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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 後半
91/141

80 父と兄

(お父さんは殺された)


 誰に殺されたのだろうか。


 その疑問は、ここ数日ずっと頭の中を回っていた。


 今も、お風呂に入りながら考えをめぐらせる。


 古い日本式の深みのある浴槽に肩までつかり、髪が浸からないように後れ毛を頭に巻いたタオルの中に入れる。

 緑色の入浴剤に染められた湯から松の香りがし、一日の疲れを癒してくれる。


 かな美の見た未来視は曖昧で、なおかつ彼女自身が幼かったため、どんな奴だったか鮮明には覚えていないらしい。


(かな美ちゃんが犯人をわかっていないから、諦めた?)


 盗聴や誘拐未遂をやったのが犯人だと考えるのが妥当である。しかしかな美は何も知らず、犯人にとってとるに足らない人物であったと判断した。だから、その後は手出ししなかった。


 でも、そうなると疑問が浮かぶ。


 なぜ、事件から六年以上たってから、再びかな美の命を狙ったのだろうか。


 テレビのサスペンスドラマなら時効が近づいたら犯人があせってぼろをだす、という展開が見られるけど、それはないだろう。

 殺人の時効は由紀子の記憶ではもっと長かった気がするし、今更蒸し返した方がよっぽど危険である。


 子どもの記憶、しかも未来視という確証のないものに、証拠として働くなにかがあるとは思えない。


 では、かな美が狙われたのは別の理由があるのか。


 それも難しい。


 かな美は未来視ができる能力をのぞけば、普通の女の子である。わざわざ狙撃までして命を狙われるようなことは、普通ならありえないのだ。


 かな美を以前狙ったのは、雇われのものだったらしく、直接の依頼者はわかっていないようだ。山田姉や兄は由紀子には言わないが、雰囲気でなんとなくわかる。

 山田家がなにか働きかけたのはなんとなく知っている。

 

 やはり頭がぐるぐるする。


 父を殺したのは誰なのか気になるが、それと同じくかな美のことも心配である。


 下手に自分が調べていて彼女の身になにか起きては困る。


 ずるずると首が下がり、湯船に顎までつかる。

 視界がぼんやりしてきたところで、由紀子は茹だってきたことに気が付き首を振る。


(考えても仕方ない)

 

 由紀子は肩までつかりなおすと、数を数え始めた。






「お母さん、叔母ちゃんの家、いつ行くの?」


 由紀子は髪をふきながら、母に聞いた。母は種苗メーカーから送られてきたカタログを見ている。


(違うことを考えよう)


 由紀子は、竹林のある叔母の家を思い出したのだ。

 

「そうだねえ。来週あたり行く? まあ、私はちょっと忙しいから、あんたとお兄ちゃんだけで行っといで。送ってやるから」


 大学はもう春休みに入っており講義はないのだが、本業が忙しいので仕方ない。イチゴは五月ごろまで出荷するし、春野菜の準備もある。

 花卉も卒業シーズンなので出荷が多い。


 由紀子は冷蔵庫から豆乳を取り出して飲みながら、パソコンを眺める兄を見る。


「俺は行かねえから」


 兄はそっけない答えを返す。


「なんでまた、あんたはそんなこと言うの? 親戚への顔出しくらいちゃんとしなさい」

「高校生にもなると、そうたびたび顔出す暇ないんだよ」


 その割には、やる気なさそうにゲームの攻略サイトを眺めている。帰宅部になって、バイトもせず暇そうにしている輩の言う言葉ではない。


(彼女の一人でも作ればいいのに)


 身長はちょっぴり物足りないが顔立ちはまあまあの兄貴である。

 できないことは、とか思ったが。


(ギャルゲー夜中にやってるなら駄目だな)


 颯太が暇じゃないのも、ゲームばっかりやっているからだ。中学時代は、そこまでのめりこんでいなかったのに。


「お母さん、いいよ。私一人で行ってくるから。お土産もたくさん持って帰ってくるよ」

「……掘り尽くさないでね」


 何をというのは言わずもがな。

 母が少し心配そうな顔で見るが気にしない。


 タケノコご飯や煮つけ、そのまま焼いてしまったものを想像しているとよだれがでてきた。


 ほんの少しだけ気がまぎれてきたときに、由紀子は颯太と目が合った。


(なに?)


