Ⅲ
9
太古より順調に勢力を拡大し繁栄を欲しいままにする種の影で、無数の種が絶滅の憂き目にさらされていった。それもほんのちょっとした環境の変調や食物連鎖の変化に対応できずに。
では生き残る種と絶滅する種の差はいったいどこにあるのだろうか?つまるところ、それは種を残すという根源的な本能の執念の差だったのではないだろうか。
今ここに、人間たちから「害虫」と呼ばれて来た彼らもまた、無慈悲な薬剤にさらされ死期を迎えようとしていた。彼らがどれほど抗おうと、人間は自然界に存在しえなかった毒を創ってまでも追い詰めた。
だから彼らは強くなった。毒が避けられぬものなら毒を受けてなお生き延びる抵抗力を身につけるしかなかったからだ。
だがしかし、人間はそれならばとさらに強力な毒を創りだした。
だから彼らはもっと強くなった。
人間はさらに強い毒を創りだした。
だから彼らは・・・。
はてしない攻防の末、ふと気がつくとあれほどしつこかった人間どもがどこかに消えてしまっていた。
彼らは勝ったのだった。
そしてその間に彼らはいびつな進化を遂げていた。なにしろ長きに渡り自然界に存在しえなかった毒と戦ってきたのだ。その結果、もはや怪物とさえ呼べる存在に成り果てていたのだった。
『ゼウス』を名乗るビジョンは白髪の老人の顔をしていた。ヴイジョンがクリアになるに従い音声もクリアになっていく。
「わたしはゼウス、この船の最高責任者であり、人類再生プロジェクトのチーフディレクターである」
ラムダにはすぐにそれがかつてタウが言っていた『マスター』の上に君臨する存在である『グランドマスター』の正体であることがわかった。
「まず、事情により今まで諸君らの前に姿を見せられず、そのことが諸君らを大いなる不安に陥れてしまったことを謝罪しよう。わたしは不治の電子ウイルス、ナノカンサーを患っており、今も侵食されつつあるのだ。このウイルスは生物のがん細胞同様、寄生体の宿主の活動エネルギーを養分として活性化するため私自身の活動を制限せざるをえないのだ。したがってごく短い時間しかこうして姿を現すことができない。そこで普段はごく単純なプログラムボットをオートメーション化し、わたしの代理として操作することでそれらを通して君たちに接触をしていたのだ」
その存在が囁かれていたとはいえ、突然の出現に生徒たちは大いに動揺した。だがこれで今までの謎が解き明かされるのだろうか。
イオタはシグマたちの嘲りをはねのける為にも一歩前に出た。何か言わなければ。
「あ、あなたは何者なんですか?この船に乗ってる人ですか?」
はたして適切な質問だったのだろうか。しかもこれが自分の声か、と感じられるほどかすれて弱々しい声だった。
その質問に『ゼウス』は落ち着いた声で答えた。
「この場合何者、と言うのは適切ではないであろう。なぜならわたしは人工知能生命体であるからだ。次にこの船に乗っているのか、という問に対してはその通りだ。わたしはこのNOAHⅣのメインコンピューターに存在している」
「人工知能?じゃああなたを動かしている人がいるということですか?」
イオタはそう言ってからこれが人工知能ならなにもへりくだる必要はないんじゃないか、と思い直す。
「それは違う。わたしは何者かの指示に従って動いているのではなく、自らの意志により活動している。そこが人工知能ではなく人工知能生命体と言う所以である」
シグマも面目を保とうと前に出た。
「じゃあこれまでのことは全部おまえの独断でやったってことか?おまえは俺たちをどうしようってんだ?なにをさせる気だ?」
『ゼウス』はその質問にも落ち着き払った声で答えた。
「そうだ、すべてわたしの一存で進められてきたものだ。だが人類再生プロジェクトそのものの主体は地球上にある組織である。わたしはその組織のメンバーとして独自に補完的活動を行なっているのだ」
「補完的活動?なんのことだ?」
「君たちをもってして地球に残る人類を再生するためのナビゲーターとすることだ」
「言ってる意味がわかんねえよ!」
ラムダは苛立ちながら立ち上がると叫んだ。
「僕たちはいったい何者なんだ!?なぜこの船にいるんだ!?どうしてみんな過去の記憶が無いんだ!?」
