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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 後半
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87 富士雄の理解しがたい日常

 ねむくないんだがな、と富士雄は思った。

 でも、眠らなくてはならない、そうしなくてはいけない。

 でも、眠れないものは眠れない。


 今、自分の身体は居間のラグの上で膝を抱えてテレビを見ている。その表情はどこかつまらない顔で、見ている料理番組にも興味を持っていない。


 富士雄は、本来自分に主導権があるはずの肉体をもう一つの自分の感覚越しに感じている。コンマ何秒かずれてくる感覚。それにどこか気持ち悪さを感じているのは富士雄だが、それ以上にもう一人の自分が居心地悪そうにしているのがわかる。


 以前ならば、自分の感覚を素直に受け入れる存在だったもう一人の自分、不死男。しかし、今、彼にとっては自分が邪魔なものだとしか考えていないようだ。


 今日、不死男が不機嫌なのは自分が目を覚ましていることだけではないらしい。


「不死男、由紀子ちゃんと仲直りしたんじゃなかったの?」

 

 妹であり姉であるオリガが、溶かしバターお茶風味を飲みながら聞く。


「由紀ちゃん、お出かけだって。なんか新しい知り合いできたらしいよ」


 頬をぷうっと膨らませたまま、不死男が答える。


「そりゃあねえ、由紀子ちゃんだって、あんた以外との付き合いの一つや二つくらいあるわよ。我慢なさい」

「おもしろくない」


 だからといって、それを止めることもできない、そういうものらしい。

 富士雄にはそれがよくわからない。不死男は、どうしていつも一緒にいたがるのだろうか。彼女がそれを求めるならまだよいが、むしろ煩わしそうにはねのけられることが多いというのに。


 不死男が由紀子という少女に好意というものがあるのはわかる。富士雄が思うにずいぶん偏った好意である。

 なら、彼女の邪魔をするような真似をしなければよいと思うが、不死男はそのような行為を頻繁に行う。


 求められたら与えればよいのに、なぜ余計なことをするのだろうと、富士雄はふてくされた不死男の中で思うのだ。


「ただでさえ、学校じゃあ、緒方さんが邪魔するのにさ」


 先日の『やらかした』件について、クラスメイトの緒方かな美という少女がちょっかいを出している。

 実は、富士雄はそのとき眠っていたため、なにが起きたのかよくわからない。とりあえず、なにかやらかしたらしい。


 かな美は、自分よりも大きな不死男に噛みついてくる。由紀子に近づきすぎると、無理やり割り込みわざと由紀子にべたべたくっつくのである。

 それを見て不死男は、なんともいえない感情が湧き上がってくるが、それがなんなのか富士雄にはよくわからない。ただ、なんとなく周りのヒトの言葉や数多く読んできた書物を見るに当たり、『羨望』というものらしい。


 富士雄にはわからないことが多すぎる。

 特に、ここ数年の不死男の変化にだ。


 なぜだろう、同じフジオなのに。


 富士雄が頭の中で腕を組んでいると、玄関から「ただ今帰りました」という声が聞こえてきた。

 居間の扉を開けるのは、弟であり兄であるアヒムである。


「これどうしますか?」


 アヒムは手に回覧板を持っていた。ご近所で情報を閲覧するために配るあれだ。


「門の前に置いてありました」

「ああ、斉藤さんちね。あそこはうちのこと苦手にしているから」


 たしか、父が以前斉藤家の前でつぶれたカエルのようになってしまい、それから遠巻きにされるようになったはずだ。昔はあのような父ではなかったのに、と富士雄は首を傾げるしかない。


 アヒムは回覧板を、手を伸ばしたオリガに渡す。


 オリガはカップを置いて回覧板を眺める。


「最近は物騒ね。普通、回覧板に殺人鬼注意なんて書く?」

「それは物騒ですね」


 テレビのニュースで頻繁にあっている。狙われるのは若い女性ばかりで、最近だと容姿の整ったものばかりだという話らしい。

 怖い怖いと言いながら、好奇心が先に立つのがメディアというものらしい。


 アヒムはネクタイをゆるめてグラスにとろりとしたオリーブオイルを注いでいる。最近は地中海の塩を一つまみいれるのがブームらしい。


「皮肉なことにうちの会社は地味に株価上がってるんだけど、うれしくもないわ」


 オリガは警備会社に勤めている。


「そうですね。またマスコミが名前を出し始めましたし」


 『食人鬼事件』という言葉が、最近のニュースで頻繁に使われている。世の中には、『食人鬼』イコール『人外』という思想を持つヒトが結構多いのだ。

 実際は吸血鬼などをのぞけば食人鬼は元ヒトである場合が多いのはどれだけのものが知っているだろうか。


「もう魔女狩りは経験したくないんだけどな」


 オリガは中世欧州の残酷な行為を思い出す。

 日本で育ったオリガであるが、五百五十年の半生の中で百年分ほどは海外生活である。


「姉さん、何回火あぶりになったんですか?」

「火あぶりはないわ。魔女の選定でいつも無罪を勝ち取ったもの」


 選定がちょうどよかったらしい。水に沈むか沈まないかや、身体にあざがあるかで確認されたらしい。

 不死者は溺死しないし、あざどころかほくろやそばかすもほとんどできないのである。


「服ひんむかれたときは、何度頭かち割ってやろうかと考えたわ」

「かち割ったら、その場で魔女認定ですからね」


 アヒムがテイスティングしながら、オリーブオイルを楽しんでいる。


「姉さん、それ早く解決できないんですか?」

「私に言われても困るわ。うちは表向き、民間企業なんだから」


 足を組み直しオリガが言う。


「いろいろ、早く解決してもらいたいものです」


 アヒムは眼鏡をかけなおしながら、憂いを含んだ顔をする。何を考えているのか、富士雄にはわからない。しかし、その表情を見て、なぜか不死男はむっとした顔をする。心の機微というものには、自分よりも不死男のほうが詳しいようだ。