 颯太は、由紀子を物言いたげな目で見ていたが、すぐに何もなかったかのようにモニターに視線を戻した。


 由紀子はいぶかしみながらも髪を拭いたタオルを廊下の洗濯籠に投げた。






「……この時期によくこんだけ採ってきたね」


 祖母がずた袋一杯のタケノコを見ながら呆れたように言った。


「これでも半分は置いて行ったんだけど」


 叔母の家は車で三十分ほどの場所にある。由紀子は朝から出向いていた。


 由紀子が半日、山に入り掘ってきたタケノコは、どれも小ぶりで上等なものである。まだ、頭の先が地面からでるかでないかのもので、それだけに探すのも難しい。


 普通は、足先で地面の出っ張りを探して掘るのだが、そんなことをやっていては憎きイノシシに先を越されてしまう。


 由紀子は、ゆえに恥を捨て、勝負にでたのだった。

 これは勝負のためであり、けして食い意地のためでないのだ。


 具体的には言うまい、どんな方法だったかは。

 ただ、これはトリュフを探すときにも応用できるはずである。いつか、トリュフの産地に行ったとき、誰もいなければやってみようと考える。


「ああもう、どう頑張ったか知らないけど、汚れているね。さっさとお風呂入ってきな」

「うん」


 由紀子は、泥だらけのスニーカーを脱ぎ、廊下を歩きながら靴下を脱いでいく。

 すると、玄関先でチャイムが鳴った。


 祖母がいるので由紀子は出る必要がないな、と風呂場に入ろうとすると。


「由紀子ー、山田さんが来たよー」


 と、呼ばれた。


 由紀子はちょっとかっこ悪いけど、裸足に泥だらけの姿で玄関に戻ると、山田少年と山田兄がいた。

 山田少年はにこにこといつもながらの笑顔で大きな紙袋を持っていた。


「どうしたの? おにいさんも一緒なんて珍しいね」


 由紀子は山田兄に会釈する。


「いきなりの訪問すみません」


 山田兄が頭を下げる。

 男前に弱い祖母は、山田兄の「おかまいなく」という言葉を無視して、お茶を準備しに行った。


「ふふふ。由紀ちゃん、これあげるね」


 山田は紙袋を差し出す。

 由紀子は差し出されたものは素直に受け取る。中を見ると大き目の平べったい箱が一つと、小ぶりの箱が一つ入っている。


「今日、由紀ちゃんに似合いそうなもの探してきたんだよ。大きいのが僕からで、小さいのは兄さんからだよ」


 なんだか『大きい』と『小さい』という言葉だけ、強調されているように聞こえるのは気のせいだろうか。


(これはまさか)


 壁にかけられたカレンダーを見ると、今日はチョコの日よりちょうど一か月後である。


 山田少年が「早く開けてみて」と急かしてくる。


 由紀子は自分の手が汚れていないか確かめると、紙袋の中身をとって大きな箱を開けてみる。


(さすが山田銀行だ)


 由紀子の望むように春らしい淡い色合いのワンピースが入っていた。山田少年から、というがどう考えてもスポンサーは山田兄だろう。山田兄らしい、由紀子の好みにストライクするシンプルかつ可愛いデザインに、山田少年が口添えしたかと思われるちょっと遊び心が加わったコサージュが付いている。


 小さな箱を開けると、メッシュと天然石で花をあしらった髪飾りが入っていた。デザインが洗練されており、材料の質からそこらへんで売られているものと違うということが、素人目でもわかる。


 お返しは三十倍どころか、三百倍以上になって返ってきた模様。


(なんかものすごく悪い)


 家にあった材料でぽいぽい作った素人クッキーで、ここまでお返しをされると。まあ、半分は狙ったのだし、遠慮する気も全くないのだが。


 それにしても。


(どこに着て行こう?)


