62 さみしがり屋の夢魔 後編
(この人はどんな風に育ってきたのだろう?)
由紀子は、山田長男を見て思った。
誰にでも優しく、誰にでも平等で、自分が苦労することを厭わない。
絵に描いたような聖人がそこにいる。
怪我をしたもの、病気をしたものには、惜しむことなく自分の血肉を与える。
たくさんの宝物や豪華な食事を用意されても、畑仕事をやめたりしない。
シラミのわいた小汚い子どもを拾ってきては、丁寧に洗い清め、食事を与えて育てる。
誰に弔われることもなく、地虫の餌となるものを土を掘り返して墓を作ってやる。
(いっそ胡散臭い)
そんなことを考える由紀子は、すれているだろうか。あまりに善人すぎるのだ。
由紀子がそんなことを思っているのに気付いたのか、夢魔の足が止まる。
「狼少女の話を知っているかい?」
夢魔は唐突にそんな話をした。
由紀子は首を振る。
「オオカミに育てられた女の子の話さ。ヒトはね、教えられなければヒトとなりえない生き物なんだよ。捕まった当初はまさにヒトの形をしたオオカミだったそうだ」
ヒトがヒトとなりうるには、いくつか要素がある。
同時に神と呼ばれるためにも、いくつか要素がいる。
「たぶん、彼はみんなから神とみられるだけの要素を持ち合わせていたんだろうね」
(どんな要素?)
「ふふ、よく言うだろ? 無償の愛って言葉」
由紀子は言葉を聞くなり顔を歪めた。まあ、悪いとは言わないけれど、聞いていると本当に胡散臭い。なにか裏があるのでは、と勘繰ってしまう。
多かれ少なかれひとには悪意があると思う。その濃度によって、善人か悪人かに区分されるだけであって。
もし山田長男にそんなものがないとすれば、そんなものを知らなかっただけだろう。
他人から常に善意を向けられ、まったく悪意を持つということを知らずに育ってきた。だから、他人に善意を向けるのは当たり前で、彼はそうしているのではないか、と。
少なくとも、山田長男の精神の土台がしっかりできるまでの間、ずっと善意だけを向けられてきたのだろう、と。
(恵まれ過ぎていたんだ)
由紀子は歩きはじめる夢魔のあとについていった。
場面が切り替わる。
そこはうってかわって、殺伐とした光景だった。
御殿や周りの家々が火にかけられ、周りでは村人たちが鎧武者に斬られていた。
いや、一方的に斬られているだけでなかった。
「すまない、すぐに離れよう」
由紀子を気づかってか、夢魔が言う。
由紀子は首を振った。
見ていて気持ちの良い光景ではないが、ただ、なにか重要な場面であることはわかった。
村人の何人かは、刀を持ち、武者たちに斬りかかっていた。しかし、刃こぼれした刀では、鎧を着た武者を倒せるわけもなく、あえなく殺されていく。
(どうして殺しているの?)
