小話 母の日
「うちは母の日はしないの?」
不死男がきらきらとした目で、オリガたちを見ている。
何を言い出すのだろうか、とオリガは首を傾げる。
「毎年、してないじゃない」
「そうですね、考えたこともなかったな」
アヒムもうなづく。
「っつーか金がねえ」
自称フリーター、ほぼニートが言う。
「なんでそんなことを言い出すの?」
オリガが聞き返すと、不死男はにこにこしながら、
「由紀ちゃんはね、おにいさんと一緒にお肉をプレゼントするんだよ」
「お肉ねえ」
普通はお花とかだけど。
なんとなく由紀子らしいとオリガは思った。可愛いもの大好きな女の子だが、こういうところは現実的に相手が喜ぶものを選んでいる。もしくは、自分のためだろうか。花も育てている農家なので、カーネーションをあげるのも変なのだろう。
「無難にカーネーションでもあげますか?」
アヒムの普通すぎる提案に、不死男は眉をしかめる。
「普通すぎるよ」
「まあ、普通だよな」
おそらく一円も資金を出さないであろう愚弟が発言する。
アヒムはむっとなり、眼鏡をくいっとあげる。
「なら、おまえは何がいいか言ってみろ」
「……肉とか」
結局、思いつかないらしい。
他の意見がないままなら、このままお肉で決定である。
「お肉ねえ」
たしかに、おおらかな母のことだから、お肉でも喜んでくれるだろう。
だが。
「お母様、舌が肥えてるから」
今からいいお肉手に入るかしら、とオリガは首を傾げる。
「通販なら一番早くて明後日に届きますけど」
「味、落ちるだろ。通販って、冷凍だろ」
「たしかに」
通販は却下だ。
「現地調達してくるか?」
母の日まであと数日である。忙しい勤め人には時間はない。
「俺が行ってこようか?」
『却下』
恭太郎の発言にオリガとアヒムは口をそろえる。
「あんた、ねこばばするでしょ」
「信用ならない」
「ひでー」
まったく信用できない弟であるからして。
うーむ、と三人が唸る中、不死男だけは何かを思いついたようで、ぽてぽてとテラスのほうへ歩く。
そして、にこにこしながら戻ってきた。
「最上級のお肉」
父の手を掴んで。
〇●〇
『由紀子ちゃん、お願い。大変なの、すぐ来てくれない?』
山田姉の連絡を受けて、由紀子が山田家に向かったのは母の日の前日のことである。
なにごとか、と急いで来てみると、そこには。
ブルーシートが広げられた上に、半裸で寝そべる山田父と、それぞれ斧、ノコギリ、鉈を持った山田姉たちがいた。
「……」
由紀子は言葉を失い、呆然とする。
なんという解体現場だろうか。
「由紀ちゃーん」
山田少年が笑いながらかけてくる。その右手には刃渡り三十センチをこえる包丁を持っていた。
(こえーわ)
包丁をぶん回しながら山田が近づいてくるので由紀子は、間合いをとりながら近づいてくる山田少年を避ける。
「なんで逃げるの?」
ふてくされた顔で山田が言うので、
「まず、凶器を置こう。話はそれから」
と、答えておいた。
包丁をおいて近づく山田少年に、由紀子はまともな答えが返ってこないことも承知で聞いた。
「なんの騒ぎ?」
「母の日のプレゼント」
まったくもって理解できない。
「ふふ。『プレゼントはアタシ』というやつらしいんだよ」
どう見ても生贄羊かなにかにしか見えない山田父が答える。かなり楽しそうに見えるのは、子どもたちからかまってもらっているからだろうか。
いくらどんなに冷たい扱いをされている世の中のお父さんでも、こんなかまい方、絶対いやなはずなのに。
「母のプレゼントに由紀子ちゃんのおうちを真似して、お肉送ろうと思って」
山田姉の言葉に、由紀子は疲れた顔をして肩を落とした。
山田兄も恭太郎も至極まじめな顔をしている。本気である。
「あの、普通に黒毛和牛とかは?」
由紀子のおうちは、所詮子どものおこづかいなので、ちょっぴりよい程度のお肉である。知り合いの農家さんに安くわけてもらったものだ。
山田家なら金に糸目をつけずに買えるだろうに。
「だってこっちのほうが美味しいもん」
山田少年は、実の父親に言ってはいけないことをさらりと言ってしまう。しかも、山田父はまんざらでもない顔で、
「パパをそこらへんの牛さんと一緒にしない。格が違うんだぞ」
どうでもいい誇りを語る。
(だめだ、この家族)
山田家にはやはり常識人はいない、と改めて感じた。
「ところで由紀子ちゃん」
山田姉がにこにこしながら近づいてくる。その手に斧を持ったままで。
「……なんですか?」
聞き返したものの、その答えを聞きたくないと由紀子は思った。
だが、現実は残酷にも山田姉にその言葉を紡がせる。
「解体、新之助からうまいって言われてたわよね? お手伝いしてくれない?」
(いーやーだー)
その言葉を口に出そうとするも、由紀子の両腕は山田姉にしっかりつかまれ、その横には山田兄と恭太郎がノコギリと鉈を持ったままじっと見ている。
「由紀子ちゃーん、優しくしてねー」
まな板のコイならぬ、ブルーシートの父がずっと待っている。
「由紀ちゃん、がんばってー」
観客を決め込む山田少年。
由紀子は真剣な顔の大人三人に囲まれて、いっそこのまま気絶して何もかも終わってくれればいいと思ったが、修羅場に慣れた由紀子の精神はそんな繊細さを残していなかった。
「はい、由紀ちゃん」
山田少年が包丁を由紀子に持たせてくれた。
本当に、どうでもいいところで気が利く奴である。
「お帰り。遅かったね」
祖母がすき焼き鍋を居間のテーブルに置く。
(ああ、赤身)
「けっこういいお肉だね、これ。箸が進みそうだよ」
「う、うん。主役はお母さんとおばあちゃんなんだから、いっぱい食べてね」
(私は無理っぽいから)
由紀子は、遠い目をしながら部屋着に着替えるため、自分の部屋に向かった。