Ⅱ
6
(ある電脳生理学者の講義より)
ところで君たちは未だにやれ脳死だ心臓死だの議論しているようだが噴飯物である。そもそも人間の主体はどこにあると考えているのかね?
じゃあこうしよう。もしある者から脳髄と心臓をバラバラに取り出してなおかつその両方がそれぞれ生き続けていたとしよう。さて君はその人に用事ができた時どっちに向かって話しかけるかね?脳に決まってるだろ?心臓に話しかけても言葉が伝わるわけないんだからね。
つまりだ、脳以外の体は単なる入れ物に過ぎないのだよ。人間とは脳髄なのだよ。それは人格という言葉に置き換えても良い。人格の存在が命にほかならないのだ。まあこれはあくまで例え話だがね。
だがもし、だ。もし本当に脳だけ取り出してなおかつ肉体を捨ててまで生き長らえることができたならばどうだろう。それのみで一人の人間として認められるのではないかね?
我々の研究は既存の医学や生理学をはるかに飛び越えてしまうものである。だがその行き着く先には「人間とはなにか」といった太古の時代からめんめんとつづく青臭い哲学が常に横たわっていることを肝に銘じておかなければならないのだ。
目的地が地球であるらしいというタウとローの話はまたたくまに生徒たちの知るところとなった。そのことは不安をいくばくか解消させるには十分であった。そして平穏な日々の中で彼らは次第にこの状況を前向きに受け入れ始めていった。
皆はタウたちにならい船内の探検を始め、そこでさまざまな魅力的なものを見つけてくるのようになった。
船内には居住区や中央の公園の他にもレクリエーションのための施設が存在し自由に利用することができた。あまつさえ温水プールまで備わっていた。タウの考えによればこの船はもともとは客船であったらしく、それゆえ長期間の航行を快適に過ごすための設備が整えられてあるのだろうと推測された。
とりわけ少女たちにとって嬉しかったことは衣料品を扱うブティックの存在だった。各自の部屋には目覚めた時に入っていたカプセルがあり、その中に入ることで体と同時に衣服も常に清潔に保つことができる仕組みになっていた。それでそれまで皆飾り気の無いお仕着せのスウェットスーツを着用していたのだが、それぞれが個性に目覚めるに連れ飽きたりなくなっていたのだった。
ある時、カイという少年の発案で親睦を深めるためにとダンスホールでパーティーが開催されることとなった。
カイはいつも陽気だがちょっとお調子者なところもある少年だった。それでも皆それぞれの間にあるぎこちなさに閉塞感さえ感じていたことからいい機会と全員参加で話がまとまった。そこで少女たちはもとより少年たちも思い思いの衣装で参加することとなった。
デルタは社交性を発揮してファイやミューを誘い踊っていたが、そんな気分になれなかったラムダはこれもまた人付き合いが苦手なイプシロンと隅のテーブルでドリンク片手にそれを眺めていた。なにやらシグマという背の高いスラっとした少年がファイにちょっかいを出して撥ね付けられているのが見えた。
「いいのかいラムダ、シグマってやつ結構やり手らしいよ?」
「いいもなにも僕たちそういう関係でもないしね。それより君も誰か誘ったらどうだい?あの子なんていかしてるぜ?」
赤い派手なドレスをまとったシータという少女が見事なダンスで皆を魅了していた。ラムダが視線を向けているとたまたま彼女と目が合った。ちょっと気まずさに目を逸らす。と、シータの方から近づいて来て手を引いた。
「ねえ、そんな辛気臭い顔してないで一緒に踊らない?」
「あ、いや、僕はそういうのは苦手だから・・・」
そう言いながら視線はファイを探していた。シグマが性懲りもなくファイに絡んでいたからだ。シータはそれを見逃さなかった。そして少しいたずらな口調で言う。
「あら、お友達と一緒じゃなくちゃおいやなの?それとも・・・ファイを気にしてるんでしょ?イプシロンも?」
イプシロンもやんわりと断った。
「僕はこうして皆が楽しそうに踊っているのを見ている方が好きなんだよ」
そこへカイが割って入って来た。
「なにやってんだよシータ、そんな陰気な奴らは放っといて一緒に楽しくやろうぜ」
