Ⅳ
14
前面のハッチがゆっくりと開くと砂埃を含んだ地上からの風が船内に吹き込んできた。やや薄暗い格納庫のベイにいたせいか、急に光に包まれたように眩しく感じられた。
カタパルト上の三台のシャトルワゴンはまるで排泄物のように次々とNOAHⅣから吐き出されていった。
生徒たちが後ろ髪を引かれるように振り返ると、数台の『ワルツ』が通常の粗大ごみを片付けるかのように掃除をしているのが見えた。
だがやがてそれも閉じるハッチに視界を遮られてしまった。
「なんだよこれ・・・」
デルタが力なく呟く。
「なんなんだよこれ・・・。え?」
それに答えられるものはいなかった。
「いったいなんなんだよ!ふざけんなよ!」
「デルタ、落ち着け!」
ラムダがいさめる。
「落ち着けるわけないだろ!なんでおまえは落ち着いていられるんだよ!」
そうだ、確かに落ち着いている方がおかしい。なぜだろう?人としての感性が狂っているのか?カイが惨殺されたというのに冷静でいられるのはなぜなんだろう。知っていたから・・・か?それとも欠陥人間だからか?
その考えは認めたくないものだった。だが少なくとも『ゼウス』はまるで僕たちを人間として見ていないことがはっきりとした。それははたして『ゼウス』自身が非人間だからなのか・・・。
だがラムダは『ゼウス』がいかに無慈悲であるかをいまだ理解してはいなかったのだ。『ゼウス』が次に突きつけた仕打ちはさらに残酷なものだった。
ラムダたちは鈍い波動が次第に大きくなっていくのを感じた。NOAHⅣがエンジンを始動したのだ。やがて静かに浮上するとそのまま加速度的に高度を上げ、見る間に小さくなっていった。まるでバスが停留場を離れるようになんの未練も残さずに。
生徒たちは誰からともなくシャトルから降りるとそれを目で追った。そして自分たちが我が家としてきた住居をたった今失ったことを知った。
イオタが自分に言い聞かせるように言った。
「きっと後で迎えに来るんだ。見捨てられたわけじゃないんだ」
だがその言葉に同意するものはいなかった。シグマが辛辣に言った。
「さしずめ実験開始ってとこだな。やつは俺たちをほっぽり出してどうサバイバルするのかを上空の特等席から眺めるって寸法さ。それともどんな死に方をするのか――」
「やめて!」
シータが遮った。
「そんな言い方しないで。勝手に決めつけないでよ。死ぬと決まったわけじゃないでしょ?」
「そうよ、万が一見捨てられたとしてもここで生きていけばいいのよ」
ファイが続いた。
「だってここは地球なのよ?荒れ果ててても私たちの住むべき星はもともとここなのよ」
あらためて見渡すとそこは一面赤茶けた砂地と岩山の荒野のようだった。近くに生命を感じさせるものもなく、緑も見えなかった。
ベータとカッパが呆れたように言う。
「住むったってどこにだよ?食料だって数日分しか無いんだぜ?」
「だいたいここは地球上のどこらへんなんだ?」
「地獄の一丁目に決まってるだろ」
「違いねえ、見渡す限り砂と岩しかありゃしねえ」
「死の星だよここは。地球はとっくに滅びちまったのさ」
「だけど」
片膝付いてしゃがみ、すくった砂を手のひらで弄んでいたイプシロンが静かに言う。
「僕たちは普通に呼吸できている。ならば生態系も戻っていてもおかしくないんじゃないか」
言われてラムダも気づいた。
「確かに記憶の中の地球はもっと汚れていた気がする。酸にまみれた赤い雨が叩きつけていた・・・」
「うん、地球の浄化作用が働いてるんじゃないかな。この星は生まれ変わろうとしてるのかもしれない」
それでもベータはまだ納得いかないというふうだった。
「じゃあどこかにオアシスがあって清らかな水がさらさら流れてるって言うのか?そんで樹々には果実がたわわに実っててさ」
ガンマが口を開いた。
「探しに行こうよ。そのオアシスをさ」
「はあ?本気で言ってんの?」
「いいかげんにしろ」
シグマがいさめた。
