プロローグ
「シーザリオン・エル・ファルド、ただ今、まいりました」
謁見の間の中央にひざまずいて配下の礼をとり、シーザリオンはこうべをたれていた。
ホールを分断する三段ほどの階段をはさみ、正面に玉座がある。
グリンファースの東に位置する大国レクザスの支配者が座すにふさわしく、玉座には色とりどりの宝石がはめこまれ眩い輝きをはなっていた。
何枚もの毛皮をかさねた玉座のビロードのクッションに身をしずめ、国王レバン二世は沈黙している。
その隣の王妃の座るべき、もう一方の玉座は空だった。
政略でカデールから嫁いできたレーニディア妃が亡くなって、もう四年になる。
レバン二世は、そろそろ壮年のいきにさしかかるという年齢だったが、すでに目にみえて下腹がせりだしている。
顔色がさえないのは日頃の不摂生のせいにちがいなかった。
もともと酒や女遊びに目のない性格ではあったが、二年前に世継ぎの王子でありただひとりの男子でもあったフェルナンドをはやり病で亡くしてからというもの、道楽にいっそう拍車がかかっている。
さすような国王の視線を痛いほどに意識しながら、シーザリオンもまた沈黙していた。
配下の立場から声をかけられることを、国王はひどく嫌っている。不用意に発言すれば逆鱗にふれかねなかった。
みがきぬかれた大理石の床に、おのれの顔がうつりこんでいる。
日に焼けた肌。思考を読みにくい、とよく評される藍色の瞳。かすかな緊張をはらみ、一直線に引き結ばれた唇。
城外を視察して帰還したばかりのところを召しあげられたために、身支度もそこそこに謁見の間にかけつけていた。
銀灰色の短髪は乱れ、汗でべとついている。
白絹のシャツもアーミンのマントもほこりを吸ってうす汚れていた。
「おもてをあげるがよい」
シーザリオンはゆるゆると顔を上げた。
こうして謁見が許されたのは幾日ぶりのことだろう。
儀礼をいたくおもんじる国王に会うのは、王弟とはいえ容易なことではなかった。
「さっそくではあるが頼みがあるのじゃ」
兄弟とはいえ親子ほども歳が離れている。
二十一歳になったばかりのシーザリオンにとっては実の兄であるレバン二世よりも、二十歳の若さで死亡したフェルナンドの方が当然ながら年齢が近かったし、気安い間柄でもあった。
「敬愛する陛下のおんためとあらば、いかようなことも。この私めに、なんなりとお申し付けください」
無言のままで、レバン二世は胡散臭げにシーザリオンを見おろした。片方の眉がわずかに上がるのは苛立ちの証拠だ。
生母の違っている兄弟だったから、あたたかい交流は皆無だった。
政略によって他国から嫁ぎ、当然ながら強力なうしろだてを持っていたレバン二世の生母と、身分の低い愛妾を母に持つシーザリオンとでは、同じ王子ではあっても立場の差は歴然としている。
当然ながら兄からは、幼い頃よりうとんじられてきた。
「友好のあかしとして、近く我がレクザスから隣国ラビエに姫を嫁がせることとあいなった」
「姫君で、ございますか」
レバン二世には二人の娘がいたが、すでにどちらの姫も他国に嫁いでいる。
隠し子でもいない限り、該当するような姫はいないはずだ。
「そうじゃ。そのために余は、遠縁の姫を養女にすることと決めたのじゃ。しかるのち、ラビエに輿入れさせることとなろう。そなたはどう思う」
問いではあるが、決定でもあった。
国王に異を唱える者などいるはずもない。
「聡明なるお考えと存じます」
レバン二世は満足げに頷いた。
「たのみというのはほかでもない。輿入れの警護をそなたに任せたいと余は思うておる」
笑みすら浮かべ、国王は言った。
いつになく上機嫌なようすに、シーザリオンは眉をひそめる。
かつて、こんなにも親しげに接してきたことがあったろうか。
レバン二世がシーザリオンに向ける笑みといったら、冷笑か侮蔑の、それ以外に彼は知らなかった。
「のう、弟よ。余のたっての願い、むろん聞きとどけてくれような」
念を押すようにくりかえす国王に、シーザリオンは深く頭をたれた。それは肯定のあかしだった。
嫌な予感がした。そしてそれは的中した。
国王の言葉は危惧したとおり、いや、それ以上のものだった。
「姫の名は、なんと言うたかの……セルシアーナ、そうセルシアーナじゃ。そなたもよう知っておろう」
返す言葉につまり、シーザリオンはかすかに息をのむ。
むろん知っている。
セルシアーナとは恋人どうしであり、将来を誓いあった仲でもあったからだ。
それらは秘密でもなんでもない。
国王レバン二世を始め、この場に居合わせる誰もが知っている事実であった。
「いま、セルシアーナ姫と?」
「おお、そうであったな」
嘲笑を含んだ声が、とどめとばかりに宣言する。
「そなたにはいずれよい姫を探してやろう。どうじゃ、異存はあるまい」
国王の笑みの理由を、ようやくシーザリオンは理解した。
「……御意」
かすれる声でシーザリオンは告げる。
知らされたときにはすでに手遅れだった。
愛する者はもはや手のとどかぬ、遠い夢となりはてたのだ。