シータは少し名残惜しそうな様子だったがカイとともに離れていった。ラムダは小さくため息をつく。
「陰気な奴らだってさ」
「君と一緒にされてしまったね」
「おいおい抜け駆けはよせよ。それより皆よく無邪気にはしゃげるもんだと感心するよ」
「そうかな・・・」
イプシロンが真顔になって続けた。
「僕には皆不安を打ち消そうと馬鹿騒ぎしているようにしか見えないけどね。本当は君だってわかっているんだろ?僕らは常に見張られている。実験動物のようにね」
7
「今日ご紹介するのはこれ、この魔法の種子です。これさえあれば人口増加に伴う食糧危機などいっぺんに解消できるのです!」
(場内ざわめく)
「この遺伝子組み換えから生まれた穀物の種子はかつてないほどの生命力を誇り、どんな悪条件でもたわわに稔るのです。もちろん、人体にはなんの悪影響もございませんので安心してお召し上がりいただけます。
また、これら穀物の成長の妨げとなるしつこい害虫ですが、強力な殺虫効果のある専用の農薬を散布することで完璧に駆除できるのです!皆さん農薬というと体に悪いんじゃないかなあと不安に感じられるんじゃないですか?」
(不安げに同意の声が漏れる)
「ところがご安心ください!この農薬、非常に強力でありながら穀物にはまったく害がなく、さっと水に流れてしまいますので皆さんの健康にはいささかも影響がないというこれまた魔法の農薬なのです!」
(感嘆の声)
「さあいまこそ旧態依然とした昔ながらの農業に別れを告げる時です。遺伝子組み換え作物で豊かな未来を!」
(場内万雷の拍手)
確かに変化の兆しはあったのだ。授業の科目は歴史や文化から幾何学地質学と多岐にわたっていたが、いずれも基礎的で常識的なものばかりだった。だがそこへ異質な学問が追加された。
そのホロビジョンは自らを『コマンダー』と名乗った。ラムダはそれが以前タウが言っていたまだ明らかになっていないプログラムのうちのひとつであることを思い出した。
彼は迷彩服を着用し、軍人然とした容姿をしていた。そしてその担当教科であるところの「生存術」について語り出した。
「生存術」とは言わばサバイバル術のことであった。その内容はジャングル、砂漠、氷原などあらゆる辺境の地で生き残るための術を教えるものだった。
火の起こし方や悪天候でのしのぎ方、寝床の作り方などはもとより、食料調達のための狩りのやりかたやどういった雑草が食べられるのか、そしてその見分け方、さらには食べられる虫の種類などについて延々と講義が続けられた。
「有害であるかどうかを見分けるためには舌の上にしばらく載せ・・・蜘蛛はチョコレートの味がして美味であるが・・・」
生徒たちはそれをただ唖然として聞いていた。なぜ突如そのようなことを?それはこれからそういった知識が必要となることを意味しているのか?そう考えると背筋に嫌な汗が流れる思いだった。
だが異質な授業はそれだけにとどまらなかった。さらに『コマンダー』が銃器の扱いについて語り出すに及び生徒たちの不安は否応なしに増すばかりであった。
「戦争でもおっ始めるつもりなのか?」
デルタがなかば茶化すように言う。それを『コマンダー』は見逃さなかった。
「貴様、私語は許さん!お前のような糞の役にもたたん木偶の坊の命などどうなろうと知ったことではないが、お前一人のミスで部隊が全滅するのだということを忘れるな!」
デルタはただ目を白黒させるばかりだった。続いて『コマンダー』は生徒たちをぐるりと見渡すと言った。
「これは遊びではない。長生きしたければこれから伝えることをそのろくでもない脳みそにあまさず刻み込んでおけ!」
すると『コマンダー』の背後のスクリーンに映像が映し出された。そこには赤茶色の惑星が写っていた。
「諸君らの赴任先はこの太陽系第三惑星、地球である!」
生徒たちに動揺が走った。
「あれが地球だって!?」
「聞いてないぞ?いままでそんな話なかったじゃないか!」
「なにがどうなってるのか説明してくれ!だいたい赴任ってなんだよ!勝手なこと言うなよ!」
だが『コマンダー』は意に介しなかった。