そしてとうとう心に巣食っていた言葉を口にした。
「だいたい僕らは・・・僕らは本当に人間なのか!?」
それに対して『ゼウス』は表情も口ぶりも変えはしなかった。彼にはまるで感情が無いかのようだった。
「そうだ、疑うべくもなく人間だ」
「じゃあなぜ記憶が無い?僕たちに両親はいるのか?人工授精で作られたとでも言うのか?」
「そうだ、君たちは作られた人間だ」
生徒たちに動揺が走った。予想はされていたもののいざ事実として突きつけられるのはやはりショックだった。
「だが人工授精という呼び方はある意味正しいが厳密ではない。君たちは受精の前段階の細胞レベルからiPS技術により作製されたまったく新しい人類である。したがって親というものも存在しない。強いていうならばその元となる細胞の提供者が親と言えよう」
「じゃあ僕たちに備わっている記憶は?これも造られたものなのか?」
「そうだ。睡眠学習の応用と考えてもらえばわかりやすいだろう。君たちを活性化するにあたっての必要最低限の知識はプリインストールする必要があったのだ」
「それで・・・それでも僕たちは人間といえるのか?」
「君たちは今言ったように新しく生まれた人類である。その証拠に、なによりも実際に今君たちはこうして生きているではないか」
「だけど・・・まるで模型のように作られたものが人間と言えるのか?」
「模型ではない。君たちには人格がある」
「人格?それが人間である証拠になると?」
「昔の学者がそう定義したのだ。人格を持つものが人間であると。もし君たちが生物的に生命活動をしていても人としての心を持たねばただの人工物にすぎない。言うなれば肉体を持つロボットだ」
イプシロンが呟くように言う。
「じゃあ逆に言えば機械の体でも人格が備わっていれば人間であるということになる」
「そうだ、それは機械の体を持つ人間である。だがそれは生物とは呼べまい」
シグマが割って入る。
「そんなことより、そんなことよりこの先俺たちはどうなるんだ?なにをさせるつもりなんだ?」
「君たちには地上に降りて現状を調べ、地球に残存する人類の探索、および支援をして欲しい。詳細は現況確認の後追って報せるものである」
「いったい地球はどうなっちまったんだ?なんであんな汚れた星になっちまったんだ?」
「遺伝子操作に端を発する環境の異常変化が原因と言われている。だがわたし自身詳細なデータを持たないため今はそれ以上のことはわからない」
「今の地球に危険はないのですか?」イオタが尋ねる。
「大気は生物が生息できるレベルで安定している。安全には十分配慮し、もし危険があれば即時帰還してかまわない。またわたしも最大限のサポートを約束するものである」
そこまで言うと『ゼウス』のヴィジョンにノイズが入り歪みだした。
「ナナナノカンサーの脈動が感知された。活動限界である。今後のことは各プログラミング・ボットの指示に従って欲しいいい。くくれぐれも君たちに課せられた使命の大きさをを忘れぬよう希望する。これは地球人るるる類ののそんぞくくくく・・・・」
「ちょっと待てよ!」
『ゼウス』は追いすがるように叫ぶシグマににべもなく消えた。残された生徒たちはただ呆然とし、言いようのない重苦しい沈黙に包まれた。
10
(ある電脳生理学者が語る)
君たちもエクトプラズムという言葉は聞いたことがあるだろう。言い換えれば霊魂のことだ。まあ心霊写真などというものはすべからくトリック、まやかしの類に過ぎないわけだが、そういった与太話は置いとくとして、人間が死ぬと20~30グラム程度の体重の減少が見られるといった話はたとえ作り話であるとしてもなかなかもっともらしく、興味をそそられることだとは思わないかね?
まあそれさえも胡散臭い話ではあるが、しかしながらこの自然界に現在の科学や技術では計測できない存在があったとしても不思議ではないのではないかね?むしろすべての事象を科学で証明できるとかデータ化できるとか考えるほうが横暴、傲慢なのではないだろうか。
空気のように目に見えなくとも存在するものがあるように、機械で計測できなくとも、科学で実証できなくとも存在するものがあってもおかしくはないのではないかね?
