84 ごみは分別してください
「今から山田家家族会議をはじめます」
姉のオリガが神妙な顔つきで開会を宣言する。
場所は二階の応接室である。茶会を開くのにちょうどいいその部屋に兄弟四人が集まっている。
兄のアヒムは仏頂面で腕を組みながら、鉄の処女に入っている不死男を見ている。
なにやらかしたんだ、と恭太郎はため息をついた。
「発言があるかたは挙手してください」
「はい、姉さん」
不死男が早速発言する。
「挙手してください」
「できません」
メイデンさんに入っているので不可能である。オリガは「どうぞ」と答える。
「父さんと母さんがいないですけどいいんですか?」
不死男の質問にオリガに代わり、アヒムが答える。
「会議と計画を勘違いしたらしく、二人で籠もっています」
万年花畑夫婦らしい。父はきっと照れながら母に連れて行かれたことであろう。
「もう兄弟はいらねーよ」
恭太郎は首の裏をひっかきながら言う。
「どおりでさっきからチェンソーの音が響いてるわけね」
なぜチェンソーなのかはあの夫婦だからというしかない、そういう夫婦なのである。激しいというレベルではない。
「姉さん、早く本題に進みましょう」
眉間にしわを寄せたまま、アヒムが言った。かなりご立腹のようだ。
「じゃあ、本題に入るわ。ねえ、不死男、あんた由紀ちゃんになにしたの?」
びしっとオリガは不死男を指さす。
不死男はいつもにこにこのらりくらりとしている顔に、少しばかりのごまかしを浮かべている。
なにかやったな、と恭太郎は確信する。
「由紀ちゃんがもう一週間も我が家に来ておりません。先日のパーティのあとからです」
姉が不死男をにらみつける。
「いつもならお小遣いのために、せっせとお野菜配達してくれるあの子が、我が家に来ないなんておかしいです。それから、アヒム、証言お願い」
「はい、パーティのあと、明らかに不死男を避けていると思いました。僕か母さんの背中にずっと隠れていましたので」
そういえば、そんなことあったな、と恭太郎は思い出す。
お隣のお嬢ちゃんが恭太郎に興味がないように、恭太郎もまた由紀子に興味がないので自然とそういう風にまったく気にかけないのである。
「不死男、白状しなさい。隠し立ては姉さんゆるさないわよ」
片手に鞭を持ち、姉が目をいからせる。
「そうだ、不死男。早く自首しろ、罪は軽くなるぞ」
軽くなる、と言いながら兄のその手にはなぜかガソリンタンクがあった。
さすがに危ないと思うので恭太郎はガソリンタンクを奪い、代わりに指締め器を持たせる。
不死男だけでなく、我が家の住人はお隣のお嬢ちゃんのことをかなり気に入っているらしい。たしかに、頭は回るし我が家の問題児たちの扱いもうまいのだが。
「このまま避けられたままだと本当に大変なことになるわ。うちの今後の介護問題にかかわることなのよ」
オリガはなんかどうしようもないことを言っている。なにげに小姑のような台詞である。
不死男はにこにこしたままだが、唇の端がほんの少し引きつっている。
のらりくらりの不死男がああなのだから、本当になにかしたのだろう。
頭に血がのぼっている二人が相手では喋りにくそうなので、恭太郎はメイデンさんに近づく。
「とりあえず、何やった?」
「うーーん。なんていうか」
不死男は最初もじもじしていたが、他の姉兄に比べると気が楽だったようで、恭太郎が耳を近づけるとこそこそと何をやったか話し出した。
恭太郎は一瞬目を丸くしたが、うーんと唸りオリガたちのほうを見た。
「まあ、最近の子ならこんなもんじゃね? 当人たちの問題で、身内がとやかく言うもんでもないだろ」
恭太郎がもっともな発言をすると、オリガは鞭をテーブルに打ち付ける。
「だまらっしゃい。このごくつぶしが! あんたの常識と社会の常識は違うのよ」
「……ニートですんません」
少なくとも常識人が家に趣味でメイデンさんを持っていたり、鞭や融点の低い蝋燭をバイト道具として扱っていることはないと思う。姉は、働き者で警備会社に勤めている一方で、あんまり表ざたにしたくないバイトもかけ持っている。ニートには信じられないくらい働き者だ。
「そうだな、恭太郎はそちらの方面には大らかすぎる」
と、アヒムも不死男に耳を寄せてくる。自分にも教えろということらしい。
不死男は、恭太郎が理解を示したことに安心したのか、白状する。
すると、どかんという音がするとともにメイデンさんが横に転がった。血を零しながら転がっていくメイデンさんにアヒムは離しておいたガソリンタンクを持ってきてかけようとする。目が血走っている。
