17.ラディンの過去
セルシアーナが駆け出し、シーザリオンの胸に飛び込んだ。
震える肩を抱こうとして、いったんは腕を伸ばしかけたシーザリオンだったが、歯を食いしばるように口元を引き締めて横を向く。宙でさまようこぶしは、手のひらに爪が食い込むほどきつく握りこまれていた。
シーザリオンはそっとセルシアーナの身体を押しやると、静かな声で言った。
「姫……ご無事で何よりです。お怪我はありませんか?」
いたわる言葉はどこかよそよそしく、いっそ他人行儀ですらあったが、隠しようのない苦悩がにじんでいる。
「ええ……わたくしは無事です。このとおり何事もありませんわ」
セルシアーナは、かすかに唇を奮わせた。彼女は悲しげに目を伏せると、身を引いた。
シーナ・レイはそんな二人のやり取りに気づかないふうを装って、明るい口調で言った。
「ラディンよかった、待ってたんだから、もうっ!」
決め台詞はともかく、助けに来てくれたことはありがたい。
「待たせて悪かったな。けど、ちゃんと間に合っただろ」
笑顔で頷く。さっきまではりつめていた空気が一変している。その場にラディンが現れたとたん、シーナ・レイは肩のこわばりがとけてくるような気がした。
リヴが音もなくシーナ・レイの元に走り寄り、足に体をこすりつける。首の後ろのふんわりとした漆黒の被毛に、シーナ・レイは手のひらを埋めた。
「それはそうと、おいシーナ・レイ! 微妙ってどういうことだ」
ふいに思い出したように大声を出す。
ラディンは、さっきシーナ・レイがぼそりと呟いたコメントを聴いていたらしい。なかなかに耳ざとい。大股で歩み寄ると、ビシッとシーナ・レイを指さした。
「微妙というよりは、むしろ最低だろう」
その様子を眺めていたシーザリオンが横で独白する。セルシアーナがかすかな笑みを見せた。
「おいてめー、今なんか言っただろっ! どーいう意味だ、こら」
ラディンが即効で噛みついた。
「一言でいうと、おまえは女にはさぞや縁がなかろうな、ということだ」
「なっ、なんだときさま!」
シーザリオンに鼻先で笑われて、ラディンは目をむいた。今にも頭のてっぺんから湯気がたちそうだ。
「なによ二人とも、いつのまに、そんなに仲良くなったの?」
シーナ・レイの質問に、ふたり同時に振り向く。
「どこがだ!」
息もピッタリ、叫び声までがハモっている。
セルシアーナがくすくす笑った。シーナ・レイの脇に控えたリヴは、どこ吹く風といわんばかりにそっぽを向いている。
ラディンは何事かを言いかけて、あきらめたように肩を落とす。
「あーもう、嫌になるぜ」
横に立つシーザリオンを、おまえのせいだ、と言わんばかりにギロリと睨みつける。対するシーザリオンは気にやむ様子もなく、むしろ興味深げな視線でラディンを見返した。
ラディンは少し長めの、黒っぽい茶色の前髪をうるさげに手で払うとドーラに向き直る。いつまでやっていても、いい加減、無駄だと気づいたのかもしれない。
「ところで」
ラディンは背後にちら、と視線を送った。
「洞窟内で結構な数の食い荒らされた死体を見つけたんだけどよ、おまえのしわざか?」
ドーラの真紅の唇が笑みをかたどってつりあがった。
「そのとおりさ。もっとも、お世辞にも美味とは言いがたかったけどねぇ」
「悪食め」
ラディンがはき捨てる。
「どういうこと?」
そう尋ねたものの、シーナ・レイには大体の答えは予想がついていた。
「この女は、ここの盗賊共を喰らっていたんだ」
返ってきた答えは想像したままのもので、シーナ・レイはしばし言葉を失った。
人数で不利があるはずのラディンとシーザリオンが、どうりで盗賊達の隠れ家であるこの洞窟の最深部に、あっさり到達できたはずだ。だが幸運だったと手放しに喜ぶこともできなかった。
ドーラはラディンを見ると舌なめずりをして、楽しそうに言う。
「こんな場所だから、えり好みしてもいられなかったが、粗食にはいいかげんうんざりしていたところさ。けれど、おまえは期待できそうじゃないか」
ラディンを上から下まで眺めるさまは、粘着質で、ぞっとさせられる。
「けれど、あっさり殺してしまうのはもったいない……ああ、本当に愉しめそうだねえ」
ラディンは急に寒気を覚えたように肩をぶるっと震わせて、首をすくめた。
