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02.異国へ嫁ぐ姫君 2

「すごいじゃない、ラディン。特等席じゃないの。よくこんな場所があいてたわね」

「どうだ、俺様を見なおしたか」

 さっきまでいた場所から移動した二人は、商店に隣接された倉庫に来ていた。

 すでにラディンが話を通してあったらしい。

 店に着くなり使用人に案内されてはしごを登り、倉庫の屋根に移動している。

「そりゃあもう、ものすごく見なおしたわよ。それにしても、よくこんないい場所が見つかったわね。時間もなかったでしょうに」

「金にものを言わせたからな」

「は?」 

 シーナ・レイは絶句した。

「なんだよ、悪いか」

「いや、別に悪くはないけど、でも……それにしても世慣れてるというか、なんというか」

 言いたいことは山ほどあるが、言ったところでどうにもならない。

 しょせんはラディンの所持金なのだ。

 どう使おうと他人が口出しすることではないし、便乗する立場とあっては説得力に欠けるのは否めなかった。

 屋根は薄い板を貼っただけのものらしく、歩く度に足の下で軋んだ音がした。

 もともとは緑色に塗られていたらしいが年月がたち、雨風にさらされて塗料がはげ、今はくすんだ灰色になっていた。

 ところどころ板がめくれあがってはずれ、穴があいている。

「なんだか足元が心もとないんだけど、まさか崩れたりしないわよね」

「さあな、大丈夫だろ」

 あまり広くはない屋根を見まわす。

 シーナ・レイとラディンの他に恋人同士らしい二人連れが二組と、小さな女の子を連れた夫婦が座っていた。

 それぞれ見やすい場所にこしかけて、行列がやってくるのを心待ちにしている。

「あっちの方に行こうぜ」

 ラディンとシーナ・レイは家族連れの脇を通って、屋根の左側の先端に向かった。

 屋根は前方に向かってかすかに傾斜していた。

 慎重に一歩一歩足を運ぶシーナ・レイとは反対に、ラディンは軽やかに先に立って進んで行く。

 シーナ・レイがようやく屋根の端に着いたとき、ラディンはとっくに目的の場所に辿り着いてこっちを向いていた。

 胸の前で腕を組み、シーナ・レイが恐る恐る歩く姿をにやにやしながら見物している。

「おまえ、ほんとに運動神経ないな」

「うるさいわね、あたしが普通なの。あんたの方が変なのよ」

 王都の中央を横断するケレー通りの、行列が近づきつつある沿道を、すぐ真下に見られる絶好の位置だった。

 周囲にそれほど高い建物がなかったから、シーナ・レイがいる場所から町並みが一望できた。

 すぐ横の、手を伸ばせば届きそうな距離に緑の葉を茂らせた樹木が立っていたが、視界をさまたげられることはなさそうだ。

 二人の方に手を振っている女の子に気づき、シーナ・レイは微笑んだ。

「こんにちは」

 手を振り返すと女の子は嬉しそうに挨拶を返してきた。

 まだ五歳かそこらの、金髪を三つ編みにした可愛らしい子だった。抱き人形を大切そうに両手で抱えている。

「可愛いお人形ね」

「ミーナっていうの。あたしの大切なお友達よ。お姉ちゃんの名前はなんていうの?」

 女の子と人形は同じ服を着ていた。どちらも母親の手作りなのだろう。

 人形は女の子と同じような色の金髪をやはり三つ編みにしている。スカートはかかとが隠れる長さで、その上に膝丈のローブをはおっている。

「シーナ・レイよ」

「あたしはソフィよ。お姉ちゃん、どうして男の子みたいな頭をしてるの? そんな変な頭じゃあ誰もお嫁にもらってくれないわよ」

 ラディンが盛大にふきだした。

「なんてこと言うのソフィ! ごめんなさい、この子ったら失礼なことを」

「いいえ、気にしてませんから」

 肩を震わせながらごほごほと咳き込むラディンを横目で睨みつつ、シーナ・レイは愛想笑いを浮かべた。

「本当にごめんなさいね。ソフィ、ほら、あなたも謝りなさい」

「ごめんなさい、お姉ちゃん」

「いいのよ、ソフィ。気にしないでね」

「本当のことだしな」

 しれっとラディンが付け加えた。

「あんたねぇ!」

 周囲でくすくす笑う声がきこえてくる。

 気づけば娘をたしなめていたはずのソフィの母親までが必死に笑いをこらえていた。

「安心しろシーナ・レイ。おまえに少しばかり色気がなかろうが、この俺がちゃんともらってやるからよ」

 胸を叩いてう請け合うラディンにシーナ・レイは脱力感を覚えた。

「けっこうよ!」

「なんだよ婚約者のいうことが信じられないのか?」

