83 やまだーーー!
そろそろ恋愛タグでも消化しておきますね。
「お魚の香草焼き最高」
「由紀ちゃん、口がグロス塗ってるみたいになっているよ」
そういう山田少年とて一体何回目のおかわりだろうか。由紀子と山田で、大きなマダラは頭としっぽだけになりつつある。コックが異様な目で見ているが、まあ気にしないで、職務を続けていただきたい。
ビュッフェ形式の立食パーティで食事は豊富であるが、実のところ食べるヒトは少ない。舌の肥えた株主たちはグラスを揺らしながら人脈を広げることに熱心であまり食事には目を向けない。
ゆえに由紀子たちの行いは、食材を無駄にしないためのエコな行動なのである。
とはいえ、あんまりむしゃむしゃ食べているところを注目されるのも気が引けるので、人気の少ないところからむしゃむしゃと食べつくしていく由紀子たちだった。
「キャビア食べたいけど、さすがに根こそぎは駄目だろうね」
「うん、あれってクラッカーにちょっとしかのせてくれないんだよね。食べた気がしないよね」
国産キャビアと銘打ったそれは、海外ものより新鮮でおいしそうだが、二人の腹を満たすのに向いてない。どんぶりにキャビアをたらふくかけてキャビア丼などやらせてもらえないだろう。
食料ごとに関しては由紀子と山田少年は息がぴったりである。伊達にご町内で恐れられていた暴食コンビではない。
由紀子にしてみれば、エステにてぞんぶんに身体と心を削られまくったので、しっかり栄養をとって回復したいところなのだ。
「とりあえず中華いかない? おこげにふかひれスープとか。北京ダックもあるよ」
「おこげかあ、いいねえ」
中華コーナーに目をやるとあまりヒトはいない。喋りながら食べることが前提のヒトたちばかりなので、立食にあまり向かない汁物は人気がないようだ。
(これはいけない)
このままだと中華担当の料理人が可哀そうである。常に温められている料理だが、時間が経てば水分が飛んでまずくなる。お料理をうまく循環させることが由紀子の今まさに与えられた使命なのだ。
「あいかわらずすごいな」
オレンジジュースの入ったグラスを持った東雲先輩が感嘆する。
「……あっ、せっかくですし先輩もいかがですか?」
恥ずかしくなって由紀子は、豚角煮をすすめる。北京ダックは先ほど空にしたばかりだ。
「振袖なのでちょっと」
「それは残念だね、美味しいのに」
山田少年が口にタレをつけたまま、眉をひそめる。由紀子は山田が汚れた手でお高そうな振袖を触らないように襟首を捕まえるが、その心配はなさそうだ。
静かな笑顔を見せる東雲の後ろには、狂犬のような銃刀法違反男が目を光らせている。
東雲先輩とはもう少し話したいのだが、どうにも後ろの男が気になってしまい、場を離れたくなる。
(世界で二番目に二人きりになりたくないヒトだ)
一番目は某研修医であり、三番目くらいにあの半吸血鬼だろうか。
パーティは由紀子たちが暴食する中もすすめられている。まあ、新しい商品の説明と出資者、開発者の紹介と言った特に面白みもないものだが、山田父が『マテリアル』という肩書で壇上に立っていて吹きそうになった。
「なんでもかんでも横文字にすればいいもんではないと思う」
「一応、人材って意味もあるしさ」
見た目より賢い山田少年が違う訳を教えてくれるが、どう見ても意味は『原材料』だろう。
その『原材料』は、紹介が終わった後も大人気でおっさんたちに囲まれていた。
そのおっさんたちは山田父に感謝の言葉を述べているが、山田父はじーっとサラダバーとデザートコーナーのほうを交互に眺めている。どうやらお腹がすいているらしい。
(さすが山田父由来成分)
感謝をのべるおっさんたちの頭はまるでジャングルのような伸び具合である。切りそろえて整髪料をつけるべきなのに、せっかくよみがえった髪を自然のまま伸ばし続けているらしい。
「効果はてきめんだね。おじさんの薬」
「そうでもないよ」