「俺より、こっちの方がきっと美味いぜ。な? こいつにしとけって」
「ごめんこうむる」
推薦されたシーザリオンは迷惑そうに眉をひそめると、首を振る。そして、ラディンに向かって顎をしゃくった。
「いつまでもこのような場所にいても仕方あるまい。さっさと出るぞ」
「お、おめだち、に、にがざね……」
ハーマンがぎこちない足取りで進み出て、行く手を阻む。
すっかり面立ちの変化しているハーマンに、ラディンは憐憫とも後悔ともつかない感情を一瞬だけ覗かせる。二人が知り合いだったことを、シーナ・レイは思い出した。
「そいつを捨てろ、ハーマン」
ラディンはハーマンに呼びかけた。
その声に、指輪を眺めていたハーマンは顔を上げた。
「おめ……ラ、ラディ・リン……!」
ゆるゆると視線をめぐらせてラディンを見ると、ほうけたような表情に感情の色がよぎった。こけて黒ずんだ頬を歪ませて、ハーマンはなじるように言う。
「ラディ・リン……お、おめえのぜいで、俺は逃げでばならながった。お、おめえが、し、しししくじっだからだっ! おめえが娘を逃がじたせいで……や、やや役人にっ、俺だちはつ、つっ、捕まっだんだ。なんで殺さながった? 行き倒れて死にかかっていた、お、おめえを助けてやった恩を忘れだかっ? 特別に目を、か、かけてやっだのによ。おめえが怖気づいだせいで、俺だぢは、この裏切者っ!」
「お、俺は」
しぼりだすようにそれだけ言うと、ラディンは足元に視線を落とした。
シーナ・レイの隣に立って、わずかにうつむいているラディンの横顔は、苦渋に満ちている。
「ラディンのせいじゃないわ!」
シーナ・レイは我慢できずに言った。ラディンのせいであるはずがない。
「自分達の行いのせいよ。当然のむくいじゃない!」
「いや、こいづのぜいだっ、こいづが裏切っだから!」
「裏切ったんじゃない、殺せなかったんでしょう」
ラディンの肩がビクリと震るのがわかった。
争いごとをみつけると自分から勇んでとびこんで行くようなラディンだったが、それでいて彼は人殺しを好まず、相手にとどめを刺そうとはしなかった。
くわしいいきさつは知らない。
けれど、ラディンが盗賊の仲間から抜けることになったのは結果的にしかたのないことだ、とシーナ・レイには思えた。
「ラディンに人殺しや盗賊は似合わないわ……そりゃあちょっと手癖は悪いけど、ラディンが裏切ったというのなら、なるべくしてそうなったのよ」
裏切ったとハーマンは言うけれど、ラディンが誰かを殺さずに逃がしたことを責めるのはまちがっている。
誤解されやすい言動は確かにあったが、それでもラディンは決して悪人ではないし、平然と人を殺せるような人間でもない。
「お、おめえはラディ・リンの正体を知らないんだっ! こいづは裏切者でうすぎたない――」
「ラディ・リンじゃないわ、ラディンよ。それに彼がどんな人間だったとしても、あたしはかまわない」
シーナ・レイはハーマンの言葉をさえぎった。
ラディンが幸福な子供時代を送ったのではないことを、シーナ・レイはうすうす察していた。あっちの世界でなに不自由なく暮らしてきた自分には、想像もつかない日々なのかもしれない。ラディンの過去を知ったら、きっとショックを受けるだろう。
シーナ・レイはラディンの過去を知るのが恐かった。知りたくない。けれど同時に知りたいとも思う。かなうのなら傷みを共有して、彼を癒してあげたいけれど、きっとそんな単純なものではないはずだ。
たぶん自分にできることは何もない。
彼を見ていることしかできない自分が、ただはがゆい。
もしも悪と呼ばれることに、かつて手を染めたことがあったのだとしたら、きっと理由があるはずだ。理由があれば、どんな事だって許されるわけじゃないことくらい、理解している。
けれど、とシーナ・レイは思う。
「もう昔とは違うの、あんたの知っているラディ・リンじゃない。それに過去のことなんてどうでもいいわ。清廉潔白な人間なんていやしない……あたしには今のラディンがすべてなの。口が悪くて意地悪で、憎ったらしいラディンがね。だから何を知って、たとえそれでショックを受けたとしても、あたしは変わらない」
ゆるぎない瞳でそう言って、たちすくむように隣にたたずむラディンを見すえる。
それはハーマンにというよりも、ラディンに向けての言葉だった。




