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1/6

  プロローグ


 『丸』は目覚めた。

(何もない部屋だ・・・)

 そこに『四角』が現れた。

 『丸』は考える。

(あれは自分ではない。なぜなら自分は丸いがあいつは四角いからだ)

 『四角』もまた考える。

(あれは自分ではないな。なぜなら自分は四角いがあいつは丸いからな)

 こうして二人は自分と比較する対象の存在によって初めて自分というものを認識し始めた。

 しばしの沈黙の後、『丸』が口を開いた。

「君は、誰だ?」

 そう訊かれた『四角』もまた同じ質問をぶつけた。

「そういうおまえこそ何者だ?」

 『丸』は答えに窮した。

「・・・わからない。実は僕は自分自身のことを何一つ知らない」

「そうか・・・」

 それは『四角』も同じ事だった。

「まあ、いいだろう。それはさして重要でもないさ」

 だが『丸』はそうは考えなかった。

「そうだろうか、僕たちがなぜここにこうして存在しているのか気にならないかい?」

「存在することに理由が必要でもないだろうさ」

 こうして初めて意見の相違が生まれた。そのことがそれぞれの『個』を認識させた。

「僕と君は少し考え方が違うようだね」

「うん、でも物事を多角的に捉えて検証するには意見をぶつけるのは有効な手段だろう」

 二人はそうやってお互いの相違を確認するかのように言葉をかわしていた。

 そこへ三番目の存在、『三角』が姿を現した。

 『三角』はあたりをきょろきょろと見回し、先人を見つけると恐る恐る声をかけた。

「や、やあ」

 『丸』と『四角』はそこでようやく第三者の存在に気がついた。

「やあ」

「おお」

 新参者の『三角』が尋ねる。

「ここはどこだい?いったいなにをやってるんだい?」

二人は顔を見合わせた。

 『丸』が返す。

「それはどちらに言ってるんだい?」

 『三角』は少し狼狽した。

「ど、どちらでもいいんだけど・・・」

 二人きりの時には自分と自分以外という分け方だけで良かったのだが、三人となったことで対象を特定する必要が生まれたのだ。

 『四角』が言った。

「これは名前が必要ってことだな。俺たちには名前が必要なんだよ」

「そうだ、僕たちにはまだ名前がなかった。だから自分の存在があやふやだったんだ」

「じゃあ名前を――」

 そこで三人の意識はぷっつりと途切れた。


 誰かが言った。

「・・・こんなものかな」


  1

                                        

 赤い砂嵐が容赦なくラムダの全身に吹きすさんだ。油断すると体ごと持っていかれそうだ。

 その隣でデルタがその絶望的な状況に打ちひしがれ、喚いていた。

「もうなにもかも終わりだ!俺たちには無理だったんだ!」

 ラムダはそれをただ歯を食い縛りながら聞くしかなかった。

 同じく黙ったままだったイプシロンが呟いた。

「イオタとシグマのチームのシグナルも途絶えた・・・」

 デルタは自暴自棄に叫ぶ。

「死ぬんだ!全員!もういい、生きてたってどうせ―」

「落ち着け、取り乱すな」

 遮ったラムダの言葉は虚しくひびいた。

「くそっ、いったい何のために!なんのために俺たちは生まれてきたんだ!オレは許さない!あいつを絶対に!」

 その時イプシロンが迫り来る気配を察知した。

「来るぞ!奴らだ!」

「ファイ、ミュー、立つんだ!こっちに早く!」

「お終いだ!もうお終いだ!」

 気づくと無数の忍び寄る影が彼らを遠目に取り囲んでいた。折しも降りだした赤サビのような雨が彼らの体にまとわりつく。

 ラムダは銃をギュッと握りしめた。

 やがてその姿は奇っ怪な無数の影に飲み込まれていった。


 虚空に浮かぶ目がその一部始終を見ていた。

「・・・なるほど」


  2


 少年は目覚めた。そしてつい今しがたまで見ていた不思議な夢をおぼろに思い出していた。だがそれ以上深く考えることはしなかった。それよりも今自分の置かれている状況の方が重要だったからだ。