山田少年は、人差し指をある人物に向ける。ふさふさなおっさんが山田父を取り囲む中、それを悔しそうに見るのは不毛地帯のおじさんだった。いや、おにいさんかもしれないが、あまりに不毛なため年齢よりもずっと老けて見える。
「営業担当の大崎さん。前はふさふさだったんだけどね」
実は、認可がなかなか下りなかった理由はこのヒトが原因らしい。
ふさふさなのに冗談で、例の新薬をつけたあとにあることをやらかしてしまったそうだ。
「父さんに用意していたワラビ餅を食べちゃったんだよね」
しかも、山田父の前で、悪びれもなく。
ワラビ餅は会社のお偉いさんが甘党の山田父のために老舗の発売一時間で売り切れる人気商品を用意したものだった。そのワラビ餅はワラビからとれたでんぷんを使い、それにクルミをまぜてきな粉と黒蜜をかけて食べるものである。
「父さん、いじけて泣き出しちゃったよ。楽しみにしていたみたいでさ」
「うん、おじさん。泣くことはないんじゃないかな」
(それは面倒くさい)
山田父がいじけると同時に、ふさふさだった大崎の髪は抜け落ちていったという。
いわば山田父の恨みを買ったということだろう。
(ちっちゃい、ちっちゃすぎる)
そんな理由で認可は延期されたのだから、ある意味大崎という男は会社の不利益を招いたことになる。しかし、抜け落ちていく髪を目の前で見たお偉いさんは、可哀そうになってとりあえず首はつながったままらしい。
ちなみに後日、ワラビ餅に加えて栗みつ豆どら焼きを用意したお偉いさんは、山田父の周りにいるおっさんたちの中でひときわ立派なアフロを持った人物だという。
(山田父の好感度パラメータ)
わかりやすすぎてどうつっこんでいいのかわからない。
とりあえず、山田父がこのまま食事にありつけないと、大崎に続く悲劇の男が大量発生する可能性が高い。
由紀子は山田とともに、山盛りにしたサラダとケーキの皿を持っていくことにした。
(腹六分目くらいかな)
由紀子は少しだけ出っ張ったお腹を叩く。キロ数換算で五キロ以上の食料がお腹に収まっているはずなのだが、どうみてもそのようには見えない。
山田兄に以前聞いた説明によると、消化吸収のスピードが半端ないらしい。
由紀子は鏡を見る。せっかくしてもらったお化粧なのに、飲食を行ったせいでリップがとれていた。
(写真撮っておけばよかった)
セットしてもらったときに撮っておけばよかったが、山田母に恥ずかしいところを目撃されそれどころではなかった。
由紀子は眉をしかめながらも唇を撫でていると、隣でかちゃんという音がした。
「よかったら使う?」
由紀子が振り向くとそこには、泣きぼくろの美女がいた。
(葛西桜さんだっけ?)
葛西は、洗面台の上に化粧品を入れたポーチを置き、長い指には可愛らしいリップグロスを手にしていた。
「えっ、でも」
どうやら、由紀子がしきりに唇を気にしていたのを察してくれたらしい。
「大丈夫。使用前だから。可愛くて買ったのはいいんだけど、さすがにおばさんにはきついわね。似合う人に使ってもらったほうがものも喜ぶから」
由紀子は悪いな、と思いつつ、断るほうが逆に失礼だな、と思って受け取った。
礼を述べ、チューブ型のグロスを受け取る。淡いピンク色が可愛らしい。
確かに十代向きの色で、大人の色香が漂う葛西には少々きついだろう。彼女にはもっとはっきりした赤とかが似合う。
(おいしそうな匂い)
ピーチの香りが付いている。由紀子は唇にグロスを塗る。
(舐めちゃいそうになるな)
「はい、どうぞ」
はみ出したリップをぬぐうためのコットンを葛西が差し出してくれる。大変気が利く女性だ。
(残念じゃない美人は久しぶりに見たかも)
山田母に山田姉、どうにも致命的な欠点がある二人を思いだし、男性を含めればさらにその幅は広がる。
由紀子はどうでもいいことに感動しながら鏡を見る。
「高校生なの?」
「いいえ、まだ中二です」
葛西の質問に由紀子は答える。身長が高いためか、由紀子はよく年齢以上に間違えられる。
「大人っぽいのね」
