79 彼女の秘密
(もうすぐ春だなあ)
まだまだマフラーもコートもはなせない季節であるが、梅の花の香りが春に近づいていることを告げている。
気分転換に中庭でお弁当を食べる由紀子はそんなことを思った。
春や秋ならともかく、この時期に中庭にでて食事をとる生徒はあまりいないので、由紀子たちは気がねなく食事をとれた。
ちなみに今日の由紀子のおにぎりの具は、牛肉のしぐれ煮で、山田は特大フレンチトーストをもぐもぐしている。
由紀子は紅梅を眺めながら、ごくりと唾を飲んだ。
春と言えば由紀子の好物がたくさんある。
(ふきのとう、たけのこ、タラの芽、早く天ぷらにしたい。天つゆつけてさくさくをいただきたい)
祖父母と暮らし、料理のほとんどを祖母が仕切っているため、由紀子の味覚はなかなか渋い。苦いと言われる山菜も、由紀子にとっては「味がある」ということだ。
うむ、つい春先の風情が食欲に負けてしまっている気がするが、これも異常な食欲を持つ不死者の特性なので仕方ないのだ、仕方ないのである。
(たけのこは小さくても若いほうが美味しいんだよな)
そうなるとそろそろ山に出かけないとどんどん成長してしまうし、イノシシがおりてきてどんどん食べつくしてしまう。
由紀子の家には山はないが、親戚が持っているため毎年、掘らせてもらうのだ。去年はあらかた荒らされたあとだったので、ものすごく悔しかったのである。
由紀子の顔には自然とイノシシへの怒りが込み上げてきた。あやつらのせいで、祖母の特製たけのこご飯を何升ぶん食べ損ねたかわからない。
(見つけたら猪鍋にしてやる)
顔にも表れていたようで、一緒に食べていた女生徒が由紀子を見ている。
「ゆ、由紀ちゃん、なんか怖いよ。どうしたの?」
「えっ、ああ、いやあ、ちょっと猪について考えて……」
「えっ! 次は猪をやるの?」
(おい、ちょっと待て)
『やる』とはなんだ、やるとは。
いや、少々鍋にしたいくらい憎らしく思っているのだが。
「任せて、由紀ちゃんの雄姿は僕が撮る」
山田がきりりと眉をあげて、携帯を構える。
「違うってば!」
由紀子の叫びも虚しく、次の標的はイノシシだとふれ回られるのだった。
「もう山田くんがあんなこと言うせいだからね」
由紀子はむすっとした顔で山田に言った。教科書を机から取り出し鞄の中に入れる。
山田はとうに帰りの準備を終えて、由紀子を待っていた。
「由紀ちゃん、やっぱ携帯じゃうまく取れないから、ちゃんとしたカメラ準備するね。
がんばって兄さんに買ってもらうよ」
「うん、話を聞こうね」
由紀子が山田のほっぺたをつまんだまま、鞄を持った。
教室を出ようとすると、ぼんやりした顔で外を眺めているかな美がいた。
「かな美ちゃん、ばいばい」
「ばいばーい」
由紀子と山田がかな美に声をかけると、かな美はびっくりした顔で振り向いた。
「あっ、由紀子ちゃんたち。ばいばい」
かな美はそのまま、靴箱とは反対の方向に歩いていく。
とってつけられたかのような返事に由紀子は首を傾げる。
やはり、かな美は変だった。
何が変なのか、それがわからず、聞くこともできずにずるずると三月になってしまった。
途中まで、山田とともに帰っていた由紀子だったが、やはり気になって仕方がなかった。
(やっぱり、聞かないと)
由紀子は、早く帰ろう、と急かす山田に飴玉を一袋渡す。
「噛んじゃだめだよ。ちょっと待っててね」
と、言い聞かせて、かな美を追いかけた。
かな美は校舎の芸術棟の非常階段にいた。ぼんやりと雲を眺めている。
「かな美ちゃん」
「由紀子ちゃん、どうしたの? こんなとこまで」
「こっちの台詞なんですけど」
由紀子はかな美の横に座った。コンクリの床が冷たいが、空はとても澄んでいてきれいだった。
「かな美ちゃん、なにか悩み事でもあるの?」
由紀子は単刀直入に言った。
正直、それしか思いつかなかった。普段、山田の相手をしているから自分が器用なように思われているが、本当はとても不器用な生き物だと由紀子自身は自覚している。
かな美の肩が震えた。
「な、何言ってるの? 由紀子ちゃん? 私、いつもどおりでしょ?」
うん、とても怪しい。
かな美もまた、由紀子と似ている。大人びて見えるが、どこか抜けていて親しくなるほど甘くなる。
それだけに何か悩み事を隠しているのを見ていると悲しくなった。
わかっている、誰にだって隠し事をする理由はあるし、現に由紀子もかな美に隠し事をしている。
一方的に相手の秘密を知りたがろうとする、なんてひどい奴なんだ、と思いつつ、由紀子はかな美に聞いてしまった。