「とにかくこのままじっとしてても埒が明かない。手分けして探そう。ぐずぐずしてると食料が底をつくぜ?」
それを聞いてイオタが口を挟んだ。
「だけどここからあまり離れない方がいいんじゃないか?NOAHが戻ってきた時に誰もいないのはマズイだろ?」
「おまえまだそんなこと言ってるのか!」
シグマが呆れたようにクビを振る。
それをイプシロンがなだめるようにフォローした。
「でも確かに全員バラバラになるのは良くないよ。とりあえず一台はここに残して拠点として他の二台で行動しよう。夜間は危険もあるだろうし暗くなる前にここに戻ってくることにしよう。連絡は随時シャトルの無線で入れるようにしよう」
「ちょっと待って」
タウがバッグをごそごそとかき回しなにやら取り出した。それは小型の発信機だった。
「NOAHの保管庫にあったやつだけど使えると思う。迷子にならないように念のため持っててくれ」
「さすがタウ、抜け目がないな」
デルタが感心して言う。
「おまえの考えを教えてくれよ、ここはだいたいどこらへんなんだ?」
「NOAHの軌道から推測するとおそらくアジアの東部じゃないかと思う。
結局、イオタのチームが残り他の二台が別々の方向を探索することになった。イオタチームを残したのはイオタとガンマの他にオメガ、シータ、パイの女子三人を抱え機動力に欠けるという嫌いもあったからだ。
ベータが冷やかした。
「おいガンマ代われよ。三人相手じゃ手に負えないだろ」
おとなしいガンマの代わりにオメガがあしらう。
「あんたみたいなのがいたら危なくってしょうがないよ」
「へっ、間違ってもおまえには手を出さないから安心しろよ」
「失礼ね!」
「ベーやんこっち来る?」とミュー。
「えっ、いいの?」
「嘘」
「おまえなあ」
つかのま和やかなムードが流れた。だがラムダにはどこか浮ついたように思えるそんなやりとりも不安をかき消すための一種の虚勢に過ぎないことがわかっていた。カイが死んだことさえ忘れようとしているようだ。もう誰もそのことに触れようとはしない。それがとても寂しかった。せめて心の中では彼のことを忘れないようにしよう、と思った。
いや、もしかすると皆も彼の死を悼む気持ちを心の内に秘めているのかもしれない。だとするならば、それは人間的な感情とは言えまいか?
(僕らはこうして人間に近づいていくのかもしれない・・・)
15
ジリジリと照りつける太陽の下、あてのない探索の旅は続いた。だが人影どころか生物が生息している気配もなく、無機質な砂漠と岩山ばかりの味気ない景色が広がるばかりだった。
ラムダはハンドルを握るデルタの隣でそれらをうつろに眺めながら、あの岩山も昔は緑の森林だったのではなかろうかと漠然と考えていた。
どれほど走っただろうか、ミューが目ざとく砂埃の向こうに透けて見える影に気づいた。
「ほらあそこ、あれ建物じゃないかな」
シャトルを停め、皆で降りると岩山の小高い場所に登って目を凝らして見る。なにやら集落のようだ。
「誰かが住んでるのかな?」
「とにかく行ってみよう」
期待と不安が入り交じる中、シャトルをそこへ向かって走らせる。やがて建物がはっきりと視界に入ってきた。
だがその建物はまるで廃屋そのもので、もう気の遠くなるほどの年月放置されてきたものとしか思えなかった。
家の前にシャトルを停める。全員降りようとするのをラムダが止めた。
「万が一にそなえ僕とイプシロンで行こう」
「銃は?」
イプシロンの問にラムダは小さく頷いた。
残る皆が心配そうに見守る中、二人はドアの前に立つと中の様子を探った。が、気配は無かった。
ラムダがしらじらしくノックするべきだろうか、などと躊躇しているとイプシロンがドアをあっさりと開いて中に入っていった。
「行くよ」
「あ、ああ」
家の中は砂と埃でまみれていた。外から一瞥しただけでイプシロンには人など住んでいないことがわかっていたのだ。
家財道具などはそのままの形を留めているものも有り、かつてここで普通に生活が営まれていたであろうことを伺わせた。