わたしが言いたいのは、たとえ眉唾な話であっても、そういった考え方を単純に馬鹿馬鹿しいなどと一蹴せず、すべての事柄の可能性を踏まえて柔軟な発想を心がけて欲しいということなのだ。
自分たちがある目的のために人工的に作られた存在であるという事実は生徒たちに対しての重い十字架となってのしかかっていた。
それまではカイやパイを始め多くの者が船を降りることを強く拒んでいたのだが、彼らの中にも逃れようのない使命感のようなものが生まれてきていたのだった。もしこれを否定してしまうのならば、自分たちの存在そのものを否定するに等しいのではないか?
ただタウのように『ゼウス』の話に懐疑的な者もいた。タウは皆に向かって提案した。
「何人かはこの船に残るべきだと思う。なにも『ゼウス』の言いなりになる必要はないだろ。むしろオレはあいつに対して怒りさえ感じている。俺たちは道具じゃないんだ。自分がなにをするべきかは自分で決める」
それに対してイオタが反論した。
「確かにそうさ、僕たちを道具みたいに使うなんてふざけてるよ。でも考えてみて欲しい。僕らの使命は意義のあるものだ。もし人類が絶滅の危機に瀕しているのならなにもせず安全な高みから見物していていいわけがない。僕は例えあいつに造られた存在だとしても僕らの使命は正当なものだと思う」
「ちぇっ、格好つけやがって」
シグマが横を向いたままチャチャを入れる。
「なんだと!じゃあ君はこのまま船に残るがいいさ。そしてなにもせず意味なくのんびり過ごしてそのままおじいさんなってしまえばいいんだ!」
「オレはお前みたいに脳天気にゃなれないって言ってんだよ!」
「もうやめなさいよふたりとも」
ファイが見かねて割って入った。
「でもわたしも降りたくない人は無理して降りなくてもいいと思う。それは自由でいいと思う」
「そういうファイはどうなんだよ?」
「わたしは降りるつもり」
「本気かよ!」
「でもさあ」とミュー。
「今の地球って安全なのかなあ。な~んかばっちい感じ。息も吸えないとかないのかなあ」
それに対してイオタが言う。
「それを調べるのも僕らの勤めじゃないか。『ゼウス』自身がなぜ地球がこうなったのか詳細がわからないって言ってたんだから僕らが調べるしかないだろう」
それについてはラムダはいくぶん懐疑的だった。
「あいつの言うことをすべて信じていいのか?僕はどうにもまだなにか隠しているような気がしてならない」
「でも人工知能は嘘をつけない決まりになってるのは知ってるだろ?そうしないと制御できなくなって反乱を起こしかねないからね」
デルタは頬杖をつきながら言う。
「とりあえず出てみてさ、こりゃヤバイって思ったら引き返せばいいんじゃないの?別に命かけろってわけじゃないだろうて」
シータもそれに同意した。
「この船を拠点にしとけば安全なんじゃないの?そのためにも何人かは残った方がいいと思うわ」
「ほんじゃみなさんいってらっしゃ~い」とカイ。
オメガがパイの肩に手を置いて言う。
「パイもあたしと残ろう。な?」
ベータとカッパも尻馬に乗るように続いた。
「オレも行かねえ」
「おーれも。シグマも行かねえよな?」
だがシグマは予想に反して答えた。
「オレは行く。行ってなにがどうなってるのか見てくる」
「おいおいマジかよ。まさかニューリーダー様に対抗意識燃やしてんのか?」
「そんなんじゃねえよ。オレはただじっとしてんのが性に合わねえだけさ」
11
(ある生物学者が語る)
諸君らはビッグファイブという言葉を聞いたことがあるだろうか?それは地球の長きにわたる地質時代において、幾度と無く繰り返されて来た生物の大量絶滅を意味するものである。
例えを上げるならば恐竜の時代の終焉がそうである。かつてジュラ紀・白亜紀と繁栄を欲しいままにしてきた恐竜たちがなにゆえに絶滅したのか?その明快な答えはいまだ示されてはいないが、彼らがある時期にごく短い期間で絶滅してしまったことはよく知られていることである。だがこういった大規模な絶滅はこれに限らず生物の誕生以来複数回確認されており、その端的なもののうち5つをそう呼ぶのである。
君たちはそれらを遠い大昔のこととなかばロマン的に捉えるかもしれない。だが実はそうではないのだ。今も現実にこの大量絶滅が進行中なのである。そしていまもって絶滅に瀕する生物の種は数限りなく存在するのだ。
