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16.盗賊のかくれ家


 二人が馬車を見つけたとき、あたりは薄暗くなっていた。

 太陽が森の木々にそのほとんどを隠し、うすい闇がゆっくりと勢力をのばそうとしている。

 暮れかけた紅と、にじみだす濃い紺色がとけあって、緑の山間に妖しくも美しい彩りを加えている。

 星の瞬きが空を美しく飾るにはまだ間がある、どこか禍々しい風景にあらがうように、馬車はその白さをくっきりと浮かび上がらせているのだった。

 ゆるやかに蛇行してのびる街道の先にひっそりとたたずむ馬車を目にしたとたん、シーザリオンの制止を振り切って、ラディンは駆け出していた。

 開いたままの扉の前で立ち止まり、そこにいるはずの少女の姿がどこにも見当たらないことに、呆然と立ちすくむ。

「盗賊に捕まったのか?」

 追いついてきたシーザリオンに向けて言い、その考えを打ち消すように首を振る。

「シーナ・レイ、いたら返事をしろ。シーナ・レイ!」

 もしかしたら近くに身を隠しているのかも知れない。そう思い周囲を探してみたが、人の気配は皆無だった。

 ラディンは石畳を外れ、樹木に遮られた森のふちに足を踏み入れる。

 風にしなる枝々は幾重にもなり、葉が視界を覆い隠している。背の高い下草が足元を黒く塗りつぶし、森に入り込もうとする人間の邪魔をしているかのようだった。

「やめておけ。ここには誰もいない」

「そんなこと判らないだろっ!」

 噛み付くように言葉を返したとき、ポタリと頬に雫が落ちた。

 水とよくにた感触だが、どこか違っている。手でぬぐい、その手を見下ろしたラディンは、声にならない叫びを漏らし絶句する。

「シーザリオン……」

 手のひらが赤く染まっていた。その手のひらに、再び雫が落ち、真紅の染みを広げる。さらにもう一滴、またさらに。

「そこから離れろ!」

 なかば引きずられるように、その場から引き離される。

 シーザリオンに肩を掴まれてのけぞり、見上げた先にあったのは。

「シ……ーナ……!」

「違う、別人だ」

 青と白の制服、シーナ・レイであるはずがない。

 それでも首の無い死体はあまりに衝撃的で、ラディンは身体を硬直させる。

 そのときになって、ようやく気がついた。あたりには胸の悪くなるような血臭が充満している。

 宙吊りになっている死体がシーナ・レイのものでなくて良かったと、身勝手にもラディンは安堵した。そんな自分に嫌悪を覚えたが、最初の衝撃はすでに去り、どうにか落ち着きを取り戻しつつあるのも事実だった。