「そんなことないです。身長がちょっと高いから間違えられることはありますけど」
「そう? すごくもてそうだな。さっき、近くにいた子は彼氏? あの子は高校生かな」
「ああ、それはありえませんし、同級生ですよ」
山田少年のことを言っているようなので、由紀子は即答する。
山田少年と一緒のところを見られているということは、由紀子の暴食も見られている可能性が高い。
少し恥ずかしくなってくる。
「いいなあ、若いって。そういうことで照れちゃうんだもの」
「ち、違います。本当です!」
由紀子の顔が赤くなった理由を別の意味でとらえてしまったようだ。
慌てながら訂正に入る。
しかし、慌てて否定は肯定と同じととらえられ由紀子はさらに慌ててしまう羽目になる。
一見、しつこい質問のようだが、相手の物言いが上品で嫌味がないのがポイントである。
「ふふふ。やっぱり若い女の子のお話聞いているとこっちまで若くなった気分になっちゃうわ」
「十分、若いうえにおきれいじゃないですか」
由紀子は正直な感想を述べるが、一瞬、葛西の表情が曇った気がした。
「そお? そんなこと言われると、調子にのってしまうわ」
葛西は化粧ポーチを片付ける。
由紀子も改めてグロスのお礼を言いながら、化粧室を出る。
ホテルの長い廊下を歩いている途中、葛西が楽しそうに話しかけてくるので、由紀子はそれに返事をしながらホールに戻った。
ホールに戻ると、パーティは締めに入っていた。
檀上で閉会の挨拶が行われると、客人たちはまばらになっていく。
「由紀子ちゃん、先に部屋に戻る? おばさんたち、もう少し挨拶しなくちゃいけないんだけど」
山田母の言葉に、
「ええっと、少し散策してもいいですか? 中庭でなにか面白そうなことやってるみたいですし」
と、由紀子は返した。
山田母は、由紀子にホテルのカードキーを渡す。今回は一人部屋だという。
「僕は由紀ちゃんと一緒にいるよ」
山田少年の言葉に、山田兄は疲弊した顔で言う。
「あんまり面倒をかける真似はするなよ」
一日、山田父が何かしないか見張っていたので疲れがピークに達しているようだ。そういえば、山田父のスーツは化粧直しをする前と後では変わっている気がする。
「俺、先に寝るから」
恭太郎好みの女性は今回のパーティにはいなかったらしく、だるそうにエレベーターに向かっていった。東雲がいたのはいたのだが、あれだけガードの固い番犬が張り付いていたら何もできまい。
由紀子と山田少年はエントランスを抜け、中庭へと向かった。
中庭は綺麗にライトアップされていた。
最近、改装した記念だという。
教会が併設されて、屋外ウェディングができるようになったのが売りだというが。
「屋外で結婚式ってけっこう辛いだろうね」
「うん。春秋ならともかく、冬や夏ならちょっときついね」
現実的な中学生二人は、ライトアップをきれいだと思いつつ、現実的な感想を述べずにはいられなかった。
冬は寒い。夏は暑いし、虫が出る。
可愛くない子どもである。
「花粉症なら春もつらいかも」
「僕、なったことないからわかんないけど辛いらしいね」
「つらいよ、鼻水止まんないもん。まあ、ここ数年は楽だけどね」
ちなみに、ここ数年、虫刺されの心配もない。不死者の筋肉は密度が高く、蚊の針は刺さらないようだ。でなければ、不死身の蚊が大量発生してご近所は大変なことになるだろう。
きらきらする景色を東屋から眺める。たまに親子連れが写真をとるが、思ったより盛況ではないらしい。
まあ、そんなものだろう。
来てみたものの、由紀子は一度見れば十分かな、という感想を持っている。
(さてと)
由紀子はベンチから腰を上げようとすると、山田少年に制止された。
「なに?」
「いや、なにっていわれてもさ。由紀ちゃん、空気を読もうよ」
「それ、山田くんには言われたくないなあ」
山田が少しだけ口を尖らせる。
何が言いたいのか、と由紀子はほっぺを伸ばす。
「ほーゆうろまんひっくなばひょでふたひきひなんだひょ」