ラムダがリビングと思われる部屋を調べていると二階を調べていたイプシロンが呼ぶ声が聞こえた。
ラムダが階段を上ると二階の部屋の前でドアを開けたままイプシロンが佇んでいた。ラムダは部屋を覗きこんでハッと息を飲んだ。
大型のベッドの上には一組の骸骨が横たわっていた。おそらく遥かな昔、誰にも気づかれないまま息を引き取ったこの家の主たちのものであろう。
もしこのような光景がずっと続くとしたら?ラムダはそう想像すると暗澹たる気分に陥るのだった。
はたして地球上の人々はどこに消えてしまったのだろうか。それとも人類は既に絶滅してしまったのだろうか。それならばいったい地球でなにがあったのだろう。
結局この日は目立った収穫もなく徒労に終わった。日が落ちる前に帰路につくことにした。
拠点に戻るとイオタたちが簡易キャンプを設置して待っていた。既にシグマたちも帰っていたが、その表情から彼らもまた有益な情報を得られなかったことが見て取れた。
その夜は皆口数も少なく、極度の疲労感から思い思いの形で眠りについた。こうして地球での最初の一日が終わった。
次の日も朝から気の重い探索活動が繰り返された。そしてまた次の日も・・・。だがなにも得られない虚しい時間ばかりが過ぎていくに従い生徒たちのなかに苛立ちや焦り、絶望など様々な感情が押し寄せてきては消耗させていった。
とは言え、彼らの探査が熱心なものであったかと言えば疑問であった。それはおそらく心のどこかですぐにNOAHⅣが迎えに来るという『ゼウス』の言葉にすがっていたからだった。
だがNOAHⅣはあれ以来まったく姿を見せることもなく、連絡さえつかないままであった。
その夜、遂に不満が爆発することとなった。
発端は例によってシグマとイオタの意見の食い違いからだった。
「だから言ってるだろう!現実を見ろよ、『ゼウス』は最初から俺たちを支援する気なんかまったく無かったんだ!」
「だけどここを離れたらどうやって生きていくんだ?食料だってあと1週間分しかないんだぞ?シャトルの燃料も残り僅かだ。もう無駄にはできない」
「ここにいたって餓死するのは一緒だろ!俺たちはもう自分の力で生き残ることを考えなきゃだめなんだよ!ここを捨ててもっと活動範囲を広げないとだめなんだよ!」
シグマのようにこの場所に縛られていては限界が見えておりもはや可能性はないと考える者が多数を占めたが、イオタが言うようにNOAHⅣが迎えに来ることを信じて待つべきと考える者も何人か残っていた。
ベータはまるで関心のない素振りで聞いていたが、食料の話になると割り込んできた。
「その食料だけどよ、大事なことだから今どのくらい残ってるのかチェックしたほうが良くないか?そんでまとめて管理したほうが良いんじゃないか?」
イオタが同意した。
「そうだ、僕たちは一蓮托生、すべてを共有するべきだ」
ここでもシグマが反発する。
「いやだね、オレらのぶんは自分で管理する。食いたいときに食うんだ」
「そんなこと許されないぞ!」
そのやり取りを聞いていたオメガが嘆息する。
「まーた始まったよ。あの二人よく飽きないねえ」
皆はもううんざりといった様子で呆れていたが、そんななかガンマが焚き火をいじりながらふとつぶやいた。
「僕たち、何人目なんだろう・・・」
「?」
皆の視線にガンマはちょっとたじろぎながら言葉を継いだ。
「ここに降りたのは僕たちが初めてじゃないよね。きっとずっとずっと前からこんなことが行われていたような気がするんだ」
それは皆が口にこそ出さないもののうっすらと感じていたことだった。
「たぶん」それを受けてタウが言った。
「『ゼウス』はこうした『実験』を何十年、いや何百年も前から繰り返してきたと思われる。あいつはその成果を俺たちの目を通して観察してきたんだ」
シータが気持ち悪そうに眉をしかめた。
「あたしたちお互いの目を通して常に監視されてたってわけ?」
