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10.襲撃


 シーナ・レイはセルシアーナを背後にかばい、男をにらみつけた。

 しかし逃げ場はどこにもなく、武器すら手にしていなかった。

 馬車に踏み込んでくる男の顔に向けて、シーナ・レイは両手をかざす。

「さあ、観念して出て来いっ!」

 はやる心を意志の力でなんとか押さえつけ、瞼を閉じる。

 かの巫女姫に教えられたとおり、シーナ・レイは脳裏に炎が揺らめくさまをイメージした。

 真紅から透き通った白、そして青へ――それらが混ざり合い、ゆらゆらと小さな形をとる。シーナ・レイは目を開けた。

「――っ!」

 脳裏に灯った種火を具現化する『鍵』となる言葉を小さく唱える。

 次の瞬間、男の顔が紅蓮の炎につつまれた。

「ぎゃあぁぁぁああ!」

 悲鳴をあげて顔を覆う男に体当たりして、馬車から叩き落とす。

 扉の開け放たれた馬車から身を乗り出す。

 周囲に群がる盗賊達を一瞥すると、シーナ・レイは力のかぎり声をはりあげた。

「一歩でも近づいてごらんなさい、消し炭に変えてやるわよ!」

 力を誇示するように、シーナ・レイは両手を高くかざすと、もう一度、炎を出して見せた。

 自分でも驚くほど、今日は調子がいい。

 手のひらでひるがえる真紅に、そこにいたすべての者達が息をのむ。

 男達の罵声と、剣をきりむすぶ金属音がとびかっていたその場所が、一瞬、水を打ったように静まりかえった。

「化け物めっ!」

 いち早く我に返った盗賊がシーナ・レイに襲いかかる。

 剣がふりあげられ、その胸を刺し貫く直前、黒い影が男におどりかかった。

 いつ現れたのか、狼めいた巨大な黒犬が男の喉笛に喰らいついていた。

 血を噴出して仰向けに倒れるとリヴは男から離れ、守護者のようにシーナ・レイのかたわらにたたずむ。

「ありがとう、リヴ」

 視線を転じると馬車を包囲する盗賊達に混じって、ラディンとシーザリオンの姿があった。

 ラディンと目が合った。

 彼は親指を立ててニヤリと笑うと、目の前で呆然と立ちすくんでいた盗賊のひとりに斬りつけた。いつの間に剣を調達したのだろう。

 馬上にいたシーザリオンは馬をたくみにあやつって盗賊をけちらすと、まけじと剣をふるった。

 驚嘆するような剣さばきだ。

 彼は立て続けに三人の盗賊を切り伏せる。その先には葦毛の馬を駆るアルスターと、たった今彼に救出されたマリサの姿があった。


 優勢に転じたと皆が感じたとき、思いがけないことが起こった。

 少し離れた場所から指示を出していたハーマンが、ゆっくりと前に進み出た。

 最初のうち、シーナ・レイはそれが誰なのかわからなかった。

 盗賊達の頭領は、シーナ・レイの記憶の中にあった姿とそれほどにかけはなれていたのだ。

 ハーマンの牡牛を思わせる巨体がしぼんだように、ひとまわり小さくなっていた。

 目のまわりが黒ずみ、おちくぼんでいる。

 シーナ・レイの出した炎に焼かれた頭は地肌が透けて見えており、黒くすすけた頭髪を顔にはりつかせて立っているハーマンは、まるで墓場からよみがった死人のようだった。

 ハーマンは膝を着いて手のひらを地に這わせると、うなるように言った。

「闇の眷属につらなりし者どもよ、我が主、蛇の指輪の求めにこたえ、我が声に応じよ……地の底より姿をあらわせ!」

 突如、ぼこり、と石畳が持ちあがった。

 わずかに開いた石畳の隙間から、土くれにまみれた腕が伸び上がる。

 腕は奇妙な方向にねじまがっていた。

 石をこすりあわせる鈍い音と共に、その腕が、ゆっくりと隙間を広げてゆく。

 やがて石畳の下から土をもりあげて、おぞましい異形の者が姿を現した。




 それは骨の上にじかに皮膚をはりつけたかのように、異様にやせほそった体をしていた。

 皮膚は長い年月をへてひからび、茶色に変色している。とうに眼球はとけてなくなり、その場所にはうつろな空洞があいていた。唇はなく、口は苦悶の形に歪められている。

 石畳をどかして、あるいは古木の根元から、同じような者達が次々と姿を現した。

 なかば風化した衣服の残骸をかろうじて体にはりつかせ、腐敗臭をまきちらしながら、這いずるように歩き出す。

 もとは人間であったが、どれも死んでから長い年月がたっているらしかった。

 ひからびた骨と皮の体をしており、なかには手足が欠けているものもいた。頭の一部が欠けているものものや、首のないものもいる。すでにミイラ化しているものもあった。

「生きている屍体だと! 闇の眷属か? ……けどなんだって、こんなところにわいて出やがるんだ」

 黄ばんだ歯をむき出して襲いかかってくる屍体をたくみにかわし、ラディンは剣で斬りつけた。ぐらりと体を揺らしたところを足で蹴って、石畳に叩きつける。だが、それは再び体を起こすと、緩慢な動作で立ち上がった。