 不死男は、立ち上がるとオリガのもとに来て回覧板をのぞきこむ。


「うわあ、兄さん。大変だよ。ここらへんでも不審者が出るみたいだよ」

「そうなのか?」


 アヒムが眉間にしわを寄せながらオリーブオイルを口に含む。


「うん。小中学生の女の子に声をかける男がいるんだって。物で釣ったりされてもついていっちゃだめだよ、って。由紀ちゃんに教えてあげなきゃ」


 アヒムの口からスプレーのようにオリーブオイルが飛び散る。


「きったないわね」


 オリガが嫌そうな顔をする。


「ふ、不死男。そんなこと書かれているのか?」

 

 不死男は、回覧板をオリガから奪い、


「じゃあ、次は由紀ちゃんちに持っていかないと。行ってくるね」


 と、外に出て行く。


「お、おい、不死男!」


 手を伸ばし慌てるアヒムは、オリガがつぶやいた言葉に気づかなかった。


「そんなこと書かれてあったかしら?」


 と。


 なぜアヒムが慌てるのか、富士雄にはわからなかった。






 回覧板を渡しに行っても由紀子はまだ帰っていなかった。かわりに、いかにも不機嫌そうな由紀子の兄が現れて、


「そこ、置いとけ」


 とだけ言った。


 不死男はつまらなそうに小石を蹴りながら歩く。歩いているうちにニワトリが一羽道端の草をつついていた。


 不死男はニワトリに近づくと目線を合わせる。


「ええっと、山口さんじゃないみたいだね。田中さん? とりあえず、ちょっと離れすぎだよ、帰れなくなるよ」


 と、ニワトリを不死男は頭の上にのせる。ニワトリは「コケッ」と一声鳴いただけで、とくに暴れたりはしなかった。


「由紀ちゃんはよくわかるよな。とさかの色とか羽毛の色とか言われてもわかんないよ」


 独り言を言いながらてくてくと歩き、ニワトリ小屋がある方向へ向かう。

 

 三本の大きなサクランボの木には花が咲いていた。ただのサクラとは少し色味の違う花びらがちらちらと散っている。

 その下でニワトリたちが草をついばんでいたり、砂浴びをしていたりする。


 不死男は頭からニワトリをおろす。


「じゃあね、とりあえず吉田さん(仮)」


 そのまま家に帰るかと思いきや、違う方向へと進む。


 一応、よその家の敷地内だが、不死男がうろうろしていたところで、大らかな日高家のものは何も言わないだろう。


 不死男が向かった先には、大きなイチョウがあった。樹齢は何百年だろうか、という大樹の根元に不死男はゆっくりと寝そべり、空を眺める。


 以前、由紀子に教えてもらったその場所は不死男のお気に入りの場所となっていた。

 何をするべくもなくただ寝そべって空を眺める。富士雄とて好ましく思う行動であるが、自分が起きていると不死男はどこかつまらなそうにすぐ帰ってしまう。


 その理由が富士雄にはわからない。


 今日もまた、同じように眠ろうとし、だが、富士雄の存在を感じると目を開ける。


 気にしなくていいのに、と富士雄は思うが、不死男は違うらしい。


『私のことは気にしなくていいよ』


 思わず肉体を使って発声してしまった。


 不死男の中に、富士雄には及び付かない感情がめぐる。


 本当にまったくわからない、同じフジオであるはずなのに。


 不死男は複雑すぎて富士雄には理解できないことばかり考えたのち、口を開く。


「ねえ、僕は君にはなれないよ」


 その言葉には、富士雄には理解できない感情が含まれているような気がした。


「この身体、僕にちょうだい」


 その言葉に対する反応は思わず肉体を使って行っていた。


『それは無理だ』


 あげるもなにもない、そういう存在である。


 それとは別に富士雄の中に、本当に不死男が言いたいことの片鱗がわかりかけたような感触がしたが、それが明確にはわからなかった。


 なにかどうしても譲れないもの。


 小骨が引っかかったような感覚を引きずった。


「……そうだよね。君にもやるべきことがあるよね」


 やるべきこと、と言われても富士雄は首を傾げるしかない。どうやら、理解力の乏しい富士雄よりも不死男のほうが、自分の中で引っ掛かっているなにかの存在をわかっているようだった。


 不死男は目を伏せたまま己が手のひらを見る。


 あと一人だろうか、と鏡を見ながら思うのだ。

 自分が元の肉体に戻るまで。


 父と母の精神を壊した原因、不死男という存在が生まれた原因。


 それがもうすぐリセットされるのだろうか。


 それは、富士雄にも不死男にもわからない。どうなるかなどわかりようもないのだ。


 不死男はぎゅっと手のひらを結ぶと、家路につくことにした。



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