まるで年末の時代劇ドラマを見ているように、由紀子は思った。冷たいだろうが、触れることもできず、ただ流れていくだけの映像に感情移入はできなかった。
ただ、情報を漏らさないように眺める自分がいる。
武者たちは返り血を浴びているものの、その鎧はきれいなもので、よくいう落ち武者が山賊になりさがったという風には考えられなかった。
「官軍だよ。つまり、帝直々の命を受けた軍だね」
そんなものがなぜ、平和な村を襲うのだ。
由紀子は、疑問に思いながらもそのヒントとなるものをすでに目にしていた。
集落で畑仕事をしていたのは、山田長男一人だった。そのあいだ、他の大人たちは何をやっていたのだろうか。
毎日、宴ができ、貴族でもなければ目にかかれない宝が集まるのはなぜだろうか。
簡単なことだ。
奪えばいい、と。
大江山の鬼の正体は、宗教団体かもしれないし、盗賊かもしれない、と先生が言っていたことを思い出した。
(盗んでいたんだ)
そして、これだけ大掛かりな討伐が行われるということは、その罪は重い。
コソ泥といった小さな悪ではないだろう。
毎夜の楽しい宴は、ヒトの流した血によって開かれていたのだった。
そして、そのことをおそらく宴の主役は知らないだろう。
由紀子は、情報の欠片から正答を導き出したらしい。
状況が理解できない顔で山田長男が立っていた。その手に農機具と収穫物を入れたずた袋を持って。
山田長男を見るなり、武者たちは斬りかかっていく。身体に何本もの刀が突き刺さる。山田長男の着物が赤く染めあがり、口からこぽりと血を噴出した。
武者の中には、笑いながら刀を引き抜くもの、おかしいと首をかしげるもの、次の獲物を斬りに行くものといた。
しかし、刀を引き抜かれ膝をついたものの、それでは死なないことを由紀子は知っている。
傷口から飛び出した臓物がうねりながら元の位置に収まり、流れる血液が逆流して戻る。
その異様な光景を見た武者たちは、おののく。
化け物だと騒ぎ、腰を抜かすものもいる。
生き残った村人たちは、山田長男に助けを求める目を向ける。
山田長男の力があれば、刀を持った武者などねじ伏せることができよう。所詮、相手はヒト、不死身の肉体と並はずれた力を持つ不死者には敵わない。
だが、由紀子は思った。
そんなことは、けしてしないだろうと。
そして、案の定、自分の首と引き換えに村人を助けるようにと乞う。
(まったく馬鹿だ)
誰もが怖気づく中、刀を持ち前に立つものが現る。その鎧は、他の武者の誰よりもぼろぼろで、派手な返り血がこびりついていた。鎧に傷が多いということは、それだけ立ち向かってきたものを相手にしてきたということである。無傷で返り血だけ浴びたものとは違う。
刀が振り下ろされる瞬間、また場面が切り替わった。
それから、場面がどんどん切り替わっていく。再生機器のチャプターをとばしていくような感覚だと思った。
「昔は、ビデオの早送りみたいだって言ったんだけどな」
時代が違うね、と夢魔は言う。
正直、由紀子はビデオテープなるものは、家の物置くらいでしか見たことなく、もちろん使ったこともない。
切り替わっていく画面には、いろんな人がうつっている。山田父や山田母、小さくておませそうな女の子はもしかして山田姉だろうか。いろんな国、いろんな時代、その中を渡り歩いている山田長男を見ると、まるでなにかを探し求めているようだった。
山田兄らしき子どもが出てきて、さらにもう一人男の子がでてきた。
(子ども好きなのかな?)
皆と平等に接しているようだが、子どもの記憶が多い。
潜在的に、子ども好きなのかもしれない。
場面の切り替わりは、急に速度を落とし始める。
場所は、西洋のどっかの国としかわからない。どこか寂しげな農村風景が広がった。
かなり牧歌的な光景だが、時代はもうだいぶ下っているようだ。服装を見るかぎり、百年も前には見えない。
(恭太郎は何歳だっけ?)
つい呼び捨てにしてしまうのはご愛嬌である。ちゃんと、声に出すときは敬称をつけるので問題ない。
なにやら山田長男が、村人に誘われて家に入っていく。
由紀子もまた、中に入ろうとするが。
「これ以上はだめだよ」
夢魔が由紀子の目を隠すように押さえた。
(どうして?)
「ここは誰かの記憶だっていうことを忘れてはいけないよ」
由紀子は、はっとなった。
自分のやっていたことが、とても恥ずかしい行為だということに気が付いた。
「私みたいになってしまうよ」
父の顔をした夢魔は、かすかに口を歪めて笑って見せた。
寂しげな笑顔だった。
(そういえば)
由紀子の知っている夢魔といえば、夢を食らう獏の他に、サキュバスやインキュバスといったあまりイメージのよくないものもいる。
寝ている異性にとても口には出せないことをやってしまう悪魔である。
「そうだね。私たちはそういう生き物だね」
由紀子は考えたことが筒抜けになってしまい、思わず口を押さえる。
「体質のせいで、みんながみんな、眠ってしまう。同族なら問題ないが、数は少ないからすぐ血が濃くなりすぎてしまう」
だから、昔は夢魔にふさわしい悪いことをしていたのだという。そうしなければ、絶えてしまうから。
(昔は?)