 そこはカプセルの中のようであった。密閉された内部にひんやりとした空気がよどみ、透明な樹脂の前面は半透明に曇っていた。

 少し痺れの残る右手の指先で手元のスイッチをまさぐる。探し当て、操作すると前面が開いた。

 少年はゆっくりと起き上がるとあたりを見回した。

(ここは・・・自分の部屋だ。いや・・・だと思う)

 記憶が混乱していた。どういうことだろう、わかりきっているはずなのに自信がない。これは本当の記憶なのだろうか?まるで誰かにインプットされたかのようにとってつけた記憶ではないか。

(記憶・・・?)

 そうだ、記憶。なぜここにいるんだ?いつからここにいるんだ?そもそも・・・そもそも自分は誰なんだ?

 そう考えた時、少年は恐怖を覚えた。まるで今までの記憶が無かったのだ。名前さえ思い出せない。それでいてなぜかカプセルの開け方には迷いがなかった。まるで今まで何度もそうしていたかのように。

 とにかくもっと情報が必要だ。起き上がり部屋を観察する。部屋は狭く、殺風景で生活感の感じられぬ無機質な空間だった。白と灰色の色彩感覚に乏しい色使い。

 立ち上がると一瞬軽いめまいに襲われた。なにかを思い出しかけたような気もしたが、それはすぐに逃げていってしまった。

 少年はまだ少し頼りなげな足取りでドアへ向かった。壁に手を当てるとドアはスッと開いた。

 そこは一転開けた空間だった。中央に広場があり、その上部に通路がぐるっと張り巡らされ、部屋が並んでいる。その部屋のうちの一つが今自分がいたものだった。

少年は手摺から身を乗り出し階下の広場を見下ろした。

そこは野の花や背丈の低い樹木などに彩られ、さながら公園のようだった。見あげれば星空のまたたく夜景が広がっている。

 広場に人影を探すが人っ子一人見当たらない。もっと近くに行けば見つかるかもしれない。少年は下に降りる手段を探した。

(とりあえず通路を先まで行ってみよう)

 右手へ向かって歩き出す。と、その視線の先で向こうの部屋から誰かが出てくるのが見えた。

 少女もまた少年と同じように頼りなげな足取りで通路へさまよい出すとあたりを見回した。どうやら彼女もこちらに気づいた様子だった。

 少年は直感的に少女も同じ境遇であることを察した。二人はどちらからともなく近づくとぎこちなく挨拶をかわした。

「あ、あの、こんにちわ」

 少年は口にしてからどこか間が抜けていたように感じて少し赤面した。

「こんにちわ」

 少女は笑顔でかえしてくれた。彼女も自分と同じく地味なグレイのスウェットスーツを着ていた。おそらくやはりあのカプセルから目覚めたばかりなのだろう。

 お互い言葉が続かなかった。なんと言うべきだろうか?この状況をどう捉えればよいのだろうか?

 少女は中央の広場に視線を移すと天井を仰ぎ見た。一瞬ライトが挿し込み、めまいに襲われた。

「あぶない、ファイ!」

 少年は慌てて少女の体を支えた。

「ファイ?それがわたしの名前・・・」

 少女は記憶を手繰るように視線をさまよわせた。少年も自ら発したセリフに戸惑っていた。

「わからない・・・。咄嗟にその名前が出たんだ・・・」

 少女はなにかを思い出したように呟いた。

「そう・・・わたしはファイ・・・。そしてあなたはラムダ!」

 その時突然場内アナウンスが鳴り響いた。

「連絡します。生徒のみなさんはこれより10分以内に第三拡張室に集合してください。繰り返します。生徒のみなさんは――」

 二人は顔を見合わせた。

「生徒?僕らのことかな?僕らいったいここでなにをしているのだろう・・・」

「やはりあなたも思い出せないのね。でもなぜか以前にもこんなことが行われていたような気がするの・・・」

 ラムダは体に悪寒が走るのを感じた。

「誰か・・・誰かにずっと監視されてるような気がする!とても、とても理不尽なことが行われようとしている!」


  3


 ――ダメじゃないのあんたたちはもう!なんで言うことを聞けないの!そんなことじゃ立派な大人になれませんよ!ほんとにしょうがないわねえ。いいですか?言われたことはしっかりおやりなさい。そこっ、おしゃべりしないの!そうやってぐずぐず言い訳ばかりしてるからちっともはかどらないんでしょ?そう、そうよ、やればできるじゃないの。最初っから素直にそうしてればいいのよ。ま~たそんなことを、だからそれは駄目って言ったでしょ!もう、ほんっとに言うこと聞かないと――殺処分する。


