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07.前途多難な一日

 パクれパクくれとしつこく繰り返すラディンに、シーナ・レイがいい加減うんざりしてきた頃、馬車が今夜の宿となるララウ村に到着した。

 太陽が西の彼方に沈んでからずいぶんたっており、暗い空には星がまたたいている。

 共に捕らわれの身だったから、狭苦しい馬車の中で一夜を明かすことになるだろうと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ほどなくしてシーナ・レイとラディンは荷馬車から降りることを許されて、宿の一室に案内された。


 見たところララウ村は小さな集落で、泊まれる宿は一軒しかないようだった。

 宿は二階建ての建物だった。

 一階が酒場をかねた食堂になっており、宿泊用の部屋は二階になっていた。

 四部屋あるうちのひとつ、階段に一番ちかい場所がシーナ・レイとラディンがあてがわれた部屋だった。古くて狭い部屋だったが、清潔で、小さいながらベッドもちゃんと二つ設置されている。

 ラディンは完全に目眩も治まり自分で歩けるくらいには回復していたが、やはり全快とはほど遠いようで、部屋につくなり小さなベッドに直行した。

「……腹がへった」

 ごろんと仰向けに寝転んで、開口一番に言う。

 言われてみればその通りで、シーナ・レイも空腹を覚えていた。

 朝食をとったきり、後は何も口にしていなかった。今日はいろいろありすぎて、それどころではなかったのだ。


「まったくよー、四の五の言ってないで、黙ってパクっておけばよかったのによ」

「またその話? 嫌だって言ったでしょう、もういい加減にあきらめなさいよ」

 またもや蒸し返してくるラディンを睨みつけ、シーナ・レイは窓の外に目をやった。

 村の中央にある集会場をかねた広場には天幕が設置され、火が焚かれている。

 村の女たちが集まって炊き出しの準備に追われていた。

 兵士たちも、それぞれ忙しく立ち働いている。

 天幕を張る者、馬の手入れをする者、見張りや見回りをする者、あるいは女たちの代わりに力仕事を手伝う者――それらの人々が炎に赤々と照らしだされ広場は活気に満ちていた。

 スープや肉を焼く香ばしい匂いが、二階にいるシーナ・レイやラディンのところまで漂ってきている。

 ラディンはベッドから起き上がって、落ち着かない様子で部屋の中をうろうろ歩き回り始めた。

「くそ、腹がへってかなわん。そこの扉は開かねぇのか? ちょっと様子見るくらい、かまわねぇよな」

「止めておきなさいよ、また殴られたらどうするのよ」

 シーナ・レイが慌てて制止するも、すでにラディンは扉を開けていた。

「げ!」

 ラディンは妙な声をあげると全開にした扉の前で固まっている。

 不振に思ったシーナ・レイは近づいてつま先立つと、背中を向けたまま動く様子のないラディンの肩越しに細い廊下に目をやった。

 扉の前に見張りの兵士がいるだろうことは、すでに予想していた。予想外だったのは、そこにもうひとり別の人物が佇んでいたことだ。

「勝手に外に出るな」

 こうして間近からあらためて見ると、記憶していたよりも長身だった。ラディンよりも、軽く頭ひとつ分は背が高く、たくましい印象を受ける。

 だか筋肉隆々という感じでもなく、無駄な肉のない引き締まった体つきは、彼の癖のない銀灰色の髪や濃いブルーの双眸とあいまって独自の印象をかもしだしている。

 実際のところシーナ・レイは、ちょっとだけシーザリオンに見惚れてしまった。無骨ながら、彼が女性に人気が高い理由が理解できるような気がした。

「シーナ・レイ……おまえいま、こいつに見惚れていただろう」

 ラディンがくるっと振り向いて、恨みがましい視線を送ってくる。

 どうやら彼も見惚れてしまったらしい。それとも気圧されたのだろうか。シーナ・レイはラディンがなんだか可哀相に思えてきて、黙っていることにした。

 ラディンはふて寝すると決めたらしく、そのまま部屋の奥に引き返すとベッドに寝転んだが、マリサが食事の乗った盆を持って現れると、途端に機嫌が良くなり身を乗り出した。

「あなたは、さっきの」

「はい。先ほどは危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

 開いたままの扉をふさぐように立っているシーザリオンに会釈して、セルシアーナ付きの侍女は部屋に入ってくると、テーブルに湯気のたちのぼる皿を並べ始める。

 ハーブをきかせてパリッと焼いたホロー鳥のもも肉に付け合せの野菜、根菜のスープ、そして石釜で焼きあげた平たくてもちもちのパン、どれも熱々で香ばしい匂いが部屋中に漂っている。飲み物はシーナ・レイには湯で割った蜂蜜酒、ラディンにはシナモンの粉を浮かべたビールが用意されていた。