「またそれ? 信じるもなにも、婚約なんかしていないじゃない。変なこと言わないでよ」

 聞き捨てならない言葉にシーナ・レイは目をむいた。

 とはいえこの話題に限ってはシーナ・レイに分が悪かった。

 案の定、ラディンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ宣言する。

「何度も言うけどな、婚約ならしてるだろ。証拠の品だってちゃんとある。忘れたとは言わせないぜ」

 困ったことに、ラディンが嘘をついているわけではなかった。

 現に、その証拠の品とやらはシーナ・レイの首からぶらさがっているのだから。

 なんでも草原地方では産まれたばかりの赤ん坊に、自分の名前を神聖文字で記した品が〈お守り〉として贈られるらしい。

 それはラディンの持っていた飾りひもだったり、ネックレスや髪飾り、指輪だったりと人によってさまざまだが、共通するのは〈お守り〉の品を婚約のあかしとして互いに交換するならわしがあることだった。

「な、なによ……あんなの無効よ、無効に決まってるじゃない! ただの騙しうちなんだから」

 実際のところ、シーナ・レイはそのならわしをよく知らなかった。

 ラディンは求婚はおろか、婚約を匂わせることすらなくシーナ・レイにそれを手渡したし、彼女もただの魔除けのお守りとして飾ひもをもらったのだ。

 むろん知っていたら受け取るはずもなかった。

 後になって真相を知ったときの驚きといったらなかった。

 なにしろ彼女には、もう〈お守り〉を交換しあった相手がいたのだ。

「それにわたし、もう婚約してるんだから! あんただって知ってるくせに」

「なに言ってやがる。そんなのは俺と婚約した時点で無効に決まってるだろう」

 ラディンの身勝手な言い分に、シーナ・レイは心底うんざりした。

 無効なわけがない。

 こんなことに順番があるなんて聞いたこともないし、そもそも本当に順番があるのなら、最初に婚約した方に優先権があってもいいはずだ。

 それよりも他に婚約者がいる時点で普通は諦めるものではないだろうか。

 もっともそんな常識がラディンに通用するとは思えなかったが。

「……もういいわ」

「わかればいいんだよ、わかればな」

 上機嫌でラディンは頷くと、ごろりと横になった。

 言い負かしたことがよほど嬉しかったのだろう。婚約のことなど、すっかり忘れているようにも見える。

 ラディンがどこまで本気なのか、シーナ・レイには本当のところはわからなかった。

 ただ、からかわれているだけのようにも感じる。

 婚約だ、結婚だと騒ぎ立てるわりに実際にはいつも口先だけで、ラディンがそれ以上なにかを求めてくることはなかった。

 いつもふざけてばかりいるラディンのことだから、とても本気とは思えない。

 今回も悪ふざけの延長に決まっている。

 ただ単に自分と一緒に旅をする口実ではないか、とシーナ・レイは密かに考えていた。

「あ、母さん見て! 可愛いー」

 ソフィのはしゃいだ声に、ラディンとシーナ・レイは振り返った。

 シーナ・レイは目を細め、ラディンは心底嫌そうな表情になる。どことなく腰が引けているのが、なんとも情けない。

「きやがった……けど、どうやって登ったんだ、あいつ。ここ屋根の上だせ」

 リヴがゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。

 大きな犬で頭から尻尾までちょうどシーナ・レイが両手を広げたくらいあった。

 たっぷりとした尾を揺らしながら歩いてきたリヴは、シーナ・レイの手の甲にしめった黒い鼻を押し付けると、仰向けに寝そべっているラディンの腹を踏みこえ、ソフィの所へ行った。

「……て、てめぇ!」

 薄茶色の被毛が陽光に反射して金色に輝いている。

 飾り毛のある四肢を優雅に伸ばしてソフィの横に寝そべったリヴは、くりくりとした黒い瞳をこちらに向けて、あどけない表情を浮かべている。半開きになった口の間からピンクの舌がほんの少しだけ覗いていた。

「今の見ただろシーナ・レイ。俺の腹を踏んでいきやがった」

 ラディンは起き上がると顔をしかめ、腹を押さえた。

 ソフィに愛想をふりまいているリヴをいまいましげに見やる。

 シーナ・レイのみたところでは、正確には「腹を踏んだ」のではなく「踏みにじった」のだが、それを言うとラディンがまた騒ぎ出して面倒なことになりそうだったので、彼女はあえて黙っていることにした。ラディンとリヴはいつもこんな調子なのだ。

