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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 前半
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61 さみしがり屋の夢魔 前編

「あっ、おじゃましてます」


 由紀子は洗濯物をたたみながら、帰ってきた山田兄に言った。ずっと忙しかったらしく、端正な顔はやややつれていた。


「な、なにをやっているんですか?」


 くたびれた顔をしていた山田兄は、由紀子を見るなり身体をそらせた。


「いえ、洗濯物ですけど」


 と、コインランドリーから持って帰ってきた服を片付けていく。


「あぅ、それは」


 由紀子がたたんでいたのは下着だった。天狗柄ではないとだけ補足を伝えておく。

 どうやらこれが山田兄のものだったらしい。


(いや、そんなふうに反応されても)


 折角、バイトと割り切ってやっているのに、なんだかとても恥ずかしくなってくる。平穏を装いつつ、洗濯ものを仕分ける。


「あら、アヒム、お帰りなさい」


 山田姉がミネラルウォーターを飲みながらやってきた。それだけならいいが、なぜか片手にレーズンバターを持っている。胃の中で分離しそうだ。


(今日はあの下着はつけていないのかな?)


 下世話なことを想像してしまった。隠れるものも隠れないので、落ち着かないのではなかろうか。


(ぜったいすーすーするだろうな)


 そんな山田姉はもしゃもしゃレーズンバターを食べている。


「姉さん、一体なにをやらせているんですか!」


 山田兄は少々声を荒くして言った。


「由紀子ちゃんが、手伝ってくれるっていうから、つい甘えちゃったの。私も仕事あるし。本当に由紀子ちゃんはいい子だわ」

「はい、うちで慣れてますので」


 お手伝いという名のバイトには。


 いただけるものをいただければ、由紀子は家事の一つや二つくらいやってやる。しっかりというかちゃっかりというかビジネス主義というか、これは血筋なので仕方ない。


 おかげで秋物どころか冬物一式買い揃えられる。ブーツも新しいのを買ってしまおう。


「それならいいんですけど。やはり悪いので、洗濯物は僕がしますので」


 と、洗濯籠を持っていってしまった。なんだか恥ずかしそうな山田兄であった。


「もうシャイなのね」


 山田姉がからかうように笑う。


 由紀子はお仕事をとられてしまったので、何をしようかと考える。

 山田姉がこちらにきたということは、さっき持ってきた祖母製のごはんを食べ終わったということだろうか。


「じゃあ、洗い物をしちゃいますね」


 由紀子はキッチンに向かい、洗い物をすることにした。






 由紀子は、由紀子祖母が作ったちらしずしの桶が空になっているのを水につける。一人一桶なんて豪快な量だが、由紀子もそれくらい食べるので笑えない。具材はトリ肉、ゴボウ、シイタケ、ニンジン、付け合せにインゲンと薄焼き卵である。日高家では、自家製のものを消費するため、あまり海鮮は使わない。今日の犠牲鳥さんは名もなき地鶏さんである。


 スポンジを泡立ててごしごしやっていると、呼び鈴の音が鳴った。


(お客さんかな?)


 当たり前のように出ようとして、違ったとまた洗い物に戻る。山田家に慣れすぎるのも困りものだ。


 山田家の誰かが玄関に向かったようだ。


 一つ目の桶を洗い流し、立てかけていると、ふんわりと甘い匂いがした。


(あれ? なんだか)


 頭がぼんやりする。


 なんだか、くらくらするので一度水を止めて、椅子に座り込む。


 すると、山田姉が慌てた様子で入ってきた。


「由紀子ちゃんに言い忘れてたわ。今日は、おきゃ……」


 山田姉の身体もぐにゃりと力が抜け、テーブルに寄りかかりようやく身体を支える。


「おきゃくさん、がきて、いるの。……相手は、ナイト……」


 山田姉はそのまま崩れ落ちてしまった。


(ね、ねむい)


 由紀子もまた、テーブルに顔をつっぷすとそのまま眠った。






 うすい靄の中、由紀子はゆっくりと歩いていた。


 ここはどこだろう、そんなことを考えながらも歩いている足は止まらなかった。何かに引き寄せられるような感覚がする。


 もやもやの先になにか人影が見えたので、そこに身体は向かう。


(無防備だなあ)


 由紀子は自分がやっている行動と思考に矛盾を感じながら向かう。


 ぼんやりとした人影は、だんだん形をはっきりさせていった。そして、由紀子がその姿をはっきり確認できるようになる位置まで近づくと、由紀子の思惑とは違って動いていた足が止まった。