それを聞いてオメガがいぜん睨み合うシグマとイオタに向かって茶化すように言う。
「あんたたちの毎度のいがみ合いなんか格好の酒のツマミだろうね」
そう言われて二人はなんとなくバツが悪く、興ざめしてしまった様子だった。一同はそれを見て少し和んだ。
だが黙って聞いていたパイが表情を曇らせて言った。
「また繰り返すんだわ。また同じ事を・・・」
口にしてから船を出る前のことをまた蒸し返していることに気づき、申し訳なさそうに体を小さくした。
それを気遣うかのようにミューが言った。
「でもさあ、いつも同じ事が起きるとは限らないよ。過去は過去だもん」
シータも続く。
「そうよ、ここに降りた時イプシロンやラムダも言ってたけど、記憶の中の地球はもっと汚れていたわ。赤い雨と砂嵐のイメージだったわ。同じじゃないのよ」
その夜、横殴りの赤い雨と砂嵐がびょうびょうと吹きすさびテントを揺らした。嵐はすぐに去ったが彼らの心の中には止むことのない雨がいつまでも振り続けていた。
16
ラムダはまたあの夢を見ていた。あの気味の悪い奴らに襲われて仲間は次々と倒れていく。最後に残ったのは自分とファイだけだった。
そしてパルスライフルのエネルギーもランプが赤く点滅し、いよいよ残り僅かであることを示していた。
ラムダはファイの体をしっかと抱きしめて言った。
「怖い?」
ファイは小さく頷いた。
「でも一緒だから平気」
その言葉にラムダは抱き寄せる手にさらに力を込めた。
「ああ、僕らは死ぬまで一緒だ!そして生まれ変わったらまた一緒になるんだ!」
そこで、目が覚めた。ラムダの手は虚空のなにかを掴むように伸びていた。
彼らが例え非人道的な行為に走ったとしてもそれは無理からぬ事だったのかもしれない。もはや誰も冷静沈着ではいられなくなっていた。いやそれ以前に既にカイの死という現実が、無関心という心の自己防衛の壁を確実に侵食し蝕んでいっていたのだ。
最初に異変に気づいたのはガンマだった。なぜなら彼が一番シャトルワゴンの近くで寝ていたからだ。
なにやら小声で言い合う声が聞こえた。一人は女の声だ。急いでテントから飛び出すとシャトルの後部に人影が見えた。ベータとシータのようだった。それはただの口喧嘩というふうには見えなかった。
「なにやってるの?」
ガンマはその時ようやくベータの手にパルスライフルが握られていることに気がついた。そしてその横でカッパがシャトルの荷物入れになにやら積み込んでいた。
シータが青ざめた顔でガンマに訴えかけた。
「ベータとカッパが皆の食料を――」
「余計なことを言うな!」
ベータが小声で遮った。手に持ったパルスライフルの銃口はシータに突きつけられている。
「馬鹿なことはやめて。今ならなにも無かったことにするから、ね?」
ガンマは初めてベータたちが食料を奪って逃げるつもりであることが理解できた。
「君たちだけで逃げてもどうにもなるもんじゃないよ。このまま皆と行動を共にする方が賢いと思うよ」
ベータはその言葉には答えずカッパを急かした。
「おい早くしろ、皆起きてきちまうぞ!」
カッパは重労働を押し付けられて不満そうに返す。
「ベータも手伝えよ。オレばっかりやらせないで」
「オレはこいつら押さえてなきゃいけねえんだよ」
「どうせこの後の運転もオレがやるんだろ」
「ぶつくさ言うなって」
その騒ぎを聞きつけて他のものたちが集まりだした。彼らはベータに銃を突きつけられたシータを見てことの次第を察した。
「なにやってんだお前ら!」
シグマに一喝されて二人はビクッとした。だが逆に態度を硬直させることになってしまう。ベータはこの期に及んではとシータを人質に取ることを考えた。
「来るな!オレは本気だぞ!」
イオタも説得を試みる。
「やめろよ、僕たちは一心同体の仲間じゃないか」
だがベータはその言葉を鼻で笑った。
「仲間だと?意見も考えもまとめられないくせによく言うよ。オレはお前らと運命を共にするつもりはないね!好きにやらせてもらうぜ!」