 ワンピースも髪飾りも大変お洒落でセンスのいいものだが、ものが良すぎてご近所におでかけするのに着て行くとどう見ても浮いてしまう。なんというか、ドレスコードが必要なレストランか、何かのパーティにでかけていく格好なのだ。


 もう少しカジュアルなもので十分なのに、といえば贅沢だろうか。


(結局、あのドレスもほとんど着れなかったし)


 人外の夜会で着ていたドレスはそのままもらったのだが、結局、その後着たのは一人ファッションショーを何度かやったくらいで、あとはサイズが合わなくなって箪笥の肥やしになっている。


(一度くらいはどこかに着て行きたいんだけど)


 由紀子がそんなことを考えていることを知ってか知らずか、今度は山田兄がなにかの封筒を差し出してくる。


「よければ、それを着てこれに来てもらいたいのですが」

「はい?」


 由紀子が受け取ったそれを開くと、中にはパーティの招待券が入っていた。主催者を見ると、山田兄が勤める製薬会社であり、名目は新薬の発表、発売記念らしい。


 新薬と言えば一昨年くらいから山田兄が忙しそうにしていたものだ。その頃から、認可だとか発売だとか言っていたが、延びに延びて今頃になったらしい。


 そんな大事なパーティに由紀子なんかが行ってもよいのだろうか。

 会場もずいぶん立派な名前のホテルの大ホールである。司会もご丁寧に芸能人を呼んでいるようだ。


「いいんですか? 正直場違いじゃありません?」

「いえ、ぜひ来てもらいたいんです」


 山田兄が眼鏡をくいっとあげる。


「うちは全員来る予定だったのですが、姉にどうしても来られない理由ができまして……」

 

 山田兄の言わんとしていることがわかった。

 監視の目が足りないから、由紀子をかり出そうというわけである。役に立たない恭太郎を考えると、山田父、母、少年の監視は兄一人では少々重い。


(……やっぱパスかな)


 君子危うきに近寄らず、という言葉を思い出す。もっと昔からその意味がわかっていたら、もっと気楽に生きていけただろう。


 由紀子が頭の中で無難な断り文句を考えていると、山田兄が先手を取った。


「食事はビュッフェ形式で、都内の三ツ星以上のシェフたちがその場で調理……」

「行きます!」


 胃袋と直結した判断基準が悲しい。

 山田兄が眼鏡の奥でにやりと笑い、山田少年は無邪気に喜んでいる。


 はめられた、と由紀子は思わず床にへたりこんだ。


 数秒間、自分の判断に後悔しながらも顔を上げると、山田兄や少年の向こうで人影が見えた。

 玄関の戸に半分隠れるように、山田父が見えた。


「父さん、何しているんですか?」


 山田兄も気づき、挙動不審な山田父を見る。


「……うん、パパ知らなかったよ。チョコの日にはお返ししなくちゃいけないんだって」


 とぼとぼと由紀子たちの前に現れる山田父。その右手には、ハンカチでなにかを包んで持っており、左手には大きな鳥の羽があった。


「おじさん、何も用意できなくてごめんね。代わりにおじさんの宝物をあげるよ」


 と、由紀子の前にハンカチと鳥の羽を差し出してくる。

 ハンカチの中にはきれいな石が幾つか入っていた。


「おじさんが昔見つけたきれいな石なんだ。こっちも昔拾ったきれいな鳥の羽だよ」


(いや、そんな風に受け止められても)


