78 利率と安全性が最優先事項である
(準備しなくてもよかったかも)
由紀子は小さなラッピングを織部に渡した後でそのように感じた。
一人渡すとそれが呼び水となり、織部の両手は可愛いサイズの箱でいっぱいになった。
基本、面倒見のよい織部は、なんだかんだで女子受けがいいのだ。もちろん、友だちとしてだけれど、そんな友チョコでも彼は嬉しいらしい。おしりの尾てい骨のあたりが尻尾であらぶっている。
(いっそ、尻尾穴開けちゃえばいいのに)
制服改造になるので禁止なのだが、あんなものは許可を取ればいいと思う。狼人間の犬山だって、たまに拍子で耳と尻尾が飛び出て、スカートがめくれ上がるのだ。そっちのほうが、よっぽどよくないはずだ。
「べ、べつにくれるって言うんだから、貰ってやるだけだぞ」
(これは俗に言うつんでれというものだろうか?)
兄の持っているゲームで言っていた気がする。兄はこっそりやっているつもりだが、襖越しでゲームの音が漏れているのだ。
そんなに恥ずかしいゲームなら、ヘッドフォンすればいいのに、と思う。
由紀子がそんなことを考えていると、なんだか視線を感じた。
振り向くと、ぶすくれた山田少年がいる。
「何?」
「……織部くんばっかり」
「山田くんもたくさんもらってるでしょ?」
チョコに換算するには怪しいものも含めて。
「由紀ちゃんからはまだだよ」
「山田くんはよくばりだね」
由紀子は面倒くさそうに鞄をあさると、あらかじめ用意しておいた小さな箱を取り出す。
山田はじっとそれを見つめる。
「なに? どうしたの?」
由紀子がじっと黙って見ている山田少年に聞くと、
「義理サイズ」
と、つぶやいた。
由紀子はむっとなり思わず持っていたラッピングを廊下へと投げ捨てた。
「あっ!」
箱は、放物線を描き廊下に転がっていった。
山田少年はそれをまるでイヌのように追いかけていく。
(いや、四つん這いにならなくても)
なんだか、由紀子がそれを強いたように思えて気分が悪い。
「由紀ちゃん……」
クラスメイトが由紀子と山田少年を見て、眉をひそめる。山田は、フリスビーを取ってきたゴールデンレトリバーのような顔をしている。
「ち、ちがうの。勝手に山田くんがやっただけで……」
「いや、そうだとしても、山田くんが残念な原因の半分は由紀ちゃんだから」
(なにそれ?)
由紀子は心外だ、という顔をするが、やれやれとみんなは首を振った。
山田はぶつくさ言いながらも、帰りのバスの中で箱の中身をあけておいしそうに食べた。
中身は、クッキーなので、きっと山田母の作ったもののほうがおいしいだろうな、と思いつつ作ったのであるけれど。
「山田くん、おいしいの? それ?」
由紀子とて、他人にあげるものだから、そんなにまずいものを作ったつもりはないが、舌の肥えた山田少年を満足させるものじゃないと思っていた。
なので、箱もそれほど大きくなく、放課後の小腹のすいたときなら、ないよりましだと用意した。
あの様子なら、もう少し大きい箱に入れて持ってきてもよかったかもしれない。
「うん、おいしいよ。もっと食べたいよ」
満面の笑みでいうものだから、由紀子も照れくさくなってくる。
由紀子は鞄を開けて、タッパーを取り出す。中には少し形の悪いクッキーが入っていた。
由紀子の小腹がすいたときに食べようと思っていたものだ。タッパーひとつぶんだけ残っている。
「ちょっと失敗だけど、食べる?」
「うん」
(たくさん、もらってたのを食べればいいと思うけど)
由紀子とて、自分が作ったものをおいしそうに食べてくれるとうれしい。
なんとなく山田母たちの気持ちがわか……。
(わからないよ、やっぱり)
と、思い直しながら、由紀子もクッキーを頬張るのだった。
由紀子はバスから降りると、一度家に帰ってから山田家に行く。山田は、由紀子についていき、ちゃっかり祖母と母からおはぎとカステラを貰っていた。もうなんだか、ハロウィンなのか混同してしまいそうになる。
由紀子の予想通りなら、山田家にはある人物がいるはずである。
そのひとに会うのが目的だった。
「こんにちは、おにいさん」
どこか憔悴した顔の山田兄が庭のテラスでテーブルに突っ伏していた。口の周りには、赤黒いものがついている。食べこぼしなど、几帳面な彼には珍しいが、今日という日を考えたら納得がいく。
「あらん、由紀子ちゃん。こんにちは」
語尾にハートマークがついてそうな声は山田母である。可愛らしいふりふりエプロンには、赤黒いシミが点々としていた。
「こんにちは」
「ただいまー」
山田は鞄をテラスの窓から家の中に投げ入れる。
「うふふ、聞いてよ。由紀子ちゃん。アヒムったら、シャイな子だから、今日みたいな日だと毎回休んじゃうのよ。会社に行ったらいっぱいチョコレート貰えると思うのに。うふふ、自分の子どもにいうのは親ばかかしら?」
(いえ、そんなことはありませんよ)
山田兄は十分男前な上、一部のことをのぞけば超優良物件である。目をぎらつかせた女性社員はあまたいるはずだ。
だが、会社を休んだ理由は別のところにあると由紀子は考える。
その証拠は、あの恐ろしいチョコもどきが山田兄の口の周りにくっついていることだろう。
きっと、山田兄は己の母の暴走を止めるべく犠牲となったのだ。
本来、職を持たない恭太郎がやるべきだろうが、駄目な弟のほうはこんなナンパな日にでかけないわけがなかった。
(きっと山田姉から折檻をうけるだろうな)
懲りない男なのは血筋だろうか。
可哀そうに重圧は山田兄ともうひとり、山田父にかかってしまった。山田父はがりがりの青い顔に、腹だけが異様に膨れた奇妙な姿でリビングの床に寝そべっていた。指先は人差し指を立てたまま床に文字を書いていた。まあ、犯人は言うまでもない。
(この場合、共食いというのだろうか?)