「隠し事、つらくない?」
ずるい質問だ。
言って後悔した。
(つらくないわけないよね)
隠し事って雪だるまみたいだ。一つ隠すと、次の隠し事が増えてしまう。
異常な食欲は病気という嘘で固めた。
異常な筋力は力を抑えることでごまかし、それでだめなら薬を飲んだ。
血糊どころか臓物にまみれようと、冷静に判断できる精神構造になった。
化け物なのに、ヒトとして暮らしている。
かな美は由紀子が人外であることは知っているだろうか。たとえそうだとしてもそれは由紀子からカミングアウトしたわけじゃない、由紀子の中では内緒のままだ。
それなのに、自分だけかな美の秘密を聞こうとしている。
本当にずるい。
かな美は由紀子の顔を見る。強気な眉の間にしわが寄っている。
ぎゅっと両掌は拳をつくっていた。
「……由紀子ちゃん、ごめんなさい」
「別に、言いたくないならいいんだよ」
由紀子は謝罪の意味を、悩みを話せないことだと思った。
しかし、かな美が続けた言葉は由紀子を驚かせるものだった。
「違うの。由紀子ちゃんには聞いてもらいたいの」
由紀子の肩を掴み、かな美は揺さぶった。
彼女の気丈な目には似合わない涙がうっすら浮かんでいた。
「私、見ちゃったの。暗闇で誰かが刺されちゃうとこ」
そして。
「刺された人、由紀子ちゃんのお父さんだったの」
由紀子の顔色は一瞬で青ざめて、全身からぬるい汗が噴き出てきた。
由紀子はぼんやりと空を眺め、ひたすら謝罪を繰り返すかな美の背中を撫でた。
さっきまでさわやかに思えていた空がなんだか濁って見えた。
かな美は、堰を切って話し始めた。
小さなころ、そんな未来視を見たこと。
まだ幼くて、それが『殺人現場』というものと理解できずにいたこと。
そして、かな美はある日、親戚の家にやってきていた記者の一人を指さして、
「おじさん、暗い中で真っ赤だよ」
と、言ったこと。
ただの戯言と誰も気に留めなかった。
それが、数日後、現実となるまでは。
皆が気味悪がる一方で、戦乙女の能力に目覚めたことに沸き立つ親戚もいた。能力自体は不気味だが、これによって助かる者も多い。占い師を生業にし、政治家や実業家のコネクションを持つことも可能である。現にかな美の祖母もそうしていた。
一族にとって呪われた能力と同時に金づるであった。
かな美の親戚が騒いだせいだろうか、それから数か月奇妙なことが続いた。家の周りを不審者がうろついていたり、家から盗聴器が見つかったり、かな美が誘拐されそうになったりした。
警察に相談してもこれといった成果は出ず、ご近所で変質者が幼児誘拐未遂で捕まったことで有耶無耶にされたらしい。
かな美が戦乙女であることは、親戚内でも他言無用とされ、それからは落ち着いた生活をしていたのだが。
それが脅かされることになるのは、かな美が自分の死の未来視を見たことだった。
何が原因であるか。
かな美は無意識に胸の間に手を置いていた。
由紀子は知っている。そこには、撃たれた銃弾のあとが盛り上がるように残っているはずだ。傷痕まで完全に癒せるほど、由紀子の不死者の血は強くなかった。
かな美は怖かったのだろう。
これを話すことで、また命を狙われるのではないのか、と。
また、それを黙っていることで、由紀子に申し訳なかった、と。
すべてを吐き出した彼女は目を真っ赤にはらして何度もしゃっくりをしていた。
(山田くんと一緒に帰れないな)
気丈なかな美が男子の前でこんな姿を見せるのは嫌がるだろう。
由紀子は少し心配だけど、山田の電話にかけて先に帰るように言った。
かなり不安だけど、このままかな美をほっておけなかった。
かな美を家に送っていき、由紀子がバス停に行くと、ベンチには山田少年が座っていた。
「先に帰ってよかったのに」
口の中で飴玉を転がす山田少年は、由紀子に何かを投げる。
「ごめん、冷えちゃった」
山田は申し訳なさそうに言った。食べていた飴は小さくなったらしくそのままごくんと飲み込んだ。
由紀子は受け取ったものを見る。生ぬるいココアの缶がおさまっていた。
「ありがと。でも帰っててよかったんだよ」
「うん。でも、なんとなくね」
山田はそういうと、やってきたバスに乗る。
いつも通り最後尾に座ると、飴玉の残りを食べる。
由紀子は山田の隣、窓際の席に座ると、缶のプルタブを開けた。
ぐるぐるになった頭の中に、糖分が回って少しだけ落ち着いた。
それでも、やはり混乱したままだった。
山田は飴玉を食べ続け、由紀子はココアを飲みながらずっと外を眺めていた。
そのあいだ、ずっと黙ったままだった。