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09.姫君の婚約者

 あの夜の出来事いらい、シーナ・レイは気まずい思いをあじわっていた。

 けして覗きの趣味があるわけではない。

 けれど結果的には立ち聞きをして、その姿をセルシアーナとシーザリオンに目撃されてしまった。

 シーナ・レイは自己嫌悪にさいなまれ、恥ずかしい思いでいっぱいだった。


 セルシアーナは日を追うごとにふさぎこんでいく。

 微笑むことがなくなり、口数も目に見えて減っていった。ときおり泣きはらしたように、目を充血させていることもある。

 その朝は珍しく、ラディンとゆっくり話をする時間が持てた。

 それは出立の時刻になってもセルシアーナが自室から出て来ないためで、マリサに様子を見に行かせたところ、セルシアーナは体調を崩しており、気分がすぐれないとのことだった。

 仕方なく出発を一日遅らせて、ゆっくりと宿で休息を取ることに決定した。

 一行の目指すラビエまでは目と鼻の先、残すところ後一日の距離である。


「何かあったのか? おまえ変だぞ」

 シーナ・レイの顔をひとめ見るなりラディンは彼女を静かな木陰に連れて行き、真剣な面持ちで尋ねる。

 誰かに胸のうちを聞いて欲しかったこともあり、シーナ・レイはあの夜の出来事をかいつまんで説明した。

「ここのところシーザリオンの野郎も様子がおかしかったんで、こりゃあ何かあるなと思ってたんだ……そうか、そういうことだったのか」

 ラディンは訳知り顔で頷いて、おもむろに口を開く。

「ちょっと小耳にはさんだんだけどよ。シーザリオンは王弟って偉い身分のわりに、国での立場はあまり良くないらしい。庶子なもんで現王であるレバン二世からは、うとまれているんだと」

「どういうこと?」

「レバン二世には娘はいても息子はいない。世継ぎの王子がいるにはいたが、病弱で二年前に亡くなったんだ。娘に婿をとって後を継がせようにも、皆すでに近隣諸国に出しちまっている。で、このままだと前の王が身分の低い愛妾に産ませた子――つまり、シーザリオンだ――に次の玉座を持って行かれちまう」

「でも、セルシアーナ姫と結婚すれば問題ないんじゃないの?」

 ラディンは首を振った。

「彼女はレバン二世の娘じゃない。今回の輿入れのために養女として迎え入れたばかりの、遠縁の姫だ。ようするにシーザリオンから恋人をうばって、隣国とは名ばかりの属国であるラビエに厄介払いしちまったんだよ」

「なんですって、そんなの酷すぎるじゃない!」

 昨夜のセルシアーナとシーザリオンの様子を思い出した。

 最愛の人と無理やり引き離されて、政略結婚させられようとしているセルシアーナのことを考えると、胸が痛んだ。

「恋人同士だったのよ。すごくお似合いだったわ。なのに、どうして引き離されなきゃならないの? そんなの納得できない」

 愛する人に護衛され、他の誰かに嫁ぐのは、どんな気持ちがするのだろう。

 逢ったこともない、好きでもない他人の下に送られて。

 そうなったらシーザリオンにはもう二度と逢うこともかわない。それを思うと、セルシアーナが気の毒になった。

 シーザリオンはなぜ、そんな残酷な役を引き受けたのだろう。断ればいいものを。

「あいつは根っからの騎士なんだよ、王命には逆らえない」

「何よそれ、騎士だから何だって言うの。ただの意気地なしなだけじゃない」

 そういうことじゃないんだ、とラディンは言い、嘆息した。

「騎士ってのは、そういうものなんだ。どんな理不尽な命令でも勅令だ。俺たちとは違う。おまえには理解できねぇかも知れないけど、シーザリオンが騎士である以上、どうにもならないんだよ」

 シーナ・レイにはわからなかった。わかりたくもない。

「だったら、その王様に頼めばいいじゃない。二人を引き離さないで下さいって。そうすればきっと」

 ラディンは呆れた顔をして「おまえ甘いなあ」と言った。

「なに寝ぼけたこと言ってんだ、現王は五十近いんだぜ? もし俺がレバン二世だとしても同じことするさ。とりあえずそうやって時間をかせいで、その間に適当な女を捜してきて、王子を産ませる。で、できればシーザリオンは追っ払う……まぁ、暗殺できれば一番いいんだが」

