64 秋は食べ物がおいしい
(大体、想像はついてたけど)
由紀子は、袖の短い制服を着た少年、いや成長の段階では青年に差し掛かっているものを見る。今まで少年だったので、もうこの際少年で突き通そう。
「なんか、かっこ悪いよね」
その声は、すでにテノールの声域だった。低くはないものの、子どもの声域ではない。
きつそうな襟をゆるめる。ごまかすようにシャツを腕まくりする。だが、スラックスの丈はごまかせない。
(お父さま似のモデル体型ですこと)
一日一ミリずつやすりで足の裏を削ってやりたくなる。と、考えて、思考が山田姉に似てきたな、と反省する。
「早く制服出来上がらないかな?」
「明日にはできあがるっておばさんが言ってたじゃない」
いつもなら、待ち合わせをしているわけでもないのに、バス停で会う二人だが、今日は少し心配になって、由紀子は山田家の近くまできたのだ。
それをポチとハチに散歩されている山田父に見つかり、連れてこられたのだった。
由紀子とほぼ同じ目線だったはずなのに、由紀子の目線は山田の首のところに合う。
目測百七十センチ、八センチも伸びている。
女の子っぽかった顔は、まつげは長いままだけど男の人の印象が濃い。正直、大抵の女の子ならどきどきしてしまうだろう。
由紀子とて、そういう点では女の子である。
山田家から出てきた山田少年を見て、由紀子はやっぱり目を丸くしてしまった。しかし、中身はまったくかわってなかった。
片手を大きく振りながら、「由紀ちゃーん」と少し低くなった声で走って近づいてきた。
お約束である。
こけた。大いにこけた。
額をぱっくり割って、にこりと笑う顔は女の子たちを違う意味で叫ばせることだろう。
由紀子は制服の襟を持って、子猫のように持ち上げてやったのだった。
「お前、誰だよ?」
癒しの蹄と、実は可愛らしい尻尾があるらしいヤギ少年の織部くんがたずねた。眉間にしわを寄せ、不貞腐れたかのように目を細めている。
「……どこのタケノコよ」
かな美が真っ青な顔で山田少年を見る。ぶつぶつ「やばい、やばいわ。思ったより早いわ」などと、意味不明なことを言っている。
「絶賛成長期中」
にやりと笑い、ポーズを決める山田少年。どっか軽いところは、恭太郎の影響を受けたのだろうか。正直、うざい。
(やっぱり別人)
山田少年の夢の中で見たもうひとりの山田、仮に山田青年はもっと起伏の緩やかな印象だった。
何事にも穏やかでいる一方で、何事にも平坦な感情変化しかなかったように見える。
身長が伸びたことで、由紀子はかなり悔しかったが、それ以上に織部はショックを受けている。
「くそう、蹄鉄つけてやる」
(いや、ばれるって)
由紀子は裏手ツッコミを押さえこみながら、織部を見る。彼の身長は、由紀子どころか、中学一年生平均より低い。
身体的にコンプレックスの多い彼は、かなり気にしているのだろう。
(男は顔じゃないらしいよ)
別に、織部は織部の身長のままで別にいいと思う。たとえ三枚目の山羊面だろうと、天然パーマだろうと、ちびであったとしても。
そのふわふわ頭からのぞく角とか、ぽくぽくしたあんよとか、ちょっぴり膨らんだおしりのあたりにある尻尾など武器という武器がそろっている。
特に、未だ見たことのない尻尾は、大変想像力がかきたてられる。なんとなく公園を歩いているアヒルに似ている気がする。あれを見ているとつい追いかけてしまう、そんな魅惑のおしりなのだ。
しかし、織部はアヒルではない。
「見せてくれ」なんて間違ってもいえない。
しかし、これでは。
(顔でなく、身体なのか)
いや、織部の尻尾もいいが、狼人間の犬山さんの耳も捨てがたい。そうなると、肉球も選択肢に入れるべきである。
などと、一歩間違えなくても危ない妄想にふけっていると、山田少年がぴったりと横にくっついていた。
由紀子はびっくりして半歩のけぞる。
「何、難しい顔しているの?」
「してないよ」
難しいことは考えていない。級友の耳をいじったり、手のひらを撫でたり、臀部の上をじっと観察する妄想をしていただけだ。
由紀子はもしかして、自分は変な趣味があるのではないかと思いつつ、予鈴が鳴ったので席についた。
至って平穏な一日だった。
山田少年は、お昼休みにサンドイッチを喉に詰まらせて青くなった以外はこれといって問題はなかった。
(ぼんやり加減は前と変わらないか)
安心していたのはつかのまだった。
山田少年の成長を見て、クラス全員が驚いた。先生も驚いた。
だが、クラスのみんなは山田がどういう生き物であるか、わかっているためにこれといって変わった態度をとらなかった。「山田だから仕方ない」、それで終わる。
だが、休み時間を追うごとに噂を聞きつけた他のクラスの生徒たちが、山田少年を見に来た。
(平和な学校だな)
などと思っていたが。
「盛ったメスどもめ」
大変品のない言葉は、かな美の口からでてきた。かな美は半眼で、ほお杖をつきながら足を組んで廊下を見る。
