72 お兄ちゃんは心配性
「最近の事件ですか」
由紀子は検査服でベッドの上に横になりながら、奇妙な機械に通される。
山田兄の見ているモニターには、由紀子の輪切りの様子が映し出されているのだろう。
「その点については、まだなんとも言えません」
毎度、寝そべっているだけで暇にならないように山田兄が気をきかせて話題を振ってくれる。本当によくできた兄である。
(うちの兄も見習えばいいのに)
何度も思いつつ、やっぱり山田家なので却下という結論に至る由紀子であるが、今回はそうでもない。
兄の『化け物』発言以来、由紀子は兄と話をしていない。多感なお年頃なので、それほど年の近い兄と頻繁に話をすることはなかったのだが、一週間一言も口を利いていないのは初めてではないだろうか。
血液検査、身体測定ともろもろが終わり、由紀子は服を着替えて休憩室で飲み物をいただく。
山田兄は以前のようにオリーブオイルをドリンクとして持ち込まなかったが、今日はトマトとバジルをのせたサラダを持ってきた。味付けはオリーブオイルと塩コショウである。
まあ、由紀子としてはもっとがっつりしたものが食べたいのだが、出された以上我慢する。
(この前はペペロンチーノだったよな)
材料に妙なこだわりを持つ点では、山田母と親子だな、と由紀子は思う。
山田少年はまだ検査中だ。
山田兄はノートパソコンを持ってきて由紀子に見せる。
そこには、先日の女子高生の殺人事件とそれに似たいくつかの事件があった。
「このことを言っているのでしょうか?」
似たような事件は、以前クラスメイトが言っていたように通称『食人鬼事件』と言われているものであった。
当時新聞記事やテレビには、遺体は損傷が激しいとしか書かれていなかったのだが、同時期に発売されていた週刊誌が見出しに『食人鬼』とはやし立てたため、そのような名称がついたのだった。
(あれ?)
と、由紀子は違和感をおぼえた。
ネットのタブをかえていくが、由紀子の一番気になる内容はなかった。また、由紀子の調べた『食人鬼事件』とは少し違っている。
最初のほうの事件がすっぽり抜けている。
山田兄が気を使ってわざとその記事を由紀子に見せなかった可能性はあるが。
「ちょっと検索してもいいですか?」
どうぞ、という山田兄の言葉に甘え、由紀子は検索画面にキーワードを入れる。
家のパソコンでもう何度も調べた内容だった。
「これは、今回の事件と関係がないんですか?」
由紀子の見せるのは、言うまでもなく己の父の記事だった。
損傷の激しい遺体、同時期の事件、関連性はあると思うのだが。
山田兄は、被害者の名前を見たところで眉間にしわを寄せる。
(やっぱ知ってるんだろうな)
子どもとしては気づかないふりをしてあげるほうが可愛いのだろうが、そうともいえない。
きっと、山田兄や姉は由紀子の身辺調査などとうにやっていることだろう。それが調査対象にばれることは、当人たちに気まずいことにちがいない。
由紀子は、山田兄の少し気まずそうな顔を無視して続ける。
「お願いします、教えてください」
山田兄は眼鏡を指であげながらしゃべり始める。
「一般的には同じ犯人による事件と思われていますが、実は違うんです」
由紀子は山田兄の言葉に目を見開く。
山田兄はもう一台、ノートパソコンを持ってくると立ち上げる。なぜ、もう一台持ってくるかといえば、どうやらネットにつなげていないかららしい。メモリをつなげると、ネットの記事とは比べ物にならないほど細かな資料がでてきた。
「『食人鬼事件』と言われる初めての事件は十三年前にありました。それから十一件ほど同様の事件が一年の間におきています」
「十一件? って」
「はい。本物の食人鬼の起こした事件はそれだけです。一匹でなく複数の食人鬼による犯行でした。生き残りはいないはずです」
食人鬼は秘密裏に処分された。人権のない彼らに法というものは存在せず、誰も知らずに消えていくものだという。
だが、事件自体はその後も続いたという。
「模倣犯という言葉はご存知ですか?」
「あの事件を真似して犯行をするやつですか?」
「そうです」
紙面を見る限り同一犯に見える事件だが、警察の資料によると別人の犯行になっている。だが、食人鬼については警察側でも箝口令が敷かれているらしく、結果、曖昧な記者会見によりメディア各社は、同一犯の事件ということでとらえたようだ。
