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13.せまりくる魔の手



   ◆◆◆


 純白の馬車が猛スピードで走っていた。

 石畳のおうとつに車輪がきしんだ音を立て、車体が大きく揺れる。

 みばえはいいが、豪華な装飾のされた車体は重く、高速で移動するには向いていない。馬車を引く四頭の白馬は、目を血走らせ口からあわを吹いていた。

 しかし御者は鞭をたえずふるっていた。

 そうやって悪夢を振り払うように。ふりおろすのを止めれば、悪夢に捕まってその場で喰われてしまう、とでもいうように。そして、それは事実であった。

 馬車の中では二人の少女が互いに身を寄せあい、しっかりと手を握っていた。

 馬車が揺れる度に、重い扉が叩きつけるように閉じたり開いたりしている。開いた扉からは、風にあおられた細枝や葉が二人の足元に落ちてくるのだった。


「皆はどうなったのかしら……」

 馬車のたてる騒音に混じって、セルシアーナの声がとぎれとぎれに耳に届く。蜂蜜色のやわらかなほつれ毛が、ひとふさ青褪めた頬に落ちている。

「きっと大丈夫です。すぐに皆が追い付いて来てくれるはずです……それに国境にたどりつけば、誰か人を呼ぶことも出来ますから」

 少女を少しでも安心させたくて、シーナ・レイはにぎりしめた手のひらに力を込めた。

 小刻みな震えが、白い指先を通して伝わってくる。

「恐いわ……」

「ええ。でも、あと少しの辛抱です」

 シーナ・レイの手もまた震えていた。

 ラディンと離れ離れになってしまったことが、こんなにも心細いものだとは思いも寄らなかった。

 いつも悪ふざけばかりして自分を怒らせていた声を、今は切実に聴きたいと思った。あの声に、知らず、どれだけ勇気付けられていたことか。

 ラディンの安否は分からない。

 最後に彼を目にしたのは、闇の眷属と剣を交える姿だった。

 シーザリオンやアルスター、そしてマリサ、ここまで行動を共にしてきた兵士達は今頃どうしているだろう。はたして無事だろうか。

 無事でいて欲しい。シーナ・レイは心からそう願った。

 打ち倒しても打ち倒しても何事も無かったように身を起こし再び掴みかかってくる、あの干からびた屍体達――闇の眷属は普通の武器では倒せない。

 唯一、有効な武器は取り上げられ、ラディンの手元にはなかった。

「無事でいて……お願い」

 ふいに、馬車がガクンと大きく横揺れした。

 スピードが格段に落ち、ゆるゆると蛇行を始める。やがて馬車は石畳の道を外れ、丈高い草に覆われた一本の古木の根元で停止した。

「どうしたのかしら?」

 セルシアーナが当惑したように、小さな声で言う。

 シーナ・レイは立ち上がると、馬車の前方に設えられた小窓から、御者台に目を凝らした。

「御者の姿が無いわ……どういうこと?」

 その疑問に答えるように、セルシアーナが小さな悲鳴を漏らす。

 彼女の震える手が指し示す方角に目をやり、シーナ・レイは凍りついた。

 開いたままの馬車の扉の向こう、木の枝に人間が逆さまに吊るされている。

 青と白の華やかな制服から、さっきまで馬車の前で懸命に馬を走らせていた御者だと判った。

 両足を紐でくくられ、頭を下にして吊るされているのだが、その頭部がなかった。ねじ切られた首から大量の血が流れ落ち、その下にある草花を真紅に染めているのだ。

「あ、ああ……ぁっ……!」

 セルシアーナが喉を震わせ、苦しげに荒い息を吐いた。

 シーナ・レイは彼女の肩を引き寄せ、包み込むように抱きしめる。その抱きしめる腕はどうしよもないほどに奮え、心臓は早鐘を打っていた。

 首をねじ切るなど、普通の人間が出来ようはずがない。

 ほんの数十秒の間に人間の首をねじ切り、逆さまに木に吊るすことが出来る者は、おのずと限られてくる。むろん盗賊の仕業などではない。

 そんなことが可能な者がいるとしたら、それは。

「……闇の眷属」

 それも生半可な相手ではない。

 シーナ・レイは指輪の力を借りて屍体を召還した盗賊の頭領、ハーマンを思い出していた。

 最初に会ったときの牡牛のような巨体と、先ほど目にした異様にやせ細った体を。おちくぼんだ目を。

 地の底から異形の化け物を呼び出し、使役するもの。

 知能の高い、そしてたぶん人型をとるものだ。

「逃げなくては」

 ともすれば萎えそうになる自身を叱咤して、シーナ・レイは立ち上がる。ここにいては危ない。一刻も早く、この場を離れなければ。

「ここにいては危険です……行きましょう」

 セルシアーナは顔を伏せたまま、動く様子はない。シーナ・レイは彼女の肩をゆすり、もう一度言った。

「立つんですセルシアーナさま、急いで!」

「嫌っ、嫌……っ!」

 手で両耳をふさぎ、首を振る。

 恐怖に我を失ったセルシアーナは顔を伏せて俯いたまま、その場に根が生えでもしたように一歩も動こうとしなかった。

「嫌よ……嫌っ……無理だわ……」

 セルシアーナの腕を引いて、強引に顔を上向かせる。シーナ・レイは、涙に濡れた頬を手で打った。

「立ちなさい、レクザスの姫君……あなたには役目があるはずだわ!」 

「……あ」

 呆然と見上げてくる淡い空色の瞳を正面から見据え、シーナ・レイは声に力を込める。

「解っているの? あなたを護って闘っている人がいるのよ、あなたを護るために命を落とした人がいるの。その人達の死を無駄にするつもり? その人達の死に報いるためにも、生きのびて自分の役割をはたしなさい」