だがしかし、現代の大量絶滅には過去のものとは明確な相違点がある。ひとつはその速度がゆっくりと進んでいると言う点、そしてもうひとつはそれらの原因の大部分が人間の環境破壊によるものであるという点である。
その日は、来た。
宇宙船NOAHⅣはまるで遊覧船のごとく優雅に地上に舞い降りた。あたかも過去多くの観光客を乗せての太陽系一周クルージングを勤めとしていた頃のままのたたずまいで。ただ違っていたのはその星がもはや青い水の惑星ではなく赤錆びた死の惑星であったことだった。
生徒たちは近づく惑星を透明な特種強化アクリルで覆われた通路から食い入るように眺めていた。
ガンマがぽつりと呟く。
「なんでだろう、前にもこういう景色を見たような気がする・・・」
隣で通路の壁に張り付いて見下ろしていたローも同じように言う。
「ああ、オレもそうだ。やっぱりみんなあるんだな、断片的な記憶が」
デルタはそれを聞いて『ゼウス』の言葉を思い出していた。
「それも全部造られた記憶なんだぜ?」
イプシロンもそれを受けて続く。
「僕もずっと不思議に感じてた。なぜ実際には体験していないはずの記憶が時々断片的にデジャヴューのようにフラッシュバックするのかを。たぶんそれは『ゼウス』のなかでも不確かな情報で的確に処理できなかったからじゃないかな」
「ああ、でもオレのイメージではもっと荒れてたな。もっとなんて言うか・・・」
NOAHⅣは重力制御システムにより大気圏突入さえ通常の航行と変わらず穏やかに推進する。シグナル音が鳴り響くと耐熱シャッターが作動し船と外界とを隔絶した。
その時場内アナウンスが鳴り響いた。
「お知らせいたします。生徒たちは全員これより1時間以内に第2格納庫に集合してください。なお、まもなく本船のすべてのシステムは一部のメインシステムを除いてすべてシャットダウンされます。繰り返します・・・・」
それを聞いて生徒たちがざわついた。
「システムシャットダウンてなんだよ?船に残れねえってことか?」
「無理やり締め出す気でいやがる!」
残る気でいたベータとカッパが騒ぎ出す。
「生命維持機能もってことかい?」不安げなパイを代弁してオメガが言う。
「食事も出なくなるのかな?」とロー。
シグマが虚空に向かって叫んだ。
「『ゼウス』!おい『ゼウス』出てこい!てめえ聞いてんだろ!」
だが反応は無く、叫びは虚しく宙にこだまする。代わりにイプシロンが答えた。
「無駄だよ、人工知能に融通なんて概念はないからね」
タウもその言葉に同意した。
「ああ、あいつに慈悲や憐憫なんて感情はないさ。あいつからしたら俺たちはただの実験動物なのさ」
「イオタ!おまえはこれでもまだあいつの言うことを信じるのかよ!」
イオタは多少青ざめてはいたが気丈に答えた。
「いずれにしても僕は自分の使命を果たすだけだ。そのためにこの世に生まれて来たんだから」
「けっ、ご立派なこった」
ラムダはしばらく黙ってそのやりとりを聞いていたが意を決すると言った。
「とにかく最悪の事態にそなえよう。必要と思われるものをできるだけかき集めて持って行くんだ。最悪・・・」
だが最後のセリフをおもわず飲み込んでしまう。ファイが不安げにラムダの顔をのぞき込んだ。
「最悪・・・?」
ラムダは一呼吸置いてから続けた。
「最悪ここを永久に追い出されることになっても生き延びられるように」
12
それから生徒たちはわずかな残り時間を惜しんでショップに走り手当たり次第バッグに詰め込み始めた。
「『ゼウス』はちゃんと装備を準備してるんだろうか?」
「どうかな、ラムダの言ったことが杞憂ですぐ戻ってこれられるようなら心配ないんだけど」
「ミューなんだよその荷物は?」
「え?おやつだよ?」
「ピクニックに行くんじゃないんだぞ!」
「デルタ、心にゆとりを持たなくちゃ」
「おまえはゆとり持ちすぎだっての」
そこへオルガが息せき切って駆け込んできた。
「ねえ、パイ知らない?どこにも見当たらないんだよ」
「自分の部屋にいないの?」
ファイが心配そうに訊く。
「うん、心当たりは探したんだけど・・・」
「おいおいあと30分しかねえぞ?どうする?」
デルタの少し迷惑そうな口ぶりにオメガが声を大きくした。
「どうするって探してよ!仲間だろ?それが人間だろ?それとも皆心が無いのかよ!」
オメガの「人間」という言葉は少なからず皆の胸に響いた。人間ならそうするのがあたりまえなんだろうか?
