04.漆黒の追跡者
「ば、馬鹿野郎っ! どけシーナ・レイ」
虚をつかれたラディンは一瞬棒立ちになり、次いで声を荒げた。
背を向けていて表情を見ることは出来ないが、その慌てぶりからも相当あせっていることがうかがえた。
「嫌よ、どくもんですか」
きっぱりと言う。
「なに言ってんだ、危ないからどけ! 怪我でもしたらどうする」
「絶対にどかないから」
両肩に手を置いて遠ざけようとするラディンを横目で見やり、シーナ・レイは睨みすえる。
「おまえは、あの時の娘……」
眼前に立ちはだかるシーナ・レイが、先ほど自分が助けた少女だと気づいたらしい。シーザリオンが馬上から険しい視線を向けてきた。
「黒い瞳は魔性のあかしというが、盗賊ふぜいと行動を共にするところをみると、おまえもこの場で殺しておくべきかもしれぬな」
「やれるものならやってみなさいよ」
刺すような視線を正面から受け止め、シーナ・レイはきっぱり言う。早鐘を打つ鼓動とはうらはらに声はやけに冷静な響きを持っていた。
「魔性のあかしですって。それがどうしたっていうのよ。あたしの国ではこれが普通なの、珍しくも何ともないわ」
「そのような戯言を信じろと? このところ魔性が出没するようになったと聞くが、おまえが関係しているのではあるまいな?」
「知るもんですか」
「わたしには心当たりがあるように聞こえるが」
シーザリオンの懐疑的な視線を、シーナ・レイは無言のまま受け止める。
弁明しても無駄だろうし、嘘をついてもすぐに見破られるような気がした。
「やめてシーザリオン、違うと言っているでしょう。お願いだから、話を聞いてちょうだい!」
セルシアーナが必死に訴えたが、考えを変える様子はない。
「姫、あなたは騙されているのですよ。このような下賎なやからの訴えを、まともに受け取ってはなりません。まったく、どうやって姫をこんな場所までおびき出したのやら」
「シーザリオンひどいわ、なんてことを」
セルシアーナは目眩を覚えたように後ずさる。そのとき、すっとシーザリオンが目配せをした。
突然、シーナ・レイは強く腕を掴まれ、悲鳴を上げた。
草をかきわけるようにして飛び出してきた兵士が、シーナ・レイを押さえつけたのだ。
「止めて! 放して、放しなさいよ!」
振り向いたとき、ラディンが盾で殴られるのが見えた。
「ラディン!」
シーナ・レイは叫び声を上げ、がむしゃらに暴れた。
自由になる方の手で目の前の兵士を殴りつけるが、たいした効果はなかった。あっさりと抵抗を奪われる。
二度三度と殴られ、ラディンの身体が斜めに傾く。彼はゆっくりと地にくずれ落ちた。
「止めてっ! ラディンッ! よくもリ――」
掠れる声でラディンが遮る。
「駄目だ! 呼ぶなシーナ・レイ……制御……で……」
額から流れ出る鮮血で、顔の右半分が赤く染まっていた。
出来ないと、シーナ・レイは首を横に振る。
「呼ぶな」との静止の声を振り切って、シーナ・レイは口を開きかけた。けれど意識を手放す寸前の、ラディンの翠の瞳の真剣さに断念する。
「ラディン、ラ……ッ!」
涙が溢れ頬を濡らす。ラディンは地面にうつ伏せて倒れたまま動かない。
涙にかすむ視界の先、血に濡れた横顔をシーナ・レイは食い入るように見つめた。
血の味が口内に広がる。
シーナ・レイは唇を強く咬んだ。
そうしなければ堪えられないような気がした。
◆◇◆
シーザリオンは手の中にある短剣をしげしげと眺めた。それは先ほど捕らえた二人連れの、男の方が所持していたものだった。
「なぜこのような物を?」
おそらく銘のある逸品だろう。一目で年代物と判断できる品だった。おどろくほど豪華で繊細な造りをしており、銀の柄にはいくつもの大粒の宝玉が嵌めこまれている。
中央には七色に輝くダイヤモンドが、それを囲むようにルビー、サファイヤ、エメラルドそしてトパーズが眩く光っていた。
刃は見たこともない物質で出来ていた。
表が漆黒で、裏面が純白だった。儀礼用の短剣なのかもしれない。きっと途方もない価値があるに違いない。このような物をシーザリオンは目にしたこともなかった。レグザスの王宮の宝物殿にさえないだろう。
どちらにせよ一介の盗賊風情が持っているとは考えられない。おそらく盗んだのだろう。どこかの国か、あるいは名のある神殿から。
「あの二人を、どうなさるおつもりですか?」
馬上で揺られえていたシーザリオンの隣に軍馬を寄せて尋ねてきたのは、部下であり友人でもあるアルスターだった。
シーザリオンは短剣をしまうと、アルスターの方に顔を向ける。
「輿入れ行列にあのような下賎の者を伴ったとあっては、セルシアーナ姫の御名に傷がつきましょう。いっそあのとき、とどめを刺しておくべきだったのでは? それにあの娘の髪と瞳の色ときたら……」
「不吉な」と彼は付け加えると首を横に振った。赤褐色の髪が夕陽に赤く染まっている。
セルシアーナ救出劇で一行は予定よりもかなり遅れを取っていた。
本当ならとうに今夜の宿となるララウ村に到着しているはずだったのだ。だが軍隊の行軍と違い、急ぎ移動するといっても速度は限られてくる。
「花嫁の道行きに殺生を行う方が、よほど不吉だろうに」
「ですが」
なおも不服を唱えようとするアルスターを手で制し、シーザリオンは尋ねた。
「あの二人はどうしている?」
「二人とも荷馬車に閉じ込めて見張りをつけてあります。男の怪我もたいしたことはありません……まぁ、当分は頭痛に悩まされるかもしれませんがね」
「そうか」
安堵の雰囲気を感じ取ったのか、アルスターは苦笑した。それからふと真顔になって付け加える。
「お耳に入れておいた方がいいと思いまして……犬だと思うのですが、後方を追ってくる獣がいるんですよ」
「そういえばあの二人、茶色っぽい犬を一頭連れていたな」
「いえ、それが別の犬なんです」
気味が悪そうにアルスターは言い、魔除けの印を切った。
「別の犬?」
「はい。黒い大きな犬で、それがさきほどから着かず離れず後を追ってきているのです。脅しても効果なく……腕の確かな者を呼び、ためしに矢を射かけてみたのですが、これがまったく掠りもしません」
「よし、様子を見てこよう」
シーザリオンは馬の速度を落とし、行列の後ろにさがった。
背後に目をこらすとアルスターの言葉の通り、黒い犬らしきものが後を追ってくるのが見えた。
さっき捕らえた二人が連れていた犬よりも、かるく一回りは大きい。
犬は石畳の道ではなく、森林の樹木の間を縫って、すべるように駆けている。
漆黒の被毛が獣の動きに合わせ、不吉な影のように揺れていた。