「今は、体臭を抑える薬があるし、声なんて出さなければいい」
少しは楽になったよ、と夢魔は語る。
それでも、公共の場に出るのは避けなければならない。相手の体質によっても、眠ってしまうものはいる。薬は所詮薬であり、万能ではないのだ。
「たとえ身内でも、夢魔の能力を受け継がなかったら、傍にいる間、ずっと眠り続けることもある」
と、由紀子の頭に手をのせた。
ここ数年、由紀子の身長が伸び、誰もやらなくなっていた行為だ。
別人だとわかっていても、父と同じ顔をした人物に頭を撫でられると、少しだけ懐かしくなった。
由紀子がそう思ったからだろうか、夢魔の顔もまた、どこか懐かしそうな表情をしていた。
「さて、そろそろ終着点も近いだろうな」
夢魔の後ろについていき、由紀子はもやもやの奥へと歩いて行った。
(あれ? 山田長男は?)
由紀子は見慣れた、でも今とは少し装飾の違う部屋を目にする。
趣味の良いアンティークな家具に、それに合わせた壁紙、女の子が憧れる天蓋付のベッドは健在である。
そこには、綿菓子のような女性と女の子がいた。綿菓子のような女性は、山田母だ。女の子をだっこして背中を叩きながら、子守唄を歌っている。
女の子はそれを聞きながら気持ちよさそうに眠っている。
(女の子?)
いや、違う。とても可愛らしく天使のようであるが、あれはまぎれもなく男だ。あと数年たってもカツラを被るだけで女の子に見えてしまう憎たらしい奴である。いくら可愛くても、ちゃんとついていた。
(いやいや、そんなことでなくて)
由紀子は過去二回見た光景を頭の隅に押しやる。今は関係ないことだ。
それにしても、どうして山田長男が出てこないのだろうか。
由紀子の疑問にヒントを与えたのは、夢魔だった。
「君は本当にわからないのかい? 察しの良さそうな君なら、そろそろ気づいてもよさそうだけど。それとも、あえてその答えに気が付かないようにしているのかい?」
夢魔の言葉に、山田長男と山田少年のことを思い出してみる。
二人はよく似ている。
山田少年は山田長男のことを知らない。
山田長男は行方不明。
時折、別人みたいになる山田少年。
よく意味不明のことを言う。
茨木は山田少年のことを『シュテン』と呼ぶ。
(……)
由紀子は、とてもありえないことが結論として導かれて、目をぱちくりさせた。
たしかに、ありえない、ありえなさすぎることだ。
だが、ありえないことが起こるのが山田家である。
由紀子は視点を山田母と山田少年に向ける。
山田母は、ずっと子守唄を歌う。一つの子守唄が終われば、次の子守唄を。由紀子の知っている子守唄もあれば、全然知らない言語の子守唄も歌っていた。
寝付いた子どもをベッドに横たわらせず、ずっと抱っこをしたままである。寝付いた子どもを不用意に起こさないようにも見えるが、あれはまるで。
けして手放さないという、異常な愛が見受けられた。
(他人の悪意を知らずに育ってきた)
その根底には、山田母の努力があったのでは、と由紀子は思った。
人外とヒトとのハーフ、古い時代であれば、どんなふうに見られていたかわからない。
だから、息子を傷つけないように、山田母はずっと大切に育ててきたのではないのか。
間違いだったとは言いたくない。だが、それはあまりに純粋に育てすぎたのだと、由紀子は思った。
だから、山田少年は、いや山田青年は苦しんだのだろうと。
由紀子の目の奥が熱くなっていた。
まるで、映画でも見ている気分で、見続けてきた過去をのぞいてしまったことに後悔した。
山田長男であれば、知らない人外だとわりきっていれたのに。
近づきすぎてしまったことを後悔した。
(ついてこなきゃよかった)
山田のために目にたまったものが零れ落ちることが悔しくて、由紀子は瞬きをしないまま天井を見上げた。
(ここは学校?)