「美味いじゃねえか」

 ラディンはいまやすっかりご機嫌で、さっそく旺盛な食欲を披露していた。

 壁を背に胸の前で腕を組んで、少し離れた所から、シーザリオンはその様子を無言で眺めている。

「あの……あたし達、どうしてこんな待遇を受けているのかしら」

「こんな待遇とは?」

 問いに問いで返してくるシーザリオンの慎重さに、シーナ・レイは内心で舌を巻く。それとも厚かましさというべきだろうか。

 シーザリオンは簡単に自分の情報を漏らすタイプではないらしい。

 彼と話をする相手は意識せぬままに、いつのまにか自分のことを際限なく喋らされるはめに陥っているはずだ。彼は意識的にそれを実行している。

 仕方がなく、シーナ・レイは口を開くことにした。先に自分の情報を明かさなければ、シーザリオンから何も聞き出せないことは容易に察しが付いたからだった。

「ここは村にひとつしかない宿屋でしょう。一番奥の部屋にセルシアーナ姫が泊まることになるんでしょうけれど、同じ宿の、それもすぐ近くの部屋に何故あたし達を平然と通すのか不思議だったのよ」

「ああ、そのことか」

 疑いが晴れたとは到底思えなかった。

 ラディンを殴り倒して気絶させたことに罪悪感を覚えて、というのも考えられない。

 冷笑を浮かべてラディンの額の傷を眺めているシーザリオンを見ていると、シーナ・レイは尚更そう感じるのだった。

「見張りも着けていることだし、目の届く場所に置いておく方が、私としても都合がいいだけのことだ」

「あたし達をどうするつもり?」

「まだ決めていない。どうして欲しい?」

 試すような口調だった。

 冷然と見おろしてくる視線を真正面から受け止め、シーナ・レイは苛立ちを隠そうともせずに言い返す。

「言うまでもないでしょう」

「止めておけシーナ・レイ、時間の無駄だ」

 食べることに夢中とばかり思っていたラディンが、ふいに口を開いた。スプーンを置いて木の椀を脇にどけると、ゆっくり顔を上げる。

「どうせ俺たちは、このままラビエに行くことになるんだろ」

「ほう、何を言い出すかと思えば……私がこの輿入れに、おまえなどを同行させるはずがなかろう」

「けど、そうするより他にないだろう」

 こともなげにラディンが言った。

「俺達を自国に護送するにも盗賊が襲ってきたとあっちゃあ、警護の人員を割くわけにはいかねぇし、輿入れの一行ごとレクザスに引き返せば、ラビエとの友好がおかしなことになりかねない。この村に置いていくのも論外だしな。もし俺達が本当に盗賊の一味なら、村に盗賊を引き入れることになるんだからな……だとしたら残るはラビエまで連れて行く、これしかねぇだろ」

「おまえ達を処刑すれば、その手間もはぶけるがな」

 シーザリオンは、もうひとつの案を冷酷に提案した。

「花嫁の道行きを血で汚したくはないだろう?」

「私がそんなことを気にかけるとでも思ったら大間違いだ」

 ラディンがせせら笑う。

「そうか? あんたの大切な姫君だろう」

 二人が恋人同士である事実を暗に匂わせる。

「……きさま」

 険悪な空気がふたりを包み込む。ラディンとシーザリオンは無言で睨み合った。

「あ、あの、シーザリオン様、階下でアルスター様がすぐにおいでくださるようにと……」

 重苦しい雰囲気を断ち切ったのはセルシアーナ付きの侍女、マリサであった。

 シーナ・レイとラディンの給仕をしていた彼女は、ラディンの二杯目のシナモン入りビールを取りに一階の厨房に行っており、たったいま戻ってきたばかりだった。ふたりともすでに食事を終えている。

