71 兄弟仲はごく普通
「明日、どっか出かけるのか?」
兄の颯太がプライバシーを無視して由紀子の部屋に入ってくる。
「勝手に入らないでよ」
「こっちのが近いんだよ」
兄は風呂場への近道に由紀子の部屋を通過する。冷たい廊下を歩きたくないのはわかるがやめてもらいたい。
由紀子はむすっとなってたんすの引き出しを閉める。ベッドにはワンピースとニーソックス、冬物コートが並んでいる。
「どっか出かけるのか?」
兄が質問を繰り返す。
「友だちと映画見に行くの」
コメディタッチの洋画で気になっていた作品だ。明日は映画代が千円均一の日なのでみんなで見に行くことになった。
兄が目を細める。風呂に行くつもりだったはずなのに、いつのまにかベッドの端に座っていた。
「友だちって、あのゾンビ野郎のことか?」
(ゾンビはないでしょ)
由紀子は、半眼で兄を見つめる。
山田家に友好的な日高家であるが、例外もいる。颯太だけはあまり山田家に関わろうとしない。まあ、それが普通なんだろうけど。
「他の子もいるよ」
かな美や織部もいる。
山田のご機嫌取りのためだろうか、言いだしたのは織部だった。
それで話をすすめるうちに、かな美がのりだし四人で出かけることになったのだ。
颯太はさらに目を細める。
「やめとけ。おまえもだけどじいちゃんたちもまじで意味わかんねえ。なんであんな化け物一家と付き合えるんだよ。一緒にいてもろくな目に合わねえだろ?」
兄の心無い言葉に由紀子はぎゅっと拳を握った。
思わず、近くにあったクッションをつかむ。
たしかに山田家に関わるとろくなことはない。ヒトと同じかといえば、違う。
だからって、そのような言い方はあるだろうか。
兄の言葉に憤りとともにショックもあった。
(私、化け物なんだ)
由紀子は思わず投げつけようとつかんだクッションをそっと置いた。たかだがクッションでも由紀子の化け物のような力では、兄に怪我をさせてしまうかもしれない。
由紀子が睨み付けても兄はベッドからどく様子もなかったので、由紀子は自分が部屋を出ていくことにした。
兄がなにか言いたげな顔をして由紀子を見ていたが、そんなこと気に掛けるなどできるわけがない。
待ち合わせは初詣と同じく駅前である。
(ギリギリかな?)
由紀子は山田少年を連れて行く場合、余裕を持って一時間前につくようにしているのだが、今日は五分前に到着した。
理由は由紀子の髪型にある。
かな美はすでに待っており、携帯電話をいじっていた。
「かな美ちゃん、待たせた?」
「ううん。別に。さっき来たところ」
由紀子とかな美はそんな使い古された待ち合わせ風景を見せていると、山田がなんだか物言いたげな顔で見ている。まあ、気にしない。
「由紀ちゃん、今日の髪型どうしたの? それに、もしかしてマスカラとチークしてる?」
「う、うん」
由紀子はたじたじに答える。
由紀子は普段、お化粧はしないし、髪型も簡単に結ぶ程度しかできない。
かな美以外にやってくれる人物といえば一人しかいない。
「その服なら、これを合わせるべきでしょう」
白いコートに合わせてふわふわのシュシュを用意してくれた山田兄である。今日は非番だったらしく、駅前まで送ってくれたのも彼だった。
由紀子の肌はファンデーションはいらないが、軽くパウダーをはたき、薄いピンクのチークをのせてマスカラで少しだけまつげを強調した。相変わらず男性とは思えない趣味をしている。
出来上がりはすばらしく由紀子は嬉しいような恥かしいような気分になった。
そばで山田母がハンカチを噛みながら由紀子のほうを見ていたので、彼女の好みには合わなかったのだろうが。
料理はうまくてもメイクアップ技術はないので手出しはなかった。
由紀子がはにかみながらかな美の褒め言葉を受け取っていると、わざとらしく山田少年が片手をあげながら由紀子たちのもとにやってきた。ちょっと目を離した隙にトイレにでも行っていたのだろうか。
「由紀ちゃん、待った?」
見た目だけならアイドルのような少年である。さわやかな笑顔に騙された通行人女性AとBが振り返っている。
「いや、一緒に来たでしょ」
由紀子の冷静なつっこみに山田少年はつまらなさそうに眉を下げる。
「違うよ、その台詞じゃないよ」
「うん、わかった。わかった」
そんなやりとりをしているうちに、織部も合流して映画館に向かうのだった。
「世の中、信じちゃいけない言葉ってあるよな」
織部がしみじみという。
「うん、『全米が泣いた』とかね」
由紀子が返す。
「あと『〇〇ナンバーワン』とか」
かな美も同調する。
「そもそもコメディに無理やり感動シーン盛り込むのが間違い。あんだけ街をギャグみたく破壊しておいて、終盤そんなくだらないことで仲たがい? とか思っちゃう。ほんと、意味わかんないわ」