「効果なしか、ちくしょう!」

 ラディンは周囲を見まわした。

 一行はすでにかこまれており、その環もじょじょにせばめられている。


 屍体の数はざっと確認しただけでも二十体近くはいた。

 動きはそれほど速くはなかったが、そうしている間にも新手が、草をかきわけて姿を現すのだった。

 馬達が恐慌をきたし、暴れだす。

 暴走する馬から振り落とされる者が続出した。

「うわぁー! 助けてっ……助けてくれ!」

 屍体に取り囲まれ、地に引き倒された兵士が悲鳴をあげる。

 悲鳴はすぐに絶叫へと変わった。兵士に群がった屍体が、犠牲者を引き裂き、その肉をむさぼり食っているのだ。

「ひるむなっ、闘え! 闘うのだっ!」

 シーザリオンは勇敢に剣をふるっていたが、効果はなく、敵の数は増すばかりだった。

 打ち倒したはずの屍体はその場で立ち上がり、再び襲いかかってくる。

「無駄だっ、逃げろ! そいつらに普通の武器は通用しねえっ、囲まれたら終わりだぞ!」

 なおも闘おうとするシーザリオンに向けて、ラディンは叫んだ。

 その言葉のとおり倒れたはずの屍体がゆらりと立ち上がる。

 死ぬどころか、何度打ち倒しても再び起き上がって襲ってくる。悲鳴があちこちであがり、兵士が次々と犠牲になっていった。

 屍体は盗賊には襲いかかることなく、いななく馬を引き倒し、兵士のみを襲っている。


 扉の開いたままになっている純白の馬車では、背後にいる主人をかばい、リヴが牙を剥いている。

 シーナ・レイは馬車の扉の前に立っていた。

 その後ろには恐怖に凍りついたセルシアーナの姿がある。

 周囲には沢山の屍体がむらがり、少女達の乗っている馬車を取り囲んでいるのだった。

「姫を逃がすんだ! 馬車を出せ、はやく!」

 アルスターが大声で命令する。

「離れたら駄目だ! まて!」

 あわててラディンは声をはりあげたが、すでに遅かった。

 御者が鞭をふるう。

 純白の馬車が大きく揺れ、バランスを失ったシーナ・レイが悲鳴とともに、車中に仰向けに倒れこんだ。

 馬車が猛スピードで走り出した。

「セルシアーナ!」

 シーザリオンが馬車を追い、馬に拍車をかけた。

 しかし馬が走り出すかに見えたとき、彼の騎乗する黒馬が棒立ちになった。

 ミイラ化した一体の屍体が馬にしがみつき、噛みついたためだった。

 馬は恐怖に目を血走らせていななくと、めちゃくちゃにはねまわる。

 シーザリオンが、ついに馬上から転落した。一瞬気でも失ったのか、彼は仰向けに倒れたままで、すぐに動こうとしなかった。

 まちかまえていたように何体もの屍体がむらがり、獲物に殺到する。


「くそっ!」

 ラディンは素早く駆け寄ると、屍体に打ちかかった。

 シーザリオンに取り付いている屍体を力ずくで引きはがし、彼の腕を引いて助け起こす。

「すまん」

「礼なんかするんじゃねえ、気持ち悪い! 見ろ、鳥肌がたっちまった」

 大声でがなりたて、左にいた屍体に斬りつける。

 シーザリオンもまた目の前の屍体を打ち倒した。互いに背中合わせになって剣をふるいながら、突破口を探す。

 けれども壁はあつく、周囲は完全にとり囲まれていた。

「ああくそ、男と心中なんて冗談じゃねぇぞ! それも、こんな陰険おすまし野郎となんて、死んでも死に切れねぇ!」

「誰が、陰険おすまし野郎だと?」

 怒気を含んだ声が、すかさず反応する。

「あんた以外に誰がいるってんだよ! ちくしょう、あんたに関わってからこっち、ロクなことがねぇ。ぶんなぐられてシーナ・レイの前で醜態さらすハメになるし、危険な目には遭遇するし、本当にさんざんだぜ、この疫病神め!」