そう吐き捨てるとカッパにシャトルに乗るように顎で指示した。
「ちぇっ、偉そうだなまったく。もとはと言えばオレのアイデアだったんだぜ?」
ベータはカッパの愚痴には耳を貸さずシータを銃口で小突いて中へ押し込んだ。
シグマが叫ぶ。
「待て、食料なんざくれてやるからシータは置いていけ!」
だがベータは聞く耳を持たずという風でシャトルのドアをガシャンと閉めた。そして一度も振り返ること無くキャンプ地を後にした。
彼らが去った後、最後に窓越しに見たシータの不安げな表情が皆の脳裏に残像として焼き付いたのだった。
17
その後の調べで残った食料は3日分程度とわかった。それがすなわち彼らに残された最後の時間だった。さらにシャトルの燃料まで抜き取られていたことがわかった。足まで奪われてしまったのである。
食糧や燃料の問題はもとより、仲間に裏切られたショックが彼らを締め付けた。とりわけイオタはベータの捨て台詞が胸に刺さった棘となって苦しめていた。
イオタはシグマたちに言った。
「ここを出よう。僕もここでじっとしているのは間違いのような気がしてきた。確かに君が言うように自分たちの運命は僕ら自身で切り開くべきだ」
だがいつもは強気なシグマも今度ばかりはノリ気ではなかった。
「だがよ、シャトルの燃料まで切れちまったらどうすりゃいいんだ?」
「ここにじっとしていても埒があかないって言ったのは君じゃないか」
「それはそうだが状況が変わったんだよ」
いつもオメガの背に隠れていたパイが口を開いた。
「お願い、シータを助けてあげて!お願いだから!」
パイの切実な叫びは皆の心を打った。ラムダがタウに訊く。
「あいつらの居場所を特定できないか?」
だがタウは力なくクビを振った。
「どうやら受信機も発信機も切ってるようだ。一瞬でもオンになれば見当はつくんだが・・・」
「目視で探すしか無いわけか・・・」
シグマが業を煮やすと言った。
「くそっ、こうしてる間にもどんどん離れて行っちまうぜ。とにかくあいつらの向かった方角へ行ってみるか?」
生徒たちはキャンプを手早く畳むとすぐに出発した。シャトルを奪われたシグマとタウ、ローはとりあえずシータの抜けたイオタのシャトルに同乗することになった。燃料を二台でわけあって行けるところまで行くしか無かった。その後は徒歩で移動する覚悟だった。
ベータたちが真っ直ぐ移動しているとは限らない。むしろ撹乱するために方向を変えている可能性が高い。そう考えると捜索は至難の業だった。それ以外にも食料調達という切実な問題もあった。
出発前にラムダが皆に言った。
「僕たちは確かに一蓮托生の身だ。だけど万が一どちらかが倒れても誰かが生き残るんだ。
例え最後の一人になったとしても諦めるな」
揺れるシャトルから窓の外を眺めながらミューがポツリと言う。
「蜘蛛ってほんとにチョコみたいな味なのかな」
「やめてよ、想像しちゃうでしょ」とファイ。
それを聞いてイプシロンが言う。
「その蜘蛛どころか生き物の存在自体まるで見当たらないんだけどね」
「実際あるのか?地球上のすべての生物が絶滅するなんてことが?」
「どうだろう、地球規模の大気の汚染とかがあれば可能性はあると思うけど」
ラムダが割って入る。
「それを野放しにするほど人類が愚かだとは思えない。なにか備えようもない急激な変化があったんじゃないか」
ファイが不安げに言う。
「ひょっとして地球上に生きているのは私達だけなんじゃないかしら・・・」
しばしの沈黙の後、デルタが思いついたように言った。
「そうだ、海へ行こう!海ならきっとなんかいるぜ?まさかすっからかんに干上がってるなんてことはないだろ?」
だがラムダはいい顔はしなかった。
「だめだ、まずベータたちを探さないと。シータを見捨てるわけにはいかない」
「見つかればいいがな」
「とにかく拠点を離れられるおかげで今まで行けなかった地域まで行けるんだ。なにか見つかるはずだ」