「二人の身に何かあったのかも知れんな」

 先ほどの襲ってくる屍体といい、あきらかに闇の眷属の仕業だろう。それも相当にたちの悪いやつだ。

 シーザリオンも同じ結論にたどり着いたようで、重苦しい表情をしている。

「けど二人は死んでなんかいねぇよ、きっと」

「私もそう思う。ここにはひとり分の死体しかない」

 血でべたつく手のひらを布でぬぐい取ったとき、何者かの気配を感じた。ラディンはその方向に視線を転じる。

 ゆるやかに蛇行して右に曲がる石畳の先に、黒い影を発見した。

「リヴ!」

 禍々しい闇そのもののような漆黒の身体を横向きに晒し、首だけをこちらに向けて、狼めいた犬が静かに佇んでいた。赤い瞳が鬼火のように瞬く。

 着いて来い、とでもいうように低く唸ると、リヴはきびすを返し、闇に身を溶け込ませる。

「行くぞ」

 シーザリオンの応答を待たずに、ラディンは早足に歩き出した。




 ラディンとシーザリオンは街道を横にそれ、リヴの後を追って細い獣道に分け入った。

 道は人ひとりがようやく通れるほどしかなく、下草と長く伸びた枝が、曲がりくねってどこまでも続くそれを巧妙に覆い隠している。

 こけの生えた岩をこえ、古木の裏にまわりこむ。高く茂った雑草をかきわけながら、リヴの後を追って二人は長いこと歩き続けた。

 リヴは二人のずっと前の方を軽やかな足取りで進んでいる。

 暗闇もリヴの足取りには何の影響もなく、むしろ闇に閉ざされた山奥の方が、彼にとっては居心地が良さそうだった。

 ときおり闇に溶け込むように姿を消しては、思いもかけないところから姿を現す。足音はおろか気配すらなく、リヴは吹き抜ける風のように移動してゆくのだった。

 夕闇がその色をいっそう濃くして、夜のとばりが辺りを覆い隠した。

 二股に別れて伸びる水の流れを右にそれ、ひっそりとした川沿いを下っていくと、その先に小さな滝が姿を現したのだった。

「あれを見ろよ」

 夜のしじまに身を潜め、二人は滝を見下ろしていた。

 岩に囲まれた小さな淵に細い月が映りこみ、青白い影を揺らしている。

「みはりだ」

 木の陰で身を低くしたまま、シーザリオンが低い声で言った。

 ちょうど滝の裏側から、男が二人現れたところだった。男達は白い飛沫の跳ねる滝つぼ近くに下りてゆくと、平たい岩にそれぞれ腰を下ろした。

「どうする?」

「むろん行くまでだが、それには見張りが邪魔だな」

 洞窟の奥には相当数の盗賊がいるはずだった。こちらはラディンとシーザリオンの二人だけだ。戦力から考えても圧倒的に不利なのは否めなかった。

「なんとか奴らに気づかれずに忍び込みてぇとこだけど、どうするか」

 ふいにリヴが傾斜を下り、みはりのひとりに背後から襲いかかった。一瞬でとどめを刺し、もうひとりの男が声を上げる間もなく、その喉笛に喰らいつく。

「驚いたな、あっという間だ」

 リヴの働きを見ていたシーザリオンが感嘆の声を漏らす。

「あの犬は人間の言葉を解すのか?」

 ラディンはあいづちを打った。

「ああ。けどあいつは当てにするな。どんな結果になるか分かったもんじゃねえからな。それから、あんたも言動には気をつけた方がいいぜ」

 リヴは戦力としては心強いが、誰かの命令を聞くような犬ではない。

 シーナ・レイ以外の人間が下手に命令を下そうものなら、強烈な報復を受けることになるだろう。主人であるはずのシーナ・レイですら、手を焼くことがあるくらいなのだ。

 二人の方を眺めていたリヴは、さっさとしろ、といわんばかりに頭を一振りするときびすを返し、滝の裏側に姿を消した。

「行こうぜ」

 ラディンは立ち上がるとシーザリオンを手招き、草に覆われた傾斜を滝つぼに向けて下っていった。



   ◆◆◆


 極彩色の蛇には猛毒があるというが、シーナ・レイを咬んだ蛇は違っていたらしい。

 シーナ・レイは幸いにも命を落とすことなく、目覚めを迎えられた。当然ながら爽やかとは言いがたい。咬まれた首筋はじくじくと疼くし、僅かとはいえ手足がまだ痺れていた。

 目を開けたとき視界に一番に飛び込んできたのは、不安に曇ったセルシアーナの顔だった。

 仰向けに寝そべっているシーナ・レイの傍らに膝を着いて、じっと見つめている。

「あ、気がついたのねシーナ・レイ、よかった」

 安堵を滲ませて、吐息をつく。

「このまま目覚めなかったら、どうしようかと思ったわ」

「ここは?」

 狭い部屋だった。

 光源は壁際に置かれた蝋燭が一本あるだけで、薄暗い。窓がないために空気がよどみ、かび臭い匂いが漂っている。

「盗賊の隠れ家よ。あなたが気を失った後、盗賊達が現れて、ここまで連れてこられたの」