「こんにちは。おじょうさん」


 そこには、冴えない壮年がいた。三十代前半のその男は、本来なら四十を過ぎているはずだった。いまだ若いままの姿でいるのは、もうこの世のものではないからだ。


「おとうさん」


 仏壇の遺影そのままに、由紀子の父はそこにいた。


 しかし、父の姿をしたその人物はやんわりと否定する。


「違うよ。おじょうさんにはそのように見えているだけだよ」


 少しだらしなく歪んだネクタイを結び直し、父に似た男はかしこまった仕草であいさつをする。どこか、道化じみた動きは、サーカスのピエロを連想させた。


「私は、お仕事でこちらに出張させてもらっただけだよ。生憎、ここの家の住人は皆、鼻と耳がいいみたいだね。挨拶する前にみんな寝てしまうのだから」


 そして、男は説明する。

 自分の一族は、代々特殊な体臭と声をしており、その存在だけで周りのものを眠らせてしまうのだと。

 そして、意思疎通の手段として、発展したのが、精神に直接訴えかけるテレパシーだったという。


 相手は眠っていることから、結果、夢の中に入ることになる。


 よって、ヒトは自分たちを夢魔ナイトメアと呼ぶ、と。


 だから、一族以外のものと話すときは夢の中でしか話せないのだよ、と笑って見せた。由紀子はその笑いがどこか寂しげだと思った。


 周りのものを眠らせてしまうのであれば、まともに外も出歩けないだろうに。


「君はまだ年若く感受性が強いから、引っ張られてきたみたいだね。けっこうよくあることさ」


(どうすればいいんだろう?)


 由紀子が考えていると、男はその答えを教えてくれる。


「目が覚めればすぐに戻れるよ。それとも、ついていくかい? おすすめはしないけど、止めたりはしない」


 由紀子は男の言葉に首を傾げた。

 なにがおすすめしないのだろう。


 おすすめしないのであれば、待っておくほうがよいだろうが、どうしてももやもやの中、ずっと一人でいるのには気が引ける。

 由紀子は男についていくことにした。






(どうしてお父さんの姿に見えるの?)


 夢の中ということで、考えるだけで声に出す必要もない。

 父と同じ姿をした男は、父と同じ声で、だが違う喋りで答える。


「それはね、君の潜在意識の結果さ」


 ひとによって、親だったり恋人だったりする。しかし、全然違う場合もある。

 ペットの犬であったり、お隣さんだったり。


「君の場合、忘れちゃいけないと心の奥で考えてるんじゃないかな。この姿は、その本人というより、写真かなにかを見て再生されたようなのだろ?」


 男の言葉はまんざら間違えでもなかった。

 父が死んだのは幼稚園の頃である。記憶の中の父の姿はだいぶ薄く、今の夢魔の姿は遺影の写真そのままだったのだ。


 冷たいようだが、そんなものだ。


 あれだけ懐いていた父なのに、その姿をはっきり思い出せない。

 

 どんどん新しい記憶が上書きされる頭の中で、父の思い出の領域は相対的に小さくなっていく。


(忘れることはないけれど)


 思い出す頻度は減っている。


「それでもいいんじゃないかな」


 男は由紀子に言った。


「たまに思いだしてあげればそれで十分だと思うよ。今の生活を大切にしたほうがお父さんもうれしいんじゃないかな」


 男は由紀子にとってすーっと染み入る言葉を選んでくれる。


「ただ、たまには思い出してあげてね。ずっと忘れられるのは寂しいからね」


 由紀子は男の言葉にうなづくと、いつのまにか周りの風景は変わっていた。


(どこだろう? ここ)


 周りは山と畑に囲まれている。

 田舎の光景に思えるが、なんだか違う。


(電柱がない)


 道も踏み固められただけの舗装のない道だ。どれだけ田舎なのだろう。電気もとおっていないということだろう。


 しかし、その周りには案外ヒトの声が多い。

 

 明るい声ではしゃぐのが子どもだろうか。


 由紀子は声のする方向を見る。

 そこには丈の短い着物を着た子どもがたくさんおり、その中心では一人だけ大人がいた。


 癖のある髪を後ろで結び、子どもたちと同じく着物を着ている。しかし、その装束は由紀子の慣れ親しむ着物とは別物であり、もっと古い時代のものだった。


(時代劇より古い感じ)


 古文の教科書にのっていた挿絵の服に似ている気がする。

 たしか平安時代の話だったはずだが。


「これは、この夢の主人の記憶だね」


 くせ毛の人物は腰掛けた岩から立ち上がる。見えなかった顔が見える。


(山田父?)


 ではない。

 似ているが違う。もっと目元と口元が優しい顔をしている。それに、少し若い気がする。山田父の見た目の年齢は二十代半ばくらいだが、この青年はまだ二十歳にもなっていないように見える。


 若返った山田父というより、成長した山田少年といったところだ。


(山田長男だ)


 どうして彼の夢の中にいるのだろう。


「君はまだ気が付いていないんだね」


 夢魔はてくてくと山田長男のほうに近づいていく。


(ちょっ、近づきすぎ)


 由紀子が慌てるが、夢魔は気にした様子もない。


 向こうから子どもが走ってくる。子どもは前を見ずに走るから危ない。夢魔にぶつかりそうになる。


(危ない!)