 その言葉は、かつて自分自身が言われたものだ。

 ちょうど今のセルシアーナのように「嫌」と首を振るシーナ・レイの肩を揺すったラザル・ハザの真剣な瞳が、ありありと脳裏に甦った。

 俺がいるから、と抱きしめられたときの心強さと、同時に胸を締め付けるような熱い感情が、再びシーナ・レイを駆り立てる。

「さあ姫さま、急ぎましょう」

 シーナ・レイは今度こそセルシアーナを立たせると、手を引いて馬車を降りた。素早く周囲に視線を送り、近くに人影がないか確認する。

「リヴ」

 呼びかけると、背の高い草の影から、一頭の黒犬が姿を現した。風に、漆黒の被毛がさらりと揺れる。

 獰猛な狼を思わせる、大きな犬だった。迂闊に手を出すのがためらわれる、冷ややかで剣呑な気配を全身から発散させている。

 ひっ、とセルシアーナが悲鳴を漏らした。

「彼は大丈夫……私達に危害を加えることはないわ」

 シーナ・レイは安心させるように頷いてみせる。

「行きましょう」

 そのとき、どこからともなく声が響いた。

「そうはいかないよ。おまえ達には用があるんだ、行かせるわけにはいかないね」

 シーナ・レイの肌が粟立った。言い知れる圧迫感を感じていた。

「誰なの!」

 シーナ・レイの前方、なだらかに傾斜して上っていく石畳の先に、黒い霧が出現する。

 霧が徐々に一ヶ所に集まり、密度を増していく。やがてそれは人の形を取り、気づくとそこに女が佇んでいた。

 長い漆黒の髪が不吉な影のように揺れている。

「誰かだって? 答えずともわかろうに」

 女――ドーラは赤味を帯びた金色の瞳を僅かに細めると、真紅の唇を笑みの形に歪ませた。




 リヴはゆるやかな足取りで前に進み出た。

 シーナ・レイとセルシアーナを背後にかばい、値踏みでもするようにドーラを凝視する。

 その意図に気づいたドーラが、苛立たしげに毒づいた。

「生意気な獣だこと……お退き、邪魔をすると死ぬことになるよ」

 むろんリヴが退くはずもなかった。

 リヴは威嚇するように白い牙を剥き出しにすると、ドーラを見据えたまま、半円を描くように横に移動した。

「ならば死ね!」

 すい、とドーラが右手を差し上げる。刹那、剣を振り下ろすかのように一閃した。

 風を切る鋭い音がすると同時に、リヴが横に跳ぶ。ドーラの足元から、さっきまでリヴが立っていた場所まで、一直線に石畳が砕けていた。

 横に跳んだリヴは着地した瞬間、目にもとまらぬ速さで疾走していた。

 瞬きの間ほどでドーラに近づいたリヴだったが、ふいに方向を転じる。リヴは再び横に跳ぶと、ドーラから慎重に距離を取った。

「……リヴ?」

 リヴの様子がどことなく変だった。

 この姿でいる時のリヴは、他の命を奪うのをとまどいはしない。むしろ嬉々として屠るきらいがあるほどで、それがシーナ・レイの悩みの種でもあった。彼を御するのは難しい。

 それが今はどうだ。このリヴの慎重さの理由はどこからくるのだろう。

 ドーラを注視しているようで、けれども視線は微妙にずれている。

 シーナ・レイは誰何した。

「そこに誰かいるの?」

 リヴが低く唸った。

 首の後ろの、漆黒の被毛が逆立っている。

 白い牙が剥き出しになり、跳躍する直前のように前脚をわずかに折り曲げる。

 先ほどまでとは明らかに様子が違っていた。

「駄目だねぇ、隙だらけだけじゃないか」

 ふいに、耳元で声がした。

 振り向こうとした途端、ドーラの青みを帯びた白い両腕が、首にまきついてきた。

「ごらん、可愛いだろう?」

 ドーラがささやく。

 ざらり、と何かが肩を伝ってくる感触に、シーナ・レイの背筋が凍り、肌が粟立った。

 それはシーナ・レイの背後から肩を伝って胸元にまわると、ドーラの腕に巻きつき鎌首をもたげた。

「……っ!」

 鮮やかな緑と黄色の鱗をうねらせて、一匹の蛇がすべるように移動する。

 やわやわと首を絞めながら這い上がると、それはシーナ・レイの首筋に細い牙をたてた。

 シーナ・レイの意識はそれきり暗闇に閉ざされた。


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