(そういや、女子がやたら多い)
由紀子は改めて山田少年の顔を眺める。そうだ、顔はいいのだ、顔だけは。いや、山田父に似たならスタイルもいい。
「高等部のババアまで来てる。青田買いか?」
「か、かな美ちゃん、それ以上はちょっと」
本当にかな美は一体なにが憎いのだろう。
由紀子はエスカレートしそうなかな美の言動を押しとどめる。
隣で織部が、
「やっぱ、顔だよな……」
と、つぶやいている。
「顔だけじゃないよ」
山田が織部の肩を叩く。その笑顔は、無駄に決まっている。
そこで山田がまた余計なひところを付け加える。
「身体も大切だよ。恭太郎兄さんが言ってたよ」
恭太郎が言っていたのならどうでもいい理由なのだろう。持久力とかなんとか言っている。
なぜか、かな美が怒り、山田だけでなく織部まで教科書でぼこぼこにする。
(本当に男嫌いだよなあ)
由紀子は、放課後用のおにぎりをむしゃむしゃ食べながらその様子を眺める。
「由紀ちゃん、ちょっとちょうだい」
山田が口をあーんとする。成長したせいか、カロリー消費が増えたらしく、以前の二割増しで食べている。
仕方ないなあ、と由紀子はおにぎりを一つ山田の口に突っ込もうとしたが、なぜだか非難の声が聞こえたのでやっぱりあげるのをやめておいた。よそのクラスの女生徒たちが見ているので大変居心地が悪い。
山田は残念そうな顔をしたが、かな美は、
「あんまり不用意なことをしちゃだめよ。怖いんだから、女は」
と、鼻息を荒くする。
(いや、貴方も女の子でしょうに)
由紀子は、山田と見知らぬ複数の女子に観察される中で、めんたいこおにぎりを完食した。
「由紀ちゃん、今日は姉さんが迎えに来るよ」
実は朝も送ってもらった。ニート、もとい恭太郎にだ。
由紀子もバスに乗るより楽なのでのせてもらっている。
しばらく、自動車通学らしい。
由紀子はそろそろ定期が切れるころなので、上手くいけばバス代浮かせられるな、と悪いことを考える。
遠巻きに見ている女子生徒を振り切るのは、由紀子にとって簡単だった。かな美たちと一緒に教室をでて、曲がり角のところで山田を担ぎ猛ダッシュする。かな美たちが女生徒たちの視界を塞いでる間に、視界から消えるだけのスピードを由紀子は持っていた。
(かな美ちゃんには気づかれてるのかな?)
そんなことを思いながら、裏門で深く息を吐く。さすがに百キロ近く、いやそれ以上かもしれない身体を片手で抱え、走ってくるのはきつい。
「由紀ちゃん、せめて両手で持ってくれたらいいのに」
情けなく、担がれている山田はそんなことを言う。
「それだとお姫さま抱っこになるよ」
「別にいいよ、それで」
「私が嫌だよ」
何が悲しくてお姫様抱っこをする立場にならなくてはならないのだ。
「大体、山田くんが自分で走ればよかったんだよ」
「その前に由紀ちゃんが、捕まえたんでしょ」
(まあ、そうだけど)
由紀子は、まだ山田を抱えていたので地面に下ろす。なんとなく、山田を走らせるくらいなら、自分で担いで走って行ったほうが早いと思ったからだ。
(ある意味、私も過保護だよな)
山田シッター代をいただきたいくらいである。
「あと、十五分くらいかかるって、姉さん」
「ふーん。大変だねえ」
お仕事もあるだろうに。
由紀子と山田は門の柱に寄りかかる。空は澄んだ色をして、和紙を薄くちぎったような雲が流れている。
動く雲を見ていると、時折、雲ではなく自分が地面ごと動いているような錯覚に陥るときがある。
「涼しくて気持ちいいねえ」
秋風を感じながら山田が言う。痛覚は麻痺しているのに、涼しさを風流に感じている山田をおかしいと思う。
「秋ですから」
サツマイモとクリを焚きこんで、ごま塩を振ったご飯が食べたくなる。サンマもいい、焼き立ての上にダイコンおろしをのせて、ユズと醤油でいただく。
考えただけでよだれがでてくる。
由紀子にとって秋は食欲の秋なのだ。
だけど、山田にとっては少しだけセンチメンタルの秋らしい。
似合わないことに。
「雲って流れているうちにどんどん形が変わっていくね」
山田が空に手を伸ばしながら言った。
いつもなら、ちょっぴりわけのわからない雑学を話すところなのに、今日といえば。
「ああやって、ヒトも変わっていくのかな?」
どっか寂しげな顔でずっと空から目を離さない。薄い雲が流され、消えていく様子をずっと見ている。
「そうじゃない」
由紀子はあえてつっけんどんに答えた。
視線を上からそらさない山田を、頬を引っ張って物理的に雲から視線をそらさせる。
「進化論って習ったでしょ」
成長しているなら、問題ないだろう。変わらないことがいいというわけでもない、と。
「……そうかな?」
「そうだよ」
由紀子はほっぺたをつねったまま、目を閉じた。
見えない中で、左手の指が山田の頬の震えを感じる。
いつもどおり笑っている、由紀子はそう思うことにした。