由紀子は、見覚えのない教室にいた。
小学校のようだが、由紀子の知っている場所ではない。
山田少年の転校する前の学校だろうか。
涙が零れ落ちる瞬間に、場面が切り替わってよかった。
由紀子の思考は筒抜けだろうが、実際に他人に涙を見せるのは抵抗がある。
山田少年は教室で一人本を読んでいた。
タイトルは、とても小学生らしくない裏世界史的な本だった。山田少年の拷問に対する知識は、山田姉からの伝授だけではないらしい。
黒板には、大きく自習と書かれていた。
(先生も残酷なことをする)
教室で読書をするか、校庭でサッカーをするか選べるようになっている。山田一人、教室にいるのなら、みんなサッカーをしているのだろう。運動のできない子もいたかもしれないが、山田と一緒に教室に残るのが怖かったのかもしれない。
誰も彼を誘いに来るものはいない。
そうだ、由紀子のクラスでも最初は一人ぼっちだった。なにかと騒動を起こす山田少年の周りには、遠巻きに見るヒトばかりになるのが普通である。
(私だって、遠巻きに見ていたかったよ)
「そうだろうね。面倒くさいことは嫌だ」
夢魔も同意する。
「でも、君は手を貸してしまったね」
(あれは、他にどうしようもなかったから)
体操服を貸してあげた。
「でも、君は返事してしまったね」
(なんか、断るのもアレだし)
山田家にお呼ばれされた。
「その後も何かと面倒を見た」
(先生に頼まれたから仕方なかったの)
参考書につられた。その後も、先生の安月給からいろんなもの、主に食料を無心した。
「一度殺されても、許した」
(これはけっこう大らかだな、って思う)
自分の精神が麻痺しているとしか言いようがない。
「簡単なことだけど、そのことにすくわれることが多々あるんだよ」
夢魔が机に寄りかかりながら言った。
それにしても、夢魔はどこまで由紀子や山田少年の心のうちを読んでいるのだろう。
まるで筒抜けである。
「守秘義務は守る。そういう仕事だからね」
夢魔の言葉に、由紀子は半眼になりながらも許してあげることにした。父の姿をした人物をそんなににらむことはできなかった。
由紀子はいつもどおりの呆れた顔で、山田少年の前に立つ。
「はいはい。そんな趣味の悪い本読まない。小学生らしく世界の伝記でも読んどきなさい」
つい、そんなことを口走った。
山田少年には由紀子は見えておらず、何の反応もないはずだった。
しかし、山田少年は本から視線をあげて由紀子を見る。
(何? 偶然?)
由紀子はびっくりしたが、由紀子の後ろに時計があることに気が付くと息を吐いた。
(脅かさないでよ)
いつものくせで、山田少年の頬に手を伸ばす。
由紀子の指は山田の身体をすり抜けるはずだった。
ぷにっと、柔らかい感触がした。
(あれ?)
由紀子はもう一方の手も伸ばし、柔らかくよくのびる頬を伸ばした。
(さわれる?)
「痛いよ、由紀ちゃん」
聞きなれた声が笑っていた。
全然痛くないのに、「痛い」というのがわざとらしい。
「早く起きなさい、この寝坊助」
由紀子はぷにぷにのほっぺを限界まで引き延ばしてあげることにした。
なんてことはない、いつも通りの光景だった。
http://5130.mitemin.net/i52830/
うらいまつさんに描いていただきました。
仕様で縮小されているのですが、原寸だともっとすばらしいです。