「やめろ、兄貴。家が全焼する!」
「止めるな、未成年婦女子にそのようなことをする輩を許しておけるものか! 今、ここで処分しなくては!」
「ちょっと硬すぎるだろ、もうちょい頭柔らかくしろよ」
兄はかなり興奮している。
さすがに姉がガソリンタンクを取り上げると、息を切らしながらメイデンさんをぼこぼこに蹴り続ける。
なんだがその様子が尋常でなく、恭太郎は恐怖を覚える。
「一体、なにがあったのよ?」
オリガは弟たちの様子を見て、首を傾げている。
恭太郎にとってはセーフ、アヒムにとってはアウト、その行為の幅は広い。
「兄貴……」
恭太郎は、冷静さを完全に失った兄に以前からなんとなく思っていたことを言ってみた。
「もしかして兄貴って、一角獣教の信者か?」
「……な、なんのことかな」
さっと蹴り続ける足を止め、眼鏡を拭き始めるアヒム。今更、冷静を装っても遅い。
やっぱり、と恭太郎は思った。
一角獣教とは、当人たちはフリーメイソンのようなものだと言っているが、要は一角獣と同じ嗜好を持った野郎どもが集まった組織と言える。
一角獣の性癖については以下略としておく。
というわけで、保護対象が危険にさらされれば怒りもするわけだが。
「あら? 知らなかったの? だからよくロリコンだって言われるのよね。実際はちょっと違うのにね。そんなんだから彼女がなかなかできないのよ。女としてはマジで引くわ」
けらけらと笑うオリガ。
鬼だ、鬼がいると恭太郎は思う。
「姉さんは早かったもんね」
ぼこぼこのメイデンさんの中から、不死男の声が聞こえる。
オリガはメイデンさんの前に立つと、思い切り体重をかけて、くの字に折れ曲がるほど踏んづけた。
中から小さな呻きが聞こえた。さすがに不死男でもきいたらしい。
「当時としては、平均年齢よ!」
姉が生まれたのは中世だったので、今の平均に比べると早かったとだけ言っておく。
「なんとはしたない。成人するまで待てないんですか?」
「当時は成人年齢よ!」
アヒムが目を細めて姉を見る。
「なによ、その眼は?」
オリガとアヒムがなんだか別の話題で喧嘩をし始める。
恭太郎はさっきの会話でなんだか引っ掛かる内容があったのだが、どうしてもわからず首を傾げる。
「恭太郎兄さーん。ちょっと起こしてー」
「へいへい」
変形したメイデンさんを立てる。オリガとアヒムが思い切り蹴ったため、フレームが曲がりなかなか開かない。仕方がないとばりばりと音をたてて中の不死男を出してやる。
血糊にまみれて穴だらけの服を着た弟に恭太郎はタオルを投げる。
ごしごしと身体を拭くが風呂に入ったほうが早いと思った。
床掃除があとで大変そうだ。
歪んだメイデンさんはもう使い物にならないが、粗大ごみで問題ないかと考えてしまう。
「かってーな、兄貴たちは」
恭太郎の基準ではセーフなのだが。
「……そりゃ、僕が悪いからね」
あっさりと反省の言葉を言う不死男に恭太郎は視線を落とす。
「由紀ちゃん、まだそういうことわかんないのに、僕が勝手にやっちゃってびっくりしただろうし」
目を伏せながら不死男が言う。
「……じゃあなんでやんだよ?」
などと聞くが、恭太郎にはわからなくもない。年若い男の子には耐えきれない渇望というものがあると理解できる。
不死男はタオルに顔を伏せたまま目を閉じる。
「だって、よくわかんないんだよ。焦っちゃうんだ」
「はあ?」
なにがよくわからないのか、焦るのか、と聞くと不死男はタオルで目元まで隠す。
「あいつは誰にでも平等で誰の望みでも叶えようとした」
『あいつ』というのが一体誰のことを示しているのか最初よくわからなかったが、恭太郎はそれがもう一人の『兄』のことだと気が付いた。
「でも、あいつにできることが僕には無理で、真似したくもないんだ」
まるで他人のように『あいつ』と呼ぶ。あと数歳分齢を重ねればその人物になるはずのものが。
ふと恭太郎はオリガたちを見る。
先ほど感じた妙な感覚がなんであったのか、と理解した。
『姉さんは早かったもんね』
なんで、オリガの若いころのことを不死男が知っているのか、と。
知っているとすれば、富士雄兄貴のはずなのに。
つまり、不死男にも富士雄兄貴の記憶があるということだろうか。
恭太郎の頭に新たな疑問が浮かぶ。
恭太郎の記憶の中では、富士雄は年の離れた兄であり、いつもどこかへふらふらと旅に出ている印象しかなかった。あとから聞くにそれはNPO活動だかなんだか知らないがそういうものだったらしい。まさに富士雄だといえる。
