彼女の痛み
他人の痛みは分からない。
人間は経験した痛みしか分からない
指を切った痛みは知っているので他人の指を切ることは躊躇われる
他人の傷を見て自分の傷を受けた時の痛みを感じる、
そういった機能が人間にはあるのだと聞いた。
心の痛みはどうなのか
あなた達が行う行為で私の心は傷を負う
でもそれはあなた達にはきっと見えないのでしょう
そして見えても感じないのでしょう
きっとあなた達は同じ傷を受けたことなどないのだから―――
今日は何も起こらないように―――
授業が終わりざわざわとした雑音に教室が満たされる中、
彼女、雪野 朋は、ほぅ。とため息をつく
幼いころ、初めて自分の『異常』に気がついたのは母であった。
私が部屋に居る時、たまにドアや窓が勝手に動き出すのである。
自分は「そういうもの」だと思って生きてきたので怖くはない。
だが他の人はその不可思議な現象を気味悪がった。
母と一緒にどうにかしようとして様々な方法を試したのを覚えている。
ドアの異常を調べることから祈祷や悪魔祓いもしたが意味はなかった。
「出来るだけ自分の『異常』を隠すようにしなさい」といわれ
家の扉や窓を完全に閉めるようにし、その習慣をつけた。
それでも学校や出先に異常はやって来る
はじめはみんな怖いというより奇妙だなと首をかしげるだけだ
だが何度か現象が続くとやはり私が原因だと悟られ、気味悪がられる。
小学校と中学校では誰も近寄らず、先生ですら気味悪がってあまり話しかけてこなかった。
高校になると環境が変わった。
窓やドアに近寄らないようにし常に完全に閉めるようにしていたので現象の数は減っていた
起こっても違和感や風のせい、などと思える頻度で抑えられていたと思う。
だが私の『異常』の評価は変わらなかった。
クラスに私の中学の人間が居たのも理由だが、私はあまり人と接してこなかったので
言葉を発することが得意ではない。
それもまた一つの異常だと認識され、
これまでの『幽霊憑き』の噂と相まって私の立ち位置は決められたのだ。
でも私にも感情はある
放課後の校舎は静かだが無音では無い。
外の喧騒が内に響くこのギャップが物悲しさを演出するのだろう。
もっとも
「あんた、気味が悪いのよ」
「なんか言い返したらどうなの?」
「あ、ごめーん。手が滑ったわー」
彼女たちには関係ない話だ。人が来ない空間であれば何でも良いのだろう。
パシ、と軽く腕をはたかれる
痛くはない、だが人に不躾に触れられるのは人間誰しも嫌悪感が湧く。
それを理解した上での挑発であろうか
私が彼女たちに何かしたのだろうか? ちがう、きっと理由などない
反応が薄いのが余計に彼女たちの気持ちを荒ぶらせる。
私だって言い返したい。でも出来ない。思わず自分に笑いそうになる。
一言「やめて」と言い返すことすら出来ないほどに
私は『異常』に振れているのか。孤独に慣れてしまったのか――――
「あのー、すいません」
…いつから居たのか、急に男の人が声をかけてきた。
私を囲んでいた子たちがビクッとする。何故だか少しおもしろかった。
彼女たちの隙間から見えるその男子学生は至って普通だった。
身長は175㎝くらいだろう、平均よりやや高めだろうか
痩せても無く、太ってもいなかった。中肉中背。
顔は、なんというか悪くはない。普通。
彼の評価は外見的には『普通』としか言えなかった。だがあくまで外見だけの話だ。
驚きから立ち直った彼女たちが攻勢に出る。どうする気なのか。
「いやですね。僕、『山岳部』に入ってるんですけど今年の部員が足りないので宜しかったらお話をと思いまして~」
驚いた。いきなりのマシンガントークである。
彼は山岳部らしく山の素晴らしさを滔々と語っていた。
その場を大いに乱され場の空気が緩まる。そこに
「君もそう思いませんか!どうです山岳部。興味ない?」
私は答えられなかった。
というかこの状況でいきなり話しかけられて反応出来る人間だったら今の立ち位置にいないだろう。
「そうか!じゃあちょっと一緒に部室まで来てくれますか!」
何も答えていないのに彼は突然私の手を取り彼女たちの囲いから私を連れ出す。
…助けてくれたのか。変わった方法だったけど
だけどなんでだろう、不躾に取られたその手に不快な気持はしなかった。
●
彼に連れて来られたのは当然だが『山岳部』だった。
彼はドアを開け、中に入っていき私も招き入れられる。
いつもの様に閉めようとノブに触れた所で彼が「開けっ放しで良いですよ」と声をかけてきた。
少し迷ったが彼の善意であろう発言を無視出来ないので開けたままにした。
パイプ椅子に腰かけると彼は何かブツブツ言っていた。
良く分からないが凹んでいるみたいだった。とりあえずお礼を言わなければ……
「はい。なんでしょうか?」
彼に呼びかけると丁寧な返事が返ってきた。先ほどもであるが無駄に丁寧な言葉づかいをする。
だけど使いなれてるのか違和感はなく、こういう喋り方の人なのだと思える感じだ。
――――
「なんで、いじめられてたんですか?」
「――――――――――」
なんとかお礼は言えたが彼の質問を無言で返してしまう。
そもそも質問の答えは彼女たちが持っているので私には分からない、予想はつくが。
彼は質問を変えた。名前。良かった。それは答えられる。
「雪野さんですね、僕は『山岳部』の夢野といいます。」
彼は夢野君というらしい。ありそうであまり聞いたことのない名字だ。
名前も聞きたかったが自分も名字しか言っていないことに気づき諦める。
そういえばいつぶりだろうか。名前を教え合うなんて。
私は久しぶりに少し満たされたような気分になって――――浮かれていた。
バ ン ッ !
部室のドアが勢いよく閉まった―――
残響が残る室内で彼は無言のままに立ち上がった。
血の気が引くような感覚にとらわれる。
やめてほしい。
確認しないで欲しい。
―――拒絶しないで欲しい。
彼に声をかけられる前に私の体が反応していた、この場合は心が、かもしれない。
日が傾き少し暗くなった部室棟から、私は逃げ出していた。