 一気にまくし立てると、ラディンは手近な一体に剣を叩きつける。

 ついで左肩に掴みかかってきたもう一方の屍体を、すんでのところでかわし蹴りを放った。

「他人のせいにするな。私とて、おまえに会ってからというもの、さんざんなのだ」

「嘘つけ、あんたは俺と出会う前から災難続きだったろうがっ、このフラレ男め!」

 シーザリオンがラディンをけとばした。

「うわっ! て、てめえっ、この非常時になんてことしやがるっ!」

 ラディンは危うくひっくり返りそうになり手をばたばたさせると、怒りをぶちまける。

「売られた喧嘩を買ったまでだ。それに私は、断じてフラレ男などではない!」

 シーザリオンが雄叫びをあげ、気合と共に剣を振り下ろす。頭部を割られた屍体が足元に崩れ落ちた。

「危ないだろうがっ、死んだらどうするんだ、この野郎!」

 なおもラディンは文句を並べ立てた。

 体勢を崩したところに襲いかかる屍体を後ろ蹴りで吹き飛ばし、ついでにシーザリオンに足払いをかける。

「くらえっ!」

 ラディンの攻撃を軽々と避け、シーザリオンは勝ち誇ったように宣言する。

「ふん。この私が、おまえごときの姑息な手に引っかかるとでも思ったら大間違いだ、こそ泥め! おまえがセルシアーナの輿入れ道具をくすねようとしていたことを、私が知らないとでも思ったら大間違いだぞ!」

「他人のこと言えた立場かっ。金に目が眩んで、俺の短剣をくすねやがっただろうが!」

「くすねてなどおらん! 今だって、ちゃんと持っておるわ」

「な、なんだとぉ!」

 いきなり、ラディンはすっとんきょうな声をあげた。

「なんだって、それを早く言わねぇんだ!」

 たった今、相対している屍体から思いっきり目をそらし、シーザリオンに向き直る。

 シーザリオンが怪訝な顔をする。

「どうした?」

「どうしたもなにも、いいから渡せっ!」

 覆い被さってくる屍体を屈みこむことでやり過ごし、さっさとしろ、と手を差し出す。

 シーザリオンは目をすがめた。裏があるのだろう、と言わんばかりの表情だった。

「……嫌だ、と言ったら?」

「あー、もう! この後におよんでなに言ってやがるっ、いいから渡せよ、ちったあ役に立て、この役立たず!」

 かんしゃく気味に叫べば、押し殺した声が応答する。

「誰が役立たずだと?」

「あんたに決まってるだろ! あんたに比べたら目の保養になるだけ、そこで震えているマリサの方がよっぽどマシってもんだ! さっさと短剣を渡しやがれっ!」

 ラディンはビシッと木陰にいるマリサを指差した。

 アルスターに護られたマリサは青褪めた表情をして、小刻みに肩を震わせている。怯えた顔が、なかなかに愛らしい。

「よくぞ言ったな! この私に、そのようなことを言うたのは貴様が初めてだ」

「役立たずを役立たずと言って、どこが悪い!」

 はた、と二人は睨み合った。

 次の瞬間、同時に剣を振りかぶる。

 シーザリオンがラディンに切りかかった。

 対するラディンも思いつくかぎりの罵詈雑言をがなりたてながら、果敢に応戦する。

「なにやってるんですかっ、二人とも、いいかげんにしてください! そんな場合じゃあないでしょうがっ!」

 ついにアルスターが激怒すると、二人は同時に首をすくめた。

「受け取れ」

 シーザリオンが投げた短剣を、ラディンが受け取った。


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