 ラムダとファイは目的地と思われる場所へ自然と向かっていた。不思議なことに迷うこともなく。まるでここで必要とされる最低限の知識があらかじめインプットされているかのようだった。

 移動をしながらわかったことは、ここがなにか巨大な施設の中だということだった。エレベーターで降下しフロアに出ると、他にも数名の少年少女たちが拡張室へ向かうのが見えた。

 そのフロアの通路からは外の様子が見えるようになっていた。通路に出てラムダは息を呑んだ。

(ここは地上じゃない・・・するとこの施設は宇宙船の内部なのか・・・)

 ファイも同じ事に気づいていた。

「さっきの公園の夜景はホロビジョンだったのね」

「そうだ、ぼくらは宇宙船のクルーだ。だんだん思い出してきた・・・」

 そこへ二人の後ろからあわただしくバタバタと駆け寄ってくる気配を感じ、振り向くと小柄な少女がつんのめりながらファイに抱きついてきた。

「ファイ!」

「ミュー!」

 二人は旧知の友に出会ったかのように抱き合って喜んだ。

「そうだよね?あたし知ってるよ!ちゃんと覚えてた!」

(ぼくらはなにも覚えていないのに記憶を持っている。でもこれははたして記憶なのだろうか?誰かに都合のいいように作られ刷り込まれたものかもしれない)

 ラムダは名状しがたい不安と焦燥を禁じえなかった。

 拡張室に入ると見知った顔があることに気がついた。

(知っている、彼はデルタ。そしてあそこにいるのはイプシロンだ)

 こうして総勢十六名の『生徒』たちが『教室』に集められた。いずれもラムダやファイと同年代の十代前半と思われる少年少女たちだった。

 そう、その一室はまるで講義を聞くための教室のようだった。生徒たちは一様に不可思議な想いを抱きながらも思い思いの席についた。

 今からこの状況を説明してくれる者が現れるのだ。皆そう考えていた。だが予想とは違っていた。

 気を持たせるかのようなしばらくの後、前面の大型スクリーンの前の空間が歪むと一人の中年の女性が現れい出た。それが実在するものではなくホロビジョンであることは容易にわかった。

「はい、皆さん揃いましたね?いいですか?ほらほらざわつかないの。こら、そこの君たち!ローとタウ、おしゃべりしないの。イオタも前を向きなさい。もう、ほんとしょうがない子たちねえ。

 はーい、わたしはこれからみなさんの身の回りのお世話をする『マザー』です。気になることはなんでも聞いてくださいね」

 その女性のビジョンはまるでその場にそぐわぬ明るく快活な口調でそうまくし立てた。意表を突かれ、あっけにとられている生徒たちを尻目に『マザー』は続けた。

「皆さんは特に選ばれた優秀な生徒さんたちです。でもまだこれから覚えないといけないことがいっぱいありますから一生懸命勉強して立派な大人になってくださいね。いいですか?」

 どこか年少の子どもたちにでも話しかけているかのようで、重苦しい雰囲気の中にあって不自然さが際立っていた。

「これから皆さんには勉強・・・?」

 挙手をした者がいた。イオタと呼ばれた少年だ。背が高くそのせいか他のものよりいささか年長に見えた。

「はい、なんですか?」

 イオタはホロビジョンに対してまるで人間相手のように質問することに多少の違和感を感じながらも席を立つと言った。

「さきほどなんでも答えてくれるって言いましたよね?じゃあ教えてください。僕たちは何者でこれからなにをさせられようとしているのですか?ここにいる者たちは皆自分自身が何者であるのかわからずに戸惑っているのです。教えてください」