ややこしい話だが、警察側としても新たな殺人鬼がいることを知らせて不安をあおらないために、訂正もしなかったらしい。
「それじゃあ、つまりどういうことですか?」
由紀子の言葉に山田兄は言った。
「『食人鬼事件』のうち十一件は、同じ食人鬼たちが行ったものです。それ以外は別人が行ったものであり、その中で由紀子さんのお父さんの件は……」
模倣犯が行ったものと思われる事件は四年間に八件。そのうち、由紀子の父の事件を残し、被害者は皆女性であった。
そして、由紀子の父の事件を最後に新たな事件は起きなかった。
最後の事件のみ被害者が男であることは、単なる偶然で終わっていいものだろうか。
そして、父の事件から八年後、また同じような事件が起きている。
「……つまり、食人鬼は関係ないと」
「おそらく。そして、最後の事件についてはいろいろと不明な点が多いまま、迷宮入りとなっています。その事件のみ、別人の犯行である可能性があるため、外しました」
山田兄は複雑な顔で由紀子を見る。
「遺体の損傷はどちらの犯人のものも激しかったのですが、その損傷に違いがありました。残酷な話ですが、食いちぎるのと鋭利な刃物でずたずたにするのはまったく傷口は違いますので」
あきらかに最初の十一件とその後の八件の被害者の損傷には違いがあるという。
それは、由紀子の父を殺したのは食人鬼でないと強調しているようだった。
山田兄がどこか申し訳なさそうな、それでいて弁解するような顔をしている。
エリートサラリーマンには似合わない顔だ。
(呪いが関係しているから?)
食人鬼すべてではないものの、不死王の血脈に由来するものもいる。呪われ食うことのみ執着した個体は食人鬼となる。
ヒトとともに生きる人外にとって、ヒトとの共存は命題であるらしい。個体では誰よりも強いであろう不死王の血脈であるが、その個体数は少ない。その異常なカロリー消費などを考えると、不死者だけで生きていくには難しいことだろう。
山田兄の弁解するような言葉をそのように由紀子は受け止める。由紀子はもうヒトではなく不死者だが、その考え方はまだヒトに近いものだから。
わざわざ重要な資料を見せてくれたのも、その点に関係しているだろう。子ども扱いしてごまかされるより由紀子はずっと嬉しかった。
「ありがとうございます」
由紀子はフォークでバジルとトマトとチーズを突き刺すと、口の中に頬張った。
由紀子は山田家の前で車から降ろしてもらう。
「ちゃんと、送りますけど」
「いいえ、大丈夫です」
山田兄の言葉に由紀子は断りを入れる。
なんとなく少し頭を冷やしながら帰りたかった。
「僕が送っていくけど」
「断る」
山田少年の言葉をばっさり切る。
むしろ逆に危ない気がする。
日高家に送られたあと、逆に山田少年を山田家に送り返さなくてはいけない気がする。
「そうですね、危ないですね」
山田兄が真剣な顔で見ている。そして、何かを思いついたかのように口笛を吹いた。すると、だいぶ大きくなった双頭の柴わんこが現れる。
「ハチ、お見送りできますね」
わん、と元気よく答えるハチ。大きくなってもやっぱり可愛い。
「兄さん……」
山田少年が山田兄を少しうらめしげに見ている。それはたしかにわんこ以下という扱いであるが山田なので仕方ない。
由紀子がハチとともに帰ると、二人はなんだか小競り合いのような話をしている。
(以前はそんなことなかったんだけどな)
前とは見かけ以外成長していないようだけど、ほんの少し反抗期というものが混じっているのかもしれない。成長としては間違いではないのだろうが、ちょっと複雑な気分だったりする。
でも、その成長は由紀子の見てきた山田青年の姿とは一致しない。
山田青年なら常ににこにこしてぶすくれることも、いじけることもしないだろう。そんな人物に見える。
たとえ、どんな目にあっても甘んじて受ける、そんな博愛を絵に描いたような人物だった。
由紀子にはそれが異常に見え、むしろ今の山田少年がわがままを見せているところの方が自然に思える。
由紀子としてもそのほうが接しやすい。
ただ、一つ不安になることがある。
もし、山田がまた成長した時、あと一回、あるいは二回。
完全な山田青年に戻ったとき、そのとき彼はどうなるのだろうか。
(山田青年になる? それとも山田少年のまま?)