しかし、不死男がそれをするかといえばあまりぴんとこない。
良くも悪くも富士雄にくらべたら普通の少年なのだ。
実際は兄でも、恭太郎にとっては弟としての記憶のほうが長い。
逆にオリガやアヒムにとっては、不死男は富士雄であり兄になるのだろう。
潜在的に富士雄に戻ることを望まれている、それは不死男にとってはどうであろうか。
焦りというのはこれのことだろうか。
不死男は、タオルから顔を上げる。
「ねえ、兄さん。自分のために生きたり、執着することって悪いことなの? よくわからないんだ」
「……ンなこと言われても」
何事も度が過ぎれば害になる。
中庸という言葉をわかっていても、実行できないのだろう。
善意のみに振り切れた富士雄がいるからこそ、不死男は混乱しているのかもしれない。
そして、富士雄がいるから焦っているのかもしれない。
自分の存在がなくなることを。
だから、フジオを富士雄ではなく不死男としてみる由紀子に執着しているのではないだろうか。
あいまいな自分を定義づけるため、存在を確認するために接触をはかるのだろう。
それが、まあ今回のことの発端だと言ったら、あまりに不死男を擁護していることになるだろうか。
恭太郎は頭をぼりぼりかきながら面倒くさそうに不死男を見る。
「とりあえず、さっさ、風呂入ってこい。服は黒いごみ袋入れとけ、ゴミ出しのときにご近所さんびっくりすっから」
「うん」
恭太郎は不死男の頭をポンとたたき、部屋を出るように促す。
オリガとアヒムはまだ口論中である。
「ほんと、面倒くせーな」
真っ赤に汚れたタオルに血糊まみれの床、壊れたアイアンメイデン。
普段なら、母がさくさく片付けてくれるのだが、チェンソーの音がまだ響いている限りだいぶ長そうだ。
「あー、だりー。働きたくねー」
恭太郎は首をかきながら、掃除道具を取りに行く。
「それにしても」
恭太郎は、部屋を出る前に口論する姉兄たちにひとつの質問をすることにした。
「なあ、一個質問あんだけどさ」
いがみ合う二人は同時に恭太郎をにらんできてどきっとした。
「なによ、くだんないこと言ったら火あぶりにするわよ」
「そうですね、水攻めも悪くありませんね」
物騒なことを言う二人にびくつきながらも質問を言う。
「不死男のしたことよりも、ぜってー今まで巻き込まれたことの方がショック大きいんじゃないのか? 普通」
指を食べられたり、散弾銃で撃たれたり、飛行機が墜落したり、誘拐されたり、遭難したり、その他もろもろ。
PTSDとやらが生まれるなら、よほどこっちのほうがショッキングのはずだ、と。
しかし、恭太郎が見る限り由紀子はかなり立ち直りが早いように見えた。むしろ適応力は、山田家の誰よりもあると思う。
恭太郎の言葉に、オリガとアヒムは顔を見合わせる。『たしかに』と声をそろえる。
「……改めて考えてみれば不思議な子ですね、由紀子嬢は」
「うん、それもそうね」
何で誰も突っ込まないのか、恭太郎は不思議でたまらなかった。
〇●〇
「あと三日かあ」
由紀子はカレンダーを眺める。
丸がつけられた日は、新学期のはじまりの日で同時にクラス替えの発表日でもある。
(春休みももう終わり)
長期休みの終わりはいつも憂鬱なものだが、今の由紀子にとっては八月三十一日十年分の憂鬱に等しい。
パーティの時点で春休みが始まっていたことは幸いだったような、不幸だったような。
由紀子は新学期に想定されるであろうことを頭に浮かべた。顔がじわじわと赤くなっていく。
(うわあああああ)
由紀子は髪をぐしゃぐしゃにかきむしりながら、部屋の柱にどんどん額をぶつける。勢いがつきすぎて、廊下から祖父の「地震か? 震度はいくつだ?」という声が聞こえたので緩衝材にクッションを挟む。
(だめだ、無理だ。ほんとに無理だ)
こんな様子では他のみんなに変だと思われる。しかも、その原因が同じ空気を吸っていると思うだけで、恥ずかしさで教室の中を破壊してしまう気がする。
それもこれもすべてなにもかもアレが悪いのである。
由紀子は、普段可愛がっているはずの大きなクマのぬいぐるみをつかむとベッドに押さえつけてドフッ、ドフッと何度も殴りつけた。
普段なら考えられない行動である。
罪のないクマさんであるけど、妙に憎らしくなってしまう。
クマがぼろぼろになったら、言うまでもなく奴が悪いのだ。
(やーーまーーだーー!)
由紀子は顔を真っ赤にしたまま、落ち着くまでクマの腹を殴りつけるのだった。