 生徒たちは自分たちの気持ちを代弁してくれたイオタの言葉に頷き、その答えに耳をそばだてた。

 だが『マザー』の答えは期待に応えるものではなかった。

「それはわかりません」

「えっ?なんでも答えるって言ったじゃないか!」

 イオタははぐらかされたような気がして少し気色ばんだ。だが『マザー』はにべもなく言う。

「わたしはわからないことにはわからないとしか言えないの。それが正しい解答です」

「なっ、じゃあここの責任者は誰なんだ?その人に合わせてくれ!」

「責任者などはいませんよ」

「そんな馬鹿なことがあるもんか!あんただって誰かの命じたプログラムなんだ!勝手に動いているとでも言うのか?」

「そうですよ、すべてオートメーションで動いているのですよ」

 生徒たちはざわめいた。イオタは呆然とし引き下がった。

 ラムダは挙手もせず立ち上がると質問を投げかけた。相手のペースに合わせるいわれはないと思ったからだ。

「ここはかなり大型の宇宙船の内部ですよね?」

「ダメですよラムダ、質問するときはちゃんと手を上げてくださいね。はいやり直し」

 ラムダは苛立ちを隠せなかったが挙手をした。

「はい、なんですか。ああ今の質問ですね?そうですよ、ここは恒星間宇宙船NOAHⅣの中です。今も航行中ですよ」

「じゃあ目的地はどこなんです?そこへなにしに行くんですか?」

「それはわかりません」

「なぜわからないんですか!」

「知らないからです。はい、他にはありませんか?」

 肝心な部分になるとまったく要領を得なかった。イオタが言うようにしょせんただのプログラムに過ぎないのだ。

 イプシロンが手を上げた。

「すべてがオートメーション化されていると言いましたよね?するとこの船にいる人間はここにいる者たちだけと言うことですか?」

 『マザー』はその問にも簡潔に答えた。

「そうです」

 結局生徒たちにとって満足行く情報が得られることはなかった。

「じゃあいいですか?はい、それではわたしからのお話はここまでとして、これから皆さんにはお勉強をしていただきます。担当が代わりますのでそのまま待っててくださいね」

 『マザー』はそう言うとふっと消え、代わりに男が現れた。

「ようこそ諸君、わたしはこれから君たちに学問を教える『ティーチャー』だ。教科は多岐に渡るので心してかかるように。ではまず――」

 『ティーチャー』は一方的にまくしたてると授業を始めた。その内容は主に人類の歴史や文化、科学、芸術といった事柄だった。それらがまるでルーティーンの授業のようにたんたんと進められるのだった。

 生徒たちは他にあてもなく、それを受け入れざるを得なかった。ただ受動的に。


  4


 幸いなるかな柔和なるもの、彼ら地を継がん ―マタイ伝5章5節―


 午前(宇宙船内部にも午前午後という時間の概念が取り入れられていた)の部が終わると、『ティーチャー』に代わり再び『マザー』が登場し休憩時間を告げた。生徒たちは食事のために食堂へ移動させられた。

 食堂につくと、今度は『ウェイター』を名乗るホロビジョンが現れ甲斐甲斐しく給仕するのだった。

「いらっしゃいませ、本日の献立はヒラメのムニエルときのこのソテー・・・」

 ミューが眉をしかてみせる。

「あたしきのこ苦手」

『ウエイター』がたしなめる。

「好き嫌いはいけませんよ。ちゃんと栄養バランスを考えた献立ですから残さず召し上がってくださいね」

 ここでもすべてのシステムはオートメーション化されていた。皆はそれぞれセルフサービスで料理を受け取るとテーブルを囲んだ。

 最初半信半疑でためらっていた者たちもその食欲をそそる香りに負け手をつけていった。実は皆非常に空腹だったのだ。

 ラムダはいったいいつ以来の食事なんだろうかと考えていた。そんななか、ミューが『ウェイター』にデザートを注文していた。

「バニラアイスにチョコをトッピングした奴がいいわ」

「そのようなことをおっしゃられましてもすべてメニューは決まっておりますので・・・」

 ラムダとファイはそのたくましさに顔を見合わせて笑った。

 やがて生徒たちは少しずつ打ち解けあい、いくつかのグループが作られ、議論が繰り広げられていった。それは自然発生的でありながら予定調和のようでもあった。なぜならすべての生徒たちに過去の記憶の断片があったからだ。