 あっさりと言い切るラディンに、シーナ・レイは冷ややかな視線を送った。

「何てこと言うのよ。信じられない」

「おい、何だそりゃあ。俺の話じゃねぇだろ」

 シーナ・レイに非難され、ラディンは情けない声をあげた。

「あなたの話でしょう。いま自分だったら、って言ったじゃない。最低男! この、ひとでなし!」

「なんだとてめー、犯すぞ、このアマ!」

 バチンッとラディンの頬をひっぱたく。半分、やつあたりに近かった。

 ラディンは頬を押さえ、目を白黒させた。

 そして我に返った途端、ギャンギャン騒ぎ出すのだった。



   ◆◇◆


 翌朝一行は、いよいよ最終的な目的地へ向けて移動を開始した。

 夕方にはラビエとの国境を抜け、平坦な田園風景が見渡せる地域にさしかかる予定だった。

 渓谷の流れる森林も出口に近づいていた。

 モルニー街道の白い石畳の幅もいつのまにか広がり、なだらかな道が続いている。

 四頭立ての白馬がひく馬車の中で、シーナ・レイはセルシアーナと向き合って座っていた。

 セルシアーナはあいかわらずふさぎこんでいた。

 やわらかなクッションにうもれるように身をあずけ、ときおり思い出したように溜息をついている。その度に、隣に座っているマリサが落ちつかない様子で身じろいだ。


「国境を越えたら、すぐにラビエの王都に入ります。あともう少しの辛抱ですよ、姫様」

 いかにも辛そうにしているセルシアーナを元気付けようとしたのだろう。マリサが明るい口調で説明した。

 窓越しに外の景色を眺めていたセルシアーナはつかのまマリサの方に視線を向け、感情のこもらない声で答えた。

「そうね。そして、わたくしは明日の夕刻には花嫁衣裳に身を包んでいるのだわ……花婿の顔すら知らないというのに」

「姫様、お相手のエルンスト様は御歳十八歳、それはもう見目麗しく、とてもお優しい方だと聞いております」

 ごらんください、とマリサが小さな肖像画を取り出した。

 途中の町の露店で購入したという肖像画には、輝くばかりの金の髪を長く伸ばし、すっきりと凛々しい眉に、翠の瞳を持った美青年の姿が描かれている。

「その肖像画ならわたしくも知っているわ。なんでも皇太子付きの侍従長が特別に監督をして描かせた物の写しで、それ以外の肖像画が決して表に出ないように、目を光らせているそうじゃないの」

 セルシアーナが冷ややかに言った。

「陰で侍女達が何て言っているか。本当は野蛮で下品極まりなく、まるで野猿のようだと噂し合っていたのを知っているのよ」

 真実だったらしく、マリサは青褪めた顔をして押し黙った。

「相手がどんな方だろうと、どうでもいいわ。シーザリオン以外なら、誰だって同じことだもの」

「姫様、なんてことを!」

「うるさいわね! 黙っていてちょうだい。もう沢山だわ!」

 声を荒げ、セルシアーナは手で顔を覆った。

 うつむいて嗚咽をもらす姿に、シーナ・レイはかける言葉を持たず、ただ黙って唇を噛み締める。

 どんな言葉をかけても、セルシアーナをなぐさめることなど出来ないと理解していた。


 突然、わだちの跡を軋ませて、馬車が急停止した。

 あちこちで叫び声があがり、馬が何かに驚いたようにいなないている。

「いったい何なの?」

 にわかに騒がしくなった周囲を確かめようと、シーナ・レイは小窓の方に身を乗り出した。

 馬車の外ではすでに乱闘が始まっていた。

 盗賊の一団が一行を包囲して、一斉に攻撃を開始している。ざっと確認しただけでも、その数はかるく五十人をこえていた。

 一行はシーザリオンの指揮の下、果敢に剣を振るっていた。

 数は盗賊の方がうわまわっていたが、統率のとれた兵士達の健闘により、武力では互角のようだった。

「ひ、姫様っ!」

「だ、大丈夫よ。きっとシーザリオンたちが追い払ってくださるわ」

 怯えているマリサをはげますセルシアーナの声もまた掠れている。

 抱き合って震える少女達の期待を裏切るように、ドンッと何かを叩きつけるような騒音がして、馬車が不安定に横揺れした。

「きゃあ!」

 馬車の小窓の向こうに恐ろしい顔が大うつしになった。

 あから顔の大男で、脂ぎったボサボサの髪をふりみだしている。ところどころ歯の欠けた口元にはいやらしい笑みが浮いていた。


「見つけたぞ! 出て来い!」

 野太い声とともに、馬車の扉が開け放たれた。抵抗する間もなく、手前にいたマリサが引きずり出される。

「い、いやっ……助けて!」

 甲高い悲鳴をあげて泣き叫ぶマリサを、男は軽々と肩に担ぎ上げた。

 マリサを助けようとして、シーナ・レイは座席から立ち上がった。

「待ちなさいっ!」

 けれども新たな盗賊が眼前に現れて、行く手を阻まれる。

 大声をあげながら掴みかかってくる男の腕をかろうじてかわし、シーナ・レイは慌てて馬車の奥に逃れた。


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