 山田父からのお返しなど微塵も期待しちゃいない。むしろ、ないほうが平和だと思っているくらいなのに。


 なんだか小学校低学年のようなプレゼントを差し出す山田父に和んでしまうのは、由紀子が毒されているせいだろうか。

 ほっこりした気持ちで思わず受け取ってしまった。お礼を言うと、山田少年そっくりの笑顔を返された。


 ハンカチの中には丸い綺麗な石がいくつか入っている。

 由紀子はその中の一つをつまむ。


「……これって、もしかして真珠ですか?」


 直径一センチほどの黒い輝きの球体がある。母が持つ冠婚葬祭用のネックレスのそれよりも輝きは強く、しかしプラスチックの偽物みたいな安っぽい輝きではない。


「昔、貝さんに挟まれて取れなくてね、可哀そうだけど無理やり開いて取ったら出てきたんだよ」


 山田父がのんびり言った。


「それは、言うまでもなく真珠ですね。しかも、天然もの」


 山田兄が断言する。


「父さん、父さんも作ってみたら? 貝にできるなら父さんもできるんじゃない?」


 山田少年が余計なことを言う。

 山田父は息子の言葉に目を輝かせる。


「そうか、父さんもできちゃうのか。ちょっと頑張ってみようかな?」

「父さん、それはできるとしたら胆石です」


 山田兄が冷静なツッコミを入れながら、ハンカチの中をじっくりと観察する。


「これ、ちょっと見てもいいですか?」

「どうぞ」


 山田兄が手にとったのは、楕円の石だった。よく天然石専門店で売られているタイガーアイに似ているが、色は赤く、中心に星形の光が入っている。拾ったというが、到底ガラス玉には見えない。


「スタールビーですね。これだけの大きさで状態も良い。けれど、合成ルビーほど不自然な美しさではない。明確な鑑定をしなければわかりませんが、おそらく本物ですね」


 由紀子はぽかんと口を開けたまま、瞬きしてしまう。


 山田少年と山田父は祖母が持ってきたお茶菓子を早速いただき、祖母は追加で増えたお茶を準備しに行く。


「それも見せてください」


 由紀子は鳥の羽を山田兄に渡す。

 赤い綺麗な大きな尾羽だが、初めて見るものだ。孔雀の羽を真っ赤にして、斑点をとったようなものである。


「不死鳥の尾羽ですね」


 いきなりファンタジー用語が出た。いや、言った山田兄もまたファンタジーな生物だけれど。


「なんですか、それ?」


 まさか死人を甦らせる的な、何かがあるのかと聞いてみる。


「心肺停止状態における二次救命処置に使われる薬剤の原料として非常に有効なものです。心肺停止三十分でも、蘇生率は八割をこえます」


 意外に現実的な答えが来た。いや、蘇生率八割ってけっこうすごい数字なのだろうが、山田家を見ているとつい感覚が麻痺してしまう。


「大量生産したいところですが、不死鳥の他にその成分を作り出せる動植物はなく、化学的にもできません。その昔、その効用を狙われて乱獲されたため、今は絶滅危惧種で、野生のものはもういないはずなんですけど」

「どこで拾って来たんでしょうね」


 さすが元祖ファンタジー生物である。早速、その不死王は草餅を貪りながら、顔を真っ青にしていた。喉に詰まったらしい。


「おじさんって何者なんですか?」


 ひそかな疑問である。


「正直、僕にはわかりません。なにより、本人も忘れているくらいですから」


 なるほど、と由紀子はうなづくと、祖母の持ってきた草餅を手にとるのだった。




 


 山田家の面々が帰った後、由紀子はお風呂に入った。泥だらけの身体を丁寧に洗って上がると、携帯に新着メールがきていた。


(誰からかな?)


 相手はかな美だった。

 かな美は彩香と違い、顔文字も絵文字もない硬派な無駄のない文体でメールをくれる。


 最近、かな美からくるメールは、昔見た未来視に関係することについて思い出したことばかりだ。どんなささいなことでも思い出したら書いてくれるのだった。


 子どもの浅知恵かもしれないが、そんな積み重ねでわかってくることも多い。


 かな美の未来視の話を聞くことができた人物、なおかつ人には言えない依頼を頼むことができるコネを持つ人物となれば限られる。

 もっとも、これは前者と後者が同じ人物だと仮定して考えられるものだが。


 プラスして、最近起こった殺人事件を視野に入れて考える。同一犯と思われるべき犯行は、二月にもおこっている。また被害者は若い女性だった。テレビのニュースで恐怖をあおるようなナレーションで特集されていた。


 由紀子は地図を広げて眺める。赤く丸が書かれたのは、被害者が発見された現場だ。


(結局、頭から離れないな)


 かな美からの情報だけでなく、父の日記も手もとにあればまだ別だったのかもしれない。途中までしか読んでいないが、もしかしたら事件に関わりのあることが書かれてあったかもしれない。


(誰がとった?)