 ラムダたちのグループにはファイ、ミューに加えデルタとイプシロンが加わっていた。彼らも過去の記憶に従ったのだ。

 快活で楽観的なデルタと物静かで思慮深いイプシロンは対照的な性格だった。

 デルタが食後のコーヒーを一気に飲み干すと言った。

「ふう。まあ、よくわかんないけど飯もうまいし悪くないんじゃないの。とりあえずは、さ?」    

「まあ、あなたって楽天家なのね」

 ファイが呆れたように言う。

「だって考えたってしょうがないだろ?とにかく俺たちは今こうしてここで暮らすしか無いんだしさ」

「この先どうなるか気にならないの?」

「気にしたってしょうがないだろ?なるようになるさ」

「イプシロンはどうなの?」

 イプシロンは顔の前で両手を組み、しばらく考えてから言った。

「この船でのぼくらの待遇なんだけど・・・」

「?」

「一見なに不自由なく快適に見えるけどどこか信用ならないと感じている」

「どういう意味だ?」

 デルタが訊く。

「僕たちの名前だけど、はたして本名なんだろうか?」

「これってただのギリシャ語のアルファベットよね」

 ミューがクリームソーダをストローでつつきながら呟く。

「そうなんだ、つまりぼくらはただの記号で呼ばれているんだよ。ただ区別するためだけの記号でしか無いんだ。本当に個人として扱われているのだろうか・・・」

 黙って聞いていたラムダが口を開いた。

「感じないか?誰かがどこからか僕たちを見ている視線を。僕たちは・・・まるで実験動物にされているような気がする」

 重苦しい沈黙に耐えかねたようにデルタが努めて明るく言う。

「考え過ぎだって。この船には他に誰もいないって言ってたろ?ああいったプログラムは嘘を言うようにはできてないはずだぜ?」

「そうだと思いたいけどね」


  5


 一度目は強酸性の雷雨だった。目に映るものは皆腐敗し元の形を留めてはいなかった。むき出しの地表には有毒ガスが充満し、生きとし生けるものすべてを激しく拒絶した。

 二度目は硫化水素とアンモニアの濃霧だった。太陽の光さえ遮る澱み切った大気が大地を覆い尽くし、執拗に生命活動の余地を奪っていた。

 だが三度目には地表に変化が現れた。緑、と言うにははばかられたが、そこにはうっすらとコケが生えていた。

 自然の治癒能力。


 『マザー』が言ったとおり船内には彼ら以外には人間はいなかった。他には『ワルツ』と呼ばれる家事雑用ロボットたちがそこかしこをせかせかと徘徊しているのみだった。『ワルツ』は小型でずんぐりとした円筒形の体をしており、普段は短い両手を必要に応じてマジックハンドのように伸縮するようになっていた。愛嬌のある動作からこの船のマスコット的な存在ではあったが、ごく原始的なロボットにすぎなかった。

 ラムダたちの釈然としない想いとは裏腹に日々はおだやかに過ぎていった。彼らの暮らしには自由があり、なにかを強要されることもなかった。

 そのうち最低限の勤めである授業さえサボる者も出てきたが、特に罰を受けるでもなく放任されていた。

 なかでもタウとローのコンビは別行動をとることが多く、食事の時以外は姿を見かけることも少なかった。だが誰もそれを咎めることもなかった。そもそもここの暮らしには決まり事や目的さえもなかったからである。

 ラムダは皆がこの平穏に慣れ、流されてしまっていることに漠然と不安を抱いていた。

(どこかがおかしい、この状況には嘘が隠されている。みんな不安や矛盾を押さえつけるためにわざと気づかないふりを装っているんだ)

