終章二節 - 氷融く
「どうして――?」
「えっと、少しでも与羽の役に立ちたくて――」
言ってから比呼は解答を間違えたと思った。これでは、助けた子どもよりも与羽が大事だと言っているようなものだ。中州の民や国よりもたった一人の姫君に認められたい。自己中心的な答えでしかない。
「そう……」
母親は子どもを凪に渡した。
次の瞬間――。ふわりと暖かなものが比呼に覆いかぶさってきた。
「え……」
子どもの母親が、比呼を抱きしめたのだ。
痩せ型の与羽や、胸はあるが細身の凪とはまた違う。ふっくらとして柔らかく、身につけた着物からは家事をする女性特有の炎と灰、わずかに漬物の匂いもした。
「ありがとうございます」
母親は涙声で言った。
比呼はただただ混乱している。
何とか首をめぐらせて、周りの人に視線で助けを求めてもだめだ。絡柳はからかうように口のはしを釣り上げるだけ。アメはうれしそうにほほえみ、雷乱はこちらの様子など全く気にしていない。凪も穏やかな表情で彼を見ていた。
どうすれば良いのか分からない比呼は、彼らに視線を向けながら硬直している。
そもそも比呼の基準で考えると、この母親はおかしいのだ。中州の人はみな明るく気安いが、それでも面識のない男に抱きつくなどどうかしている。
「あの……、奥……お姉さん?」
比呼は奥さんと言いかけたのを、言い直した。子がいるとはいえ、せいぜい十ほどしか歳の離れていない女性なのだから、こちらの方が喜ばれるはずだ。
「ごめんなさい。私はあなたを誤解していました」
その言葉で、比呼の動きが完全に止まった。少しずつ、比呼に対する人々がやさしく、温かくなっていく。
「まぁ、与羽が人選を誤ったことはないからな」
その様子を見ながら、絡柳がしたり顔で言った。
「俺しかり、雷乱しかり――」
「いつ小娘にお前が選ばれたんだ?」
雷乱が少し不機嫌そうな口調で彼に突っ込みを入れる。
「友人選択も正解だったということに決まっている。唯一、自分の伴侶だけは決められないようだがな」
絡柳の言葉に、雷乱は深く眉間にしわを寄せた。
「それは私たちが口出しすることじゃないわ」
凪が、母親から解放されても呆然としている比呼の頭を後ろからやさしく抱きとめる。
「まあな」
絡柳がやや離れたところで、興味なさそうにたたずむ北斗を見ている。おそらく、彼にその息子を重ねているのだろう。
「俺が与羽でも、選ぶのに困る」
雷乱に聞こえないようにするためか、小さく呟いた。
「比呼はあの激戦区に参加しなくて良かったわね」
凪も耳元に囁くようにして言う。比呼はうなずくことも、首を横に振ることもできなかった。後頭部に当たるそれを、はっきりと感じていたから――。
薬と凪の体温――二つの効果で体中が熱い。しかし、一番の原因は――。
「凪。む、胸が……当たってる」
「仕方ないじゃない。あの子を助けてくれて、ありがとう」
凪はそう言って、自分の速い鼓動が伝わるくらい強く比呼の頭を抱きしめた。
<完>
一応、比呼主人公部分はこれにて完結です。
このあと、与羽が主人公の「真終章 帰還」もありますので、よろしければどうぞ。
この「袖ひちて」というタイトルはお気づきの方もいらっしゃると思いますが、とある和歌の初句です。
この和歌の内容が、物語のストーリーとも大きく関係しています。
では、「真終章」のあとがきでお会いしましょう。
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最終更新日2016/8/12