「ごめん、山田くん。うまく聞き取れないよ」
由紀子は山田のほっぺをはなす。「ひどいよ、由紀ちゃん」とわざとらしく山田が言う。
大体、こういうときの山田の思考はお見通しである。
「抱擁でもしたいの?」
「ちゅうしたい」
「ほっぺ?」
「マウストーマウス」
思わず由紀子は履いていた靴を手に持ってヒールで山田の頭を殴っていた。まるで、山田姉のごとき反応である。
臆面もなく何をいいだすのか、この男は。
山田姉がドメスティックバイオレンスに走る理由がわかる気がした。
「そ、そういうのは好きな人同士でやるもんなんだよ」
「僕は由紀ちゃんが好きなので、由紀ちゃんが僕を好きであったら問題ない」
なぜにそこで胸を張って自信満々で言うのだろうか。
「じゃあ無理」
即答する。
「な、なんで! 僕のこと嫌い?」
訴えかけるような目で由紀子を見る。うざい、かなりうざい。
「そんな好きでいいなら、私、おじさんもおにいさんも織部くんも好きだよ」
おじさんは迷惑だけどなんだか憎めないし、おにいさんはいろんなものくれるし、織部くんにいたっては存在が至宝である。
(ライクとラブは違うんだよ)
由紀子はそう言いたかったのだが。
「う、浮気者……」
山田少年がこれまた面倒くさそうな顔をする。ベンチの上に正座をし、柱に額を何度も打ち付けている。
由紀子はため息をついた。
「そんなに言うなら、茨木さんにでも……」
由紀子は言いかけて思わず口を押さえてしまった。
恐る恐る山田少年を見ると、琥珀色の目が少し乾いて見えた。
「……あのひとは、僕を見ていないよ」
足を崩して片膝を立て、山田少年はうつむいたまま小さく言った。
(うわー、しまったー)
由紀子は言っちゃいけない言葉を言ってしまったと自己嫌悪になった。
ブルーな表情のまま、座っている。
(もう、やめてよ)
由紀子はしばしそわそわしながらも、仕方ないと覚悟を決めた。
山田少年の隣に座る。
「ちょっとだけだからね、ほんと一瞬だからね」
仏頂面のまま、目を瞑った。
(小っちゃいころはお父さんとしてたし、その延長だ、延長!)
由紀子は自分に言い聞かせる。
「いいの?」
「さっさと終わらせてよ!」
もう何を怒っているのか由紀子にもわからなくなってくる。
ぎしりと体重移動でベンチがきしみ、まぶたに髪がかかってくすぐったかった。なにかが上唇についばむように触れた気がした。
(自分で言っておいてなんだけど)
本当に一瞬でよくわからなかった。
すごくどきどきしたけど、終わってみればこんなものかという気持ちもある。
「どうだった?」
「……フォアグラ風味」
「うん、さっき食べたから」
はにかんだ顔は機嫌を良くしたようで、逆に由紀子は力み過ぎて力が抜けた。
「由紀ちゃんは桃の匂いがする」
グロスの匂いである。
「とてもおいしそうな匂い」
「味はしないよ」
「本当に?」
「うん、グロスだしね」
淡々と答える由紀子を山田少年はじっと見る。
「もしかして、物足りなかった?」
「別に。ああ、こんなものかって思っただけ」
思わず本音を言ってしまったのは、やはりまだ緊張がとれていなかったのだろう。それが失敗だった。
山田少年は考え込むように顎を撫でた。舌がちろりと唇を舐める。
「もう少しなら大丈夫かな?」
(なにが?)
由紀子が口に出す前に、もう一度山田少年が由紀子のほうを向いた。
(あれ?)
両手が由紀子の背中に周る。右手は後頭部と首を支えるように置いた。
由紀子が混乱する中、もう一度、山田少年の顔が近づいてきた。
〇●〇
「兄さん、母さんどこ?」
「不死男、由紀子嬢はどうしたんだ?」
アヒムは弟とその背中におぶさる少女を見る。
由紀子は顔を真っ赤にして、眠っていた。
「間違ってカクテルでも飲んだのか?」
しっかり者の彼女にしては珍しい。
「ええっと、反省してるよ」
不死男はどこかバツの悪そうな顔をしていた。「やりすぎちゃった」と、小さな声が聞こえた。
アヒムは首を傾げて、母を呼びに行った。