 壁は煉瓦や木材ではなく、粘土質の固い土でできていた。

 街中ではない。まだ森の中にいるはずだ。ここまで届く水音からもそう推測できる。

 シーナ・レイは身体を起こすと薄暗い室内を見回した。

 厚手の織物が土の上にじかに敷かれているだけで、家具のたぐいは何もなかった。

 木製の扉は固く閉ざされ、外の様子もわからない。

 頑丈な扉だった。叩いたり蹴ったりしたところでシーナ・レイやセルシアーナの力ではびくともしないだろう。

「この扉をなんとか出来ればいいんだけど」

 燃やすことが出来れば、この部屋から出られるかもしれない。だが火が出れば盗賊達に気づかれる可能性も高い。それどころか煙にまかれ、自分達が窒息する恐れもある。

「困ったな」

 良い考えは浮かんでこない。

 頬に手を当てじっと眺めていると、軋んだ音をたてて目前の扉が開いた。シーナ・レイは驚き、とっさに奥に下がった。

「おや、お目覚めのようだね」

 先ほど森の中に現れた女――ドーラが立っていた。

 ドーラは光沢のある黒いドレスの裾を揺らし、すべるように部屋に足を踏み入れた。その後ろには、盗賊の頭領ハーマンの姿もある。

 牡牛を思わせる堂々とした体躯の面影はすでにない。おちくぼんだ目のまわりを黒ずませ、骨と皮ばかりになった体をぎこちなく動かす姿は、地の底から這い出たばかりの屍体を彷彿とさせた。

 ハーマンは左の薬指にある指輪を舐めるように見つめている。指輪は絡みつく蛇を模していた。胴体は青みがかった灰色で、瞳には金色の石が埋まっていた。

 シーナ・レイは嫌悪を覚え、眉をひそめた。この男にいったい何があったのだろう。

「あたし達をどうするつもり?」

「用があるのはおまえじゃない、そっちの娘さ」

「そ、そど娘、た、たた頼までた……かか、か金払うかだ、殺せど言わでた」

 それまで指輪を眺めていたハーマンが、口を挟んだ。

「そうだったねハーマン。でも、ただ殺すんじゃつまらないだろう?」

「づ、づま、らない」

 ビクリと肩を震わせるセルシアーナを満足げに眺め、ドーラは舌なめずりをする。人間のものとは明らかに違う細長い舌は、先がふたつに割れていた。

「……闇の眷属」

 シーナ・レイは声には出さず、心の中だけで独白する。

 赤く伸びる舌以外は、普通の人間となんら変わったところはない。

 人間の姿をとるからには、闇の眷属の中でも高位に属すのだろう。力にあふれ、狡猾で、そして残忍な化け物だ。

 その考えを裏打ちするように、ドーラが口を開いた。

「美味そうな娘じゃないか。その娘を喰らって、皮を剥いでなりかわり、ラビエに輿入れしたらさぞや楽しめるだろうねぇ……そうは思わないかい? おまえもそう思うだろう、ハーマン」

「へ、へへ、へ……」

 ハーマンは指輪から視線を上げると、気味の悪い声で笑った。背中を丸め、口元からは唾液が糸を引いている。

 ドーラはシーナ・レイに視線を向けた。

「おまえのことは好きにしてよいと我が君は言うておられたが……はて、どうしようかねぇ……ハーマンおまえは、どう思う?」

 真紅の唇が笑みの形につりあがった。

「へ、へへ。お、おお、お、おらは」

 ハーマンは狭い室内をうろうろと歩き回る。すでにまともに喋ることも出来ないらしい。

「そ、そそ、そ、その女、くくく、くれ、おらにくで」

「そう言えば、おまえにはまだ褒美をやっていなかったねぇ。おまえには感謝しているんだハーマン。おまえのお陰で食料にも不自由しなかったしね。そうだ、そうしよう。その娘は好きにおしハーマン」

「へへ、へ、お、おだの、おだのだ」

 干からびた骸のような外見からは予想がつかないような速さで、ハーマンが掴みかかってきた。背後にいるセルシアーナが悲鳴を上げた。

「まま、ま、待で」

「待つわけないでしょう!」

 シーナ・レイはセルシアーナの手を取って走ると、出口に向かった。

「退きなさいっ!」

 開け放たれた扉の前に立つハーマンめがけて炎を浴びせる。ハーマンが一瞬ひるんだ隙に、扉の外に飛び出した。

 部屋の向こう側は広々とした空洞になっていた。洞窟だ。

 何十本も立ち並んだ蝋燭の炎が、洞窟内を橙色に浮かびあがらせている。

「おお、お、おまえ、おだのも、もの」

「なに言ってやがる!」

 そのとき新たな声が洞窟内に反響した。

「冗談じゃねぇ、そいつは予約でいっぱいなんだ。欲しけりゃ俺様の後ろに並びやがれ!」

 威勢よく響くラディンの決め台詞に、シーナ・レイは思わずコメントした。

「び、微妙」


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