そのやりとりを横で聞いていたカイが興味無さげに言った。
「パイなら中央公園で見かけたぜ」
「中央公園?」
「ああ、オレもそこに隠れて残ろうかと下見してたんでね。監視カメラから逃れられるのはあそこの茂みの中しかなさそうだし」
「そこへ案内してよ」
「え~」
「早く!時間ないんだからさ!」
「ちぇっ、しょうがねえなあ」
カイはオメガの迫力に気おされてしぶしぶ同意した。ラムダたちもそれに同行することにした。
一同はオメガと手分けして探していたイオタやシータたちと合流し中央公園に向かった。はたしてパイは茂みのなかで体を丸めてうずくまっていたところを見つかった。
「パイ、ここにいてもどうにもならないんだよ。あたしたちが付いてるから一緒に降りよう、な?」
だがパイはオメガの言葉に耳を貸そうとはしない。見ると小刻みに震えているのがわかった。
ファイが心配そうに気遣い肩に手を掛けた。
「大丈夫?体の具合が悪いんじゃないの?」
「わかってる!でもダメなの!」
パイがややヒステリックに叫んだ。
「ダメって?」
「怖いのよ!」
「怖いのは皆同じよ」
ファイがやさしく諭すように言う。するとパイは泣きはらした顔を上げて叫んだ。
「だって見えるんだもん!みんなあそこで死んじゃうんだよ!」
そのセリフにその場にいた者たちは凍りついた。見ていたのだ、やはり皆。
「ずっと夢だと思ってた。意味なんてないと思ってた。でもわかってきたの。あれは過去のわたしたちだったのよ!そしてこれからまた同じ事が起こるんだわ!」
一同は明らかに動揺していた。頭から消そうとしていた記憶を掘り起こされたのだ。今まで誰も語ろうとしなかった忌まわしい記憶の断片。それは触れてはいけない話題だった。
「きっとわたしたちは今まで何度も同じ事を繰り返してきたのよ!そしてそのたびに――」
「違う!」
その言葉に皆はハッと我に返り振り向いた。ラムダだった。ラムダは強い意志を感じさせる口調ではっきりと言葉を発した。
それから思わず自分の口から出た言葉に自ら少し戸惑い、口調を柔らかく改めて続けた。
「違うよ、運命は決定されたものじゃないんだ。これから造られるものなんだ。それを作るのは僕たち自身なんだよ。『ゼウス』の言葉を借りるのは癪だけど、僕たちはロボットじゃないんだ。だから決められた通りにはならない。僕は運命を変えてみせる。それが人間である証になると信じているから」
少し、場の空気が変わるのがわかった。しばしの沈黙をデルタが咳払いで破った。
「え~コホン、まあそういうことで。とにかくあと10分少々しかないんで、よろしく!」
イオタがそれを受けて慌てたように言う。
「そうだ、もう時間がない!パイのことはオメガに任そう。いい?」
「ああ、皆先に行ってて」
一同はオメガとパイを残して慌ただしく散った。ファイが振り向くとパイがオメガの言葉に頷いているのが見えた。
ミューが言う。
「あたしは怖くないもん!絶対長生きするもん!」
デルタが応じる。
「ああそうだな、お前は長生きするよ」
13
第2格納庫は普段は閉鎖されている区画にあった。タウの調べではそこは上陸用の車両保管庫にあたるらしい。生徒たちは誘導シグナルに従いターミナルに集まった。本来ならば観光旅行客がたむろするはずの場所である。だがこれから赴くのは懐かしい我が家への帰還とは程遠い苛烈な旅路であった。
さらに生徒たちを圧迫したのはターミナルの異質なムードだった。そこには普段見慣れないロボットが何台も配備されていた。セキュリティーエリアの警備を行う『マーチ』だ。『マーチ』は『ワルツ』より一回り大きな体躯をしていたが、なにより違っていたのはタレットを装備していることだった。
時間になると、大型スクリーンに『コマンダー』が現れた。
