01.異国へ嫁ぐ姫君 1
透きとおった青空にファンファーレが鳴り響いた。
この日、グリンファースの東に位置する大国レクザスでは晴れやかな式典が催され、王都は活気に満ちていた。
王城へ続く中央の大通り――ケレー通りには民衆が先を争ってつめよせていた。
まもなくセルシアーナ姫の輿入れ行列が、この道を抜けて隣国へ旅立つためである。
樫の木で造られた城門が重い音をたてて左右に開いた。
再びファンファーレが鳴り、あちこちで歓声が上がった。
奥から跳ね橋を渡って楽団が登場し、陽気な音楽を演奏する。
やがて騎士達に先導された行列の本体が、ゆるやかに行進を開始した。
「み、見えない……」
ケレー通りにつながる細い路地の一角で、少女が必死に身体を伸び上がらせている。
歳の頃は十六、七くらいだろうか。麻のズボンをはいて毛織の外套を羽織るという、この地方の一般的な旅装に身を包んでいた。
地味な色の服を着ていることもあり、一見したところ少女というよりも少年のように思える。
左手首に巻かれた透かしの入った銀細工の腕輪のほかは、これといって装飾品は見あたらない。
しいてあげるとすれば、ネックレスのように首から下げた飾りひもだろうか。
青と銀の細いひもを複雑にあんで作られたもので、高価ではなかったが繊細な品であった。
飾りひもには魔除けの呪いがかけられており、草原地方のいくつかの部族では特別な意味合いを含む品である。
少女はどうにかして行列を見る方法はないかと、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
肩の上で黒髪が上下に跳ねまわっている。
癖のない綺麗な髪だが、肩にようやく届くかどうかの長さしかない。女性はもちろんのこと、男性ですら長髪はごく普通のことだったので、少女の髪型はその少年めいた服装とあいまっていっそう異彩を放っていた。
陽に焼けていないおもてには繊細さと知性がかいま見えており、少女のいでたちに似合わぬ育ちの良さをうかがわせた。
肌はきめが細かくクリームのようになめらかだった。
だが弱々しい印象はまったくない。
室内で丹念に手をかけて栽培した高価な花というよりも、野の風にさやさやとそよぐ若葉の、どこか凛とした雰囲気を少女は漂わせていた。
意志の強そうな瞳は、髪と同じ漆黒をしている。
黒同士の色彩の組み合わせは大陸でも珍しく、服装や髪型が悪目立ちするせいで気づかれることはあまりなかったが、少女は出来るだけ周囲に気づかれぬように普段から気を配っているのだった。
風貌に似合わぬ衣服のせいか、先ほどから周囲の、とりわけ女性からは好奇の視線を浴びていた。
しかし本人は一向に気にかける様子はない。
切りそろえた前髪の下から覗く瞳は、むしろこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「見えない。あーもう、ぜんぜん見えない!」
いくら飛び跳ねようが、たいした効果は得られそうになかった。
目の前には何重もの人の壁が立ちふさがり、たしょう飛んだり跳ねたりしてみたところで見えるのは一瞬のことだろう。
「ああもう、どうにかならないのかしら。これを見たくて、わざわざ出発を一日遅らせたっていうのに。早くしないと行列が通り過ぎちゃう」
少女は他に見えそうな場所を探して左右を見回したが、どこもいっぱいでとても入り込む余地はなさそうだった。
石畳の沿道も、そこに青々と葉を茂らせた木の枝にまで、大人や子供が入り混じり、人で溢れかえっていた。
城門からは距離が離れており、輿入れの行列が少女のいる場所まで来るにはまだ多少の時間はありそうだったが、それでもあまり悠長にかまえてはいられない。
「シーナ・レイ! おまえなあ」
呆れたような呼びかけに少女は首だけで振り向いた。
今まで髪に隠れて見えなかったイヤリングが、陽光を浴びてきらきら光っている。
真紅に輝く小粒のそれは、耳たぶに直接埋め込む珍しい物だった。
イヤリングがあるのは左耳だけで右側には何もない。針の先ほどのごく小さな穴が開いているだけだった。
「あ、ラディンじゃないの。今までどこにいたの?」
「それはこっちの台詞だ!」
青年は人混みをかき分けてシーナ・レイの近くまでやってきた。
よほど必死に探しまわったらしい。膝に両手をついて前かがみになり、ぜいぜいと肩で息をついている。
シーナ・レイより少し年上に見えるが、二十歳をこえてはいないだろう。
長身ではないが、背が低いというほどでもない。すらりと手足の伸びた細身の身体はよく陽に焼けており、健康的でいかにも敏捷そうだった。
服装はというと、やはりとりたてて目立たない旅装だった。
麻の長丈のズボンにやわらかい革のブーツをはき、シーナ・レイと同じような毛織の外套に身を包んでいる。
腰にある中剣はよく手入れされていたが古びており、つまらないほど実用一点張りだった。
短い柄には飾りひとつ見あたらない。
宝玉を嵌め込むどころか神聖文字の呪いすら彫られておらず、柄や革の鞘には細かい傷が無数にあった。
剣はよく使い込まれ、手にしっくり馴染んでいた。そしてその剣が、何よりラディンのなりわいを物語っているのだった。
「おまえなぁ……いつのまにか消えてんじゃねえよ! この俺がどれだけ探しまわったと思っていやがる」
口が悪いのも、ささいなことで大声を出すのもいつものことだ。今更、驚いたり気分を害することもなかった