「でも忘れるなよ、俺たちも余裕があるわけじゃないんだ」
「人間なら――」
ラムダは思わずそう言いかけて口をつぐんだ。
「?」
そして少し躊躇しながら心にわだかまっていることを口にした。
「こんな時人間なら損得勘定抜きで行動するものじゃないのか。僕らに合理的なもの以外を認めない乾いた心しか無かったとしたらそれは・・・欠陥人間なんじゃないだろうか」
その口調にファイはラムダの苦悩を感じ取った。そしてやさしく微笑んでそっと体に触れて言った。
「考え過ぎよ。人間はもともと不完全なものよ。完璧な人間なんていやしないわ」
18
確信があったわけではなかったが、ラムダたちのシャトルは以前見つけた廃屋の先を目指していた。もしかするとなにか見つけられるかもしれないという淡い期待からだった。
シャトルの燃料は無常にもほどなく切れてしまった。デルタはベータとカッパの身勝手に対してひとしきり毒づいた。
イプシロンがそれをなだめる。
「よせよ、どのみち燃料はいつまでももつわけじゃなかったんだから」
ラムダはしばしためらっていたが意を決して言った。
「よし、シャトルを捨てよう。ここからは徒歩で移動する」
覚悟はしていたがイプシロンもさすがにこれには嘆息した。
食料などをリュックに納めて背負い、さらにパルスライフルまで担ぐとそれなりの重量になった。結局ファイとミューは武器を携行するのは諦めた。
それでも徒歩での移動は厳しいものであった。もともと宇宙船の中で育った彼らは身体能力に劣り、砂で覆わた地面を歩くことは肉体的にも精神的にも消耗の激しいことであった。
こうしてあてのない行軍が始まった。だが日中の太陽の日差しはジリジリと彼らの体を焼き、体力と同時に精神力も消耗させた。
ラムダは皆を励ましながらもあの拠点を離れたのは無謀だったのではなかったかと自問をしていた。いや、そもそも地球に降り立った事自体が無謀だったのだ。しかし今となっては前に進むしかない。それぞれが迷いを断とうとするかのように無言で前進した。
日が傾きようやく過ごしやすくなってきたところで一息つくことにした。
「やれやれやっと生き返ったぜ」
デルタが水を飲み干すと言った。ミューはと言うとさっそくおやつをぱくついていた。
「おまえ貴重な食料なんだからバカ食いするなよ」
「疲労には糖分補給が有効なんです!」
「お前の場合糖分摂り過ぎなんだよ。ピクニックかよまったく」
その時ラムダの持つ通信機のシグナルが鳴った。通話ボタンを押すとシグマの声が聞こえてきた。
「えっ、本当か?」
ラムダの表情から皆はなにかの進展があったことを知った。それはベータたちの居場所に関する情報だった。
シグマの話によれば、今から数分前からそれまで途絶えていたベータたちが乗ったシャトルからの発信機の信号が再び認識されるようになったとのことだった。どうやら彼らはその場所で立ち往生している模様で、それがなぜなのかは分からないが、彼らになにかの変化があったのではないかと思われた。
シグマたちのシャトルも燃料が乏しくたどり着けるかわからないが、とにもかくにもその場所を目指すということだった。
それは確かに朗報と言えた。ベータたちのシャトルには奪っていった食料と燃料が余分に積んであるからだ。
「これで少しは寿命が伸びるかもな」
デルタが皆の気持ちを代弁した。それを聞いてミューが釘を刺すように言う。
「それだけじゃないでしょ、あのならず者たちからシータを助けないと」
「わかってるって。でもここからは遠いんだからあいつらに任せるしか無いだろ?」
そんななか、ファイが不安げな顔で空を見上げた。
「なんだか雲行きが怪しくない?風が急に冷たくなってきた気がするし」
皆も言われて心なしか風も強まっていることに気づいた。そこで急遽寝床を確保するためのキャンプ地を探すことになった。
あたりを見回していたデルタが目ざとく廃屋らしき建物を見つけた。彼らはそこへ急いだ。折しもにわかに雲の濃さが増して急激に暗くなりつつあった。