「わかった、すぐに行くと伝えてくれ」

 シーザリオンはマリサに伝言すると、ラディンを忌々しげに見やり、次いでシーナ・レイに向き直った。

「シーナ・レイとか言ったな、来い」

「え?」

 シーナ・レイは驚いて目を丸くした。

「時間がない、さっさとしろ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 急にそんなこと言われても」

 早くしろと急き立ててくるシーザリオンの真意がわからず、シーナ・レイは尻込みした。

 思わず助けを求めてラディンに視線を送ると、ちょうど彼が身を乗り出すところだった。

 椅子が大きな音を響かせて後ろに倒れる。ラディンは怒りもあらわに叫んだ。

「おい、シーナ・レイをどうするつもりだ!」

 ラディンの剣幕にシーナ・レイは驚いて言葉を失う。

 今にもシーザリオンに打ちかかっていきそうな勢いだった。

 普段のふざけた様子は一変しており、研ぎ澄まされた刃のような気迫を全身から発散させていた。そんなラディンの姿を、シーナ・レイは初めて目にした。

「……これはまた」

 面白いものに遭遇したとでもいうように、シーザリオンが目を細める。彼は、かすかに笑った。

「かんちがいするな、何もせん。姫がその娘に会いたがっているだけだ」

「セルシアーナ姫が」

 別室に移されて個別に尋問でもされるかと身がまえたものの、どうやら違っていたらしい。

 シーナ・レイは脱力感を覚え、緊張をといて肩を落とす。捕らわれの身で、ラディンと引き離されるのは出来れば避けたかった。

「本当だろうな?」

 だがラディンは納得していないようだった。

 翠の瞳には今も剣呑な光がともっている。

 武器を持っていなかろうが、圧倒的に不利な立場に立たされていようが関係ない。いつわりだと判断すれば、すぐにも行動を起こすつもりなのは明白だった。

「いや、やっぱり駄目だ。信用できねえ」

「付き合いきれんな、おまえがどう思おうと私の知ったことではない」

 とりつくしまのない物言いだった。

 これ以上は待てないというふうにシーザリオンは首を振り、シーナ・レイに向き直る。

「行くぞ」

 その時、ラディンが叫んだ。

「シーナ・レイは行かせない!」

 先ほどまで怪我でふらついていたとは思えないほどの素早さで、二人の間に割って入る。

「きゃっ!」

 シーザリオンの言いつけでアルスターに伝言に行き、たった今戻ったばかりのマリサが小さな悲鳴をあげて立ちすくんだ。

 背後にシーナ・レイをかばいシーザリオンの前に立ちはだかったラディンは、ひどく物騒な気配を漂わせている。ラディンは軽く腰を落とすと、草原の民に伝わるという体術の構えをとった。

「ラディン、止めて」

 いま闘えば、どうなるかはわかりきっている。

 いくら体術を習得しているといっても、いまのラディンは闘える状態とは程遠く、シーザリオンの腰には剣があった。

 外には沢山の部下が控えている。何かあれば、すぐに駆けつけるだろう。そうなったらラディンは、今度こそ殺されるに違いない。

「止めてラディン、何でもないわ。ただセルシアーナ姫と話しに行くだけよ。あたし行くから……お願い」

 いったん始めてしまえば、後戻りはできないだろう。そうなれば、すべて終わりだ。

 シーナ・レイは息を詰めたまま、ラディンの背中を見つめた。彼を失うのはたえられなかった。

 陽気で快活で辛辣――決して何事にも動じない、そんな印象を持たれがちのラディンだったが、彼にはある種の脆さが見え隠れしていた。

 普段は決して表に出ることのない、密やかな一面とでもいうのだろうか。彼を見ていると、シーナ・レイは時々不安に襲われることがあった。

 死に急ぐとでもいうのだろうか。

 何かに駆り立てられるように、彼は危険な状況に身を置こうとする。絶望的な状況にあればあるほど、それは顕著に現れた。

「ラディン、だめ」

 殺気をみなぎらせた背中にそっと触れる。

 ラディンが他人に触れられるのが好きではないことを、シーナ・レイはとうに気づいていた。

 肩を叩いたり手をつないだり、時にはふざけてぎゅっと抱きしめたり、そんな他愛ない触れ合いならラディンは平然としてくる。一度だけ不意打ちを喰らって、キスをされたこともあった。

 ふざけたように自分からは触れてくるくせに、誰かがラディンに手を伸ばすと、彼はするりとその手を逃れ、相手に気づかれないくらい巧妙に距離をとる。それは相手がシーナ・レイであってもだ。

 結婚だ婚約だとがあがあ騒ぎ立てる男と同室にいて平然と眠れるのは、ラディンのそんな性質にシーナ・レイは気づいたためだった。

「止めて、あなたが死んだらあたしはどうなるの?」

 本当は自分のことなどどうでも良かったが、あえてそんな言い方をする。狙い通りラディンは身をこわばらせた。

 シーナ・レイはそっと手を伸ばし、ラディンの腕を封じるように後ろから彼を抱きしめた。頬を寄せ、祈るような気持ちで瞼を閉じる。

「放せ、シーナ・レイ」

 掠れた声が応える。

 気が散らされたようにラディンは言い、吐息をひとつついた。殺気はすでに霧散している。

「嫌よ、放さない。ねぇ、いま、あたしのこと忘れていたでしょう?」

「忘れてねぇよ、わかったから放せ」

 シーナ・レイが手を放すと、ようやくラディンはかまえを解いた。

 それでも完全に納得はしていないらしい。彼はシーザリオンをじろりとねめつけて、宣言する。

「シーナ・レイに何かあったら承知しないからな」


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