86 娘さんを僕にください的状況
「なあ、山田のこと、許してやったらどうだ?」
面倒見のよい織部がそんなことを言ってきた。
由紀子がかな美とともに屋上でお弁当を食べている最中だった。屋上は昼食スポットしとして中庭に次ぐ人気の場所だが、暗黙の了解で三年生しか使えなかったのだ。周りには同じく三年生がそれぞれグループを作って、昼食をとっている。
梅とシラスのおにぎりをもぐもぐ食べていた由紀子は飲み込んで返事をしようとしたが、その前にかな美が目を吊り上げて織部に突っかかる。
「はあ? 別に由紀子ちゃんは山田の事なんとも思っちゃいないわよ。なんともね」
かな美は織部の背中を押し、屋上から追い出した。
それにしても、上履きを履いているのにポクポクと音がなるのが不思議である。蹄鉄つけてあげるから、ちょっと観察させてもらいたい。
かな美が鼻息を荒くして帰ってくると、由紀子の肩をがっしりと両手でつかんだ。
「いい、由紀子ちゃん。この際だから、しっかり言い聞かせるからね! 由紀子ちゃん、もう十五歳になるのよ。いつまでも子どもじゃないの、それは周りから見ても一緒なの!」
なにを、といえば、かな美は、男は野獣だの、ケダモノだの、女の敵だの息継ぎ無しにまくしたてる。
本当にかな美は大変である、人類の半分が敵になるのだから。
「大体由紀子ちゃんはうかつすぎるのよ。なにがあったかは、追求しないけど、どうせ山田にまた甘い顔でも見せたんでしょ?」
由紀子は「うっ!」と、身体をそらせてしまった。
やっぱり、とかな美はじっとりした目で由紀子を見る。
「知ってる? カエルはね、お湯にいきなりいれると、熱くて飛び出してしまうけど、お水に入れてゆっくり加熱していくと、そのまま逃げずに茹だっちゃうのよ。つまり、今の由紀子ちゃんは半生ゆでガエルなのよ!」
びしりとかな美が指を突き出してくるので、由紀子はおにぎりを喉に詰めてしまった。
「いい、まだ大丈夫、半生だから。むしろ、あやつが焦ってくれて助かったわ。由紀子ちゃんの前ではなかなか尻尾見せないんだもの。由紀子ちゃんがようやく気が付いてくれて本当によかったわ。でもね、このままだと完全に茹だっちゃうの、そのときはもう終わり、もうおしまい、下ごしらえから加熱に味付け、今どの段階だか理解するのよ」
「……ふぁい」
まだ、お口におにぎりが残ったまま由紀子は返事した。
豆乳をごくごく飲んで由紀子は深く息を吐く。
山田少年は昨日も今日も大人しかった。
由紀子のことが気になるようだが、さきほどもあったようにかな美が間に入り、一言もしゃべっていない。
由紀子は、山田少年に対する怒りはあるものの、それ以上に彼の行動が気になった。
移動教室があるたびに山田がこけないか、実験で爆発させないだろうか、車に轢かれないか心配になる。
それもこれも山田係として長年勤めてきた習慣といえるものだが、不思議と由紀子がいなくても山田は何も問題を起こさなかった。むしろ、由紀子がいたときのほうが色々問題を起こしていた気がする。
(なぜに?)