「なにを考えてるの?」

 中央広場の公園を歩きながら、黙りこむラムダの顔を覗きこむようにしてファイが訊く。

「ん?ああ、別になんでもないよ」

「嘘、最近特に口数が少ないじゃない。なんだかおかしいわよ」

「たしたことじゃないさ」

「ならいいけど・・・」

 沈黙が続く。気まずい雰囲気で歩いていると、思いがけずばったりタウとローに出くわした。彼らはいつもひと目を避けるかのように活動していたのだ。

 ラムダには彼らもまた何かの疑念にかられているように感じられていた。一瞬立ち止まったものの、なにごともなかったかのように通り過ぎようとする二人に思い切って声をかけてみた。

「タウ、ロー、君たちはなにを探ろうとしてるんだ?」

 二人は足を止めるとなんと答えるべきか顔を見合わせた。それからタウがあたりに気を配ると、ラムダの袖を引っ張って木陰へと導いた。タウは小柄で痩せ型、浅黒い肌をした少年だった。特徴的なのはその鋭い眼差しで、それが油断のならない印象を与えていた。ローは対照的に大柄で肉付きがよく、大人しくおっとりとした性格だった。

 タウは小声で囁くように言った。

「オレたちは常に見張られている。まずそれを意識して話せよ。と言っても『やつ』には隠し事は無駄かもしれないがな」  

「いいのか話して?」

 ローがやはり小声で言う。

「どのみちみんな気づくことよ、どのみち」

「なんのことだ?『やつ』てだれのことだ?」

「オレたちにもまだはっきりとしたことはわからないんだけどな」

 そう言うとタウとローはこの数日の彼らの行動について話し始めた。

 二人はラムダ同様最初からこの状況に対して強い疑念を抱いていた。そこで独自に調査を始めた。

 ある日のことだった。二人は物資の保管庫と思われる部屋を探し当て、その中からラップトップのタブレットを見つけた。

 タウにも他の者たち同様過去の記憶がなかったが、なぜかそういった機械やプログラムを扱う知識、技能が備わっていた。そこでこの船の回線にアクセスし、ハッキングを試みたのだ。

 二人が知りたかったのはこの船の真の支配者だった。そいつを見つけ出しこれからなにが行われようとしているのかを探ることが目的だった。

 その結果『マザー』や『ティーチャー』など複数のプログラミングボットの存在とともに『ナビゲーター』『コマンダー』といった未知のプログラミングボットの存在を探り当てた。さらにはその背後にそれらを統括する『マスター』がいるらしいことまで突き止めたのだった。

「『マスター』だって?そいつがすべてを知っているんだな?」

「ああ、そのはずなんだがな」

 タウが言葉を濁した。

「そこから先はガードが堅くって弾かれちまうんだ」

「そりゃ心臓部には入らせまいとするのは当然だろう」

「まあな、だがどうにも気持ちが悪いのは俺達のすることなすこと『マスター』に筒抜けに感じることなんだ。手の平で遊ばされてる気分だったぜ」

 それまで黙って聞いていたファイが割って入る。

「わたしも・・・なんだかいつも見張られている、と言うより観察されているような視線を感じることがあるの。薄気味悪いわ」

「薄気味悪いといえば」

 その言葉を受けてタウが言葉を継ぐ。

「俺たちは行けるところは隈なく探ってみたんだけど、いくつかの区画はセキュリティーチェックが厳重で入ることができなかったんだ。そういう場所には『ワルツ』とは違うタイプの『マーチ』って呼ばれる警備ロボットが配備されててちょっと物々しい雰囲気すら感じたよ」

「ああ、あそこになにか秘密の匂いがするよね」とロー。

「そうか・・・。じゃあ分かったことは結局それだけなのか?」

「いや、もうひとつ」

「それは?」

 タウはあらためて周りに気を配ると言った。

「この船の進路」

「進路?」

「オレの計算が間違いでなければ、だけどな。どうやらこの船ははるか以前から何年もかけて太陽系を周回していたようなんだ。そしてその軌道上には地球がある」

「目的地は地球ということか?」

「おそらく。そしてオレたちはそこでこの旅の意味を知ることになるだろう」


おや?誰もついてこないようだ・・・。

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