最初に異変に気がついたのはミューだった。なにかが足元で蠢いている。
「なにかいるよ!地面の下!」
その声に思わず後ずさり、立ち止まって見ているとなにやら砂の中から突き出ているものがある。それは昆虫の触角のようなものだった。だがそれにしては大きすぎる。
ラムダは辺りに気を配りながら押し殺した声を掛けた。
「静かにここを離れるんだ。慌てずゆっくり」
ファイが気味悪げに小声で言う。
「なんなのあれ、ピクピク動いてる・・・」
「なにか生物に違いない。ただ僕たちがよく知っているタイプのものじゃ無さそうだ」
「ラムダ!」
イプシロンが目で注意を促した。その視線の先には地面から次々と現れる触覚や触手のようなものがあった。
「相当な数だ。しかもまだ増えつつある」
デルタが痺れを切らせたように言う。
「どうする?やつらこっちに気づいてるぞ?」
その時近くの地面からボコボコと巨大な昆虫の頭が浮かび上がってきた。そいつは三角形の頭の先から突き出た二本の触覚をうねうねとうごめかせていた。
「刺激するな!まだ銃は撃つなよ!」
だが昆虫の数はにわかに増え続け、あっという間に周囲を囲むような動きを見せていた。今やすっかり全身をあらわにしたそれは、大型犬ほどもある大きさのいびつな姿に変化した巨大蟻だった。
「最初に出会った生き物がこれかよ。こいつら俺たちを食おうってんじゃねえだろうな」
デルタは後ずさりながらもパルスライフルを構えた。
「キャッ!」
ファイが背後の気配に振り向くと一匹の蟻が大顎を開いてすぐそばまで来ていた。ラムダは反射的にファイの手を引き寄せると思わずパルスライフルの引き金を引いてしまっていた。夕闇迫る薄暗がりに仄白い閃光がはじけた。撃たれた蟻は軋むような耳障りな声を上げてバラバラにちぎれ飛んだ。
その断末魔の金切り声を合図としたかのように周囲の蟻たちが大顎を噛み合わせ、ガチガチと威嚇するような音を立て始めた。
ラムダが叫んだ。
「あの廃屋まで走れ!荷物は置いていけ!」
まるでその言葉に合わせるかのように大粒の雨が降り始めた。ラムダたちは進行方向の蟻たちを銃でいなし活路をひらくと駈け出した。
廃屋まではまだ数百メートルも離れている。だが生き残るためにはそこを目指す他ないと思われた。次第に強くなる雨と風の中でデルタが叫んだ。
「畜生!まだどんどん増えてやがる!辿りつけんのか!?」
みんな極度のプレッシャーと疲労、そして酸の雨の息苦しさから呼吸を荒くしながらも必死で廃屋を目指した。だが一向に近づいているように感じられなかった。
蟻たちは倒しても倒してもきりなく涌き続け、耳障りな金切り声で鼓舞しながら迫ってきていた。
ミューが足を取られ転んだ。それを助け起こすイプシロンに言う。
「足をくじいたみたい、みんなあたしを置いて先に行って!」
だがイプシロンは彼女に背中を向けしゃがむと言った。
「乗って、早く!」
「でも」
「言うことを聞くんだ!ぐずぐずしてる暇はないんだ!」
デルタとラムダは彼らを援護するように蟻たちの前に出て銃を打ち続けた。だが多勢に無勢、蟻は無限と思われる程にその数を増していた。じきにパルスライフルがオーバーヒートを始める。さらにエネルギー残量が枯渇する警告音が鳴り出した。この期に及んで万策尽きたかと思われた。
赤い砂嵐が容赦なくラムダの全身に吹きすさんだ。油断すると体ごと持っていかれそうだ。
その隣でデルタがその絶望的な状況に打ちひしがれ、喚いていた。
「もうなにもかも終わりだ!俺達には無理だったんだ!」
ラムダはそのセリフにハッとした。と同時に以前に見た悪夢のような記憶のフラッシュバックが頭のなかに閃いた。
送受信機を操作していたイプシロンが言った。
「シグマとオメガのチームと連絡が付かない。向こうでもなにかあったのかもしれない」
デルタは自暴自棄に叫ぶ。
「死ぬんだ!全員!」
はたして悪夢は繰り返されるのか?絶望の輪廻は止められないのか?
