが無造作に口に含んだ。
「うん、大丈夫。たぶん地下水だよ」
それを聞くと他の者も同様に口に含んで確かめてから啜りはじめた。しかしラムダやファイは用心のため我慢した。そして大事なことを忘れていたのを思い出す。
「そうだ、『ワルツ』はどこに行った?」
あたりを見回すとくだんの『ワルツ』は小高い丘の方へと向かっていた。そこには野の花が一際多く咲き乱れていた。
追いかけると『ワルツ』はそこで停止した。そして空間になにやら映像を映し始めた。
その映像を一目見て皆は一様に驚きの声を上げた。
「『ゼウス』!貴様・・・!」
シグマが叫んで詰め寄る。ホロビジョン相手では意味が無いと分かっていながらも抑えが利かなかった。
それに反してビジョンはいささか顔を上気させて言った。
「よく来たね、よくたどり着いてくれた、わたしの子どもたちよ・・・」
「よくもぬけぬけと――」
興奮気味に詰め寄るシグマをビジョンが制した。
「落ち着きたまえ、君が勘違いするのも無理はないがわたしは『ゼウス』ではない。わたしは白畝正夢、最後の地球人類だ」
「最後の!?」
ラムダの言葉に白畝は頷くと続けた。
「わたしが人類と言えるのならば、だがね。いやそう信じているが。そして『ゼウス』はわたしの分身に当たる者だ」
「分身?じゃああなたも人工知能なのか?」
「それは違う、わたしは知能と人格のすべてをデータ化されネットの世界に構築され生き続ける存在、電脳人間である。そしてそれゆえ人類の絶滅からただひとり生き延びることができたのだ」
ラムダにはその電脳と人工知能との違いがよくわからなかった。
「あなたはさっき最後の人類と言った。人工知能とは違い電脳ならば人類というのはなぜだ?」
「なにをもって人類、人間と言うのかは人それぞれであろう。だがわたしはそれは人格の有無と考えている。自我と言い換えても良い。人工知能にはそれがないのだ。わたしは入れ物こそ肉体ではなく電算の機械だが、違いはそこだけである。物理的な肉体を持たずとも人としての精神にはなんら瑕疵のない存在なのだ。精神において完全なる人間なのだ」
イオタは心に引っ掛かっていた疑問をぶつけた。
「『ゼウス』は自分を人工知能と言ってましたがあれは嘘だったのですか?」
「そうだ、彼は君たちを欺くために嘘をついたのだ。それこそ彼もまた人類である証明と言えるだろう。嘘をつけるというのは人間ならではの特性だからだ」
イプシロンが思い出して言う。
「聞いたことがある、昔自分を電脳化することに成功したあと自殺した科学者がいたことを」
「そうだ、それがわたしだ。わたしは自分の電脳化に絶対的な自信があった。そしてネット上に完全なる自分を構築し終えた時に考えた。このままではわたしが二人いることになるではないか?はたしてどちらが本物のわたしなのか?
本来ならば肉体を持つ方が本物と考えるだろう。だがわたしは自分の研究成果を究極なものにするために肉体を捨て去って人類初の電脳人間になることを選んだのだ」
とてもまともな考えとは思えなかった。だがもし彼の言うとおり肉体を持たぬゆえただひとり絶滅から逃れたのだとしたら正しい選択だったのかもしれない。
ラムダには尋ねたいことが多すぎてどこから手をつけるべきか迷った。
「いったい・・・いったい地球になにが起こったんだ?人類が絶滅したというのは本当なのか?僕らの存在はいったいどういう意味を持っているんだ?」
「正直に言おう、地球に起きたことはわたしにも定かではないのだ。なぜならわたしは長い間眠っていたのだから」
それから白畝は今までのいきさつについて語り出した。