「集まってもらったのは他でもない。諸君にはこれよりシャトルワゴンに分乗し、地上に上陸してもらう。三台のシャトルワゴンには必要と思われる装備を配備してあるので必要に応じて使用されたし。
君たちの目的は他でもない、地球上に残存する人類を探索し接触することである。諸君らの活躍に人類の再生が掛かっていると言っても過言ではない」
シグマがぼそっと不満を口にした。
「ふざけんな、知ったこっちゃねえ。勝手にそんなもん背負わせんじゃねえよ」
ふと横のカイを見るとどこか様子がおかしいことに気がついた。青ざめて呼吸も荒い。
「カイ、腹くくれよ」
だがカイは無反応だった。いやな予感がした。
「カイ、変な気は起こすなよ。あの警備ロボはあいつらが掌握してんだからな」
生徒たちは納得行かないまでもシャトルワゴンの乗り場に移動した。そしてラムダ、イオタ、シグマをリーダーに5~6人の3つのグループにわかれた。
シャトルの後部の荷物入れを開けるとそこには明らかに不似合いなものが入っていた。
「これは・・・本物だよな?」
デルタが取り出したのは軍用のパルスライフルだった。あのサバイバル教室は実戦を踏まえてのものだったのだ。
「こんなものが必要になるのか?」
その時異変が起こった。
「カイ!よせ!」
シグマの叫ぶ声に振り向くとカイがパルスライフルを抱えて飛び出すのが見えた。そして構えると『マーチ』に向けて引き金を引いた。
バーストモードで発射されたパルス弾が命中すると、『マーチ』は回路のショートの火花を散らしながらキュルキュルと耳障りな軋み声を上げた。そして胸部を開放しタレットをむき出しにした。カイはさらにそこへ畳み掛けるように撃ち込む。すると『マーチ』はバリバリと電気的な光を発した後、ヒューンと気の抜けた音をたててそのまま動かなくなった。
生徒たちは呆気にとられ言葉を失った。カイは無言で次の標的に銃口を向けると引き金を引いた。
シグマが我に返ると叫んだ。
「やめろカイ、そんなことをしてもなんにもならないぞ!」
しかしカイは引き金を引き続けた。ファイが叫ぶ。
「やめてカイ、危ないわ!そんなことしたら――」
カイに向かって行こうとするファイの腕をラムダが掴んで引き止め、皆に向かって叫んだ。
「みんなすぐにシャトルの中に避難しろ!早く!」
「でもカイが・・・」
「ファイ、巻き添えを食うぞ!」
シグマはなおも叫んだ。
「カイ、逃げろ!まだ間に合う!」
だがカイは聞く耳を持たなかった。
「オレはここに残る!『ゼウス』をぶち壊してこの船をぶんどってやる!誰の指図も受けねえ!」
カイは絶叫しながら打ち続けた。だがパルスライフルの銃口が加熱で白く煙を吐くとオーバーヒートを起こし要冷却のシグナルが点滅した。それがサインだったかのように天井から数台の大型のタレットが降りてきた。
シグマは絶望の中叫んだ。
「逃げろ!」
カイはそれらをただ呆然と眺め、立ち尽くした。そして悄然とした顔で振り返った。
「みんな・・・」
次の瞬間、四方から容赦無い無数の銃弾が雷雨のようにカイに浴びせられた。ほとんどのものは顔を逸らし直視できなかったが、シグマたちにはまるでスローモーションのように時間がゆるやかに流れる中、カイの体がちぎれ飛ぶさまが見えた。それはまるで人間ではなく、ただの人形であるかのように現実味のない光景であった。
大型タレットが機械的に作業を終え、天井に収納されると『コマンダー』のビジョンが現れて言った。
「重要かつ危険な規律違反行為を確認したため可及的速やかにこれを排除した」
「排除・・・だと?」
シグマは原型をとどめぬ血だまりの物体に胃液がこみ上げてくるのを抑え、呻くように声を絞り出した。
わななくその体をタウとローが両脇から抱えるようにしてシャトルへ引き込んだ。
『コマンダー』は冷徹に続けた。
「なお任務は遅滞なく遂行されたし。諸君らの武運を祈る」