 しかし、子どもは夢魔をすり抜けて、山田長男のほうにたどり着いた。


 子どもはくしゃくしゃの髪をして粗末な丈の短い着物を着ていた。くしゃくしゃの髪から、小さな白いものが見える。


(角?)


 八重歯も少し尖っていた。


 鬼の子だろうか。


 どの子どもたちも、山田長男にはりつき懐いているのはわかったが、特にその鬼の子が一番アピール強いことが目に見えてわかった。


 微笑ましい光景だった。






 場面は変わり、もう少しだけ成長した山田長男とけっこう大きくなった子どもたちがいた。


 子どもたちはもう当時としては子どもの年齢ではないのだろう。所帯を持つものもいれば、さらにその子どもが生まれているものもいた。


 畑の周りには小さな集落ができていた。

 粗末な家々はその中心にある比較的大きな家を中心に集まっていた。 


 山田長男は集落のそばで畑仕事をしていた。


 広い畑だが、山田長男の力と他の村人が働けば耕せないこともなかろう。


 山田長男の家は、村の中心の家だった。

 家に帰ると、村人がやってくる。その手には、ウサギやシカの肉が携えられていた。


 村人の連れてきた子どもが真っ青な顔をしているのを見て、山田長男は自分の指先をかむ。赤い血のしずくがあふれると、子どもの口に含ませた。


 顔色が悪かった子どもはみるみる明るい薔薇色の頬になる。

 村人は頭を何度も地面に擦り付けながら礼を言った。


「この時代は、疫病があったからね」


 それがないだけで、どれだけ村が栄えるかわかるかい、と夢魔は由紀子に言う。






 また、風景が変わる。


「ここは大江山という地だよ」


 そこには、当時としては立派な御殿が建っていた。


(山田長男は?)


 御殿から視界が切り替わり、また畑に移り変わる。


 山田長男はあいかわらず畑仕事をしていた。しかし、それを手伝う村人はいなかった。


 夕暮れになり畑仕事を終わらせ、山田長男が戻ると、御殿には村人たちが集まっていた。


 今日の稼ぎだと、とても立派な着物やおいしそうな食事を見せてくる。

 誰もかれも、自分のもってきたものが一番だ、といわんばかりに山田長男にアピールしている。


 その中に、角の生えた女性がいた。


(あの鬼人は)


 おそらくあの鬼の子が成長した姿だろう。

 そして、その姿に由紀子は見覚えがあった。


(茨木さん)


 茨木は誰よりも一番立派なものを山田長男に見せていた。珊瑚や毛皮、昔話に出てくる宝物をそのまま山田長男に与える。


 そして、その特権だと言わんばかりに、山田長男の隣に座るのだ。

 その様子を誰もが悔しそうに見る。


 まるで、茨木が山田長男の特別な存在、つまり奥さんかなにかであるようだ。


(たしかに奥さんのようだけど)


 だが、山田長男は皆を平等に扱っていた。宝物を持ってきたものも持ってこないものも分け隔てなく扱っていた。

 学校の先生ならどんなにすばらしいだろうな、と思うが。


(だからだろうか)


 微笑ましく見えていた、子どものときの優しいおにいさんの取り合いが違うものに見えてきた。

 鬼の子もそうであるが、他の子どもたちも山田長男の気を引こうと必死になっていた。時にそれで争いさえ起こっていたのではないかと考えた。


 誰もかれも平等というのは、とてもすばらしいことに思えるが、ある意味、何にも執着がないことを意味している。


 誰の言葉だっただろうか。


 好きの反対は、嫌いではなく、無関心であるということ。


 行き過ぎた平等は、無関心なのだ。


 そう考えると、一番みじめなのは山田長男の隣にいる茨木ではなかろうかと由紀子は思った。

 毎夜続けられる宴の中心は山田長男で、その隣は茨木で定着している。茨木は、けして他のものにその場所を渡さなかった。


(悲しいだけなのに)


 由紀子はまだ恋愛面では子どもである。茨木の気持ちはよくわからない。

 みじめなのにその場所を渡さない、理解できなかった。


 そして、由紀子は山田長男を慕う村人たちの気持ちがよくわからなかった。


 たしかに、山田長男は病を治したりしてくれるのだけど、それを突き抜けた形で慕っている気がする。


「宗教の教祖は、信者が十人いれば食べていけるそうだよ」


 宗教という言葉を聞いて由紀子は納得した。


 山田長男は、同じ『人』としてでなく、『神』として見られているのだと。


 そして、山田長男はそれがわからず『人』として生活しているのだと。


(歪んでる)


 由紀子は、楽しそうに見える宴をそのように思った。

 

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