由紀子は考えても仕方がないと、ハチを撫でながら家路につくことにした。
玄関先でハチと別れ、引き戸を開けようとしたとき、由紀子の手が止まった。
母と兄の声が聞こえる。
(お兄ちゃん、またなにか言ってるのかな?)
高校生になり、部活もやっていない兄は由紀子より早く帰ってくることが多い。多感なお年頃なため、由紀子以上に母と口論することが多い。
こういうとき、兄だけでなく母も機嫌が悪くなるときがあるので、由紀子はできるだけその場面にあわないようにしている。
(ちょっと、外で時間潰すかな)
そんなことを考え、回れ右をしようとしていたら、会話の中で由紀子の名前が出てきた。
由紀子は、そっと引き戸を開ける。
彼女の耳には、その隙間から聞こえる声で話の内容を聞き取るのは十分だった。
(なにを言っている?)
兄の感情高ぶった声が聞こえる。
「だから、あんな奴らと関わるのはやめろって言ってんだよ」
「あんたこそ、そのくだらない考え方はやめなさい。人外だからって何だっていうの?」
母のいさめる声には少々の苛立ちも含まれていた。
「化け物は化け物だけで暮らしていけばいいんだよ。なんで、由紀が化け物の面倒なんて見てんだよ」
(それは私も言いたいけど)
今では日課のようになっているためどうでもいいことだったが、山田少年が引っ越してきたばかりのころはきっと兄と同じことを考えていただろう。
「颯太。あんたもしかして、由紀子の前でも『化け物』とか言ってんじゃないわよね」
「それがどうしたんだ? 本当のことだろうが」
兄の言葉のあとに、何か鈍い音が聞こえた。
(あれはグーだな)
母は温厚そうに見えて怒ると怖い。滅多に怒ることはないが、お仕置きはパーではなくグーである。
たとえ、兄が成長し母の身長をこえたとしてもひるむことなく殴るだろう。
しかし、母が兄の『化け物』という言葉に対して怒ったところを見ると、ある疑惑が浮かんでくる。
(お母さん、もしかして……)
さすがにそれはない、と由紀子は首を振る。
由紀子自身が『化け物』であることは、いまだ内緒のはずだから。
「『化け物』なんて言葉、もう使わないでちょうだい」
「なんでだよ、本当のことだろうが」
母の言葉をまったく理解できない兄の表情が想像できる。いつも不機嫌そうな顔だが、年齢とともに父によく似てきた。
「由紀があのままあいつらと付き合っていると、ろくな目に合わないかもしれないだろ。親父みたいにろくな死に方しないかもしれないじゃないか。『化け物』に食われて死んだらどうするんだ」
「……颯太。あんたなんでお父さんのこと」
母の声が少し上ずっていた。
「親父が事故死じゃないってことくらいとうに気づいてたよ。じいちゃんたちと一緒になって、俺と由紀子には黙っていたみたいだけどな」
兄の言葉にかすれるような声で母が「知っていたのね」という。
兄らしき足音がどすどすと廊下にでてくる音が聞こえた。
由紀子は引き戸をゆっくり閉めると、壁にもたれかかった。
兄が人外を好ましく思わない理由はなんとなくわかった。
母たちが由紀子に父の死の真相を語らない理由も。
父の日記がなくなっていた理由も今になってわかった。家族の誰がとったにしても、由紀子に父のことを詳しく調べさせないためだったのであろう。
(そんなの逆効果だよ)
家族の誰もが由紀子のためを思って行動してくれているのに、肝心の由紀子はそれを迷惑だと思ってしまう。
家族の間でさえこんなことが起きてしまうのだから、ヒトと共存しようとする人外はどれだけ大変なのだろう。
たとえ模倣犯の仕業であろうとも、食人鬼の仕業とみられ、そのせいで人外全体がネガティブなイメージを持たれてしまう。
(そういえば)
山田兄や姉、恭太郎が、やたら謝罪が上手いのを思い出した。
山田父や山田少年がその原因だと思っていたが、他にも苦労が多いのかもしれない。
(ほんと、人間関係って難しい)
由紀子は、白い息を吐きながら、家の周りを一周してくることにした。
少し時間を置かなければ、家に入るのは気まずかった。