そういえば、スキー合宿のときも同じようなことを感じた。まあ、その後、遭難したことを考えると、やっぱり山田だな、と思ったのだけれど。
「ねえ、由紀子ちゃん聞いてるの!」
かな美の声で由紀子は現実に戻る。かな美は由紀子が上の空で考えていた間もずっと女の友情という名の説教をしてくれていた。
「いい、今後、不用意に抱き着かせたりしないこと。スキンシップがだんだん過剰になってきてるって気づいてた」
「……やっぱりそうだったんだ」
よく背中から抱き着かれるが、段々体重をかけてくる比率が大きくなったような、時間が長くなったような、力の入れ方が強くなってきたような気がしていた。
どうやら気のせいではないらしい。
それをなんとなく受け入れてしまっていたのは、由紀子の不注意であるが、時折山田が見せる所在なさそうな顔を見ると仕方ないなどと思ってしまうのだ。
(山田少年と山田青年)
山田少年はどこまで山田青年なのだろう。
山田少年は着実に山田青年に近づいている。でも、由紀子は山田が大きくなればなるほど、山田青年が顔を出す割合が減っている気がした。
山田がしっかりしてきたから、山田青年が出てくる必要がなくなったのかもしれない。
(それならいいんだけど)
由紀子は不穏なことが頭をよぎった。それを打ち消すために首を振る。
「やっぱ由紀子ちゃん、話聞いてないでしょ?」
かな美の眉間にしわが寄った顔を見て、由紀子はまだかな美のお説教の最中だということに気が付いた。
「由紀子ったら、最近帰りが遅いわね」
母が大きな箱を持って玄関先までお出迎えしてくれた。
「チャリ通ですから」
修理された自転車で通学を続けている。
たまにぎしぎしと嫌な音をたてる気がするがまあ大丈夫だろう、国産ママチャリは丈夫なはずである。
「それより何? その包み」
由紀子は母が持っている箱を見る。
「ああ、これね。今さっき山田くんのおにいさんが持ってきたのよ。由紀子、明日誕生日でしょ、お仕事があるからって今日持ってきたって」
なんとまあ、まめな山田兄である。
「由紀子、最近、山田くんと喧嘩してるでしょ? 山田さんち、かなり気にしているみたいよ」
「……なんでまた」
由紀子は、まさか山田少年があのことをはなしたのではないかと思った。ちょっと不安になる。
「山田さんち、人外だからけっこう風当りが強いことが多いのよ。あんな気位の高そうな顔をして、おねえさんたち土下座慣れしているでしょ。まあ、大部分は山田さんの旦那さんの責任だけど、そうじゃないどうしようもない理由で謝罪慣れしなくちゃいけないことが多いの」
「……」
それはわかる。
人外はやはりヒトが多くをしめる社会の中で生きにくいものだ。それでも、社会に入らなければならない種族も多い。
不死者など、自給自足で食料を調達するのはできないことはないもののかなり難しいだろう。
「うちはけっこうそういうのは全然気にしないし、由紀子も山田くんと仲良くしているから、山田さんちはみんな喜んでくれてたのよ」
(うちは異常なくらい寛容だし、私には別の理由があるし)
山田家にとって由紀子は、思っている以上に気にかけてもらっている存在のようである。
「山田くんもなかなか友だちができなかったみたいだし、由紀子と仲良くなれてみんな喜んでくれてるみたいなの。だから、喧嘩なんてしていると山田くんだけじゃなく、山田さんち全体が暗くなるらしいわ」
「……うん」
由紀子は少しふくれた顔で母に答えた。なんとなくそうなっているのはわかる気がする。もちろん、山田が原因なんだけど、それで山田姉や兄の気苦労を増やすのは悪い気がしてきた。
それに、山田のここ数日の表情を見ていると、どこか所在なさげで頼りなさそうな顔をしている。
(わかってるんだけど)
ああいう表情をされるのには弱い、山田は馬鹿なくらいにこにこしているのがお似合いなのに。
由紀子は悪くないのに、その解決方法が自分にかかっているとなると、なんだか気が滅入ってくる。
「毎回、気を使わなくてもいいのに。これもずいぶん立派なパッケージよね。高いんじゃないかしらね」
母はそういうと、由紀子にプレゼントの箱を渡す。「気を使わなくてもいいのに」と言っておきながら、遠慮もしないのがさすがに由紀子の母である。
由紀子はためらいつつ箱を受け取るが、その箱に由紀子の好きなブランドのマークが入っているのを見ると、その場でパッケージを開けてしまった。
「ああ、もうそんなにぐしゃぐしゃに開けて」
「あとで片付ける」
母のお小言を話半分に聞きながら、中のアンサンブルを掲げる。
(さすが山田兄)
由紀子は一緒に入っていたスカートもとりだし、アンサンブルと一緒に廊下に並べる。ちょっと背伸びしたい由紀子のためにロングスカートを選んでくれるというのがすばらしい。
由紀子は、どんな髪型をしてどんなサンダルを履こうか頭の中で組み合わせていると、母の笑い声が聞こえた。
(なに?)