 とうとう行列がすぐ近くまでやってきた。

 周囲で楽しげな声が上がり、なおもぶちぶちと愚痴っていたラディンもさすがに身を乗り出して見物する。



「来たぞ、シーナ・レイ」

 輿入れ行列はきらびやかなものだった。

 先頭を行くのは立派な鹿毛に跨ったひとりの騎士で、翼を広げた紅の飛竜を描いた国旗を高々と掲げている。

 その後ろには鎖帷子の上に袖なしの外衣を着て、毛皮のコートに身を包んだ二十名ほどの騎馬兵が続いていた。

 それぞれが美しい彫刻のされた両刀の剣を腰にはき、立派な槍を手にしている。

 騎士の後には楽団が続いていた。

 宮廷歌手が聖歌やレクザス王、そしてセルシアーナ姫を讃える詩を歌っており、その周囲では踊り子が舞を披露している。

 セルシアーナ姫が乗っているのは初々しい花嫁にふさわしい、まっ白な四頭立ての馬車だった。

 馬車の周りでは手首に金の鈴を着けた花乙女達が花を撒き、沿道を清めている。

「母さんはねー、花乙女に選ばれたことがあるのよ」

 ソフィは立ち上がるとシーナ・レイの近くへやってきた。当然ながらリヴも着いてくる。

「花乙女って?」

「あのね、とっても名誉なことなんだから。あたしも大きくなったら絶対に花乙女になるわ。そして、シーザリオン様の花嫁になるのよ」

 誇らしげに言い、ソフィは目を輝かせた。

 隣に寝そべっているリヴは頭を撫でられてご満悦らしく、目を閉じている。

「シーザリオン様って?」

「あそこにいる人よ」

 最前列を行く、ひとりの騎士を指し示す。

 陽光にきらめく銀灰色の髪が遠目にも見てとれた。

 うわぜいのあるがっしりとした体躯を包むのは光沢のある灰色のマントで、光の加減でときおり銀色に見えた。

 さっそうと黒馬を駆る騎士が王家に連なる貴い身分であることは、濃紺の外衣に刺繍された燃えるような飛竜の紋章を見ればあきらかだった。

「ね、とっても素敵な人でしょう。あたしの未来の旦那様なんだから」

 娘のおませな発言に、母親が呆れた声を出した。

「ソフィったらまたそんなことを言って。王弟陛下のお相手といったら高貴な姫君に決まっているじゃないの」

「セルシアーナ姫みたいな?」

 ぎょっとする母親を尻目にソフィは続けた。

「でもセルシアーナ姫はラビエに輿入れするんだもの。もうシーザリオン様とは関係ないでしょう」

「おやめなさいソフィ! めったなことを言うものじゃありませんよ」

 母親が慌ててたしなめる。

「なによ、みんな知っていることじゃないの」

「ソフィ!」

 ソフィは唇を尖らせて黙り込んだ。

「つまりあれだ、二人は恋人同士だったってことだろ」

 シーナ・レイの隣で沿道を見下ろしていたラディンがぼそりと呟く。

 噂の王弟陛下の騎乗する軍馬が、ちょうど倉庫の真下にさしかかっていた。

「あ、ミーナが!」

 突然、ソフィが叫んで立ち上がった。

 お気に入りの人形が手から滑り落ち、倉庫の屋根の端に引っかかっていた。

 人形を取ろうとしたソフィの身体が前のめりになるのと、シーナ・レイが手を伸ばすのは、ほぼ同時だった。



「危ないっ!」

 倉庫の屋根から落ちかかるソフィをかろうじて捕まえる。

 震える小さな身体を引き上げると、ソフィは泣きながらしがみついてきた。

 あやすように背中を叩いて落ち着かせると、ソフィは母親の元に駆け戻った。

 シーナ・レイが安堵の息をついたとき――

「きゃああぁぁああっ!」

 ふいに、足元が崩れ落ちた。

 視界が反転する。すべての音が遮断され、なにも聞こえなくなる。

 眩しいくらい透明な青空が正面にあった。

 屋根にせりだした樹木の枝を背に、ラディンが走ってくるのがスローモーションのように見えた。

 翠の瞳が凍りついたように見開かれている。

 シーナ・レイは手を伸ばす。

 指が葉をかすり、すり抜けた。転落する。

 次に来る衝撃を予感して、シーナ・レイはぎゅっと目をつむった。



 背中に衝撃がきて、腕を掴まれる。

 首ががくんと上下に揺れた。

 目を開けたとき、最初に視界に飛び込んできたのは見知らぬ顔だった。

「乙女が天から降ってくるとは……驚いたな」

 深い水底を思わせる瞳に好奇心を浮かべ、青年が呟く。

「黒い瞳とはまた珍しい」

 青年は銀灰色の髪を短く刈り上げていた。

 銀の鎖帷子の下から白絹のシャツがちらりと覗いている。肌は陽に焼けてたくましく、いかにも戦士然としていた。

「……あ」

 腕を掴んでいるのとは別の手が腰にまわり、ぐっと引き寄せられた。

 シーナ・レイは自分が馬に乗っていることに気がついた。

 青年の腕が抱きしめるように身体を支えている。

 見下ろしてくる顔が、驚くほど近くにあった。

 意志の強そうな眉、きりりとした切れ長の藍色の瞳、すっと通った鼻筋、そして少し神経質そうな頬のライン。

 ふいに歓声が上がった。

 周囲が熱狂的な空気に満ち、沿道に群がった人々がこぶしを振り上げる。

 シーザリオン――つめかけた群衆は、そう叫んでいた。



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