「抗議や質問はいっさい受け付けない。死にたくなければ指示に従え。貴様らに選択の余地はないと思え。上陸は十四日後である」
納得出来ない生徒たちの声は怒号のように鳴り響いた。なにゆえ自分たちが故なく危険を伴う任務を強制されねばならないのか。いったい自分たちのことをなんだと思っているのか。
だがラムダは不思議と冷静に受け止めていた。来るべき時が来たのだ。われわれはまさにそのためにここに集められたのだ。そしてこれは運命だ。避けられない定めの。皆だって本当はわかっているはずだ。それがまさに自分たちの存在理由であることが・・・。
8
(以下電脳科学の第一人者である白畝正夢博士へのテレビのニュース番組でのインタビューより抜粋)
「只今お仕事中ということでスタジオと研究所をカメラで結んでお送りさせて頂きます。博士、今日はお忙しいところを失礼致します」
「いえいえこちらこそ」
「さっそくですが博士は完全なる電脳は可能とのお考えと伺いましたが?」
「事実です。そう遠くない未来に実現可能です」
「ということは既にかなり研究は進んでいると見てよろしいんですね?」
「はい、いよいよ最終段階に到達しようというところです」
「最終段階、と言われますと?」
「電脳をネット上に住まわせ独自に生息させることです」
「・・・ちょっとおっしゃっている意味が分かりかねるのですが」
「電脳は平たく言えば脳のデータ化、プログラム化です。データ化されたものであるならばネットに放流しそのまま生き長らえることも可能なのです」
「いやはや想像がつきかねますがそんなことができたら体なんていらなくなっちゃいますよね」
「そういうことになります」
「しかしそうは言われましてもとても実現可能とは思えないのですが・・・」
「そうでしょうか?ところで面白いものをご覧頂きましょう。カメラをちょっと引いていただけますか?はい結構」
「あれ?博士が二人?これはまた・・・?」
「お分かりですか?今しゃべっているのが本物のわたしです。いや、本来のわたしと言うべきかな。実はあなたが今まで話していた相手はこちらのディスプレイの中に住んでいるわたしだったのです」
「じゃあそれが」
「そうです、このディスプレイの中のわたしが電脳化されたわたしなのです」
――この放送はごく一部の者を除いては、安っぽいトリックに違いないと猜疑的な目で見られたに過ぎなかった。なかには科学者としてあるまじきペテン行為と非難する者も数多くいた。
だがそんな騒動のさなか、真偽不明のまま当事者である白畝博士は謎の自殺を遂げたのであった。
その後の生徒たちはやり場のないストレスと緊張感、焦り、憤怒といった感情が渦巻く中残り少ない日々を消化していった。会合を重ねた所で拉致があかぬことはわかってはいたが、日夜不毛な討論が繰り広げられていた。
その日も食堂で話し合いが行われていた。皆が一同に会する食堂はその格好の集会所だったのだ。
疑問点は数限りなくあったが、さしあたって地球の現状が把握できていないことに皆強く不安を感じていた。それ以上にその疑問に答えてくれる者がいないことが問題だった。
タウとローの二人はその後も相変わらず授業を抜けては独自に船内を嗅ぎまわっていた。
だがNOAHⅣの鉄のカーテンは厚く、真相には行きつけずにいた。
「不思議なことなんだが、遮断しているとか抹消されているとか言うより最初から存在しないみたいなんだ」
タウは皆に対して知り得た数少ない情報を伝えた。
「・・・なにがだい?」
じれったそうにイオタが訊く。
「地球の現状のデータが、だよ」
「じゃあ『マザー』や『ティーチャー』がその質問に答えられないのもデータが入っていないからなのか?」
「そういうことだな。あいつらは比較的単純なプログラムに過ぎないからな」
ラムダは前から気になっていた疑問を口にした。
「『マスター』はどうなんだ?すべてを統括する『マスター』なら知っているんじゃないか?このプロジェクト、あえてプロジェクトと言わせてもらうが、すべてが『マスター』によって遂行されているんじゃないのか?」