さすがかな美だ。歯に衣着せぬ物言いだ。
山田だけは売店でポップコーンLサイズをもう二つ買っている。由紀子と合わせて計十二個のポップコーンは上映中にすべて腹におさまっている。置く場所がなくて困り、持てない分は織部の頭の上にのせてもらったくらいだ。
まあ結果として言えるのは、予想よりもつまらない映画だったということである。
コマーシャルは大変おもしろかったのであるが、おもしろいところはコマーシャルで使い切ったといってもよかった。あと、映像や音楽はきれいだったけど、肝心の脚本と演出がぐだぐだであるのが残念すぎる。
かわいくない中学生三人はそのような感想を述べ、素直な中学生一人は終始にこにことポップコーンを食べている。
そんな山田を見て織部がふわふわの頭をぽりぽりかいた。
「おい、山田。そんなに食べると、食えなくなるぞ」
「いや、それはない」
かな美が即答する。
由紀子はそういえば、と織部たちを見る。
「お昼は任せろ、って言ってたけど何食べるの?」
映画を見ると決まったとき、山田と織部が食事は任せろ、と言ってきたのだ。
由紀子としては、ここいらは食べつくした地帯であり、食べ放題は出入り禁止、チャレンジメニューも同じくである。
せいぜい安くてボリュームのあるメニューを期待しているのだけれど。
「すぐにつくよ」
山田少年の言葉に由紀子とかな美は頭を傾けた。
由紀子もそんな場所があったのかな、と思いつつついてくるとそこは、短大の前だった。
「かなり意外な穴場なんだよな」
織部が何事もないかのように中に入っていく。山田もついていく。
由紀子とかな美は「いいのかな?」と、警備員をちらちら見ながら大学の敷地内に入っていく。
警備員は止める様子はなく、むしろいらっしゃいといわんばかりだ。
たどり着いた先は学食だった。
「ええっと、学食だよね?」
しかし、その中は意外とお洒落である。短大なので若い女性が多いせいか、中の雰囲気が洗練されていた。
そうなると山田や織部が浮いてしまいそうだが、女学生にまぎれるようにあきらかに学生とは思えないひとたちも混じっているので浮くことはなかった。
「この学校、調理科があってその生徒が作ってるんだ。先生が元シェフらしいから、うまいらしいぞ」
だから、学食は週末に開放されているらしい。
お店の雰囲気はお洒落で、価格は学食なので安い、土曜日でも利用者がいるというわけだ。
肝心のお料理は、匂いをかぐだけでお腹が鳴る。
なるほど、と由紀子とかな美は顔を見合わせる。
「大食らいが二人もいると、イベント提案者は苦労するよ」
織部が深く息を吐く。
山田がかなりご機嫌なところを見ると、しばらくジンギスカン話はないだろう。
由紀子はランチメニューの食券を八枚買って並んで、店員になんだか異物なものを見る目で見られたが、美味しいものを食べられたのでよしとする。
午後は女の子二人の独壇場になった。買い物に行きたいからここで別れようと提案したかな美の意見を山田と織部が却下したためだ。
「面倒事を俺一人に押し付けないでくれ」
織部の言い分はわかる。
かな美が面倒くさそうに舌打ちをしたのは言うまでもない。
女の子には楽しいウインドウショッピングでも男の子にとっては苦行に違いない。織部は早速ショッピングモールのベンチに座り、女の子二人プラス野郎一人の買い物風景をつまらなそうに見ている。
なんだか、山田が普通に混じっている点は解せないが山田だから仕方ない。
試着を繰り返しようやく気に入った服を購入した頃には、暇つぶしに携帯でテレビを見ていた。
「ごめん。織部くん」
由紀子はちょっと悪いなあ、と思ってそんな言葉をかけると、織部は携帯から目をはなさないまま片手だけを上げた。
真剣に番組を見ている。
その様子に由紀子たち三人は気になって織部の携帯電話をのぞきこむ。
「先生、変質者って言ってたけど、これのことだったのかな。なんか物騒だよな、この辺って」
織部はニュースを見ながら言った。
場所はそれほど離れていない。
そこには数日前から消息不明になっていた女子学生が遺体にて発見されたとあった。詳しい死亡原因は不明だが、他殺によるものだと言っている。
死亡原因がはっきりしない理由というのは、その損傷が激しいためらしい。
夏ならともかく冬のこの季節に損傷が激しいとなると、それは腐敗による損傷とは考えにくい。
由紀子は嫌な予感が背筋をぞくりとかけぬけるのを感じた。
ふと、隣の山田少年を見る。
山田は長いまつげを伏せて珍しく真面目な顔をしていた。
琥珀色の瞳はネコのようになっていたのを由紀子は見逃さなかった。