由紀子の現金な様子を笑っていたのかと思ったら、そうではなく思い出し笑いのようである。
「どうしたの? お母さん」
「いやねえ、これ持ってきたときのおにいさんの顔を思い出して。なんか神妙な面持ちで対応するもんだからおじいちゃんが言ったのよ。『うちの婿がはじめて家に来たときと同じ顔をしている』って。笑っちゃうでしょ。んでもって、それ言ったら『いえ、この服は姉からのものですから。けして、僕からではありません』とか、やたら強調して言うのよ」
ああいう真面目そうな男前が狼狽えるのは面白いわ、だそうだ。
母はツボに入ったらしく、前かがみになりながら台所に戻って行った。
由紀子は廊下に並べた服を眺める。
(どう見ても山田兄の趣味なんだけどな)
まあ、いいか、と由紀子は服を片付けて部屋に戻った。
(山田兄の頼みなら仕方ないよね)
と、言い聞かせながら。
翌日の放課後、由紀子は山田を追いかけていた。
山田少年もまた、由紀子を気づかっているのかここ数日、すぐに教室を出ていた。
山田少年がいた場所は、裏庭の木陰で木漏れ日が気持ちよさそうな場所である。
(なんだか、うちのイチョウの木に似ている)
木の種類はまったく違うのだが、大きさや枝の広がりが良く似ていた。
「山田くん」
由紀子は少し身構えた顔で山田に近づいた。
山田は根っこを枕にして空を見ていた。
「由紀ちゃん」
少し驚いた顔で山田少年が由紀子を見る。
由紀子は、唇を噛みながら一歩ずつ近づく。耳はちょっと熱いが顔までは赤くなっていないはずだ。
山田は起き上がろうとしたが、由紀子は手で制する。
「山田くん。反省してる?」
「……けっこう、かなりしてる」
「なにが悪いかわかってる?」
「調子にのりました。ごめんなさい」
素直に謝る山田に由紀子は少しだけ緊張がほぐれた。山田の横に立つと、その場で中腰に座る。
ちょっとだけ頬をゆるめる。
「もういきなりあんなことしないで。恥ずかしくてびっくりしてわけがわからなくなっちゃうから」
『あんなこと』の内容を思い出さないようにしながら、赤くなる頬を必死に抑える。
「……ごめん。もうしない、しないように頑張る」
「……頑張るって何?」
「男には耐え忍ぶべき時があるんだよ」
山田はそのまま言葉を続ける。
「たまにどうしても抑えきれないときがあるんだよ。なにか物足りなくて所在無くて。そんなとき由紀ちゃんが近くにいるとすごく落ち着くんだけど、同時に危ないんだ」
「なにが危ないの?」
「由紀ちゃんが危ないんだ。そのときは、クマやトラのときと同じようにホールドして落としてくれたら、クールダウンすると思う。そうならないように気を付けるけど」
「……うん」
よくわからないけど、頑張ってくれるならその言葉を信じよう。
由紀子は我ながら寛容な心の持ち主だと思う。
けして、山田兄の買収に負けたわけではないと言っておく。けっしてだ。
由紀子は中腰から立ち上がると、大きく背伸びをする。
山田少年を見るとやっぱり少し落ち着かない気もするが、さっきまでとは段違いに気が軽かった。
山田少年も少年で、少しだけ柔らかい表情になっている。まだ少し緊張感のある眉毛はおそらく山田なりの『頑張る』を実行中らしい。
「由紀ちゃん、誕生日おめでとう」
山田は寝そべったまま言った。
「ありがとう」
由紀子は、風に流される髪を指で払いのけながら言った。
「山田くん。そろそろおきなよ」
「うん、もう少し」
山田少年は仰向けに寝そべったままなので、由紀子は上を眺める。
(雲でも見てるのかな?)
由紀子がぽっかり浮かんだ雲を見ていると、
「由紀ちゃんって、やっぱりうかつだね」
と、山田が言った。
「どこがなの?」
由紀子はすこしむすっとした顔で腕を組む。
山田少年は由紀子を見たまま言った。
「しましま」
「……」
由紀子は、右足を大きく上げると山田の顔面に振り下ろすのだった。
「山田くん、自転車ないでしょ? どうするの? 並走する?」
由紀子は自転車を押しながら、一緒に歩く山田に言った。山田はバス停に向かわず由紀子とともに歩いている。
「由紀ちゃん、けっこう素でひどいこと言うよね」
「そうかな」
由紀子は山田少年にかなり甘いらしいので、もっとひどいことを言ってもいいと言われたのでそれを実行しているに過ぎない。
「だって、歩いて帰ると日が暮れちゃうもん」
まあ、そう言いながら由紀子は学校から少し離れたところで止まる。そして、ママチャリの後輪を指さす。
「立ち乗りしたことある?」
あんまりいけないことだけど、二人乗りである。こういう場合、男のほうが自転車をこぐ側に入るべきだろうが、山田の運転は怖いし、なにより自転車に乗れるかもわからない。
「たぶん大丈夫」
山田の大丈夫ほど不安なものはないけど、まあ信じてあげよう。由紀子はサドルに座ると山田を後ろにのせる。肩を掴まれてちょっとびっくりしてくすぐったかったけど、我慢する。
「行くよ」
「うん」
まあ、ここまでならよくある青少年の風景であるかもしれない。
見た目だけならそうだったであろう。
由紀子は忘れていた。
自分の体重のことを。
山田の体重のことを。
ぎしぎしと軋む音をたてる自転車は、ちょうど坂道のところで空中分解をおこすのだった。
合計体重二百キロは、いくら丈夫なママチャリでもきつかったようである。
つまり、二人乗りはいけない。