 そんなとき、襖が勢いよく開けられた。


「お兄ちゃん、勝手に入らないで」


 由紀子は地図をとっさに机の引き出しに入れる。


「また、あのゾンビ一家来てたみたいだな」


 颯太は不機嫌そうに言うと、断りもなしにベッドの上に座る。お気に入りのクマを踏みつけないでほしい。


「別にいつものことでしょ? 何?」


 最近の兄の態度が悪いためか、由紀子も自然と突き放す言い方になる。


「相手にすんなって言ってんだろ。ろくな目に合わないって」

「前にも聞いたけど、そんなの私の勝手でしょ」


 由紀子は人外になった以上、山田家と交流を持たざるを得ない。それを兄は知らない。


 知らないからこそ言える残酷な言葉を吐かないでほしい。気持ちが陰鬱になっていく。


 ふと、由紀子の頭の中に、兄がやたら山田家を毛嫌いはじめた時期を思い出した。


「ねえ、お兄ちゃん」


 推測を確信へと変える言葉をつむぐ。


「お父さんの日記、とったのお兄ちゃん?」

「なっ! な、何言ってんだ、知らねえよ、んなもん」


 明らかに視線を外す颯太。


 由紀子は目を細めて兄を見る。


「ベッドの下」

「はあ、何のことだ?」


 少し落ち着きを取り戻した兄の声だ。


「じゃあ、机の一番下の引き出しのさらにその下の部分」

「……な、何のことだかさっぱりわからないな」


 少し動揺が見られるが、これもなんだか違うようである。


「でなきゃ、いかにも読まなさそうな百科事典のカバーの中」

「!」


 どうやら当たりらしい。


(さすがかな美ちゃんだ)


 男の子の部屋にはろくでもないものしかないので、大体そういう場所にそれらは隠されている、と言っていたのだ。


 兄はベッドから立ち上がると自分の部屋へと駆け込む。

 由紀子も追いかけるが、襖につっかえ棒をかけられたらしく開かない。


(もう何なの!)


 由紀子は頭にきて襖に思わず力を入れ過ぎてしまった。


(やっちゃった)

 

 力み過ぎてみしりという音がした。歪んだ形になったかわりに、桟がずれて結果的に開いた。


 襖が外れると、兄の散らかった部屋があり、畳の上には不自然に散らかった辞典が落ちていた。

 だが、兄の姿はなく、かわりに廊下をどたどたと走る音がする。


 由紀子はそれを追いかけようとするが、今度は廊下にでる襖にもつっかえ棒がかけられているため開かない。

 これ以上襖を壊すと母の雷が怖いので、由紀子は自分の部屋に戻り、そこから廊下に出る。


 兄がどこに行ったか右往左往していると、仏間のほうから何やら匂いがしてきた。


 由紀子が慌てて仏間に入ると、火のつけられた蝋燭でノートの切れ端を燃やす兄がいた。


「なにやってんの」


 由紀子は思わず兄の手をはたいた。燃えるノートの切れ端が畳に転がり、火が燃え移る。


 由紀子は座布団を持ってそれを叩いた。火は消えたが、畳は黒い焦げ模様を残し、ノートは半分以上が燃えてなくなっていた。


 颯太は叩かれた手を痛そうにおさえている。由紀子も無我夢中で力の加減を間違えたらしい。かすっただけだが、もしかしたら骨が折れているかもしれない。


(もうどうなってるの?)


 父の日記が燃やされ、兄に怪我をさせ、由紀子は頭の中が真っ白になった。


 ただ、騒ぎに気付いた母や祖父母が来るまで、ぼんやりと燃え残ったノートの切れ端を見た。

 そこには『……良だった。』と、残っている以外何もなかった。


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