密かな疑問はどうでもよい。
山田母は、由紀子を見ながら残念そうな顔をして、おいしそうなシフォンケーキをもってきた。
「うーん。チョコレート配りたかったんだけど、うちの男の子はみんなチョコが大好きなの。今年はたくさん作ったのに、全部食べちゃったのよ。かわりにこれをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
由紀子はシフォンケーキに妙な混ざりものがないか確認して、プレーンであることにほっとする。
本当に山田兄と父には感謝したい。そして、合掌したい。
山田兄は山田兄で、「ミッションコンプリートです」と、電話で報告していた。おそらく相手は山田姉だろう。
今年も彼らのおかげで、ご町内の平和は守られた。まさに勇ましき者、勇者である。
お礼とは言わないまでも、由紀子は家から持ってきた二つの箱の一つを山田父に渡す。
「微々たるものですが」
中にはイチゴ大福が入っている。おはぎにしようかと思ったが、もう黒い食べ物は見たくもないだろうからやめておいた。
由紀子の手作りと言いたいところだが、祖母のお手製である。こういうものは、より上手なひとが作った方がいいというのが由紀子の考えである。今日も、友だちと約束さえしなければ、市販のものを買って渡していただろう。
山田父はうれしそうに頬張っている。まるでリスみたいだ。黙って立っていれば、氷の彫像のような美しさなのに。
もう一つは山田兄に渡す。
「ありがとうございます。……こ、これは!」
山田兄は匂いをかいだだけで気が付いたらしい。さすが、山田兄だ。
「開けてもよろしいですか」
「どうぞ」
山田兄に渡したのはクッキーであるが、山田少年に渡したものと少しちがう。本来、クッキーにはバターを使うが、そこは山田兄の好物で代用していた。要は油脂だ、分量さえ適切ならそんなにまずくならないはずだ。
「なかなかやりますね、由紀子さん」
山田兄がうれしいような、それでいて「この手があったか」というような出し抜かれた顔をしている。
「ケーキ作りでサラダオイルを代用するものがあったので、応用してみました」
由紀子もなんとなくのせられて、くくくっ、と笑って見せる。
二人が妙な連帯感を持っている中、山田はわざとらしくそのあいだに入ってきた。
そして、由紀子に対してなにか言いたげな視線を送ったあと、山田兄のほうへ向かい大きく口を開ける。
「な、何するんですか!?」
山田はクッキーの箱に顔を突っ込んだ。
山田兄がとっさに避けたため、全部は持って行かれなかったが、半分はぼりぼりと彼の口に入っている。
「山田くん、さっきあげたでしょ。食べるなら、ちゃんと了解もらってよ」
(勝手に全部食べられたら困る)
わざわざ、オリーブオイルをバターの代用品として作ってきたのに台無しだ。
(このままじゃ計画が失敗する)
由紀子の打算的な脳みそが警告する。
そう由紀子の頭には、『一か月後には三倍返し』ならぬ『三十倍以上返し』の計画があった。普段は男女平等をうたいながら、こんなことを考えてしまうのが女の子というものである。うん、仕方ないのだ。女の子は打算でできている生き物なのだ。
(春物ワンピースが欲しいんだよ)
こうして、由紀子はターゲットを山田兄に決めていたというのに。
由紀子が山田少年を後ろから手を回し、両肩を抑える。ポーズとしては羽交い絞めの格好だが、山田の力なら振り切られるかもしれない。
しかし、山田の動きはぴたりと止まる。
「由紀ちゃん」
山田が神妙な面持ちでうつむいている。
「もう、どうしたの? 山田くん」
由紀子が疲れた顔で言うと、山田は言葉を続ける。
「このあいだから思ってたけど、そろそろ、アンダー一つあげたほうがいいよ。トップも上がってきたみたいだし、きついんじゃないの?」
由紀子は最初何のことを言っているのかわからなかったが、
(きつくなったといえば)
その部位を思いだし、真っ赤になった。
そして、肩に置いていた手を自然に腹に持っていくと、そのままエビぞりになった。
山田の脳天は見事にテラスを破り、上半身が埋まってしまった。いつかのマラソン大会で校庭に埋まった姿と同じだった。
(やっちゃった)
由紀子は、下半身だけ逆さまに飛び出した山田少年に謝罪し、山田兄は「見事なバックドロップでした」と、突き刺さった山田少年をカメラにおさめ、山田父、母は「仲良しさんだね」とあいかわらずのん気な会話をしていた。
(もういやー)
由紀子はもう一度、山田兄から例の薬をもらわないといけないかな、と考えるのだった。