ラディンと一緒に旅をするようになってまだ日は浅かったが、その口調とうらはらに実は彼が心配性であり、自分で言うほど悪い人間でないことを、シーナ・レイはとうに承知している。
「えー、ごめんごめん。だって、あまりにも人が多いから見失っちゃったのよ。それにラディンったら、歩くの速くて追いかけるの大変なんだもん……どんどん先に行っちゃうし」
「ひとのせいにしてんじゃねえ!」
「だからごめんって言ってるじゃない、そんなに怒らないでよ」
「怒ってねえよ」
声はあいかわらず不機嫌だったが、彼なりに思い当たるふしがあったらしい。
それ以上は文句を言うこともなく、ラディンは憮然として押し黙った。
「どうかした?」
少し長い前髪を手で無造作に上にはらい、ラディンは深々と溜息をついた。
「あんまり心配させんな」
「心配してくれたんだ」
「うるせえ」
ふてくされてそっぽを向く青年に、シーナ・レイは笑みをもらす。
シーナ・レイは彼から、草原の国レガリアの生まれだと聞いていた。
黒っぽい茶色の髪が風にあおられて気ままに遊んでいる。
背中の中央まである長い髪を細い飾りひもと一緒に編んでたらすのは、草原地方の伝統的な髪型だと以前、ある人物から聞いたことがあった。
「心配かけてごめんね。探してくれてありがとう」
男らしい、けれど意外にも端整な横顔をシーナ・レイはじっと見つめた。
こうして横から眺めると、やはり似ている。
瞳の色と髪型は同じ国の出身だけあって似ていても不思議じゃないが、それ以外は年齢も面立ちも、性格だって全く違うというのにどうしてなのだろう。
「ラディンのほうが、どうひいきめに見ても子供っぽいしね」
「何か言ったか?」
「ううん、何も」
シーナ・レイの独白はラディンには届かなかったようで、彼はふと思い出したように周囲を見回した。
「そういやぁ馬鹿犬の姿が見えなねぇようだけど」
「リヴなら朝から姿が見えないわ。たぶん近くにいると思うけど……呼んでみる?」
「よしてくれ」
ラディンは即座に拒否した。
「いないほうが嬉しいくらいだ。俺としてはいっそ、あいつをまいて、このままずらかりたい気分だぜ」
リヴはラディンの犬ではなく、そもそもシーナ・レイの連れている犬なのだが、そんな事実はどうでもいいようだ。
だがふと我に返ったらしく「地の果てまで追いかけてきそうだけどな」と付け加え、がっくりと肩を落とした。
むろんシーナ・レイも否定はしない。その通りだと思ったからだ。
ラディンは産まれてすぐに捨てられ、孤児になったという。
彼の少し薄い唇は、大抵は皮肉な微笑をたたえ、かすかに歪められている。
口を開くたびに意地悪で辛辣な言葉が飛び出して、出会った頃はそれでよく言い合いになったものだった。
ラディンは物事をいつでも斜にかまえ、なんでも笑い事や冗談にしてしまう。
いつだって他人を小ばかにしたような態度をとって、いらぬ厄介ごとを自分から呼び込んでしまうこともよくあった。
自分勝手で強引で尊大で――けれど鮮やかな感情の波そのままの、透きとおった翠の瞳をしていた。
まじりけのない、それはとても綺麗な色だったから、気がついたら一緒に旅をすることになっていた。
シーナ・レイはかつて一緒に旅をした、ラディンとよく似た青年の面影を思い描いた。
彼はもっと大人だった。
ラディンとは正反対で全然似たところなどないはずなのに、彼を見ているとなぜか思い出してしまう。
共に過ごした時はとても短くて、本当に僅かな時間でしかなかったけれど、時間の長さなど吹き飛ばしてしまうほどに青年の存在は鮮烈だった。
鮮烈すぎて、忘れることなど出来ようはずがない。
本当は、彼に逢いたくてたまらない。
逢いたくて逢いたくて……そのために、遥かな大地を越えて、こんなに遠い地までやってきたのだ。
シーナ・レイとラディンのいる場所からそう遠くないところで、ひときわ大きな歓声が上がった。
「来たぞ!」
周囲が一斉に色めきたち、沿道は華やかな熱気に包まれた。
集まった人々は手を、あるいは小旗を振りながら大声で祝福を口にする。
「姫さま! セルシアーナ姫さまー!」
「レクザス万歳!」
シーナ・レイは無駄と知りつつも、思いっきり背のびをした。
ただでさえ見づらいのにそれぞれが手や旗を振り回しているものだから、なおさら見えなくなっていた。おまけに背のびをしているのはシーナ・レイだけではない。
「あー、やっぱり駄目、見えない。絶望的だわ。何だってここの人たちは、帽子だの羽飾りだの頭にごてごてくっつけて歩いているのかしら。ああもうっ、ほんとに嫌になる!」
大声でわめいてみても、ほとんどが歓声にかき消されて虚しいだけだった。
こうなったらストレス解消の意味も込めて、なんでもいいから叫んでやろうとシーナ・レイが口を開いたとき、ラディンに肩を叩かれた。
「みっともないから止めろ、シーナ・レイ」
「だって」
「いいから、こっち来い」
「ちょっと待ってよ、どこに行くの?」
ラディンに腕を掴まれる。
シーナ・レイは後ろ向きのまま、なかば引きずられるようにして人の列から引き剥がされ、抗議の声を上げた。
「見たいんだろう?」
「もちろん見たいわよ。そりゃあ見たいに決まってるけど」
「だったら急げ」
ラディンはシーナ・レイの手を引いて、人の波を器用にさけながら歩き出した。
「ちょっとラディン、どういうこと? ねえ、待ってったら!」
背後で歓声がいっそう高まった。
ラディンに急かされて沿道の隅を小走りで進みながら、シーナ・レイはその場を立ち去りがたい思いで何度も背後を振り返った。
楽団の奏でる聖歌がすぐそこまで迫ってきていた。