だがタウはその考えには否定的だった。
「それがどうもそうでもないらしいんだ。『マスター』自身も指揮命令系統を司るプログラムに過ぎないようなんだ。ただ・・・」
「ただ?」
「『マスター』には確かに強固なプロテクトが掛かったブロックが存在する。そこになにか秘密があるような気がしてならないんだ」
「まだ別の存在、『グランドマスター』のようなものが存在するのか?」
「かもしれない。少なくとも『マスター』自身はさほど高度な知性を感じさせない。その君の言うプロジェクトを推進するほどにはね」
今や生徒たちの間には以前のダンスパーティーの時のような陽気さはすっかり影を潜めてしまっていた。楽天的だったカイやデルタもジョークさえ言える雰囲気ではなくなっていた。
カイが腹立ちまぎれに吐き出すように言った。
「オレはここを出て行かないぞ。ここに残る。どうなろうが知ったこっちゃねえ」
普段おとなしくあまり意見を口にすることのなかったガンマも同意した。ガンマは小柄で目立たない少年だったが言うべきことははっきり言うタイプだった。
「僕もここに残る。この船を降りる理由が無いよ。それになんだかすごく嫌な予感がするから」
「ああそうだ、見たろあの地球を?あれが人間が住む星かっての。食料の補給さえおぼつかないっての」
と、突然パイという少女がテーブルに突っ伏して泣きだした。
「あたし死にたくない!あそこに行ったらみんな死んじゃうのよ!あたしたち死んじゃうのよ!」
泣きじゃくるパイをシータとオメガがなだめる。オメガは男勝りの気の強い少女だった。「心配するなって。あたしが付いててあげるから。な?」
「そうよ、わけわかんないやつの言いなりになる必要なんてないわよ」
その言葉に苦笑を漏らす声が聞こえた。シグマだ。シグマは取り巻きのベータ、カッパと共に皆から離れたテーブルに両足を投げ出して座っていた。
オメガが腹立たしさに気色ばんだ。
「なにが可笑しいんだ?あんたさっきからぜんぜん話に参加してないよな。どういうつもりなんだ?」
シグマがテーブルに載せていた両足を下ろすと小馬鹿にしたような口調で答えた。
「無駄なんだよ。オレたちゃここには残れないようにできてんのさ。そうじゃなきゃ実験の意味がねえからな。こいつはな、ようするに人体実験なんだよ。俺達の命なんざモルモットと変わりないのさ!」
それを聞いてまたパイが泣きだした。
「くだらねえ。泣く暇があったらあそこでどうやって生き延びるかを考えたほうが現実的だと思うぜ?ま、オレの知ったこっちゃねえがな」
イオタが立ち上がって咎めた。
「シグマ、真面目にやる気がないのなら邪魔せず出て行ってくれたまえ!」
「ちぇっ、仕切りやがって。学級長にでもなったつもりか?」
「なんだと!」
シグマがすっくと立ち上がるとイオタは少したじろいだ。それを見てベータとカッパの二人がけしかけるように囃し立てる。
「無理すんなよ足が震えてるぞ」
「おまえなんざリーダーの器じゃねえよ。な、シグマ?」
「なーんだかさあ」
熱くなった二人をよそに緊張感のないもごもごという不鮮明な声が聞こえた。皆辺りを見回す。と、テーブルに顔が隠れていたので気がつかなかったがミューだった。どこから持ちだしたのかスナック菓子を抱えてぱくついていた。
「シグマっちってスットコドッコイだけど今度ばかりはあたしもそんな気がするわ。タフじゃないと生きていけないのよ、うん」
あっけにとられる一同。この子は度胸が座っているのかそれとも単に鈍いのか。
「ス、スットコドッコイておまえ・・・」
その時唐突にシグマの頭上の空間が歪みヴィジョンが浮かび上がった。それは肥大化した『マザー』の顔だった。シグマは凍りついたような皆の視線でヴィジョンの出現に気づき、ぎょっとして席から転げ落ちた。ベータとカッパも思わず声をあげて距離を取る。
「みみみなさんおおおそろいでででで・・・」
なにかが混線しているように音声と映像がぶれていた。激しいノイズがしばらく続いた後、映像がクリアになるとそこには今まで見たことのない別の顔が浮かび上がっていた。
「わわわたしは・・・・ゼウス・・・・」