「違う!変えてみせる!」
ラムダは叫んでいた。そしてエネルギー切れのパルスライフルを投げ捨てるとサバイバルナイフを取り出し目の前の蟻に斬りかかっていった。
イプシロンはラムダが自暴自棄になったと思い追いすがった。
「やめろラムダ!落ち着くんだ!」
ラムダはそれを振りきって手当たり次第に斬りつけていく。だが無常にも蟻たちの体躯を覆う甲羅のような体皮に跳ね返されて有効なダメージを与えるまでには至らない。いつしか蟻の鎌のような前足によって斬られたいくつもの傷口から血が滲み、滴り落ちてきた。それでもラムダは死に物狂いの抵抗をやめようとはしなかった。
「変えるんだ!変えてみせる!」
斬りつけられた蟻は怒りをあらわにラムダに集中的に襲いかかった。その無謀な特攻にデルタやイプシロンは気圧され、足が動かずにいた。ナイフ一本でなにができると言うのか。
なすすべもなく見守る中、一匹の蟻がラムダの下の地面から飛び出した。ラムダは一瞬気づくのが遅れ、致命的な一撃を覚悟した。
だがその時、その蟻の触覚をナイフが寸断した。ファイだった。ファイが捨て身の覚悟で駆け寄ると夢中でナイフで薙ぎ払ったのだ。
「ファイ!」
「ラムダ!わたしも諦めない!運命を変えてみせる!」
触覚を失った蟻はまるで酔っぱらいのようにふらつくと地面に潜って退避していった。
「触覚だ、触覚を狙うんだ!」
「わたしもやる!」
ミューもいつの間にかそばに来ていた。だがナイフを握った手はガタガタと震えていた。「お前はさがってろ!俺たちに任せろ!」
ミューの前にデルタとイプシロンが飛び出す。二人はファイにも下がるように言うとラムダとともに無我夢中でナイフを振るった。蟻たちはその気迫に押されるかのように後ずさって行った。
だがラムダたちの優位は一時的なものに過ぎなかった。今や怒りに燃えた蟻たちは数を頼みに包囲網を再び狭め始めていた。
ラムダはあの夢を思い出していた。ファイと最後に交わした約束の夢を。あのセリフを言う時が来たのか?だが、ラムダはその誘惑にも似た諦めの言葉を必死で振り払うと叫んだ。
「来世なんてないんだ!今しかないんだ!」
一瞬強い光りに飲み込まれた。眩しさに手をかざし目を凝らす。その次の瞬間、シャトルワゴンが蟻の群れに突っ込んで来てなぎ倒し弾き飛ばしていった。蟻たちは突然の闖入者に混乱し輪を解いた。その隙にシャトルはラムダたちの前で停車した。と、ドアが開き、中からシグマが飛び出してきた。
「乗れ!早く!」
その後ろからタウとローも続いて降りてくるとパルスライフルを一斉射撃して迫り来る蟻たちを押しもどした。
ラムダたちが全員無事に乗り込むと、シャトルは蟻を蹴散らしながらその場から逃れていった。